第22話 身近なこと

 毎朝、吐き気で目が覚める。

妊娠ってこんなにつらいんだ。

十分に食べてもいないから、胃は空っぽだ。

それなのに、ほんの少し食べては吐き、眠っても目覚めても吐き気がする。

もう3週間。


不妊治療を遥から持ちかけられて、大げんかになった。

その夜遅く、少し酔って帰ってきた遥は懇願するように、この医者に会いに行こうとリアムの手書きのメモを見せた。

遥が妊娠のことで肩身の狭い思いをしているなんて納得がいかない。

どうして口うるさい外野を気にするのだろう。

跡取りなんて...どんな家だって、やがて廃れていくのが当たり前。しがみつく必要もない。

秋華はもう、自分で神崎が終わっていいと思つている。

家の都合で結婚して子どもを得るなんて、夏夜が最後でいい。

夏夜は、結局は想いあった人と結ばれたのだから、まだマシなのだ。

しかし、遥は秋華の子どもが見たいのだという。

「でもな、体にかかる負担は、できるだけ避けたいんだ。俺と秋との子どもを見たいと思うのは悪い事か?」

酔った遥にそこまで言われて、「家」抜きで考えればそうかと思った。

根負けした形なのはちょっと悔しい気がするが、これまで遥が秋華に尽くしてくれたことは認めている。

こんなに勝ち気で可愛げのない自分の他に、橙子と夏夜との同居にも嫌な顔ひとつせず応じてくれた。

二人の妹との橋渡しまでかって出て、家事も率先してしてくれる人はそうそういないのではないだろうか。

もし、子どもができるなら...そう思って相談に行って、小さなポリープをとって内服をしたら、あっさりとコウノトリはやってきた。


秋華が起き出してトイレにいくと、遥は決まって背中をさする。

「体に負担をかけたくないって言って、結局はかけてるなぁ。すまん。」

「ハルのせいじゃないわ。自然の摂理だもの。でもキツい...」

「二人分だけになぁ」

秋華の中には今、双子がいる。なんとか無事に育って欲しい。


お昼前に夏夜がきた。

隆に送ってもらったらしい。

「具合どう?秋姉様。これ、お義母様がつわりの時に飲んだお茶。冷たい方が飲みやすいんだって。あとね、今日はジェラートも持ってきた。」

「おば様にお礼を伝えてね。」

秋華がパジャマ姿のままでいるなんて。

それにとてもやつれてしまった。

「夏夜、今日はいつまでいれるの?」

「夜まで大丈夫。隆がジムの後に迎えに来てくれるって。」

「そう、ごめんね。隆ちゃんにも申し訳ない。けど助かるわ。」

一日中、何も手につかない。

遥が仕事に行って一人になると、嘔気に集中してしまう。

夏夜や橙子がいてくれるだけで、いくらか気が紛れるのだ。

「お茶入れてくるね。待ってて。」


『お母様もこんなにつらかったのかしら』

母が夏夜を妊娠した時、つわりがあったか思い出せなかった。

母がいたら、苑子のように世話を焼いてくれたのだろう。

夏夜が苑子からあれこれと聞いて持ってくる物や、してくれることが本当に助かっているのだ。

こんなことで、亡くなって随分経つ母を思い出すとは思っても見なかった。

今は遥自慢の食事の匂いすら苦痛だ。

