黒崎冬香は春の熱さに敵わない。
あれから。
毎回の休み時間、前から降り注がれる嫌がらせを受けながら、俺は昼休みを迎えた。
性格上、あまり目立つのが好きではない夏希は、俺に露骨な干渉はできない。
毎時間彼女の席にやってくる友達との会話に花を咲かせつつ、俺と黒崎の会話に耳を傾けている程度の圧だった。
「……はぁ」
とはいえ、その圧が微弱かと言われれば、そんなことは当然なく……。
昼休みに入る時、俺が席を離れようとした瞬間だった。
「――七海」
「あ、はい」
「私さ」
「はい」
「全部、聞いてるからね」
「……はい」
こちらを一瞥もすることなく、しかししっかりと聞こえる声。
友達と去り行くタイミングで、言い残すように、俺へ漏らしたのだった。
「…………はぁ」
「あははっ! 今日はまたずいぶんとため息が多いね」
「まあ、色々な」
「幸せ、たくさん逃げちゃうねー」
「不本意だがな……」
「あははっ! これじゃ、幸せのバーゲンセールだ!」
「……安売りって言いたいのか?」
「ただで逃がしちゃうよりは、まだ売ったほうがお得じゃないー?」
「…………」
逃がすより、捨てるより。
売ったほうがいい。
そんなメルカリのCMみたいなことを言い出す奴では本来ないのだが、しかしなんだろう。今日の春乃の言葉には変な説得力があった。
「確かに春乃の言うとおりだけど。でも、俺の幸せなんか買う奴なんかいないだろ」
「あたしが買ってもいいけどー?」
「まじか?」
「うん」
「いくら?」
「三百円!」
「安っ。……まあため息で金がもらえるだけありがたい話かね」
「PayPayで」
「うわ、今時の子」
……結局本当にくれた。300円分。PayPayで
なんだろう、俺は何をこいつに売ってしまったのか。
途端に不安になってくる。
「――楽しんでいるところ悪いのだが」
透明な声、さえぎるように俺の耳へ届く。
「赤石先輩。今は僕が彼と楽しむ時間です。用が済んだなら帰ってくれるとありがたいのですが」
笑いながら、しかし、しっかり主張は忘れず。
黒崎は春乃に伝える。
「あ、黒崎ちゃんだねー! 七ちゃんからお話は聞いてるよー、よろしくね!」
一瞬、不思議そうな顔を浮かべた春乃。
しかし、すぐに変わらない天真爛漫具合を発揮する。
いつの間にか黒崎の手を握ってぶんぶんと握手を完成させている。
「うわー! にしても本当に綺麗な子だね! 先生とか夏希ちゃんとかから聞いてた以上! 肌もすべすべで目も切れ長! 手なんかとっても冷たいし!」
「それはどうも」
「転校生って言ってたよね! どっから来たの?」
「……前住んでいた場所は、ネバダですけど」
「へえ、アメリカなんだねー。だからかなー? 肌もすっごく白い! ご両親は日本人なのー?」
「え、あはい。両親は日本人です。仕事の関係で十年ぐらいあっちのスクールとカレッジに通っていました」
「七年! また結構いたんだね! じゃあやっぱり英語とか話せるんだ!」
「そりゃまあ、多少は……」
「じゃあ、本当に帰国子女さんだー! うわー、すっごいなー、あこがれちゃうなー」
「……あのー、別にほめられるのは嫌いではないですが、話を本題に――」
「というか、さっきちらっと聞こえたんだけど、もしかしてカレッジって言った? 黒崎ちゃんって大学も行ってたりしたの?」
「え? あ、はい。一応、研究室だけですけど」
「すごいなー、飛び級ってやつだね! これぞ実力主義! アメリカン!」
「アメリカンって……。いや、実力主義かどうかも知りませんけど。あと、それに飛び級とはちょっと違いますし……」
「あたし、もう三年だからさ! 進路の一つに留学も考えているんだよねー」
「……はあ」
「ねねね、だから今度あっちのお話とか聞かせてくれないかな? ご飯とか、スポーツとかの話!」
「それぐらいなら……全然大丈夫ですけど」
「あとピクニックができるのかとか!」
「ピクニック?」
「大事だよー? 近くにピクニックができる場所があるかどうかはあたしの中で最重要!」
「……え、研究分野とかは?」
「あ、それは何でもいいの」
「は?」
「気分転換でー、つらいなー、めんどくさいなーってなんている時にー、『よし、行こう!』って、衝動的にピクニックに行ける場所近くにあること! これ、あたしの第一優先!」
「……えーっと。まあ、選び方は人それぞれだとは思いますが」
