第25話 変わらないこと

 夏夜が文房具の店に行きたいと言ってきた。珍しい。

「週末でもいい?実はさ、ちょっと疲れてて」

大学生活もあと少し。講義とゼミもほぼすることはない。

今の隆は仕事に入る準備に追われている。

学校から帰宅する前に、父の会社か自宅で何かと話があるらしい。

「うん、急ぎじゃないから。レターセットとか買って、ちょっとぶらっと見たいだけなの」

「金曜は早く帰れるから。土曜にランチがてらに行こう。夏夜も金曜は秋さんとこに行くんだろ?」

「そうなの、復帰の段取りの相談するんだって。会社に言っている間、薫ちゃんと千桜ちゃんのお守り。」

「秋さん復帰か。シッターさん決まったの?」

「その面接も金曜日だって。」

「色々あるんだな。子どもって大変だ。」

「でもね、最近二人ともよく笑うの。橙子姉様の飛悟ちゃんもだけど。赤ちゃんの笑顔って、なんであんなに可愛いんだろう。」

「夏夜もすっかりおばちゃんだな。」

「なんだかおばちゃんってイヤ。絶対に名前で呼んでもらう。それに隆だっておじちゃんだよ。」

「おじちゃん...やだな。」

「でしょ?りゅうおじちゃん」

夏夜がクスクス笑っている。

ふざけて叩く真似をする隆から、ぴょこんと逃げようとした。

途端に目が回った。

隆が腕を取ってくれて転ばずに済んだ。びっくりした、ドキドキしている。


隆が疲れているのは気がついていた。

寝室で夏夜に触れてきても、大体一回でその後の眠りも深い。

夏夜にとっては、疲れすぎなくて良いこともある。

なんとなく、早朝出ていく隆をベッドから見送るのがいつもになってしまって、申し訳ない気がしていたから。このくらいならちゃんと起きて見送れる。

これからしばらくの間、仕事に忙殺される隆自身が体調をセーブしようとしているのはよくわかった。


夏夜はこのままいけば大学はあとニ年だ。

隆が卒業してから、スクーリングにはバスでいく事にした。

今までみたいに送迎付きなのは恵まれすぎだし、自分で出かけるようにもなりたかった。

今日、姉の子どもたちのお守りにはバスで行ってみよう。

公園通りのバス停からひとつ乗り換えて、実家の近くまでいける。リュックを背負って行けば大丈夫だ。

夏夜の送迎がなければ、隆もギリギリまでゆっくりできるはずだし。

朝は隆がずいぶん心配して、大変だった。


帰りの時間が合えば、迎えにきてもらうことで、やっと納得してもらった。

実家の玄関を開ける。

「おはようございます。」

声をかけると、

「いらっしゃい」

リビングから秋華が答えた。被せるように子どもたちの声が聞こえる。

「おはよう、ごめんね。朝から」

少し疲れた感じはあるが、秋華も遥も元気そうだ。

「あとは私がやるから、秋姉様いいよ。」

「そう....」

「なあに?なんだか急に元気なくなった。」

「二人と初めて一日中離れるでしょ?なんだかね。」

こんなことをいう秋華は初めてだ。

「薫、千桜、できるだけ早く帰るからね。夏夜のいう事をよく聞いて、いい子でいてね?」

双子に話しかけている。秋姉様もすっかりママだな。

洗濯機の中の双子の洗濯物を干して、食器を洗う。

双子のシーツにはアイロンをかけて畳んでおいた。

お風呂で使うタオル類、最近増えたよだれのためのスタイ、ガーゼのハンカチも生半な量ではない。