ミントのタブレットを数個口にする。これも苑子に言いつかって夏夜が持ってきた。

いっとき口の中が爽やかになる。

お茶と氷を満たした水筒を夏夜が運んできた。

「ちょっとずつ飲みなさいって。」

「はぁい。」

ほんの少しだけ口にする。美味しい。

これなら飲めそうと思うが、ここで調子に乗るとまもなくトイレに駆け込む羽目になる。

「橙子姉様がね、あまりキツかったら吐き気止めの点滴をしてくれるって言ってたけど、仕事の後にきてもらう?」

「楽になるかしら...」

「朝が一番つらいなら点滴がいいみたい。」

「今日明日で終わらないから....」

「うん。とりあえずメールはしてもいい?」

「お願い。けど橙子だって今は大変じゃない?」

「橙子姉様はピンピンしてるよ?今日も手術3件らしいし」

どうして姉妹でこれほども違うのだろう。

橙子のお腹にも胎児がいるのに。


 少し早めに帰宅することができた。

食べられそうなものを考えながら帰宅すると、玄関には夏夜の靴があった。

『よかった。一人じゃなかった。』

「ただいま。」

「義兄様。お帰りなさい。今日は早いね。」

ダイニングからひょこりと夏夜が顔を出す。

ここで勉強していたようだ。

「思ったより早く仕事が一段落したから。夏夜、しょっちゅう悪いな。」

「いいの。お義母様も良さそうなものを持っていくように言ってくれるし、ここで勉強もできるから。」

「そうか。で、秋は?」

「眠ってる。お茶入れる?」

「コーヒー頼むかな。今、秋の前じゃ飲めないんだ。」

夏夜がコーヒーを入れながら聞いた

「これから橙子姉様が点滴しにきてくれるんだけど、明日は忙しい?夜中に点滴を見なくちゃいけないらしいのね。」

「明日はここでできる仕事だから大丈夫だ。」

「よかった。私がいられればいいけど..隆も明日は試験なの。」

「大丈夫だ。俺がいるから。」

夏夜の頭をぽんと叩いた。義妹は注射にトラウマを抱えている。

いまだに採血ですら、過呼吸を起こしそうになると隆に聞いていた。

それだって、去年から見れば随分マシらしい。

「あ、橙子姉様からメール。今からきてくれるって。」

「そうか。そろそろ隆もくる頃だろ?帰る支度していいぞ」


 隆が神崎に着くと夏夜が玄関の上がり框に座っていた。荷物も置いてある。

「どうした?玄関なんかで。」

「今、橙子姉様が点滴してるから....」

「ああそっか。じゃあ、帰ろう」

「うん。義兄様、帰るね。姉様達によろしく。」

声をかけると、階段を軽やかに降りてくる音がして、遥が顔を出した。

「隆、ありがとな。夏夜、コーヒーうまかった!」


 秋華と橙子が揃って妊娠した。

私は妊娠できるのだろうか。

縁談の時に秋華が隆に言ったことは本当だ。

秋姉様たちになかなか子どもが産まれないことから、小此木の親戚たちがしゃしゃり出てきた。

初めは彗亮を本家の養子にと言い、秋華が突っぱねると、今度は彼を夏夜の婿にと言い出して。

彗亮まで、大学を転入してこの街で暮らすと言ってきたり、急に電話やメールが多くなったり。他の分家だって......

