第38話 Chocolate

 バレンタインの広告がいっぱいで、街中どこもかしこも雰囲気まで甘ったるい。

隣を歩いている隆は広告を見かけるたびに、ちょっとため息をつく。

毎年のことなのに。

いわゆるイベントの時はいつもこんなだ。

こっちもため息が出た。

気持ちはわからなくないけど、学ばない。

好きな相手がいるやつには、なんとなくソワソワのイベントだろけど、肝心の夏夜はベルギーに遥さんと行っていて来週帰国だ。

帰国まではイベントどころじゃない。

帰りの機内では、遥と報告書の作成で忙しいだろう。

俺たちみたいに、撮影現場で義理チョコを貰っている場合じゃない。

取り巻きの女子には義理のつもりはなくても、隆にすれば誰がどれほど心を込めても、高価なものを贈っても、義理チョコの一つにしかならないんだから。

ついこの間のクリスマスも、あいつは必死だったな。

この時期だけは、秋さんは敢えて任務の依頼を夏夜に入れない。

厳しいと評判の姉でも、年末年始くらいは休ませてやりたいと思うのだろう。

おかげで広場のツリーとイルミネーションを恒例の楽しみにできている。

毎年4人で。

本当は2人で来たいくせに。

隆にとっての俺と綾女は、夏夜を誘うための生き餌に過ぎないかも。

でも、クリスマスに正月その上、バレンタインまで依頼を断り続けていたら、夏夜の評価はだだ下がりになってしまう。

夏夜だって嫌だろう。

寂しげにため息を吐かれても、こればかりはどうにもならない。

夏夜が任務から退くか、気を利かせてチョコレートを早めに渡すとかなら別だが、どっちも期待はできない。

今回の出国前も、学校以外は頻繁に遥さんとやり取りをしていたし、任務中の今は絶賛集中して、プライベートのメールなんて見る余裕もないはずだ。

今回は特に王室絡み。気を使うところやさまざまな制限もあって大変そうだ。

綾女がベルギーはチョコレート大国だと隆をいじるものだから、隆のモヤモヤはヒートアップしている。

「夏夜に言えばいいでしょ?チョコレート欲しいって。」

綾女がうんざりしながら言った。

「そんなこと言えるかよ。土産を買うような海外じゃない。任務なんだから。」

「じゃなくて、バレンタインのチョコが欲しいって言うってこと!」

「そりゃ、欲しいって言えば夏夜のことだからくれるよ。」

自信はあるのか。

「だけど、バレンタインって、女の子からくれるものだろ?だからいいんじゃないか。」

隆は意外にロマンチストだからな。

「でも、夏夜って毎年もらう方で忙しいよ?」

綾女が笑っている。

そうなのだ。

夏夜のバレンタインはもらう日で、後でこっそりもらったチョコをみんなに分ける日だ。

女子の下級生からどっさりもらう。

それは俺も隆も一緒だけど。

「ね、ね、こんなにあったら一年分になっちゃうから、あげる。どれがいい?」

そう言ってジムの空きスペースで、職員やトレーニングに来ている人にも配って、まるでガレージセールのようだ。

隆は貰い物の中に、まさか男からのが入ってないかと、ここでも心配している。

一昨年、一つあったからなあ。

クラスの奴のが。普通に話す男子だよなんて、夏夜は気にしていなかったが、隆はかなり慌てていた。

何にも言わないが、その男子に接触したらしい。

ちょっと思い出し笑いをすると、イラつく隆に咎められた。

「たく、さっきから面白がってるけど、お前だって綾女に貰えるかわかんないぞ?」

「いや、俺は貰えるよ?綾女にお願いしたもん。」

「義理かもしれないだろ?」

「んな事ない。綾の手作りだもんなー」

「ねー。あ、隆にはちゃんと買ったのあるから安心してね。」

綾の額にキスした。

「たくと綾女じゃ相談にならない。俺は真剣に悩んでんの!」

プリプリして隆は先に行ってしまった。

毎年のこと。

でも、年々募る隆の気持ちはわかるんだな。

だって、夏夜も綾女も年々キレイになっているから。

一昨年の男子が冗談でチョコをくれたのか、裏技的な告白だったのかは知らないけど、たぶん夏夜は密かにモテている。