「この学校も、家の近くで、ピクニックができる場所が近くにあるのが志望理由!」
「僕が心配するのも変なんですが、行動原理ちょっと軽すぎませんか?」
「で、で、で。どうかなどうかな黒崎ちゃん。アメリカは。ちゃんとピクニックできるのかな? どうなのかな」
「それはまあ、はい。できると思いますけど」
「まじか!」
「アメリカ、おっきいですし」
「なるほど確かに!」
「……というか、そんなことはどうでもいいんです。僕の話を――」
「えーなに、うわっ! なにそのお弁当!」
「いや、だから――」
「すっごくかわいい! 自分で作ったの?」
「いや、これは自分で作ったのではなく、妹が……」
「妹? え、妹!? 黒崎ちゃん妹さんいるの!? 絶対可愛いじゃん! 写真とかある? 見せて―見せてー!」
「え、あ、は、はい。えっと……写真、写真。……どこにあったかな」
「わくわく」
「……って、そうじゃない。そうじゃなかった。そうじゃないです」
首を振って、否定。
落ち着くように、深呼吸。
指でスマホを操作するのをやめた。
「え、なに? 写真なかった―?」
「いえ、写真はありました」
「じゃあ見せて見せて―」
「いやです」
「え、なんで!」
「話が進まないからです」
「ケチ!」
「ケチじゃありません。少しは僕の話を聞いてください」
取り出したスマホを餌にするようにして、黒崎はようやく主導権を取り戻したらしい。
そのまま、丁寧に言葉を出す。
「昨日。彼からも伝えられたと思うんですが、僕と彼は恋人同士、恋愛関係にあります」
「うん、聞いたー」
「僕が告白をして、彼が受け入れてくれました」
「それは聞いてなかったなー。あ、昨日は言ってなかったねー。おめでと、七ちゃん」
「……ども」
「そして、校内、二人っきりで過ごす時間はとても限られています」
「その唐揚げちょーだい」
「あ、こら」
「彼は放課後に仕事があり、また、僕も研究が残っている身、こうして過ごせる時間はわずかなのです」
「じゃあ、代わりにあたしの紅ショウガを上げようー」
「……相場って知ってる?」
「僕はその限られた時間を使って、四季君との愛をとても大切に育てていきたいと考えています。――そう、二人きりで」
「仕方ない。あたしの渾身の焼売もつけてあげよう」
「うわぁ、すっごく微妙。なにこのちょっと唐揚げにはちょっと足りない感」
「おいこら聞けや」
口調が変わった。
「……赤石先輩。僕、今結構重要なこと話してたんですが?」
「あはは、大丈夫だよー! ちゃんと聞いてたって」
「じゃあ、何の話をしていたか、僕に教えてください」
「そんなの簡単だよー」
あははっ、と笑いながら、春乃は答える。
「唐揚げの作り方だよね?」
「一ミリもしていない話で僕はとてもびっくりしています」
「え、でもさっき、七ちゃんとの鳥を育てるとかどうとか、そんな話してたよね?」
「鳥じゃないです。愛です。文字数だけです。音すらあってません」
まあ、先輩はいいです。……いや、よくないですど。
と、前置きを言って、俺に向き直る黒崎。
その眼光は今朝見た時のように光って俺を睨んでいる。
「……四季くん。君はいったい何をしているんだい?」
「何って……」
「なんで君まで赤石先輩といちゃついているんだ」
「いや、だって春乃が勝手に俺の唐揚げを……」
「じゃあ聞こうか。唐揚げと僕の話、どっちが重要かわかるよな」
「……僅差だ」
「僅差な時点で業腹だが、まあ聞こう。どっちが勝った?」
「黙秘権を行使する」
「それはもうほとんど答えてるって気づいているか?」
「いやでも、結局お前も唐揚げの作り方を話していたわけで」
「だから僕は唐揚げの話など一度たりともしていない! 育てたいのは鳥じゃなく愛。なんで君までまともに聞いていないんだ……!」
はぁはぁ……、と。
らしくもなく肩で息を吐いている黒崎。
だいぶ疲れているらしい。近くにある、ペットボトルに口をつける。
……まあ、当初の予想通りというかなんという。
衝動と本能で生きる春乃と黒崎の相性はずいぶんと悪そうである。
それから何度かやり取りを繰り返すものの、まともに話を聞かない相手にどんな言葉も通じないのは当然なわけで。
結局。最終的。昼休みの最終版。
何かを諦め、疲れ切った顔をした黒崎が、黙々と食事を勧めるだけの光景がそこにあった。
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