だから...秋華が苛立つ裏で、悲しんでいたのだって知っている。

あんな騒ぎがまた、月嶋でも起こるのだろうか。

隆は夏夜の体のことを承知で迎えてくれたし、

義父母も何も言わない。でも、他の親戚はどう思っているのだろう。

二人の姉の子どもたちに早く会いたいと思う反面、夏夜は不安で仕方なくなる。

このままずっと妊娠出来なかったら。そもそも夏夜には大きなハンデがある。


 秋華のつわりがおさまった頃、橙子のお腹が目立ってきていた。

流石にもう手術には入れない。橙子は少し不満だ。

リアムが救急外来も産後まで禁止を伝えたからだ。

「最近重篤な患者はいないけれど、心臓マッサージは厳しいだろう。

君は患者は救っても、子どもの命はどうなってもいいの?」

そう言われたら、頷くしかない。

仕方なく院長としてのデスクワークと、時々外来の手伝いをしている。

周りも気を遣ってくれるのはありがたいが、次々に仕事を取り上げられるのは少し悔しい。

リアムも出産を楽しみにして、毎朝毎夕お腹を触っているけれど、

夏夜も来る度にお腹をみている。

この頃は少し元気がない。

あの子は自分の身体をよく知っているから、不安なんだろう。

「妊娠」が今までは、まだ身近じゃなかった。

橙子と姉がほぼ同時期に妊娠して、自分たちのこれからを意識しているであろうことは察していた。

何しろ、隆は月嶋の次期総代だ。

「まだ若いんだから」は、いつまで有効かな。


「橙子さん、変わりなかった?」

運転しながら隆が聞く。

「橙子姉様も元気でお腹の赤ちゃんも元気みたい。男の子なんだって。」

「へえ、もう性別わかるんだ。」

「20週前でも今はわかるらしいの。お祝い考えなくちゃね。」

「そうだな。残念ながら小此木さん家は当てが外れたな。秋さんのところはどっちかな。」

「元気ならどっちでもいいよね。あのさ隆は..赤ちゃん欲しくなる?」

「ん?そうだな。俺らのところでいいっていう子がいたらね。」

「私に気を遣ってそう言ってない?」

「遣わないわけでもないけど、実際まだ早い。学校もあと一年あるし、デビューはしてもこれからが本番だし。夏夜は?」

「すぐじゃなくてもいいけど、いつか無事に出来たらいいなとは思う。周りだってだんだん心配すると思うし。」

「まあね。でも来るもんはくるし、来ないもんは来ない。まだ先の話だよ。夏夜だって卒業まだだし。」

「そうだね.....」

春から夏夜は大学の通信講座で心理学を勉強し始めた。

エラの講座をとっている。

久坂部大学では飛び級制度が認められている。

そこで夏夜は二年生に飛び級できたのだ。

やっぱりというかさすがというか。

高等部まで成績はトップだったからなあ。少なくとも隆より先に卒業してもらっては立つ瀬がない。

あと二年、学生を楽しめばいい。もし、隆たちのところの来たいという子がいたら、その時はその時だ。

進学のことでは、以前も神崎から進学の費用の話はあって、

夏夜は大学の費用も気にしていたらしい。

自分の貯金から出すと言い出し、危うく喧嘩になるところだった。

いずれ何かとお金はかかるし、隆だって結局のところは養ってもらっている身だから父の提案で、神崎と月嶋の折半ということで落ち着いた。

父母は、夏夜が何かにつけ自分がダメだと思いがちなところを気にしている。