特に長年続けている古武術の試合とか、真っ白な稽古着で演武をしているのを見たらなぁ。

女子だってキュンとくるくらいなんだから、男子なら狙うだろ。他校の生徒に名前とか聞かれたこともある。

でも今のところ夏夜に変な虫は付かない。

誰かさんが先回りして牽制するから。

もしかしたら、夏夜は自分がモテないって思い込んでいるかもしれない。ちょっと心配だ。

それに任務に頑張っている夏夜は、当日依頼が入っていれば、呑気なイベントは忘れるだろう。

 去年がそうだったのだ。

ドバイに秋華と行っていて、疲れて帰ってきた。

イベントから数日過ぎてもいいと開き直った隆が、甘いものが食べたいと言ったら、黒糖の塊を渡していた。

「疲れたら白い砂糖よりいいんだって。これね、橙子姉様のお土産なの。」

にっこりした夏夜は無邪気で可愛かったし、黒糖は確かに美味しかったが、隆はへこみまくっていた。

不屈の精神で、隆は懲りずにホワイトデーにクッキーをあげていた。

「あ、先生のクッキーだ!大好き!先生にありがとうって伝えてね。」

そう言って遥に分けていて、遥は隆に見えるように食べて。

だから、夏夜の好物とは言っても、苑子おばさんのはやめろって言ったのに。 

 失敗続きだったからこそ、今年は意気込んでいたのに、ベルギー王室からの依頼に行ってしまった。

最後の抵抗というか、一縷の望みで

「出かける前に忘れている事とかない?」

なんて声をかけていたけど、夏夜の思考はすでに任務モードに移行してた。

「プランは兄様も把握してる。

PCとヘッドセットはあるし、パスポートも充電器もある。スーツも今日届いてるはずだし。

うん大丈夫。」

隆は目が点になりながら、「気をつけて」なんて返していた。

そこでチュッとかすればいいのに。

ほっぺでも額でも。

他の女の子には、もっとスマートにやり取りするのに、夏夜が相手だとまるっきり恋する乙女なんだから。


 夏夜が隆を気にしていることは、俺と綾女は知っている。

たぶん隆も。でも確証が欲しいのだ。

夏夜は元々、俺たちから敢えて一線引いているから尚更。

四家の中で育っていれば、俺たちの立場と彼女の立ち位置が違うと知っているから。

だから半分はぐらかし、半分鈍感に接している。


 匠の言い分はわかるけど、隆の涙ぐましい努力は可愛いを通り越して悲しくすらある。

それに、夏夜だってほんとうは。

ちょっと真面目過ぎて、自分の立ち位置を家的にも私たちの周り的にも気にし過ぎ。

もういいのに。

そんなの気にしても、どっちの益にもならないんだからさ。

どうにかして、くっついてもらいたいな。

秋さんだって駄目とは言わないはず。

だって前に、好きな人をちゃんと選んで欲しいって言ってたもの。

夏夜は心のどこかで、秋さんや橙子さんに負い目を感じている。母親の最期の時間を自分が一人占めしてしまったと。

だから任務の実績に必死なのだろうと匠の母が言っていた。

赤ちゃんだった夏夜になんの責任もないのに。そんなの気にしてるなんておかしい。

これは綾女さんの出番じゃない?

どっちにしても、たくにチョコ作るんだし...

まずはメールしておこう。

送信はブリュッセルを出る日に予約設定した。

買い物に行って、あれこれ買って待てばいい。

すごく楽しみになってきた!

早く帰ってこないかな。


 綾女ちゃんからのメールに気づいたのは、成田に着いてから。

機内でやる事は決まっている。

はじめに報告書の仮作成。

それから少し仮眠をとって、義兄が入れてくれた分を加味して清書を作り、本部へ送る準備をしておく。

残りの時間はとにかく眠る。

どこでもいつでも眠れる。次のプランが入っていたら、すぐに取り掛かる場合もあるから。

今回は試験まで時間があるから、終わってしまえば報告書だけだ。

綾女ちゃんから

「帰国したらすぐ半日必要。付き合って」

とメールが届いていた。

たくちゃんへのプレゼントを買いにとか?

