第15話 セットの中身

 暖炉の火が小さくなっている。

部屋の中は十分暖まっているが、直火があると何かと便利だ。

大きめの薪を焚べて、湯船にお湯を張っておこう。

満足に食べていない夏夜は、一人で風呂を使えるかな。疲れているかもしれないし。

何か買って来ないと。

この場所ではデリバリーなんて頼めない。

コンビニだって街まで行かなくてはならない。どうしようかな。

街まで行けばファミレスがあるが、取り敢えず先にシャワーしておくか。

ちょっともったいないと思った。

夜の余韻はまだこんなにも体中に残っている。


夏夜がこっちを見ていた。

「ごめん、うるさかった?」

「ううん、先に目が覚めたの。でもまた寝ちゃった。」

「なんだ、夏夜が先だったんだ」

そう言って隆は笑う。

「風呂、入れる?」

「隆が先にいいよ」

「汗かいただろ?先に夏夜が入れよ」

「大丈夫。隆が先に…」

二人で吹き出した。これじゃあキリがない。

「じゃあ、いいや、一緒に入ろ?」

「一緒⁈」

夏夜が真っ赤になる。

「なに考えたの?風呂入るだけだろ?」

そう言ってベッドの夏夜をひょいと抱え上げた。

夏夜がジタバタする。

「一人で入れる。大丈夫だから!それに… 」

「ん?」

「は...恥ずかし....」

「それを聞いたら、もう絶対に一緒だな。」

隆はちょっと意地の悪い気分になってきた。

湯船に先に夏夜を入れて、自分も浸かる。

夏夜は膝を抱えて、お湯ばかり見ている。

引き寄せて背中を抱く。じっとして緊張しているのがよく分かる。

肩から首の後ろに広がった薄くて赤い傷跡に触れる。

「ここ、もう痛くはないの?」

「うん。痛くはないけど、他より少し薄いから刺激には弱いんだって。」

刺激…「例えばこんな?」

肩にキスをする。

「ひゃ!」夏夜の肩がぴょんと跳ねる。

隆はいたずらっ子のように笑っている。

「お風呂に入るだけって...言った」

少し怒ったように言うのが面白くて可愛い。

「いや?」

肩から首に隆の舌が滑ってそのまま耳をゆっくり舐った。

「そういうことじゃ...んっ…」

その声に隆の中でさらに意地悪い何かが動き出した。

「嫌じゃない?」

夏夜の胸を弄ぶ。強く弱く触れれば硬く尖り、小さなため息が聞こえる。

脚の間に手を入れてまさぐった。ビクリとして、夏夜は隆の手を止めようと腕を抑えている。

呼気と一緒に切ない声が出てそれを堪えるから、もうやめられなくなる。

「や...め...」

「いいんだね、ここ...」

夏夜の呼吸が浅く早い。そのまま深いキスをした。

指を動かすたびにビクビクと体が跳ねる。隆の中もひどく沸る。

「あ..もうやぁ」

夏夜を向かい合わせ、膝に乗せたまま中に入る。

「...っ」

夏夜がギュッと目を瞑り体を大きく震わせている。

ビクンとなるたびに、それをしっかり抱えたまま、隆も感触を味わった。

湯船の湯が激しく揺れた。


 夏夜は少し怒っている。

結局二人で麓のファミレスにきた。

怒りながら、頼んだオムライスとスープを食べている。

隆は夏夜を楽しむ様に見ながら、ハンバーグと大盛りのご飯を食べている。

「怒ってんの?」

「うん。」

「なんで?」

「だって....お風呂だけって言ったのに...」

「ごめん。でも、かわいいから触れたかったし、夫婦だし?」

「だけど...あんなこと...」

「ん?どんなこと?」

「.....」

だめだ。こんな調子で遊ばれっぱなしで、なんだか怒るのもバカらしくなってきた。

「明日、帰ろう?」

「さっきあんなことしたから?」

「きっと心配してる。お義母様にも私早く謝らないと.....」

「嫌になったんじゃないなら良かった。連絡はしてあるから心配ない。ところでなんで夏夜が謝るの?」

「手間かけたちゃった。」

「手間?それは違うだろ。謝るとしたら俺だな。

夏夜を守れなかった。あんな目に合わせて.......