秋華は久しぶりに仕事に行って、疲れて帰ってくるのではないだろうか。

頼まれていた、二度目の洗濯機を回す。こっちは夫婦の衣類がほとんどだった。

双子が一緒に泣き出した。

オムツを変える。

この頃は足をバタバタさせて、オムツを変える間も、ちっともジッとしていてくれない。

急いでミルクを作って、腕の内側で温度を確かめた。

ビーズのクッションに一人ずつおいて、いっぺんに授乳していると、さきさんがやってきた。

「夏夜さん、こんにちは、お疲れ様でございます。」

「あ、さきさん。こんにちは。」

さきさんがハンドクリームのお礼を言ってくれた。

秋華から、さきさんが泣いて喜んでいるといると聞いていた。

「やっと、お嬢ちゃまらしい優しいところが復活しましたねえ。あちらの家に馴染まれた証拠ですよ。」

未だ夏夜をお嬢ちゃま扱いしながら涙ぐんでいたらしい。

飲み終えた子からゲップをさせる。

満腹そうだが、クッションにおくとむずがって泣いてしまう。

表情が多くなって、よく笑い可愛いが、だんだん自己主張も強くなってきたみたい。お茶を入れてくれたさきさんと一人ずつ抱っこしながら一息ついた。

あ、もうお昼だ。お昼寝をさせないと。背中をトントンして眠った方からそうっとビーズクッションに寝かせた。

「あと少しで、このクッションも使えなくなりますねぇ」

「そっか、クッションじゃ落ちちゃうんだ。」

「今のうちにお昼にしましょうか?」

そう言って、さきさんがキッチンに立った。

双子を見ながら、大きくなる時間はとても速くて、隆と自分の時間も一緒だと思うと少し悲しい気がした。

どうしてこんな事を思ったんだろう。


 結局、秋華は夕方遅く帰ってきた。

やっぱり疲れている。

ヒールを履いた脚に靴擦れができたようだ。

さきさんはさっき帰ってしまったし、遥だってまだだ。

「姉様、一人の時はどうしてるの?」

「お風呂以外はどうにかやってるわ。タイミングよく寝ていてくれれば一人はお風呂もするけど。余程遅くなければもう一人はハルが入れてくれるの。」

雑談をしているうちに隆が迎えに来たけど、お風呂の手伝いだけさせてもらおう。

隆が薫を抱っこしている。前より上手になった。

「よだれすごいな。わっ!その手でほっぺた触るか⁈」

隆が笑いながら薫のよだれと格闘している。

お風呂上がりの千桜を姉から受け取り、着替えをさせてながら考えていた。

赤ちゃんが生まれたら、きっといいお父さんになるんだろうな。

仕事が軌道に乗って、自分も大学が終わって、それからだけど。

さぁ、次は薫の依頼を脱がせて姉様に渡さなくっちゃ。


今季はじめてのスクーリングには、バスで出かけた。

隆は案の定心配していたけれど、仕事が始まって、緊張と業務を覚えることとで疲れきっているし、そもそも夏夜より早く家を出ている。

出かけにメールが来て無理をしないようにと釘を刺された。

綾女にしたって家業に入り、大学にはいない。

匠はインターンに出ていて、他の大学病院に行っている。

ほんの半日だもの。

平気だと思っていたが、通勤時間のバスはとんでもない混み方だった。

帰りは疲れたなら、たまたま休みだった義父が迎えに来てくれるというが、やってみる前から甘えたくはなかった。

課題のアドバイスと卒論に向けた方針を相談した後、エラの部屋を出た。


ちょっと疲れたかな?

