第14話 距離
数日後、夏夜を橙子の再診に連れていった。
大学は冬期休暇に入っていて、することといえば課題とトレーニング、それに少しの仕事だけだ。
「傷の治りは順調ね。あとは念のため採血するから、腕を出してね。」
橙子はそう言って準備していたトレー出した。
中にはアルコールのパッケージと検体スピッツ。そして、注射器。
それらを夏夜はじっと見ている。固まったみたいに。
「夏夜?」
だんだん呼吸が早くなるのが見て取れた。
目を瞠って、肩でする呼吸は絞り出すみたいに強く長くなる。
『まずい』
橙子は急いで電話し、救急カートを持ってくるようにスタッフに依頼する。
「橙子さん?」
隆も異変に気づいて、橙子の顔を見る。
その間にも、夏夜はさらに目をみはり、震え始める。
呼気はヒュウヒュウと喉の奥から絞るような音を立てている。
鎮静剤を打とうとすると、トレーが床に叩きつけられて金属音が響いた。
顔色は真っ白で冷や汗が出ている。
結局、橙子と隆が二人がかりで夏夜をソファに押さえつけ、注射を打った。
押さえれば押さえるほど激しく抵抗をして、腕や肩が折れてしまうのではないかとヒヤヒヤした。
まもなく薬の効果が出始めたのか、夏夜は橙子の白衣からやっと手を離した。
額に汗をにじませた橙子が、夏夜の頬を軽く指先で叩く。
「夏夜?わかる?」
さっきの興奮状態から打って変わって、ポカンと焦点の合わない目を開け脱力して、呼吸は怖いくらいに静かだった。
隆は背中がひんやりして来た。
「橙子さん…生きてるよね?」
思わず聞く。
息を切らした橙子の呼吸の方がまともに見える。
一呼吸した。
橙子の腕には揉み合った時の、ひっかき傷がついている。
「驚いた。こっちに反応したんだわ」
注射器だ。拘束され打たれた注射。
さっきから、夏夜は自失状態のままだ
白衣の袖で額の汗を拭うと、橙子は腕組みをしている。眉間を大きく歪めていた。
「このままじゃ家に返せないわね。かと言ってここでは....」
「....何か必要な処置ってある?」
「ううん。呼吸しているから、それはない。
精神的な虚脱だから、時間が経てば気がつくはずよ。
けどこの様子を見たら、皆びっくりするし、それを知られた本人はもっと辛いでしょ。私の部屋じゃ勤務中は一人になるし....」
独り言とも聞こえるみたいに小声で話して、片手で額を抱えている。
隆は思い切って言ってみた。
「俺のコテージに連れていったらいけないかな。」
「コテージ?お宅の別荘じゃなく?」
「あるんだ。昔、父さんと作って。
その後にプロに手をいれてもらってひと通りあるから、けっこう快適。
車で連れて行く。今から知り合いに連絡して部屋を暖めてもらえるし、食事はなんとでもするから。そこなら夏夜がゆっくりできるかも。」
「そう....少し考えさせて。」
橙子はソファの脇に椅子を引っ張って来て座った。
こめかみに親指をつけた腕を膝の上に置き、考えている。
夏夜がいつ目を覚ますかわからない。
隆に任せられるだろうか。
でも、ここにいていいとも思えない。
この虚脱は精神的なもので、意識を取り戻した後が重要だ。
なにかあったら?
今日は何曜日だっけ?
コテージの場所は?
「ねえ、隆ちゃん。」
「はい」
「救命救急講座は受けた?」
「普通(救命)Ⅱは取った。」
「よかった。念のため安定剤を持って。夏夜を頼むわ。」
隆は静かに、しかし橙子の目を見て頷いた。
「何かあったら必ず連絡するし、無理もしない。」
橙子もニコリと笑ってうなずく。
「お宅には私から話すから。」
「準備してすぐ戻る」
そう言って部屋を出た。
帰宅すると、自分の衣類を手当たり次第鞄に入れた。
夏夜の物はなにを持っていけばいいんだろう?