それに、まだ不慣れな女性に手間かけるのは男の仕事。じゃない?」

「ごちゃごちゃにしてる!!」

「どっちも本当。」

意外にも真剣な顔で隆は言う。

隆はフォークをカチャンと置いた。

「風呂でのこと、夏夜が本当に嫌なら仕方がない。最小限にするけど?夏夜は俺のすることが嫌?ああいうのは無理?」

どうして隆はこんなことをサラリと言えるのだろう。でも、ふざけて聞いているとは思えなかった。

少し考えて夏夜は俯いて言った。

「....嫌とか無理とか.....って言うか、恥ずかしいし。自分があんなふうになるって思わなかった....」

話すこと自体が恥ずかしくて、声は小さくなってしまう。

「痛かった?もう俺に触られるのは嫌?」

隆は少し不安そうに見えた。

「...前ほどじゃ..そうじゃなくて...隆なら...病院で泣いてしまった時は...抱きしめて欲しいって思って。でも..普通なのかどうかも...痛いんじゃなくて..あの、ほら綾女ちゃんみたくないし、ええと..」

何を言ってるのかわからなくなってきた。

小声で話す。店内は空いていても、なんとなく周囲は気になる。

にっこりと隆は笑う。

「わかった。良かったよ、嫌いになっていなくて。俺のことも風呂のことも。俺は夏夜のが好きだけど。」

もう何にも言えない。

デザートのパフェの味もよくわからない。真っ赤になったまま食事を終えた。

そんな夏夜を隆は楽しそうにみている。


車に乗ると隆が言った。

「あのさ、さっきのこと。

俺は、すごく大切だから全部知りたくなる。夏夜のこと全部知りたいし、俺のことも夏夜には知ってほしい。」

「うん。」

一旦落ち着いた顔の火照りがまたはじまった。

クスッと笑う隆の顔が近づいてきてに、額にトンとキスされた。

なんだか不思議と嬉しかった。普通に恋愛をしたら、こんな風に近くなっていったのかもしれない。額を押えてそんなことを考える。

順番が違っただけ。かも。

夏夜の帰りたいという希望を聞いてくれた隆と明日の準備をして休んだ。


 ここはとても心地良い。

それに月嶋の家に来て一番、隆と近くなった場所になった。

でも、隆と共有できるものができたからこそ、ひと段落はつけた方がいいとも思ったのだ。

朝はまだ早い。

朝日が昇る前は野鳥の声もまばら。

暖炉の火を落として、ヒーターを止める。

昨夜のうちの二人で浴室を洗って、流しを片付けた。

シーツは外して家で洗う。

あとはこのコテージを管理している、隆の知り合いが火元の確認に来てくれるらしい。

車に乗り込む寸前に、ひらひらと雪が降りてきた。

「あ、降ってきた。帰り時だったかな。まだタイヤ変えてないんだ。」

夏夜は、まるで初めて雪を見るように空を見上げている。

花びらのように舞う雪だ。

「さ、行こうか」

車はコテージを後にした。

夏夜は後ろを振り返り『またね』そう思った。


山道から幹線道路を抜けて高速に入る。

この辺りはまだ雪にはならず小雨が降っていた。

まだ道は空いている。スムーズにいけば1時間半ほどで家に着く。

途中にいくつか サービスエリアがある。

急ぐ訳じゃない。休憩しながらいけばいい。


 少し明るくなった景色を見ている夏夜に隆がきいた。

「しつこいかもしれないけど、学校にいくのは抵抗ある?」

夏夜が自分を見ているのを横目で確認して続ける。

「夏夜はずっと成績良かっただろ?もったいないと思う。通学も俺と一緒にできるし」

夏夜は考え込んでいる。

「勉強は嫌いじゃないよ。大学では好きなことが選べるでしょ。でも、学校に行くのは...勇気がいると思う。」

「みんなと学年が違うこと?それとも....」

「どっちも」

正直な返答だった。

「大学には飛び級制度もあるし、慣れれば誰も脚のことなんて平気だと思うけど。大学に行っていろんな事をもっと知って、人に会うのも悪くない。」

「.,.怖いの」

消えそうな声だった。

「だって、みんなセットで隆と結婚したって思ってる。」

「セットって何それ?」

「家と怪我とかわいそう。」

サービスエリアの標識が見えてきた。

少し気分を変えた方が良さそうだと思い、ハンドルをきる。

「腹、空かない?」

「空いた。」

夏夜を連れてサービスエリアの店に入る。

杖がない夏夜は、隆の腕につかまって歩く。

けど、それなりに楽しそうだ。

「あ、パンここで焼いてるんだね。いい香り、美味しそう。」

「ここしようか?ホットサンド美味そうだな。」

買ったものは奥のカフェで、コーヒーを飲みながら食べられる。

熱いコーヒーと紅茶。

次第に明るくなってくる山々を見ながらのパンは格別だ。

それに、夏夜がちゃんと食べている。

サービスエリアを出てからは、寄り道をせずに家まで走る。

夏夜はずっと外を見ていて、ほとんど話さなかった。

隆も夏夜の言った「セット」の意味を考えていた。


 帰宅すると、義父母に挨拶をしてくると言う夏夜を見送って、ジムに行くことにした。

考えても仕方のない時は体を動かすのがいい。

一応、と匠と綾女に帰宅したことだけはメールで知らせたところに、夏夜が戻ってきた。

「父さんと母さんはなんて?」

「謝られちゃった。私がちゃんとしてたら、こんな事にはならなかったのに...」

「前は前だよ。今の夏夜でいいんだ。夏夜が謝ることなんかない。」

うん、と言ったような気がした。

セットの一部は、四家にまつわる事だろうとすぐに察しがつく。

「ちょっとジム行ってくる。昼前には帰るよ。」

「行ってらっしゃい。」

今日は車を置いて走る。残りの「かわいそう」はなんだ?

トレーニングが終わる頃、綾女からメールがきた。家に行っていると言う。

忙しない。

いや、夏夜が襲撃されてから綾女にも匠にも会っていなかった。

急いでいると、エントランスで遥に声をかけられた。

「隆、家まで送るよ。」

遥の車の助手席に乗る。

車を発進させてすぐに、遥が言った。

「思ったより早く帰ったな。」

「夏夜が帰りたいって。俺はまだあっちで良かったけどね。学校も休みだし。」

「なんで帰りたいって?お前、しつこすぎたんじゃないか?」

「んなことない、と思うような、そうでもないような....」

遥は「若いなあ」と笑っている。

車なら数分の距離だ。

「隆、お節介な義兄ちゃんから言わせてもらうと、夏夜は奥手だからあんまり苛めんなってとこだな。」

「わかってるよ、ハルさん。寄ってく?」

「いや、今日はいい。夏夜に隆がしつこくて困るなら帰って来いって言ってくれ。」

遥が全てを知っているみたいに感じて、ちょっと恨めしい。

 