そう思って中庭のカフェに寄る。

帰りのバスまでは、まだ時間がある。

珍しく誰も居ない。

カフェオレを買って席に着く。

ここのカフェオレは、匠の父が自慢するだけの事がある。いつもは紅茶派の夏夜も、ここでは良くカフェオレを飲む。

荷物を膝に置いてほっと息をついた。

校舎に囲まれていても、木々の多い中庭には鳥も集まってくるのだろう。

夏夜が何かくれないかと期待した鳥たちがチョロチョロしている。

パン屑を見つけて取り合っているのを眺めていた。

そろそろバス停に行こう。

始発のバスなら、早めに乗れるかも知れない。

バッグを肩にかけて、立ち上がった。

と、グラリと目の前が回る気がした。椅子に掴まったまま、膝をついてしまった。

動悸がする。

耳の奥がワンワン鳴って、鳩尾がムカムカする。

背中を冷や汗がスーッと流れた。

思わず目を瞑って椅子に掴まったまま、耳鳴りが治るのを待っていた。


「どうしたんですか?あれ?夏夜?」

「え?」

そっと頭をあげた。

「あ、あきらちゃん?」

「わ、すごい顔色。冷や汗出てる。今誰か呼んで来るから、そのままね?」

結局、来てくれたのは匠だった。

たまたま図書室に文献を取りに寄ったところだったと言う。

夏夜の様子を見て脳貧血みたいだなと言った。

落ち着くまで医務室で休ませてもらった。

声をかけてくれたのは、留学していると聞いていた友人の旭だった。

何度もお見舞いに来てくれたが、会うことを拒絶した中等部からの友人。

彼女の顔を見れない気がして俯いていた。

なんて言えばいいんだろう。

「やだなぁ、夏夜。久しぶりだねって言ってくれないの?」

「..ごめんね。何度もお見舞いに来てくれたのに。」

「もしかして、そんな事気にしてたの?私だって夏夜に何にも言わないで海外行ったのに?」

「え?」

「何となくだけど...誰にも会いたくない気持ち、想像できるよ?私でも。

だから...もし、夏夜が嫌じゃなければ、おあいこにしない?」

「…いいの?」

「うん、中庭のカフェオレ一杯で手を打つよ。」

やっと夏夜がニコリとした。旭とは医務室で別れた。


 結局エラの車で送ってもらった。

旭ちゃんと仲直りできたのは嬉しいけれど、さっきの貧血にはがっかりした。

隆にも義父母にもエラに送ってもらった理由は話すしかないし、匠から隆にも連絡がいっただろう。

思った通り、隆は急いで帰ってきたらしく、「ただいま」からすぐに階段を駆け上がる音がした。


 夏夜は、起き上がった所だった。

顔色が悪い。

「起きなくていいよ。」

「お帰りなさい。ごめん、また心配かけちゃった。」

思った通り、匠からメールがあったのだという。

「何か無理した?」

「ううん、そんなつもりないけど。緊張したのかもしれない。スーツの似合う旦那様が居なくて。」

冗談を言っているが、朝のバスが混むのは知っている。それに緊張したのも確かだろう。

額を指先で押して、起き上がっているのを寝かせた。

素直に横になっている。

「良かったよ。今日は昼休みにジム行ったんだ。食べたいものない?てか、夕飯食べられる?」

「ご飯は今はあんまり....あ、ゼリーなら食べたい。」

「了解。買ってくる」

スーツからニットとジーンズに着替えた。


 コンビニまでの道々、そういえばこの間もフラついたと考えていた。

「隆おじちゃん」の時だ。

あの時もちょっとだけ顔色が悪かったな。

夏夜の肺の働きは普通の成人の60%ほど。肝臓だって一部欠けているから、疲れやすいのは確かなのだが。

そろそろ定期受診の日だから、橙子さんにメールしておこう。

育休中だけど、何か考えてくれるだろう。

帰宅すると、夏夜はウトウトしていた。

さっきよりは顔色はいい。きっと疲れからの貧血だろう。

匠だってそう言っていたし。

次からは、バスの時間を少しずらすように言おう。

食卓は父母と三人だ。

「なんだか、夏夜ちゃんが居ないと華やかさにかけるわ。」

「ごめんね。苑ちゃん、むさ苦しい隆と私で。」

父が笑っている。

三人の食事が当たり前だった時間の方が、まだ長いのに、久しぶりだと感じてしまう。

夏夜が父母を大好きだと言ったように、彼らも夏夜が可愛くて仕方がない。

母とはよく買い物に出かけるし、父だって何かとそこに入りたがる。

隆が居ない時の方が、思う存分夏夜を甘やかそうとして、夏夜が困っている時すらあるのだ。

男の子と女の子じゃ、父親ってはこんなに違うのか?