思いつくのはパンツと…ブラと…無駄にクローゼットとバスルームをウロついていると、母に風呂敷包みを渡された。
「気をつけて行ってきなさい。手が必要なら私も行くわ。」
PC、携帯充電機器。台所にあったレトルトの粥と2Lのペットボトル。
その他必要なものは道々考える。
現地の知り合いに連絡して暖房を入れてもらう。
この知り合いは月嶋の元部下だった人だ。
引退して山の生活をしている。
隆は子どもの頃から親しんでいて、コテージを作る時も力を貸してくれた。
コテージの管理を頼み、鍵も預けてある。
病院に戻り、あれから目を醒さない夏夜を毛布に包んで助手席に乗せる。
キッチリとシートベルトをつけて、自身も運転席につく。
橙子と、夏夜を車に乗せる手伝いをしてくれたリアムがいる。
「気をつけて行ってね。絶対に無理をしないで。とりあえず到着したら連絡してほしい。」
封筒を渡された。
「薬と注意書。あとで読んでね。」
「わかった。橙子さんも休んでね。」
車は静かに病院の門を出て行った。
都内から高速に乗れば、たかだか二時間弱。
まだ雪は積もっていないようだ。
向こうに着くまでに部屋は暖まっているだろうか。
着いたら、ベッドにシーツをかけて掛け布団を出せばいい。
高速を降りて、幹線道路からさらに山道に入る。このまましばらく進めば目的地。
久しぶりに見る景色が広がって来た。紅葉が終わった枯れ葉の多い道を進む。
来年は、ここの紅葉を夏夜に見せるつもりだった。
少しは夏夜が子どもの頃みていた景色と似ているところがあるかもしれない。
コテージの前にはジープが止まっていて、屋根の煙突からは細い煙が出ていた。
『暖炉に火を入れておいてくれた!』
電気ヒーターは暖まるまでに時間がかかる。
車を停めると、目当ての人が扉を開けてくれた。
「坊!待ってたぞ。大事な奥さんはどうだ?」
「ダイジナオクサン」
少し耳が熱い気がする。
コテージに入るとすでにベッドは準備され、足元には湯たんぽまで入れてあった。
これなら、夏夜をすぐに寝かせても大丈夫だろう。
ずっと夏夜は眠り続けている。
「へえ、このお嬢さんが秋お嬢のねぇ。かわいいじゃないか。よく津島が話していたよ。」
「津島さんとは連絡とってたんだ。」
「ああ、弟みたいなやつだったからな、よく呑んだよ。しかし、ひどい傷をつけられたもんだなぁ。」
夏夜の腕を見やってそう言った。
暖炉前のギャベに二人して座って、隆はこれまでのことを話していた。
そういえば、このギャベもお土産で貰ったんだ。脈絡のないことを考えた。
少し外の音に耳を傾けていた。
「...あのさ...体の傷は治療をすれば良くなる。だろ?」
今の隆は膝を立てて体育座りだ。
「うん?」
「でも、心の傷って、どうしたら治るのかな.....」
「体の傷も心の傷も、治る時も治らん時もあるな。どっちも痛いし死んじまうことだってある。なかったことにもできんよ。」
「だったら...こいつは痛みを抱え続けていくしかない?」
夏夜に目を向ける。
「痛いものは痛い。けどな、和らげることはできる。それには、本人が自分の傷をちゃあんと見て、治そうと思うことが大事だと私は思うね。」
「傷を..自分で見る...」
「はじめのうちの傷は嫌なもんだよ。痛いし、傷がなかった頃と比べるからな。
それに治りかけては痒くなって掻くだろう。するとまた血が出る。怖いからってちゃんと見ていないと血が出た時にびっくりする。」
「うん」
「だから、傷はここにあって今はカサブタだけれど、少ししたら内側から皮膚が盛り上がりカサブタは自然に剥がれる。
そこは前より少し薄く感じる。でも、やがて皮膚は再生して目立たなくなるって周りが教えてやる。掻きそうになったら止めてやりながら、一緒に待ってやればいいんじゃないか?心の傷だって同じゃないかね?」
「...俺に..できるかな。夏夜の傷を一緒に待ってやることは..」
自分の腕で膝を抱え顔を埋める。
ゴツゴツした手が隆の頭に乗せられて、グリグリと撫でる。
じわりと涙が出て来た。膝にパタパタと落ちるのを、恥ずかしいとも止めようとも思わなかった。
「坊ならできる。私が保証するよ。」
この人はいつも静かに話す。
それなのに誰よりも慰められるのだ。
隆の涙が自然に止まるまで彼はそばにいた。
部屋の中は暖まり、暖炉にかけた薬缶からは湯気が立ちのぼっている。
作ってくれたホットミルクを飲み終えるのを見届けて、彼は帰って行った。
泣いた後は胸のつかえが取れた気がして、ため息が出る。
今日はまた夏夜との約束を破ったな...
