黒崎冬香は夏の白さを言葉で遊ぶ。
俺には彼女がいる。
隣の席でもなく、隣のクラスでもなく、もちろん、隣一緒に住んでいるわけでもない。
悪友のようでもなく
男友達のようでもなく
当然、妹のような存在ではなく
何より――『幼馴染ではない』彼女がいる。
今年の春に転校してきて、まだ出会って一か月も経っていない。
そんな彼女がいる。
「――ところで」
彼女は言う。
「君は、僕のどこが好きなのかな」
「…………」
教室。クラス。授業前のHR。つまり、衆人観衆の中。
当たり前のように前の席に鞄を置いた黒崎は話しかけてくる。
「何の用だ」
「そう聞かれれば、君に用があるとしか言えないな」
けむに巻くような応答の中、彼女は笑う。
「くっくっ。なに、ただの雑談だよ」
いつものにやけ面のまま、黒崎は続ける。
「君と恋人関係になって三日。そろそろ聞いてもいいんじゃないかと思ってね」
彼女――黒崎冬香はつらつらと続ける。
「世の中のカップルというものは付き合いたてが一番楽しいと聞く。僕たちもぜひその恩恵を預かろうじゃないかと思ってね」
「そんなこと……」
言われても。
と、言いながら、流し目。
覗き込むように、視界を限界まで広げて俺は隣の席を見る。
唐突に席替えが起ったわけもない。
だから、そこには当たり前に、いる。
「…………」
明らかにわかりやすく
じっと視線を外さず
引きつった笑みを浮かべ
怒りを必死に抑えている――そんな幼馴染、白川夏希が、いる。
「…………」
――ふふっ。
何かに笑う、慣れ親しんだ声。
それが隣から聞こえる。
「へえ、そうなの。へえ、カップルって付き合いたてが楽しいんだ。へえ、ふーん、」
「…………」
「知らなかったわ、私。まったく。これっぽっちも」
「…………」
「私さ、彼氏できたことないからさ」
「…………」
「一回も、彼氏できたことないからさ」
「…………」
「幼馴染にかまけてて、恋人、いたことないからさ」
「…………」
……。
ああ、不思議だ。
隣から何か正体不明のつぶやきが聞こえる。
俺の背筋がこれ以上なく凍っているあたり、きっと心霊現象かなにかなんだろう。
そんな霊体験に苦しむ俺をよそに、しかし黒崎はそんな圧など微塵も感じていないような、ひょうひょうとした態度にいる。
「僕と君はまだあまり一緒の時間を過ごしていないからな。だからこうして、会話から君との親密度を上げていこうと思ってる次第だ」
「……なんだそれ」
「一緒にいた時間が、互いの関係を作るものだよ」
「……時間」
一緒に居た時間。
話した量。
親密度。
「――えぇ、そうよねー。時間って本当、大事」
「…………」
「一緒に話せば話すほど、相手との距離は縮まるものねー」
「…………」
「一緒にいた時間が長ければ長いほど、人は相手に好感を持つものだもの。……ふふふっ、まったくもっておっしゃる通り」
「…………」
……。
おかしい。
呪怨が一向に止まらない。
こんな真昼間からなんとも元気な怨霊である。
近いうち、しかるべき機関に頼んでお祓いか何かを受けるべきかもしれない。
「……黒崎」
「何だい四季くん」
「頼む、今日は見逃してくれ」
小声。隠すように黒崎にささやく。
これ以上、もう耐えられそうにないのだ。……その、いろいろと。
「お前のせいで俺、昨日もまともに寝てないんだ。今日だけは頼む。勘弁してくれ」
「……なるほどな」
黒崎は何かを察し、そして分かったように頷いて見せる。
「君の言いたいことはわかった」
その整った顔にはわかりやすい笑顔が浮かんでいる。
「僕に任せてくれ」
数度頷き、目を見開いて、黒崎は言った。
「え、なんだって! 君は僕が好きすぎるあまり、昨日の晩もまともに眠れなかったというのかい!」
「……!?」
「それはうれしいけれど、いかんせん恥ずかしいな! それにこんなところでする話でもないだろうに!」
「い、いや、お前ちょっと待……」
「もちろんそういわれて嫌な気はしないけれどな! なぜなら僕は君の彼女であり恋人だ。その愛にこたえる義務があるだろう!」
「だから、おまっ! ちょっと声がでかいって!」
「ああ、ごめん、少し耳が遠くてね。聞き間違えてしまったのなら申し訳ない。……では、もう一度はっきりしっかり言ってくれ」
「…………」
いやらしい顔のまま、黒崎は続ける。
「もっと胸を張って、高らかに、愛を伝えるように。ロミジュリのように。この恋人の僕に。愛する彼女の僕に言ってくれ」
「…………」
変な逃げや拒否は、許さない。
俺と黒崎が恋人関係であることは隠さず、積極的に噂にする。
その約束を破った僕への罰、ということだろう。
なるほどな。今回は俺が悪かった。反省しなければいけない。
そう、反省はしなくてはいけないが、ただ、隣からの視線と圧がより一層増して感じられるようになったのは気のせいではないと思うので、だから……うん。俺はより、反省した。怖いです。
黒崎は続ける。
「生まれつき耳はよくないんだ。ぜひしっかりとした声量で言葉は届けてほしいものだね」
「……嘘こけ、性悪」
「本当だよ、嘘じゃない。実際僕の耳は結構な性感帯だしね」
触ってみるかい?