だから、焦らないこと、無理強いをしないこと、言葉を十分に伝えるように諭されている。

三年前のトラブルは、夏夜のおかげで依頼元の被害はほぼ無かったと言っていい。

下手をすれば、国際問題に発展する可能性だってあったのだから。

だけど失ったものは大きくて。

あれから夏夜にとっては、まだ三年なのだ。

結婚してからも、次々にいろんなことがあった。

妊娠の心配より、して欲しいことはまだたくさんある。

とりあえず、もっと素直に甘えて欲しい。

隆だって、新婚気分はまだまだ楽しみたい。


 秋華のつわりが減って、実家に行くことは減った。

隆がジム行ってる間、夏夜は自宅で勉強をする。

時々一緒にジムに行って綾女や匠に会ったり、エラや苑子と話したりもする。

夏夜は今、心理学の基本を学んでいる。

オンラインの授業はリアルタイムでも、アーカイブでも受講すれば単位が取れる。

年間に何度かはスクーリングがあるから、出かけるけれど、普段はそれぞれに講義を受けるものばかりだから、友人ができることもない。

せいぜい軽く挨拶をする程度だ。それがかえつて気楽なようだ。


初めてのスクーリングの日、夏夜は高等部で仲の良かった、けれど面会を拒否し続けた友人と会ってしまったら、会わせる顔がないと心配をしていた。

その友人は交換留学中でオランダに行っているらしい。

匠がそう知らせてくれたお陰で、とりあえずは落ち着いていた。

いつまでもこのままでいる訳にはいかないだろうが、外に出れば夏夜が望む望まないに関わらず、他人との関わりができるものだ。

以前、家に押しかけてきた後輩たちにだって会うこともあるだろう。

隆は考えれば考えるほど、心配になる。

また意地の悪いことを行ってくる人間だっているかもしれない。

スクーリングの朝は、隆がハラハラしている。

進学を勧めた去年、夏夜に「新しい人と出会うものいい」と言った。

夏夜の抱えている心の重み知っている今、当時の自分を叱りつけたくなる。

新しい人と会うのが「楽しいだけ」なのは、何も苦痛を抱えていない人間だ。

だから、スクーリングも無理強いはしないことにしている。

休みたければ、休んだっていいんだ。

今のところ、夏夜はスクーリングを休んではいない。

ただ、講義前後の空き時間はできるだけ一人にならないように、たくや綾女と協力はしている。

実際、構内で一度夏夜を見ている吉澤麗奈を見かけていた。

あの手合いは往々にして執念深い。

そうでないないなら、盗聴器に絡む揉め事なんて起こさない。

ゼミ教室の真冬の蚊の一件から、隆にちょっかいを出すことはしてこない。

だが、夏夜にはどうかな。

彼女からすれば、夏夜は弱みを握ったか弱い存在だろうから...

家の都合と怪我を盾にして結婚した女、くらいに思っているのだろう。

不思議だな、俺が夏夜をどう思っているかは計算に入らないあたりが、勝手というか、都合よくしか考えないというか。


 スクーリングの後は少し疲れる。

隆が風呂を使っている間、夏夜はベッドに転がっていた。

体も頭も重い気がして、目を閉じる。

あと二年のうちに慣れるはずだ。

大学に行く事自体はいやじゃない。学生たちの雰囲気を感じるのは懐かしい。

でも、高等部や何かでの知り合いに声をかけられたら?体のことを聞かれたら?