夜をどう過ごすか迷っている。
夏夜は初めての場所だ。
もし、夜中に目が覚めたらパニックになるかもしれない。
自分が眠ってしまっている間にそうなったら、すぐになだめてやることが出来ない。
今日は朝から落ち着かなかったから自分も眠ってしまう可能性は高いし、疲れて自分が体調を崩すのはもっと避けなければ。
悩みに悩んだ結果、約束の一部を「緩和」することにした。
ベッドにもたれて、毛布でくるんだ夏夜を腕に抱いて布団をかける。
こうしておけば、夏夜が目覚めた時にすぐ気がつくことができる。自分だって馬鹿みたいに熟睡とはいかないだろう。
それに「直接は」触ってはいない。
ホントは直接がいいけど。
『え、なあに?』
さっきまで遊んでいた、大きな犬の頭が、背中をグイグイと押す。
その力に夏夜の小さな体は、少しずつ前に押しだされていく。
まるで「早く行きなよ。」そう言うように犬は一生懸命だ。
外は吹雪で寒そう。
このまま、暖かいここにいた方が安心だ。
それなのに体は押され、外気から守ってくれていたはずのドアが開いていく。
「やだ!行かない!!」
そう叫んだのに、犬が体当たりをしてきて外に転がり出た。
振り向けば犬は目を輝かせて立っている。
尻尾がフサフサと左右に大きく揺れていた。
「ウールー...」
一緒にいたいと手を伸ばしても届かなかった。
「夏夜...」
手を取った人がいた。
声のした方に目を向けると隆が見えた。
「わかる?」
「..うん」
隆は笑っているが泣きそうな顔にも見えた。
ヨイショと言いながら夏夜をベッドに下ろした。
見たことがない場所。
天井には大きな梁があって、木の香りとパチパチと薪のはぜる音がする。
「ここどこ?」
「俺のコテージ。夏夜は初めてだよ。言っとくけど、毛布に包んでいたからな」
「コテージ....毛布...?」
隆は「約束」のことを言っているのだ。
「水、持ってくる。」
隆の背中が見えた。
体を起こして隆の持って来た大きなマグカップに口をつけた。
湯冷ましが喉に沁みて流れていく。美味しい。
身体中の細胞がもっと欲しいと言っているようだ。
背中を壁にもたせかけた。
そうして初めて、部屋の中を見回した。
小さな小屋。
ベッドの足元には暖炉があって、さっきの薪の音はここからだ。
ベッド脇の机にはカンテラと隆の携帯がおかれている。
左手には小さな冷蔵庫と流し。横に伸びた窓。古いテーブルと椅子が二つ。
右手の頭の上には窓があって、二人のコートがかけてあった。
その先に入り口があって、古い棚で仕切っている。
「大丈夫そうだな」
隆がベッドのそばに椅子を持ってきて座る。
黙ってうなずいた。
「俺シャワー使ってきていい?詳しいことは後でゆっくり話すから。」
もう一度うなずく。
ここはきっと大丈夫だ。だってこんなに静かだもの。
隆は湯冷ましをいっぱいに入れたカップを、もう一つベッドの脇に置いて行った。
流しの奥に浴室があるらしい。
窓は閉めてあるのに、鳥の声が聞こえてくる。
街に暮らすそれと比べて、声は力強い。
シャワーの音が聞こえてくる。
自分の体も汗をかいていたのだろう。気持ち悪かった。
腕のアザをそっとなぞった。前にもこんなことがあった気がする。