「くそっ、だれが触るかよ」
「とにかくだ」
黒崎は続ける。
「小声なのはいただけない。男の子なんだ、もう少しはっきりとしゃべったほうが魅力的というものだよ」
何より――。
ちらり、視線を横にやりながら、黒崎は言う。
「――せめて隣の席に届くぐらいの声で言うべきだと思うけどな」
――びくんっ
授業中、突然先生に指名されたような。
そんなわかりやすい反応をしながら、しかし、視線は俺の一挙手一投足を話さないように見つめている。
「……黒崎」
「なんだい四季くん」
「……頼む」
「何を?」
「後でなら……好きなだけ答えるから」
「僕は今聞きたいんだ」
「…………」
逃げ場はない。
当たり前だが、どこにもない。
「僕は少し不安なんだ。なにせ、まだ君に聞いてなかったからさ」
四季くんが……一体僕の何に惹かれたのか。
少し伏せがちな瞳と態度。
そこに奥ゆかしさを演出させながら、彼女は言う。
「それがわからないと……やっぱり嫌じゃないか」
ただ、言葉のテンションとは裏腹。
性格の悪さが前面に出た黒崎は、笑みを崩さないでさらに聞く。
視線は……俺の瞳に固定したまま離れない。
「……くっ」
つまり――答えなければ終わらない。
この状況からは逃げ出せない。
もちろん、黒崎の質問を黙殺することは簡単だ。
無視して、聞こえないふりをして、存在自体に気づかないふりをするのは簡単だ。
「…………」
ただ――それだといけない。
もちろん、先のようにあることないこと吹聴されるリスクもある。
ただ、それだけでなく、実際的に俺は黒崎冬香の彼氏でなくてはならない。
――四季七海は黒崎冬香の彼氏で、黒崎冬香は四季七海の彼女である。
本質的にはどうであれ、俺は表面上、こいつとの関係を周囲にアピールしなければならない。
それが約束。こいつと交わした契約だ。
「……えっと」
「うん」
「その……」
「うん」
「だから……」
「うん。だから?」
時計を見る。
残念ながら、この調子ではHRの終了まで持ちそうもない。
俺は意識的に隣の怒気を無視して、ため息。観念する。
そして、ひねり出す。
「…………顔、かな」
「――最っ低」
「…………」
何か隣から聞こえた気がする。当然無視した。
黒崎は変わらず笑みを浮かべたままである。
「へえ、そうかい。顔か。それはうれしい」
「……それはよかったぜハニー」
「他は?」
「……え?」
「他」
「他?」
「うん」
頷きつつ、黒崎は言う。
「まさか、顔の造詣が整っているだけ……なんてことはないのだろう?」
「え? あ、ああ、うん。もちろんだ。……他、他は……えっと」
「うん」
「えっ……と」
「うん」
おかしい。
体感では十時間ぐらい進んでいるのに、まだ三十秒も経っていない。
必死で頭を回す。
前を見る。目の前を黒崎でいっぱいにする。集中する。
そして、俺は言う。
「その」
「うん」
「あれだ」
「あれ?」
「……スタイル……とか」
「……最っっ低」
何も聞こえない。
聞こえるわけがない。
俺の隣は空席だ。
「へえ、スタイル。顔とスタイル」
「…………」
「君は、顔とスタイルが好きで――だから僕と付き合ってくれたのか」
「……そういうことに、なります」
えっと、なんだろう。
今の心境を端的に言えば、
俺は今すぐ死んだほうがいいのではないのだろうかと思っている。
これは別に、死にたいとか、消えたいとか。
そういう自殺願望に近い感情ではなく。そういうことではなく。
ただ単に。
こう、なんというか。
社会通念上倫理にもとる存在として、社会規範から逸脱した違反者として。
その……なんというか。
えっと。
……はい。ようは、今、俺、死にたいです。とても死にたいです
「あら、奇遇ね。私もあんたは死んだほうがいいと思うわよ」
「……うるせえゴリラ」
「何ですって!?」
「僕はうれしかったけどね」
人間、努力よりも天性のものを誉められたほうが喜ぶものさ。
くっくっ、と特徴的な笑みを浮かべながら黒崎は満足そうにうなずく。
……ああ、よかった。
ひとまず目の前の悪魔の満足がいったようだ。
心の底から安堵する。
これでようやく――
「――で、四季くん」
「……なんだよ、用が済んだならさっさと」
「他は?」
「……は?」
言っている意味が分からない。だから固まる。
黒崎は続けた。
「顔、スタイル。なるほど。わかったよ。……で、他は? 他はないのかい?」
「…………」
「聞いてるかい? 四季くん」
「…………黒崎」
「なにかな」
「……まじかお前」
「僕はいつでも大まじめだよ」
くっくっく。
特徴的に笑いながら、目だけはしかし笑っていない。
「この場で、この席で。ぜひ教えてくれ。――君は一体僕の何を好きで恋人関係を続けているんだい?」
――さあ、僕に教えてくれ。
スイッチが切り替わったのように、責め立てる黒崎に、俺はつぶやくように言う。
「……言っとくが」
「ん?」
「これ以上やるというなら、お前覚悟しろよ」
「覚悟?」
「端的に言えば……死人が出る」
「くっくっ、面白い。それは歓迎ものだな。ぜひ見てみたい」
「この悪魔が」
「誉め言葉だと受け取っておくよ、恋人からのね」
「…………」
それから。
教師の到着が遅れたことも相まって。
あと追加で三四ほどの問答と暴言を前と左から繰り返された末、ようやく俺は解放されたのだった。
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