自分だって、決して可愛がられなかった訳ではないけれど。

父は休みの日になると隆に付き合ってくれたし、軽い仕事の時は海外だって一緒に連れて行ってくれた。

コテージだって、隆が本を見て作ってみたいと言った時、材料集めから手伝ってくれたのは父だ。現地では高遠も来てくれたけど。

「すみませんね。むさ苦しい俺で...」

苦笑が漏れてしまう。

「父さんは、夏夜が可愛い?」

率直に聞いてみた。

父は一瞬固まったように目を見開いて苑子を見ると、笑い出す。

「ああ、可愛いよ。妬いているのかな?隆は。」

「そんなんじゃないけど、あんまり嬉しそうだから。娘って親にとっては違うのかなと思ってさ」

「わかってないねぇ。女の子が誰でもいいって訳じゃない。

夏夜が可愛いのは、お前の大事なお嫁さんだからだよ。」

隆が一気に赤くなった。

苑子がからかう。

「あら隆、今更照れるの?小さい頃からの夢のお嫁さんですものね?」

「えっ?俺そんなこと言った?」

「忘れてるの?いやあねぇ。女の子はそんなこと言われたら、絶対に忘れないわよ?」

「母さんの勘違いじゃないの?」

「さぁ、どうかしら。夏夜ちゃんに聞いてみたら?」

「なんか、夏夜がいないとどこでも言われ放題だな。」

やっぱり食卓には、出来るだけ夏夜がいた方がいい。

三人で話していると、夏夜が起きてきた。

部屋着に変えている。

顔色は元に戻って、隆の買ってきたゼリーを冷蔵庫から出してテーブルに着いた。

「ごめんなさい。ご飯まだ食べたくなくて。せっかく作ってもらったのに。これ、食べてもいい?」

「そんなの気にしないの。誰だって食欲がないなんてあるもの。食べたいもの食べなさい。それより今ね、隆が赤くなる話しをしてたのよ。」

「ふうん、なあに?」

隆はあわてる。

「それはいいから!」

「後でゆっくり聴くといいよ。とても大事なことを忘れたらしい。若年性の認知症かもしれない。」

「父さん...いいのいいの。どうせ俺は認知症ですよ。だからご飯食べたかも忘れた。おかわり。」

苑子が呆れている。


 医療センターに行く日は、予定が入ってからが、気が重い。

必ず採血がある上に、今回は検査項目も増えるらしい。

採血の時だけはと、橙子が来てくれた。

飛伍をバギーに乗せて、リアムも一緒だ。

用事が済んだら、橙子達の自宅の路地の洋食屋にランチに行くと言う。

以前に行った店だ。

夏夜達も誘われたが、採血で自分がどうなるかを考えると、自信がなかった。

結局は、隆にしがみついて注射をみないようにして、今回は無事に済んだ。

ランチは遠慮したが、一緒に公園までは散歩に行った。

飛悟は、よく会う夏夜と隆に懐いている。

寝返りが上手になって、目が離せなくなって来た。あと少ししてお座りができるようになると、抱っこはいく分減るらしい。

そろそろ離乳食のことも考えないと、橙子は話している。

姉たちの赤ちゃんは、どんどん大きくなる。

重くなって、たくさん表情が出て、手足に力がついて。

可愛くて仕方がない。

けど、どうして会った後に寂しくなるんだろう。

その不思議な感覚は隆の腕の中でも、時々感じる事がある。


 裏庭の梔子が咲き始めた。

道路のあちこちに植えられている、この香りがとても好きだ。

夜は特に香りが強くて、どこからともなく漂ってくる。


匠は来春には研修医生活を終える。

まずは、連携先の大学の医局に入ることが決まっている。

これからバタバタするからと、匠が四人でテーマパークへ行こうと提案してくれた。