カップの湯冷しを飲み干すと膝を抱えて、渡ってくる風や木が軋む音に耳を傾けていた。
ガタリとドアが開く音がして、湯気と石鹸の香りが漂う。
ぼんやり膝を抱えていた夏夜は頭をあげる。
Tシャツ姿の隆が髪をタオルで拭きながら出てきた。
「しまった。ドライヤー忘れた。」
そう言ってワシャワシャと髪を拭いている。
「私も...お風呂使っていい?」
「いいけど、まずこれを食べてからだな。腹、空いているはず。」
手にしていたのはレトルト粥だった。
パッケージを見た途端、夏夜の腹が鳴った。
『ほんとだ。』
「今、湯船にお湯を張ってる。シャワーよりちゃんとあったまった方がいい。先にこれ食べて、そしたらちょうど風呂もできる頃だし。」
「橙子姉様みたい。丁寧に心配するの。」
隆はきょとんとした後にハハと笑う。実は橙子の指示なのだ。
「誰にでもって訳じゃないけどね。」
自分の顔が熱くなったのを感じた。
温め上がった粥はさっきのマグカップに入っている。
大ぶりのスプーンで掬って、ふうふうと数回吹いてから口に入れた。
寝起きの冷えた体にはそれでも熱い。少しずつ粥を口に運ぶ。
隆はテーブルに頬杖をして封筒の中身を見ている。
橙子から渡された注意書きだと言う。中には紙幣も入っていた。
「今日は何曜日?」
腕時計を見て「金曜」と答えた。
うちに戻ってたったの数日。
時間の感覚がわからないほど、とてつもなく長い時間だった気がしたのに。
「ここで少しのんびりして行こう?帰りは気にしなくていい。」
「大学とかは?」
「もう冬期休暇。仕事も一段落したし街が恋しくなったら帰るくらいでいいよ」
少しホッとしてうなずいた。
隆が立ち上がって風呂場にいく。お湯が溜まったようだ。
入り口との仕切りにしてある古い棚から、隆は荷物を引っ張り出した。
一つは母が持たせてくれた風呂敷包み。もう一つには隆が手当たり次第に色々突っ込んだスポーツバック。
「これ、母さんから。」
そう言って風呂敷包みを渡した。
中には下着と衣類それに秋華にもらったストールが入っていて、一番下からは、いつも使っている基礎化粧品とブラシ、ドライヤーも出てきた。
「あ、ドライヤー入ってる。」夏夜がいうと
「さすが、抜け目ない」隆が笑った。
杖はない。壁伝いに歩いて浴室に行く。隆も手伝ってくれた。
髪と体を洗って湯船に浸かると、思わずため息が漏れた。
お風呂に浸かったのは久しぶりな気がする。
腕の傷とアザ、それに足首の跡は見ないようにした。
今年はいろんなことがあった。
今までで、一番たくさん泣いた。
それに、迷惑も。隆たちにも姉様たちにも義父母にも。
呆れられているかもしれないな。
でも来年はきっと...来年は?
これから、夏夜自身がどうすればいいのかわからない。
そう思うとどうしようもなく不安になる。
ゆっくりと湯船から体を起こした。
身体をタオルで覆う。このタオルもお義母様が持たせてくれたのだろうか。
乾いてふんわりとした感触は優しくて、いい匂いがする。
部屋からは、カチンとグラスの音がしている。
隆、疲れただろうな。デビュー戦からまだ数日だ。
本当だったら家でゆっくりしていて、いつものカフェで匠や綾女と楽しくしていたはずなのに。
こんな自分が隆のそばにいていいのだろうか。
手間ばっかり...