そう思うと緊張する。

隆の他に匠や綾女が一緒にいてくれる。

安心だが、彼らの時間を使ってしまうのは申し訳ない気もする。

鬱々と考え込む自分もいや。

どうしたら変われるんだろう。

エラとの面会の時に聞いてみた。

「おばさま、自分が嫌だと思うところを変えるには、どうすればいいの?」

「あなたは自分のどこが嫌だと思いますか?」

エラは敢えて夏夜に問うてみる。

自分の心の中を整理すれば、自分で解決策を見つけていけるものだ。

「私...」

夏夜は視線を膝に落として考え込んでいた。

エラは待っている。

「人に会うのが...ううん、みんなに頼っているところ..」

エラはにこりと笑う。

「夏夜、自分を変えたいと思う時には、心に正直になることが、初めのステップです。

ゆっくり考えましょう。ノートを一冊買いなさい。

そして、あなたが今、心で思っていることの良いことと悪いことを箇条書きにしましょう。これが次までの宿題です。」

「はい。その後は?」

「それは次に会った時です。次がわかってしまったら、おもしろくないです。」

「おもしろくない?」

「YES、自分の心は楽しく見るのです。もちろん初めは難しい。だからゆっくりです。」

「は...い」

ノートの使い方を教わった。

とりあえず、帰りにノートを買える所に寄ってもらおう。

自分の言ったことを、釈然としない様子で考える夏夜を、エラはじっとみていた。

次のことを教えれば、きっと駆け足でこなしてくるのだろう。

それでは意味がない。どれだけ速いか、たくさん書けるか、ではなくどこまで自分の内側を正直に見つめられるか、なのだから。


 隆は大きな文房具店に周ってくれた。

「ちょうど良かった」

そう言って。

近くのコンビニでいいのに..こんな賑やかな街の素敵なお店じゃなくても。

車を停めて、店に入る。本当に大きな店でノートの専門フロアがある。

以前はよく一人で来て、楽しんだ所だ。

大学ノートを手に取ると、せっかくならこっちがいいと隆は別のものを勧めた。

ニコニコしている。

受け取った夏夜は「あ..」と小さく声をあげた。

大学ノートより少し薄いノートの表紙は、艶のあるコーティングがされていた。

表紙には大きな犬がプリントされている。

モサモサした毛に大きな耳、茶色の体に鼻先だけが黒い。

「ウールーみたい!」

「な⁉︎この間見つけてさ、びっくりした。そっくりなんだもん」

「ほんと!これにする。」

久しぶりにウールーに会えた気がした。

だから隆はこの店に来たんだ。

嬉しかった。すごく伝えたかった。隆がウールーを忘れずにいてくれたことを。

どうして隆は夏夜が嬉しくなることをしてくれるんだろう。

そう聞くと、ここじゃ言えないと言った。

後でもう一度聞こう。


「ねえ、どうしてわかるの?」

「え..あぁ、さっきの?」

読んでいた本を小脇におく。

「うん、お店じゃ言えないって。」

誤魔化したつもりだけど、忘れてないか。まいったな。

『夏夜のことばかり考えているから』

いや、これじゃちょっと危ないやつだ。

『喜ぶ顔がみたいから』

口に出すのは気恥ずかしい。

「まあ、いいよ。好きなのが見つかったんだから」

「答えになってないよ」

隆からため息が出る。

「...夏夜のことは、なんでも知りたいって言っただろ?」

夏夜は笑っている。

「ノートとかまでって可笑しい。けどウールーを覚えててくれたんだね。」

「そんなに記憶力落ちてない。だからって訳じゃないけど、いい?今夜」

すごく抱きしめたかった。

「..ん」少し頬が赤い。

そんな他愛もないことで身体中が騒ぎ出す。

「ね、こっちきて?」

夏夜を膝に乗せた。

耳に口づけをする。膝の上の体がブルリとしたのを感じた。

「最近、感じるね。耳」

「くすぐったい...んん..」

唇を沿わせていくと堪えても漏れてしまう声がする。

そっと手を胸に入れるとすでに先端は固く、慌てたみたいに隆の手を抑えようとする。

数センチ先の息は熱く浅い。

それすらも止めるみたいに、握りこぶしを口にあてがっている。

しばらく耳と胸を弄る。

ゆっくりと臍から下へ手を伸ばす。

ここだってもう熱くなっている。指を沿わせただけで、熱は高まり潤い始める。

「あ...んっ.....」

こんな声を出されたらもっともっと聞きたい。

...潤う中に指を入れた。

夏夜が膝の上で小刻みに震えている。泣きそうな声をこらえながら。

「...や..音.....」

懇願するような声。

音が高まるたびに潤い溢れて、息を止めるような大きな波が夏夜を飲み込んだ。

「夏夜、わかる?」

火照った頬と潤んだ目で、余韻に震えながら、頷いた。

指の先では潤いが手を伝うほどだ。

膝に抱えたまま、夏夜の中に入った。

「ふぁ..ああ..んっ」

声も体も熱い。

一つになってめちゃくちゃにしたい。そんな衝動に駆られる。

だめだ壊しちゃ。二つの声が頭にガンガン響く。


 夏夜は隆の肩に頭を持たせかけて、体の力が抜けている。

お互いに息が上がって、隆は夏夜をぎゅっと抱きしめた。

そっと体を離すとき、夏夜はまた縮み上がるように体を震わせた。

だめだ、今日は止まらない....

彼女を抱えて浴室へ行く。

「休みたい...まって..」

「ごめん今日はムリ...」

バスタブに浸かって夏夜の背中を抱く。

胸に触れると逃げるみたいに離れた。それをぐいっと引き戻す。

また潤いが戻ってきている。唇を重ねて背中の薄い皮膚にふれて..