「医局に入るとしばらく時間がないんだ。父にチケットもらったから四人分。」

「大学とテーマパーク?変な組み合わせ。」

綾女が聞くと、久坂部の会社の福利厚生の一端なのだと言う。

「えぇー 福利厚生で⁈いいなあ。私、久坂部さん家に転職しようかな。というか、家が真似すればいいんだ!」

そういう綾女は、家業で取引のある海外の会社に2年の留学をする。

出発は間近で、匠はそれを考えたらしかった。

綾女の出発日が近づくにつれ、夏夜は寂しさが募っているようだ。ため息が多い。

綾女はどこから周るか、すでに計画を練り始めていた。

高速道路から見える目的地には、明かりが燈り始めている。

「はじめてって、嫌いだっけ?こういう所。」

匠が聞いた。

「そんなことないけど、中に入るのは初めてなの。この間ね、テレビでここのドキュメンタリーをやってたの。たくちゃんたちは何度もきてるんでしょ?」

「うん。親とも来たし、三人でも来たよ。あ、撮影もあったな。」

「そっか、秋姉様たちも来たことあるんだって。」

そうだ、高校までの夏夜は、俺たちよりずっと忙しかったんだ。

平日には、学校の後に隆の家の道場に行って、それからジムにいく。

プランナーとしての仕事も有った。だから当然アルバイトなんて時間はない。

綾女は施設の地図を持って真剣だ。

「はじめはねぇ、時間的に、ここ!ここに行こう!」

ここでも指南と引率役の綾女について歩く。

おやつを食べ歩きして、色々なお店も見て...

綾女が予約したレストランで夕食を済ませた。

ここはデートにくる人も多い。

「ここでデートするカップルは別れるんだってさ」

綾女がニヤリとして、隆に話しかける。

「やなこと言うなぁ、てか綾女とたくはどうすんの?超長距離恋愛だろ?。」

「うん、結婚は帰国してからだわね。たくだってこれからしばらくはハードだし。海外にだって出るかもしれないしね。」

「たくは心配だろうなぁ。お前あっちでもモテそうだし。」

匠と綾女は正式なお付き合い段階だ。

どちらも長子だが、家の存続云々より家業だけはという大雑把な取り決めだ。

ひと昔前なら、後継問題でとんでもないことになりそうだ。

でも、皆どこかでわかっている。

「家」のために犠牲を作る慣習の時代は、もう終わった。

誰かにつらい思いを強いるのは間違っていると。


 夏夜とこんな風に楽しむ時間がある。

匠が隆に目配せをしてきた。

綾女といい、匠といい、夏夜を喜ばせることが上手い。

空港のトラブルから、いつ目の前の相手がいなくなるかわからないと、そういう世界にいるのだと、嫌と言うほど身に沁みたから。

絶叫系の一部に夏夜は乗れない。

匠と綾女がそっちに行っている間、二人で入ったカフェから、パーク内を行き交う人を、夏夜は眩しそうに眺めていた。


 帰宅前に夏夜は義父母や姉達へのお土産を、選ぶのも楽しそうだった。

自宅から近くて、来ようと思えばいつでも来れるところなのに。

初体験の高揚がそうさせているみたいだ。

夏夜をみていると隆も嬉しくなる。

『俺も土産買おうかな。ちびっ子たちとか...?』


帰りの車の中で夏夜と綾女はいつの間にか眠っていた。

「綾も張り切り過ぎだし。」

匠がポツリという。

「たくにも綾女にも...いつも助けられてる。ありがとな。」

「だろ?持つべきものは友ってね。なんて...感謝するなら夏夜にだろ?」

「ん?」

「夏夜のお陰で、仲良いと思わない?俺たち。

いつまでも4人でつるんで、子どもの頃から変わんないだろ?