プレゼントか。隆にも考えた方がいいのかな。

でもこの時期って、隆はチョコもプレゼントも両手一杯なんだよね。

あげてもきっとみんなのに紛れてしまう。

チョコ、飽きるって言ってたし。

迎えに来てくれた秋姉様と空港内で夕食を済ませた。

綾女ちゃんには「わかった」とだけ返しておいた。


「おはようございます!」

朝から元気に綾女はやってきた。

大きな荷物を抱えている。

まだ朝ごはんをパジャマのまま食べていた。

任務終了の翌日だけの楽しみになのだ。

「おはよう、綾女ちゃん。早いね」

「まだ寝てた?ごめんね。でも今日しか時間ないからさ。秋さん、遥さん、おはようございます。台所借りていいかな?あ、夏夜早く着替えてよ。」

着替えて台所に戻ると、テーブルにはチョコレートと製菓用品がいっぱい並んでいる。

バレンタインチョコを作るのだと言う。

遥がおもしろそうに、材料や型を手にとって見ている。

ラッピングは二つあつて、一つは匠の、一つは隆のらしい。

「チョコを細かく刻んで、レンジで溶かすの。たくは甘いのあんまり食べないから、カカオが多いのにする。隆のはどうする?」

「おんなじでいいんじゃない?たくちゃんと」

「ダメ。隆の好みを自分で考えるの。」

「私が考えるの?あ、メールで聞こうか?」

「あのさ、夏夜は隆にチョコあげたくないの?」

「でも毎年いっぱいもらっているし。」

「それはいいから。夏夜がどうなのか聞いてるの。」

「あげてもいいけど」

まあいい。とにかく進めよう。話は後でもできるもの。

チョコが溶けたら、入れたいフルーツとかナッツとかを決めて。混ぜたら型に入れる。

ハイやって!

ちょっと考えて、オレンジピールをチョコの上に載せることにしたらしい。

一口大のカップにチョコを流し入れ、大きめのオレンジピールにを載せていく。

遥さんがミントを摘んで洗ってくれた。

「綾女のにも、夏夜のにも飾りに使え。」

さすがだ。

そして、真ん中にはこれよ!

ハートの型。

「さすが、本命チョコ。気合い入ってるね。」

夏夜は笑っている。

「何言ってんの。夏夜のも作るんだよ?」

「私にもくれるの?綾女ちゃん。」

「…んなわけないでしょ!夏夜があげるの。好きな人に」

そういうとほっぺたが赤くなった。

「クッキングペーパーをトレーに敷いて。

これね、意外に綺麗に入れるのは難しいんだ。だからボウルからこうしてスプーンで一気に入れるの。ホワイト?それとも普通の?」

「...普通の」

こうして二つのハートチョコができた。

「冷蔵庫で1時間くらい冷やして、飾りをつけたらあとはラッピングね。」

それまでは休憩。遥さんが入れてくれたコーヒーを飲む。

「朝から押しかけてごめんね。

疲れてるとは思ったけど、時間がないから。

チョコあげたら喜ぶと思うよ。隆。」

「そうかなぁ。」


 遥はコーヒーカップを手に、秋華と肩を寄せ合ってのんびり庭に来る小鳥を眺めている。

秋さんは遥さんとお見合い結婚みたいなものだっ言っていたけど、ステキな夫婦だ。

「あんな風になりたくない?」

小声でそう聞くと、チョコが溶けるくらい真っ赤になった。

気持ちがあるんなら、ちゃんと言わないとね。

たかだか企業の考え出したイベントだけど、いい機会だと思うよ?

「だって迷惑かもしれないし」

「もうホントーに可愛いんだから。隆にちゃんと渡すんだよ?」

照れまくって、視線を合わせない。

ほっぺたをムギュと抑えて、無理やり目を合わせた。

「わかった?」

「う、うん」

「さ、そろそろ冷えた頃かも。見てみよう。」

冷蔵庫のチョコレートは程よく固まっている。

「飾り付けだね。」

ホワイトチョコに赤のペンチョコレートで小さな花を苦労して描いた。少しミントも載せて。

よし!我ながらキレイに出来た。

一方の夏夜は、緑の葉っぱ型を描いている。

シックだし、夏夜らしい気もするけど...

一つ赤いハートを入れてやった。

「あっ!こんなの入れたら...」

赤くなったけど、このくらいしなくちゃ。

ただのチョコじゃないんだから。

もう一度冷蔵庫に入れて冷やす。

その間にラッピングの準備。

箱を組み立てて、緩衝材の綺麗なのを入れて。

たくのは茶色の包みにした。濃い赤のリボンをかけて出来上がり。

夏夜は迷った結果、薄いピンクの包み。これに茶色のリボンをかけた。


さて、あとはなんとか間に合ったチョコを渡すだけ。

夏夜に持たせておくと、渡さないかも。そう思って預かる。

夕方のジムに持って行くね!

