黒崎冬香は好きな人がいない
この場で話を続けるのも何だという黒崎の提案。
見回りだろうか。教室の外から聞こえた足音から逃げるように、俺と黒崎は外に出た。
その近く「行きつけだ」と言って、雰囲気のある喫茶店に黒崎は入った。
「……なんで転校生のお前に、もう行きつけがあるんだ」
「一度でも行けば、もう行きつけだろう?」
そんな無理やりの理論を展開させつつ、ドアを押す。
コーヒーのいい香りが鼻を刺した。
「…………」
店員は一人。初老の男性。
挨拶もなし、しかし特に気難しそうな感じもないその店員。
黒崎は身振り手振りを数回行って、注文を済ませたようだった。
店の奥、テーブルの一つに座ってこちらを手招きする。黙って座った。
「ブレンドでよかったかな」
「ミルクはいらない」
「それはよかった」
数分後、すぐに運ばれた珈琲は、店の店内と同じ香りがする。
また何も言わないまま、しかし感じはよいままに。
カップを二つだけおいて、その老人は立ち去った。
「じゃ話そうか」
「なにを?」
「今後のことさ」
どうやら、今日のこれは作戦会議のつもりらしい。
変わらない表情のまま、黒崎は笑って言った。
「安心してくれ。僕は補佐だ。君の活動方針にケチをつける気はない」
「…………」
どうだか。
先ほどの言葉、二流という発言から察するに信用ならない。
親父の差し金というならなおのこと、信は置けないだろう。
「ちなみに僕は君の父上と面識はないよ」
「ナチュナルに心を読むな」
「今回の仕事も、研究所の所長を経由してきた仕事――君の助手となり、より効率的な更生活動にいそしむことと言われている」
それなら、別段、違和感もないだろう?
身の潔白を証明するように目を大きくさせつつ、黒崎は珈琲を飲んだ。
それを見て、「そういえば」と思い出すように俺も口をつける。うまい。
――助手。
特別更生人の業務に、専門的なパートナーがつくことは珍しくない。
経営、医療、外国語に戦争、政治、経済などなど。
種類が多岐にわたる試験を経る必要がある更生人の業務ではあるが、それでもその守備範囲が完全に網羅的であるかと言えばそんなことはない。
当然、専門的な人間が必要な場合もある。
「年齢も君と近い。立場も似たようなもので、意気投合しやすい。それに――」
いじわるそうに。
また、目を笑わせて、黒崎は言う。
「僕の専門分野は――更生対象にとって、とても最適だろう」
黒崎冬香の専門分野――心理学。
なるほど確かに。
あの三人にとって、これほど最適な人間はいないかもしれない。
「……で」
「ん?」
「それがどうしてお前と付き合うことになるんだよ」
「その方が、更生活動が効率的になるからさ」
「少しもわからん」
「これぐらいは説明しなくても分かってほしいものだけれどね」
「…………」
そんなわかりやすい挑発に乗る必要など全く感じなかったが、しかし。
先ほどあそこまでなめられた言葉を吐かれておいて、何も返さないというのも落ち着かない。
少し考えるように顎に手を当てつつ、俺はカップを口に当てた。
「……まず一つ」
「うん」
「俺と、一緒にいる時間を増やすためだな」
「ああ、そうだ。この国は、交際していない男女が一緒にいるとそれだけで変な噂が立つ。それに僕は目立つし、事実目立っている。その分噂も大きくなりがちだ」
「なんだ、自慢か?」
「ただの事実だよ。僕の容姿は整っているからね」
さっき君が誉めてくれた通り、な。
「…………」
軽い意地悪を言ったつもりが、簡単にいなされる。
やはり、夏希や春乃のように簡単に、扱えるものではないようだ。
そんな考えの中、「二つ目」と俺は言葉を出す。
「あいつら……春乃と夏希、あと秋葉の変化が期待できるから、か?」
「うん、そう。君たちの関係性を変化させたいんだ」
「その心は?」
「上へのパフォーマンスかな」
「上? 親父のことか」
「それも含めた、上だよ」
黒崎は、カップを机の上に置いた
「上層部の多くは、君の実績を高く評価している。前任者では反抗的だった彼女たちが、君が担当になった途端彼女たちと良好な関係を維持し、協力関係を築いているんだ。旧知の関係だったとはいえ、一年間でこの成果は賞賛されるべきだろうね」
「……そりゃどうも」
「ただ一部、君の活動に疑問を持っている勢力もいる。今の状態を、停滞、傍観とみている人もいるわけだ。もっと早く校正させることができるだろう――そんな期待の表れともいえるがね。実際、それが理由で僕が派遣されたわけだし」
「…………」
その勢力とやらの筆頭は、きっと親父なのだろう。
そんな予想を肯定するかのように、黒崎は頷いた。
「だからこそ、上に変化を見せたい。いわば『頑張っているアピール』だな。僕と君が付き合うこと。それを積極的に外へ公言すること。その結果、彼女たちの変化を見る。そんなアピールが報告できる」
「…………」
「不服かい?」
「……いや別に」
「まあ、うん。君も高校生で、この一年学生生活を過ごしてきたのだ。好きな奴の一人や二人いてもおかしくない」
「何も言ってねえだろ」
だいたいお前も高校生だろうが。少なくともこの国では。
「確かに僕は高校生だが、それ以前に学者だよ。加えて、僕はまだここにきて間もない。加え、あっちでボーイフレンドを作った経験もない。いわば、研究が恋人だったわけだ」
「ああ、そうかい」
「しかし、君は違う。ここで育って、ここと関わって、ここで生きてきた人間だ。僕と違って既にたくさんの関係性がある」
だから――まあ、そうだな。
少し考えるように、黒崎は言う。
「もし、君が他の思い人がいて、好きな人がいて、その人に誤解されたくないという思いがあるなら、僕は潔くこの提案を退けよう」
「…………」
「なに、恋人ではなくても友人としてそばにいることができないわけでもあるまい」
「…………」
「それに、その思い人がもし、更生対象で、一緒に過ごしてきた彼女たちで、あの三人のうちの誰かだというなら、それは――」
「わかった」
その続きを遮るように、俺はカップをテーブルに置く。
「お前と付き合う」
「……ほう」
「今日から、お前は俺の彼女。お前にとって、俺は彼氏。それでいいな?」
「うん、まあそうだね。その方がやりやすいのは事実だ。僕としては助かるよ」
――だがね。
細目、俺の後ろを見るようにして、黒崎は言う。
「勘違いしないでくれよ。僕は別に、君をたきつけようと思ってさっきの言葉を言ったわけじゃない」
「ああ」
「確かに僕は効率主義者だし、仕事は定時に帰る派だ。つまり、時間というものとても大事にして生きている」
「そうかい」
「だが、同時。この世で最も重要なことは人の心だと思ってる。それを捻じ曲げてまでしてやるべきことなどないし、あってはいけないと思っている。これは、僕の職業に身を置くものなら、当たり前に持っている価値観だ」
その上で改めて聞こう。
黒崎は、先ほどと温度感を異なる瞳を持って、問う。
「君は――本当に僕と付き合ってもいいのか?」
「いいよ、問題ない」
即答。
言葉を聞いて、最速で俺は返答を返す。
「俺も、お前と同じだ」
そして、迷うことなく続けた。
「俺はな。生まれてこの方――人を好きになったことなんかないんだよ」
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