 綾女がリビングに夏夜と母と居た。

「おかえり!えっ?隆、手ぶら?気が利かないなぁ...」

綾女は隆の手ぶらなのを見て呆れている。

あっ、そうか。遥に送ってもらって気がつかなかった。

「そうだ、いただいたクッキーがあるわ。」

母はいそいそと台所にお茶受けを取りに行った。

「夏夜、元気になったね。何だか可愛いし、コテージで何があったのかなぁ?」

隆を横目で見て綾女が小声でそんな事を言う。

「変わらないよ、いつもと。」

夏夜はちょっと焦っている。

見た目まで変わるものなのかな。

「あら夏夜ちゃん、顔が赤いわ。風邪かしら?」

菓子を持って戻ってきた母にまで言われて、夏夜は困っている。

午後は綾女のおかげで賑やかにすぎたし、匠も呼び出されてやってきた。

匠は夏夜の好きなチーズケーキをしっかり買ってきていた。

幼馴染み四人でこの家にいるのは当たり前のことなのに、しばらくなかった時間のような感じがしていた。


「この間の学校のことなんだけど...」

寝室で夏夜が話し出した。

「高校の人と会うことある?」

「あんまりないかな。内部進学は25パーしかいないし、全員と知り合いって訳でもないだろ?学部も違うし、他にもキャンパスあるから。」

「見学とか出来るの?」

「よくオープンキャンパスしてる。行ってみる?」

「...通信でもいいんだけど。今は通信もいっぱい授業があるって綾女ちゃんが言ってたし。でもちょっと見たい気もするから。」

「通信制だと今と変わらなくない?」

「新しい人とはまだあんまり....知り合わなくてもいいの。」

ゴロンと転がって夏夜のほうを向く。

「俺だけいれば、いいってこと?」

「すぐふざける...色々聞かれるかもしれないでしょ....?」

「それで通学は嫌なんだ...気にしなくていいけどそんなこと。

とりあえず、たくに見学のことは聞いてもらうよ。」

「ありがとう。オープンキャンパスの日じゃなくても大丈夫だったら、綾女ちゃんに一緒に行ってもらおうかな...」

「なんで綾女?俺がいるだろ?頼りになる夫が!」

「うーん。隆が一緒だと、かえって騒がれそう...」

「そうか?」

「だって、隆の周りにはいつもたくさん女の子がいるもん。」

「それさ、嫉妬だろ?なんか嬉しいんだけど。」

「そんなんじゃない。」

ちょっとふくれている。

素直じゃない。


 匠の父からは、許可証一枚で見学も聴講も可能だと返事がきて、匠は申込用紙を準備してくれていた。

「ここに名前書いて。紹介者には隆か俺の名前。まあ、隆の名前でいいか。

あとはこれに印を押してもらってくるから、当日このカードケースに入れれば終わり。いつにする?」

「隆がゼミで行くのが水曜日なんだって。たくちゃんもいる?」

「うん、暇な日だし一緒に回ろうか?親父も会いたがってる。」

「迷惑じゃない?学部で休みはバラバラなんでしょ?」

「いつもなら、俺は午前だけ。

午後は週によってゼミがあったりするけど、今は冬季休暇だ。綾は元から夏夜に合わせて午後空けるようにしていたから、あいつが一番動きやすいかもね。隆のゼミは午後だろ?」

