第5話 退院前の現実
明後日が退院。
そう聞いたら早く顔を見たかった。
ゼミのメンバーと出かけるから、夏夜も誘おう。退院が決まったなら、外出だってできるだろう。
隆はそれがとてもよい考えのように思えて、まずは橙子にメールを送る。
すぐに橙子からは、夏夜が行きたければOKとスタンプが一緒に来た。
夏夜の病室に着くと遥が紙袋を運んでいた。
「よう、おかえり。」
「あ、遥さん、夏夜は?まだリハビリかな。これ明後日の準備?」
荷物を指さす。
「ああ。明後日は体ひとつの方がいいだろう。
流石に一年となると割とあるんだ荷物が。夏夜なら多分屋上じゃないかな?リハの後によく行ってるよ。」
「荷物運び、後で手伝うよ。」
そう言い置いて、階段を一段飛ばしで昇り、2階上の屋上に行く。
やはり、夏夜は屋上に居た。身を乗り出すように柵の外を見ていた。
「夏夜!」
声をかけると、カーディガンを着た夏夜が振り向いて、髪が微風になびく。
整ってはいないけれど、やっと伸びた髪だった。片手でそれを押さえながら隆に答える。
「学校終わったの?大学って早いね。」
「サボってないぞ。」
「言ってない。そんなこと。」
「それよりも、明後日退院だって?」
「うん」
髪から手を離して柵に手を掛けた。
「少し外に行かないか?ゼミの連中と出かけるからさ。橙子さんから外出許可はもらってる。」
「行かない。」
素っ気ないが夏夜らしい。断られるのも慣れている。
そう遠くまで行くつもりもないし、タクシーで行っちゃえばいいだろ?
そう言って夏夜の手を軽く引くと思いの外、強い声で
「やだ。行かない!歩けないもん」
少しふざけて、「俺がおぶってやるから」と笑いながら、今度はさっきより強く左手を引いた。
ほんの少し左に重心がかかった....グラリと夏夜の体が傾いた。
『転ぶ!』
咄嗟に手を出すと腕の中にあっさりと夏夜が倒れ込んできた。
杖が倒れる音がやけに大きくゆっくりと聞こえた。
「ごめ....!」言いかけたが、すぐに夏夜は隆を突き飛ばすした。
隆はほんの一歩後に尻もちをつい格好のまま、夏夜から目が離れなくなった。
悟った。夏夜の脚は、「ここまで」なんだ。
大きく見開かれた目がそのまま固まり、ぺたんと座り込んだ夏夜がブルブル震え出した。
慌てて抱えようと肩に手をかけると、握り拳で肩や胸を叩かれた。
声にもならない声を出して怒ったように。
ぼろぼろと涙を流している。
抱きしめたい。そう思うのに体は動かなかった。
なかなか帰ってこない二人を迎えに、遥が屋上まで来た時、隆は夏夜に叩かれるままになっていた。
歯を食いしばって暴れるように手を振り回す夏夜と、叩かれっぱなしの隆の間に割って入った遥は、振り上げている夏夜の腕を掴んで、強い口調で名前を呼ぶ。
「夏夜!!」
その声にビクンとして、暴れるのをやめた夏夜は一度大きく息を吸い込んでそのままフラリと体全体の力を失った。
遥に声をかけられるまで、叩かれた時のまま身じろぎひとつ出来ずに、隆は座り込んでいた。
「隆...杖頼む。」
ノロノロと立ち上がって、杖とリュックを持ち夏夜を抱えた遥の後に続いた。
夏夜のことは呼び出した橙子に任せ、遥は隆を人気のない外来待合室に連れて行き、長椅子に座らせる。
隆の手は細かく震えていた。
自販機から熱いココアを買ってその手に持たせる。
「遥さん、夏夜は?」声も震えている。
「大丈夫だ、一過性の過呼吸だろう。」
「俺.....退院出来るって聞いて、橙子さんに言われていたことも忘れて....」
泣きそうな顔で隆はいう。
「仕方ない。隆、お前のせいじゃない。夏夜はこれからこんな事の連続だ。自分も周りも期待して、その度に現実を付きつけられる。」
何も言わずジッと遥を見上げる隆の肩に手を掛け遥は言う。
「夏夜の身体機能の回復はここまでだ。でもな、ここはきっと何度だって回復でできるはずだ。支えてくれる人がいれば。」
自分の胸を握り拳で軽く叩く。
「夏夜を支えられるか?隆」
「俺...」
「俺はお前に頼みたいけどなぁ。」
もう一つ肩をポンと叩いて、遥は病室へ戻って行った。
橙子が椅子に座り、夏夜の額の汗を拭いていた。
疲れたような動作だった。
今、夏夜は眠っているが頬には涙の跡がある。
遥がドアの近くまで転がっている枕を拾い上げた。
ベッドテーブルの上のトレーには5ml注射器と小さい空のアンプルが1つ入っている。
「鎮静剤。」
ぽつりと橙子がいう
。橙子の腕にぶつけた後のようなアザができている。
橙子は口を開けてため息をついた。
「こんなの使いたくないけど.....私も少し浮かれていたわ。喜んで出かける訳ないのにね。...隆ちゃんは?」
「帰した。大丈夫だよ、少し驚いただけだ。」
「さっき目を覚ましたの。それでこれ。暴れたのなんて初めて。
どうして助けたのって、この子。
ねぇ義兄さま、私は間違っているのかしら。とにかく救うっていうのは違うのかしらね。」
「ドクターがそれをいうか?」
「そうね。」
フフと力なく笑った橙子の目はどんよりしていて、それこそ初めてだ。
やがて秋華がきて今夜は夏夜のそばにいるという橙子を残し、遥は秋華と帰宅した。帰宅の車の中で今日のことを秋華に話した。
秋華は何も言わなかった。
その夜、珍しく肩に頭をもたせかけて来た秋華の体は強張っていた。
遥は肩を抱いてやることしかできなかった。
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