夏夜は後ろから隆に腕をとられて、泣くような小さな声をあげる。

隆には煽られているみたいに聞こえる。

バシャンとお湯が揺れた。

夏夜の中はまだ熱くて隆を包み、抱きしめてくれる。

腕に力が込められ震えている彼に、もう抗えなかった。

何度かお湯が音を立てるのを聞きながら、夏夜の意識はぼんやりとしていった。


「ごめんなさい。また....」

目が覚めると、隆の困ったような顔が見えた。

「いや、俺も夏夜のすぐ後だったよ。でも今度は一緒に。な?」

「一緒?」

「うん、イキそうになったら言って?」

「うん」

そう言うのが正しいかわからないけど。

額に隆の唇が触れた。


このところの隆は一夜に二度、三度ということがよくある。

夏夜が気を失うように意識が遠くなって、やがて気がつくと、隆が隣で休んでる。

痛いわけでも嫌なのでもない。ただ疲れる。

隆が朝トレに行ったのにも気がつかない。

春江さんの手伝いの時間に、目覚まし時計でなんとか起きる。

そんな日が続いていた。

隆はけろりとして出かけるけれど、自分の体力は。

それなのに、隆が囁くように夏夜に許可を求めれば、うなずいてしまう。

疲れてしまうとわかっているのに。

いままでの自分とは、別の自分がいるみたい。

少し前まではこんなことなかったのに....

そういうこと、隆はどう思っているんだろう。

隆をもっと感じたいって思うのは変?

今、橙子は臨月に入ってちょっとブルーだ。

綾女ちゃん?そんなに頼ってばかりはいられない。それにもし、綾女にはそんなことないとしたら、自分はおかしいと言っているのとおんなじだ。

これは心の問題でもあるわけだから、エラに?...言えるわけが無い。

やっぱり、隆に聞くしかないか。


ベッドの上に夏夜がピシリと姿勢を正して坐っていた。

真剣な顔をしている。

こういう時の夏夜は、なにか妙な事言い出すんだ。

「...どうしたの」

「淫乱だと思う?私」

「はぁ…?」

我ながら、間抜けな声が出た。

「唐突な質問だけど、何で?」

「....最近ね、隆に触って欲しいって思ったり、一晩に何度もだと疲れるのに、隆の事を感じたいって思っちゃう。それってすごくはしたない気がする...から」

「.....その理屈だと、俺はおまえを上回る超絶淫乱、てことにならない?いつでもそう思うけど。」

隆は笑いを堪えながら返した。

「あんまり男性にその言葉って使わない気がする。」

「そうかな...?男にだって見境ないやつっているだろ?」

「え?じゃあ、私も見境ないってこと?」

「逆に質問。夏夜は、例えば...匠とかにも俺みたいに思う?あちこちの男にさ。」

大きく頭を振る。

「ううん、たくちゃんにも、他の人にもそんな風には思わない。」

「淫乱とか見境ないってのは手当たり次第ってことだろ?俺にだけなら全然変じゃないし、光栄だけどね。」

「そうなの?」

「感じているときの夏夜は綺麗だよ。要望もなくないけど、気になるのは疲れるってことだな。ちょっと激しい?」

「..何だか最近疲れるの。でも隆がいいのなら、全然いい...」

「ふーん。じゃあ遠慮なく。てわけにはいかないな。

気持ちがいいってお互いの問題だろ?どっちかが何か我慢するのは違う。

俺は夏夜にも気持ちよくいてもらいたい。少し気をつけて...」

夏夜がぎゅっと抱きついてきた。ありがとう...と聞こえた。

「.....気をつけて、いっぱい感じさせてもらお....」

「え?」

「そんな顔で抱きついてきちゃ、俺だって抱きつきたくなる...今のは夏夜のせいだよ?」

夏夜をコロンとベッドにおいて.....

好きだから我慢じゃないんだ。

隆の要望ってなんだろう。

なんだかひとつわかるとひとつ謎が増える。

でも今日はもういい。疲れたって何だって...

今は隆を感じていたかった。






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