でも隆は夏夜にできることは、いっぱいあると言ってくれた。
私が隆にできること....自分は隆をどう思っているんだろう。
好きだった。ずっと前から。
きっと紫陽花の茂みから引っ張り出してくれた時から。
彼の周りにはいつも女の子たちが沢山いて、華やかな集団はちょっと入りづらかった。
けれど、いつも手を引っ張ってくれるのは隆だった。
その手を嫌だと思ったことなんてない。
なら、もう意地を張ったり、恐れなくてもいいのかもしれない。
だって、病院で抱きしめてほしい、隆の腕に包まれたい。
そう思ったのだから。
だから...
深呼吸はしたけれど声が震えた。
貰ったままのワインを開けていた。
コップを出して夏夜も飲むかなと思い、いや、飲んだことはないはずだ。
まぁ、俺が知っている範囲では。
俺が飲みはじめたのはいつだっけ?
まだ慣れたほどでもないけど、飲みたい気分ってこういう時だ。
「隆...」
風呂を終えたらしい夏夜が呼んでいる。
子どもの頃、四人でよく遊んだ池の表面には薄い薄い氷が張って、取れる大きさを競ったものだ。掌に載せるように掬っても、ちょっとバランスを崩すとあっさり割れて水に帰ってしまう。大きなものを掬い取った時は、とても嬉しくてそのままずっと持っていたかった。
宝物みたいに。
そんな大切な薄い氷を水面に置くように、そっと夏夜をベッドに下ろした。
ベッドの上の夏夜はバスタオルを握ったままだ。
「.....怖い?」
目を覗き込むと黙って首を縦に振る。
あまりにもか細く見えて、胸の上でタオルを握り締め重ねている手をとって、口づけをした。
「大丈夫。俺の心臓の音、聞いてて....」
そう言って夏夜を自分の胸に引き寄せる。
しばらくそのままじっとしていた。夏夜の震えがなくなり深呼吸をするまで。
そっと口づけをする。
まぶたにも唇にも頬にも。
触れるたびにちょっとびくりとするのが、らしいなと思う。
クスリと笑った隆を夏夜が見上げていた。
隆の舌がそっと唇を押し開けて口の中に絡みついてくる。何度もだんだん強く。
舌が離れた瞬間に乱れた呼吸をする。
苦しいせい?頭がぼんやりする。
心臓は頭に響くくらいに脈打っている。
隆の舌と唇は耳から首筋を伝い、時々ほんの少しの痛みを与える。
指先が鎖骨をなぞる。その後から熱っぽい舌が追いかけてくる。
感じたことのない隆だった。
切れ切れの息を吐いた途端に小さな声が出てしまう
「ふ..ぁ..」
咄嗟に手の甲を口に当てた。
隆の指先と舌は動きを止めずに胸に触れる。
摘まれるような感覚と熱い舌が生々しい。
腹から足にかけて不思議な拍動が怖いくらいで、思わずシーツを握るとその手はすぐに外され、隆の首に誘導された。恐る恐る掴まった。
つかまっていないと逃げ出してしまいそうだった。
手が足の内側をさすり、隆の口づけは小さく音を立てながら、臍部から更に下へといこうとする。
一気に恥ずかしさがこみ上げてきて、膝に力をこめ隆を止めようとした。
隆はあっさりと膝と膝の隙間に滑りこんできた。
『どうしよう...』
初めて触れられる感覚は思考を遮った。
隆の手が触れるたびに拍動が激しくなり、体はいちいち勝手に反応している。
『隆が...触れて..』
足の指が何かを握るようにギュッと丸まる。
「ひ...ぅ...いや」
こんな声、自分でも初めて聞いた。
お腹の中が熱い。
マグマが湧き上がるように脳を振動させて、湿った音が身体中に響いている。
夏夜の堪えている声と時々ビクンと走る震えは、隆の背骨に電気が走るような強烈な刺激を呼んできた。
『焦るな、まだそっとだ』
頭ではそう思うのに、更に奥へもっと強くと求めてしまう。
夏夜の泣きそうな声が聞こえる
もう止まれない。
夏夜は体を反るように小刻みに震えて....