「そうなの。じゃあ、綾女ちゃんと三人でもいい?」

「OK、じゃあ、水曜日に学食で待ち合わせな。」


 当日は少し早めに家を出て、学生食堂で待ち合わせた。

初めて構内に入った夏夜は、珍しそうに眺めている。

隆は自分も一緒に回りたかったとブツブツ言っている。

「たく、頼んだぞ。構内は結構段差あるし。

時々休みを入れてな。何かあったら俺のスマホに」

匠は立ち上がりながら隆の言葉を遮った。

「ああ、わかってるよ!うるさいなあ。夏夜だって子どもじゃないんだから。お前はちゃんとお勉強してこいよ。ほら、早く行け!」

「ホント過保護すぎて夏夜が可哀想!シッシッ」

綾女にも追い払われて、渋々別れた。


 綾女と匠に連れられて、あちこちを回る。

聴講は何を選べばいいのか決められなくて、校内の雰囲気を見ることにした。

校舎の中央には中庭があって、カフェが併設されている。

そこには学長である匠の父が来ていた。

「やあ!夏夜、久しぶりだね。大学はどうかな。ゆっくりみて行くといい。

個人的には、自慢はこのカフェなんだ。

特にラテは絶品。牛乳を北海道から取り寄せている。ご馳走しよう。」

「お久しぶりです、おじさま。今日はありがとうございます。大学は高等部よりずっと広いのね。」

「そうだろう?ここの他にもキャンパスがある。興味が湧くところがあるといいね。いつでも大歓迎だ。

通学も通信も、なかなか良い教師が揃っている。ゆっくり考えていいからね。」

今までのトラブルの事ごとには一切触れずに、淡々と学校の話しだけしている。

匠の雰囲気によく似ている人だ。

カフェラテを飲みながら、しばらく学部や単位のことなどを教え、校内に戻って行った。

その背中を見送って、匠が言う。

「なんとなく雰囲気は掴めた?今は冬季休暇に入ってるところもあるから、まだ静か。

普段はもっと賑やかだ。

そろそろ、行こうか。ヤキモキしてる奴がいるし。」

隆がいる学部は冬季休暇に入ったが、まだ講義をしてところもあるらしい。

午後の講義が終わる時間は、中庭にも学生の姿が増えてきていた。

グラウンドの方からは部活を始めたらしい運動部の声が聞こえる。

『高校みたい。』

授業が終わって、思い思いに人が動く賑やかな気配と、足音に掛け声。

懐かしかった。

夏夜は以前、そんな賑やかさの中に当たり前にいた。

 綾女がにっこりする。

「行こ!」

隆と待ち合わせの正門前に向かう。

と、後ろから「あれ、月嶋先輩の奥さん?」

振り返ると以前、家に押しかけてきたゼミの生徒達だ。

会釈をしてやり過ごした。

正門には隆がいて誰かと話している。

「あ、あの人....」

夏夜に「かわいそう...先輩」と言った彼女だ。

匠は「面倒くさい」と言う顔をして、綾女は少し片眉をあげた。


彼女が夏夜達に気がついて、声をかけて来た。

「こんにちは。学校見学ですか?いつから、どこの学部に来るんですか?」

「こんにちは。まだ、見学だけなんです。」

矢継ぎ早の質問と「来るんですか?」という言い方はちょっと嫌だった。

「夏夜、帰るぞ。」

割って入るように隆が綾女から夏夜の手をとる。

「あ、はい。綾女ちゃんもたくちゃんも一緒に帰れる?」

「たくと綾女はこのままジム行くって。二人ともサンキューな!」

二人と別れて、隆に引かれるまま正門脇の駐車場まできた。

後ろから、ゼミの生徒達の冷やかす声が聞こえる。

「奥さん、可愛いー!」

「月嶋先輩優しいー!」

それにあわせて、さっきの彼女の声が追いかけてくる。

「奥様ぁ!早く足を治してくださいねー!先輩がかわいそうですよー」

握っていた夏夜の手が、すぅと冷えたように感じて、隆は夏夜を振り返る。

夏夜は唇を噛んでいる。

『かわいそう』だ。

「気にしなくていい。」

隆の声にコクン頷いたが、車中では無言で、自宅に着くと少し疲れたと自室に入ってしまった。

リビングでは母がお茶の準備をしてる。