ここ何年か、いろんなことがあってさ。

でも関係が変わらないって、大人になればなるほど少ないと思うんだ。

任務でそうするのと、自分たちがそうしたいって思うのは違う。」

「たくって、時々深いこと言うなぁ。」

「時々ってなんだよ。でも本当なんだ。

いつの間にか三人で団結しちゃってるんだもんな。あのトラブルからなんだかそれがはっきりしてる。その結果さ、力をもらってんだよ。隆も綾も俺も。」

照れたように話す匠を見るなんて、極めて少ない機会だ。

今の言葉、夏夜にも聞かせたかった。

普通に進学して、恋愛して、仕事して、結婚していたら、それぞれ自分のことだけになっていたのだろう。ホント、不思議だよな。


 綾女が出発する日が来た。

結局、匠との婚約は済ませて、今綾女の薬指にはキラリと光るものがある。

これもアンドレアの店で世話になったという。


出発ゲートに入る前、綾女は夏夜をぎゅっと抱きしめた。

「半年したら休暇が取れるから。

隆と喧嘩したらドイツに家出してきてね。」

「メールするね。手紙も。それから...」

夏夜も綾女を抱きしめている。

「じゃね!!」

そう言って颯爽と歩き出した綾女だったが、ゲートを潜ってから、目が潤んだ自分に気がついた。

『あれ?私ワクワクしてるって思ってたけど。なんだろう変な感じ,..』

飛行機を見送った後、空港で両親と帰宅する匠とは別れた。

車の中で夏夜は外を見つめたまま、何も話さなかった。


「一緒に入んない?」

「....今日はいい....」

久しぶりに夏夜を風呂に誘うと、断られた。

明日から隆は夏季休暇だ。

父の休暇と重ならないようにしたという。

すでに後継のための訓練は始まっている。

明日からは1週間ゆっくり過ごせるから、今日はジムに夏夜を連れて行った。

匠もジムで落ち合って、カフェに行った。

カフェでも夏夜は少し沈んでいた。

「夏夜さ、元気ないな。今日ジム行ってからだよな。」

「そんなことないよ。たくちゃんに会えたし、夕ご飯もちゃんと食べたし。」

「寂しい?綾女が出発して。」

夏夜は少し黙って、自分の手を見ている。

夏夜の頭に手を乗せた。

「長年一緒にいた奴がいなくなったら、寂しいのは当たり前だ。泣きたい時は泣いたほうがいいよ。」

「泣きたいなんて思って...」

「ない」はちゃんと言えなかった。涙がポロポロ出てきて止まらなくなった。

ジムにもカフェにも、綾女のロードバイクがない。綾女の元気な声が聞こえない。遠くに行ってしまった。ずっと一緒だったのに。

いつでも傍にいてくれて、からかわれり笑ったりしたのに。

今日、ジムに行ったら本当にいなかった。

カフェのドーナツは売り切れていて....

夏夜はしばらく泣き続けて、疲れたみたいにため息をついた。

隆はずっと頭を撫でてくれていた。

「ね、風呂行こ?」

隆に手を引かれるまま、風呂に入った。

目を真っ赤にした夏夜を、どうこうしようとは思えなかった。

「だめだね、泣いちゃ。綾ちゃんがやりたかったことなんだから。応援しなくちゃ。どこら辺まで行けたかなぁ。」

自分が言ったんだ。メールもビデオ通話もできるって。


 それなのに....