「夏夜、つかまって...そっとするから」
首に手を持っていき、夏夜の膝と膝の間に自分の体を押し込む。
一瞬、息を詰めるように硬くなった夏夜の全身が大きく震えた。
肩を抱え込む。
熱い、暖かくてぬるりとそれでいて次々に潤って絡みたくように抱きしめられる...
まるで暖かい泥の中に湧水が混じるみたいだ。
荒い呼吸と動き出そうとする体を堪えようとしたけれど、そんなの無理だ。
首の後ろに夏夜の指の圧力を感じる。
夏夜の声が小さく聞こえる。途切れ途切れの呼吸も。
枕をつかんでいる片手の指に自分の指を絡めると、握りかえしてくれる夏夜が愛しかった。
声にならない夏夜の声を聞き、隆の体にも焼けるような震えが来た。
多分もう「そっと」ではないはずだ。
互いの呼吸と拍動が溶け合っていく。耳元で何度も囁くように夏夜を呼んだ。
泣きながら、それでも受け入れた夏夜が愛しくて愛しくて...
手と手を握りあって時間が過ぎる。
窓に吊るした二人のコートの隙間から、朝日が入ってくる。
真っ直ぐに入ってきた光に、大きく息をして目を開けた。
隆の腕に抱かれていた。
こんなに近くに隆を見ているのは初めてかもしれない。
近かったけど、近づかなかった。
手を伸ばさなかったから。
隆を見上げながら、昨日のことを思い出していた。
何度も名前を呼ばれて、触れられた。
その声は強くて切なくて、とてもとても優しかった。
そっと指先で頬に触れてみる。
あったかい。
昨日の最後のキスみたい.....体を離した後、優しいキスをして抱きしめてくれた。
心臓がほっこりと暖かくなる。
隆はぐっすり眠っている。
ゆっくりと聞こえてくる胸の音に包まれてもう一度目を瞑る。
目覚めた時、夏夜は腕の中で眠っていた。
ホッとした。
目が覚めたら居なくなっているのではないかと、泣いているのではないかと不安だった。
昨日、風呂から上がった夏夜は、ワインを注いでいた隆に、バスタオルにしがみつくように握りしめて言った。
「約束...終わりにしていい」
「無理してない?」
「..してない...」
「俺...一度約束が終わったら、もう止まるのは無理だよ?」
本当に無理だ。もう。
「......きれいじゃない...脚も背中も..それでも....いいの?」
「綺麗だよ。初めての時だって今だって。傷だって綺麗だ。」
半歩下がりかけた肩をそっと掴む。
夏夜は泣きそうな顔をして見上げてくる。
その表情に煽られるような気がした。
まつ毛にキスをする。もう限界だった。
「...待ってた。夏夜....ずっと」
夏夜をタオルごと抱え上げ、そのまま止まることができずに一夜を過ごした。
夏夜はつらくなかっただろうか。
初めて聞く声を何度も聞いて、その度に体の奥底から血がたぎっていた。
優しくはなかったかもしれない。
腕の中で眠っている夏夜を見つめる....以前よりそれは穏やかだ。
そう思うのは自惚れなのかな。
頬にかかる髪を除けてそっとキスをした。
こんなに嬉しいのに、涙が出てきそうなのはちょっと情けない。
夏夜は暖かくて、確かにここに居る。
何度だって触れたくなる。
何度でも...繰り返し考えて、ふと橙子の言ったことが甦ってくる。
それも疲労の原因になる.....か。
深刻な事態だ。
額をくっつけた。今、熱はなさそうだ。
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