『まずかったな。なんなんだよ。夏夜のことなんて何も知らないのに。』

悔しさがにじんでくる。せっかく学校に行ったのに。楽しそうだったのに。


「夏夜ちゃんに紅茶できたって言ってきて。隆。」

母の声にひとつため息をついて階段を上がる。ノックをした。

返事がない。

眠っているのかとドアを開ける。

ぼんやりと夏夜は窓際の椅子に座っていてドアが開いたことにも気がつかない様子だ。

足元には封筒や冊子が散らばっていて、

その手に...カッターが握られている。

カッターからは刃が数センチ出ていて、躊躇いなく左の膝に向いている。

とっさに飛び出してカッターの先を掴んだ。

「つ..ぅ!!」

隆の絞り出した声に夏夜がハッとする。

隆の掌はカッターを握っていて、血がゆっくりと流れてきた。

夏夜の手がカッターから離れた。

カッターの刃をしまい、後ろポケットに入れた。

「だめだ、夏夜....」

「....手...血が.........」

夏夜は震える手で隆の手を包む。

みるみる顔色が白くなった。

「大丈夫。そう深いものじゃない。これ以上、傷つけちゃダメだ。」

片手で夏夜の頭を抱え、胸に押し付けた。

「ごめんなさい.....私....封筒...」

泣くのも忘れているように夏夜は震え続けた。

 

夏夜にはああは言ったものの、カッターの傷は意外に深かった。

母に勧められて医療センターに行った。

なぜこんな怪我をしたのか、もちろん言っていない。

夏夜には、疲れたことにして寝室にいるように言ってある。


 センターの橙子は手術中で、代わりにリアムが手当てをしてくれた。

消毒と傷を寄せてハイドロテープを貼り、1週間患部は濡らさないこと、極力使わないようにと指示を受けた。

処置はものの数分で済み自宅へ帰った。


 夏夜は寝室のソファで膝を抱えてまだ震えていた。

「ただいま。」

夏夜の目から涙がこぼれる。

壊れたものがとても大切だというみたいに、隆の手をとって

「ごめんなさい.....ごめんなさい...」

何度も言う。片手でワシワシと頭を撫でる。

「大したことなかった。ほら縫ってもいない。」

夏夜をソファに座らせる。

「他人がどう言っても、自分を傷つけることはしないで?」

返事はない。

「約束できない?

俺はこの足が生きていてくれて、とても嬉しいけど。

今日は一緒に学校にも行けただろ?」

「......でも、他の人は..」

「あいつはもう近づけない。約束するから。夏夜は?」

やっぱり返事がない。彼女の前に膝をついて、カッターの切っ先が狙っていた、左の膝に触れる。

「あったかい、夏夜の膝。ちゃんと血が通ってるのに傷つけちゃダメだ。」

「.....」

「そっか、じゃあ仕方がない。」

膝にキスをして、舌を滑らせる。

夏夜がビクリとする。今度は足先に向かってゆっくりとキスを滑らせた。

「やめて....」

「だめ。約束しないとやめない。」

指と指の間に舌で触れる。夏夜は息を吐き、触れるたびにピクンと震える。

足指一本一本を口に含む。

「や...ん...やめて..」

五本を全て含んだ後に唇と舌は足首へ滑る。ふくらはぎから膝へ戻ってきた。

「約束して?」

ソファのクッションをきつく握り、夏夜は無言だ。

「強情。じゃないとこのまま上に行くけど....」

「!!や..約束する..から....」

「聞こえない」

そう言いながら膝の内側に触れる。

「約束するから、もう.....」

「残念。ここで終わりか...俺も今日はここまでだな。」

膝から顔を上げ隆はニヤリといたずらするように笑った。

立ち上がってもう一度、夏夜の頭をワシワシと撫でた。

約束をしてしまったら破れない。


夏夜の声を聞いて触れて、隆の血がたぎり始めて、手の傷にもズキンスギンと痛みがぶり返していた。

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