連絡はなかった。

彼女が現地に着いた頃、一度メールを入れた。

その後も何度か。

しばらくは、あちらでの生活に慣れるのに大変で、返信する時間もないんだろうな。

そう思おうとしていた。

その後もしばらく待っていても、うんともすんとも言ってこない。

匠には返信がきたのに.,.夏夜には来ない。

綾女が出発から、もう随分経つのに。

どうしたんだろう。

男勝りでサバサバしているように見えて、綾女はとてもまめなタイプだ。

メールだって電話だって、これまで返事が来ないなんてなかった。

今までなら現地についた途端、「着いたよ!」

なんてメールが来るのが綾女ちゃんなのに。

「綾女ちゃんと、メールとかしてる?」

ジムで会った匠に聞いた。

「ああ、うん。あいかわらずの調子だな。出来るだけ学びたいからって、師匠の家に間借りしてるんだとさ。」

「ふぅん。」

夏夜と別れてから匠は失敗したかなと思った。

『綾女、夏夜に連絡していないんだな。』

深夜、匠は綾女にビデオ通話のアドレスを送った。

「お疲れ!卒論進んだ?」

部屋着の綾女がカップを手に画面にでた。

「順調。今日、夏夜と会った。」

「元気でしょ?」

「連絡してないんだ?」

「.....」

「なんで?」

「何かあったら、どうせ隆が大騒ぎするわよ。あいつがそばに居るんだから大丈夫よ」

「そういうことじゃなくてさ...」

匠がため息をつく。

「....何回もメールはきたわ。でも返信はしてない。」

「あや、おまえ無理してんじゃないのか?」

綾女がごくりとしたのが伝わった。

「してないわ。だって、自分で来たいって言ったのよ?なのに....空港で...」

綾女が泣き出している。画面の前で顔を覆って,

「言えよ。俺だって綾女シックなんだから...」

「なにそれ、笑える...」

しゃくりあげながら、そう言った。

「夏夜さ、空港で笑ってくれたでしょ?すごく頑張ってたの知ってた。

なのに...つらいなんて言えないよ..夏夜の声を聞いたりしたらきっと私.....心配かけたくない、けど...会いたくて...」

「綾が心配かけたくないって言っても、夏夜はどう思うかな。」

「心配するわ......」

「たまには心配させてやれよ。」

「だって…」

「大丈夫だよ。ホームシックだって言っても。夏夜だって、綾女シックなんだから。」

「そうかな。」

「大好きだよ」

いつも元気で姐御肌を気取って居ても、本当の綾女は寂しがり屋だ。そんなこと匠がよく知っている。

もっと素直になればいいのに。


匠からのメールにはonline通話のアドレスがあった。大学の講座と同じ通信アプリだからすぐにでも使える


 夏夜は朝から時計が気になって仕方がない。

綾女ちゃんの顔を見れる。

綾女ちゃんのことだから、きっとバリバリ仕事しているだろうな。

でも、しかし。

画面の向こうの綾女はなんだか泣きそうだ。

「ごめんね。連絡、遅くなっちゃった」

「ううん、そっちに幾らか慣れた?」

「まあまあ…」

「ごはん美味しい?」

「美味しくない…会いたいの、すごく。夏夜がいないから、ごはん美味しくないわ…」

そう言って泣き出した。

「メールしても返事が無いから、そっちの生活が楽しくて忘れられちゃったかと思った。」

「夏夜のバカ」

「綾女ちゃんもでしょ?それにね綾女ちゃんが私を忘れちゃっても、いいよ?

私が忘れないから。

嘘、絶対に綾女ちゃんはわすれない。帰ってきたら、またコーチしてくれる?」

「…まだしてあげてないの?」

「うん。ズボン開けてからがわかんない。」

「わかった。隆が萎える前に帰るから。またonlineしようね!」

泣くかと思っていた夏夜は泣かないで、綾女が泣き笑いしながら二人で怪しい話をしている。

通話が終わると、夏夜がそのまま頬杖をついて泣いていた。

隆が後ろから見守っている。

しばらく泣くままにさせてから、背中を叩いて慰めてくれた。

大きなため息を吐いて、やっと落ち着いたようだ。

2年か。意外に長いな。

学生の頃みたいには、いかないかもしれないけど、会いたい時に会える距離がいいな。

夏夜だけじゃなくて、自分にとっても。 




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