夏夜は渋々頷いている。ほんのりほっぺが赤い。

可愛いなあ。

夏夜は自分の可愛さに気がついていない。

モデルとかそういうのに興味無さそう。

だけど、一度撮影に連れて行った事があって、そのあと事務所が声をかけたがっていた。

止めたのは隆で、表向きは忙しい。興味がない。だったけど、あんまり人前に出したくないんだろう。しまって置きたいんだよね。大切に。

すごくわかる。でもね、それって度を越すと束縛になるよ。

「どうせ、断るよ。」

私もそう思う。

それでも、決めるのは夏夜じゃなくちゃ。

大事にしすぎることで、夏夜のチャンスを摘みとってしまうから。チャンスだけじゃなく、自信とか自分への正当な評価とかも入ると思う。

そんなやり方をするなら、ちゃんと伝えた方がいい。

こう言った時、隆はとてもショックな顔をした。

大切にしたいだけなのに、夏夜のことを追い詰めてるって思ったんだよね。

どうして思い合っていることを、素直に言わないんだろう。

帰り道は考え続けていた。

もうさ、家とか跡取りとかそんなのいいの。

皆、誰かが壊すのを待っているんだから。

大人になれば成る程、一緒にいられる時間は少なくなるのに。

あと2年後にはデビューして任務が入ってくる。

だんだん別々の行動が多くなる。

隆だって早く夏夜を捕まえておかないと、どこかの誰かに持っていかれちゃうかもしれないのに。

手の届かないところに行ってからじゃ、どうしようもない事だってあるんだから。


 夕方のジムに隆はランニングからそのまま入ってきた。

「後でカフェに行った時にね!私もたくに渡すから。」

「渡さないとだめ?」

「だめ。」

そう言って睨む。 


 いつものカフェの窓際。

今日の街はカップルが多い気がする。

ちょうどイベント当日だもん。

任務明けの夏夜にはちょっぴり無理させたけど、どっちにしても朝は起きてたし、ジムにも来るから許してもらおう。

四人で一息ついたところで、たくにチョコを渡した。ほっぺにキス付き。

さすがに夏夜にそこまで期待していないけどね。

私たちを見て、隆が呆れたみたいにため息をついた。

爪先で夏夜の足をつつく。

夏夜がチラッとこっちを見ている。

一緒に渡してくれたらいいのにって言いたそうな顔をしている。

自分で渡してね?意味がなくなるから。

「たく、帰ろうよ。」

「うん、送る。」

隆たちを残してカフェを出た。

けど、店の陰からそっと覗く。

「任務どうだった?」

隆が話し始めた。

「今回はちょっと難しかった。色々規約が多かったから。覚悟してたけど、現地でも調整がいっぱいだったよ。」

「疲れたよな?今日はのんびりしてきた?」

「飛行機で少し眠れたから。今朝は普通に起きてた。綾女ちゃんが朝から来てくれたし。」

「朝から?綾女もゆっくりさせてやればいいのになぁ。夏夜もさ、あいつに振り回されなくたっていいのに。」

「でもね、教えてもらったの。チョコレートの作り方。だからこれあげる。じゃね!」

そう言うと、外に駆け出していった。

「え?待てよ。これって...夏夜!」

机の上にはリボンをかけた薄いピンクの包み。

肝心の事は言えなかったけど、夏夜にしては上出来。

包みを手にしたまま突っ立って、それから隆は赤くなって大切そうに胸に押し当てていた。

「あれはきっと食べないなぁ。」

「結構グレードのいいの使ってるんだけど。もったいない。」

隣で匠がクスクス笑っている。

「まあ、こんなもんだろ。」

「とりあえずはね。ごめんね、巻き込んじゃって。」

「いいよ。俺はさ、あいつらの世話を焼く綾が好きなんだ。」

そう言ってくれる匠が好き。

「きっとね、今日の夏夜はすごく疲れてると思うの。チョコを作る時だけで何度も赤くなってた。」

「綾、頑張ったな。でも、これからは俺たちだけの時間にしない?」

返事の代わりにたくと手を繋いで、二人のデートに歩き出した。



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