青木秋葉は、留守番すらもできない。
俺には幼馴染がいる。
隣の部屋に住み着き
幼稚園の頃からの付き合いで
ただの幼馴染以上の時間を過ごしてきた――
そんな妹のような存在の幼馴染がいる。
「おかえりなさい」
帰宅後、ソファの上。つまりはリビング。
自堕落に寝転がりながら、PCを器用に叩く彼女は出迎えの言葉を吐いた。
「ごめん秋葉、少し遅くなった」
「少しじゃないですよ」
秋葉の不満げな表情は変わらず、ただキーボードをたたくペースは変わらない。
「事前に伝えられた時間から二時間三十五分三十秒も乖離しています」
「ごめんて」
「今は夜の八時過ぎで、夕飯時のゴールデンタイムはとっくに過ぎていますし」
「そうかもな」
「お昼をまともに食べていない私は当然、餓死寸前です。今にも死にそうです」
「なるほど」
「夕飯の約束を二時間以上遅刻した恋人が『少し遅くなった』なんて言ってきたとき、普通の人はどう思うでしょうか」
以上を踏まえて先輩に聞きます。
と、まっすぐ見つめて彼女は言う。
「何か、私に言い訳はありますか?」
純粋な疑問を投げかけるようにして、実際論理で武装し殴ってくる。
引きこもり同然なこの後輩が一体どうしてこうも口が回るのかは、だいぶ前に考えることをやめていた。
俺は鞄を椅子の上に置いた。
「お前の言い分はわかった」
「わかってくれましたか」
「じゃあ俺からも言おうか。……まず一つ」
「どうぞ」
「俺は、今日の帰宅時間をお前に言っていない」
「ほう」
「朝起きてこなかったし」
「意識はありましたが?」
「他全部がなかったよ」
具体的には理性とか常識とか。
ベットから絶対に出ず、布団に絡まったまま、かたくなに動かないで最終的に動物みたいにうめき声と威嚇を繰り返した衝撃の事実を忘れるほど、まだ時間は経っていない。
「二つ目に、夕飯の時間だがな」
「それには文句ないでしょう。世間で言う『夕飯時』から、今はだいぶかけ離れた時間ですから」
「ああ、確かにそうだ。世間様の時間だと今は食事時ではない」
「そうでしょうそうでしょう」
「こんな時間に食事するのはあまり健康的でないし進められることじゃない。お前が言ってることも分からなくはない」
「そうでしょう。ほら見たことか」
「だがな」
俺は言った。
「これは――お前が言い出して始まったことだ秋葉」
「……はて」
「『夕飯が早すぎると夜中2時頃にとってもお腹がすくのでお夕飯は八時以降にしてください』とかふざけたお前のお願いを聞いた結果、我が家の夕飯時は世間様と時差を起こしてるんだって言ってんだよ」
おかげさまで我が家の夕飯はいつもこの時間。
何なら八時を過ぎて九時に差し掛かる時だって少なくない。
「そうでした」
「仕事があるとか何とかと。いつだったか詭弁を俺に並べてお前が勝手に決めたルールだ」
「いつも感謝しています」
「ほんとだよ」
俺の体重の一割分の重さは間違いなくこのせいだろう。
まあさすがに十年もいっしょなので、体も心も慣れたが。
「そして、最後だ」
「まだあるんですか」
「社会不適合者な秋葉に文句言うのにはちょうどいい機会だからな、これを機会に説教してやる」
「……余計な墓穴を掘りました」
「で、最後」
「はいはい、もう全部聞きますよ。なんですか?」
「なんでお前昼飯残食べてないの?」
説教モードに入った俺を煙たがるように返事をした秋葉へ、俺は見せた。
朝、俺の分と一緒に作った秋葉の分の弁当。
内容は昨日の残りではあるが、普段偏りがちな栄養を取る秋葉のことを考えて作った自信作である。
その弁当が全くと言っていいほど手が付けられてないまま、なぜか蓋が開いた状態でキッチンにあった。
「ああ、それですか」
「腹減ったんならこれ食べろよ。もったいないな」
「……ふっ」
「あ、今お前ナチュナルに鼻で笑ったな」
「あれですね。先輩は、相変わらず馬鹿なんですね」
「さすがの俺でも馬鹿さではお前に負けると思ってる」
「あのですね、いいですか? よく聞いてください」
もったいぶるように秋葉はPCを置いて、俺を見る。
その真剣な表情はとてもまっすぐに俺の瞳を見ていた。
乱れた髪や服装を除けば、俺が知り合った女性の中で断トツな美人である秋葉。
しかし、その髪と服の乱れ具合のせいでその魅力を半減以上に半減させているので、だから別段見られても何も感じなかった。
「――私が一人でご飯を食べられると、本気で思ってるんですか?」
「思ってない」
「でしょう」
「だが、何事も練習だ。腹が減って限界だったんなら少しは努力をしようとは思わないのかお前」
「無理ですね」
「即答かよ」
「付き合いが長いくせに先輩は私のことを何一つ理解できてません」
「ほんと不思議だよね。付き合いが長くなればなるほど、俺はお前のことが分からなくなってくるんだから」
ほんと、まじで、何なのだろうこの生物。
人の形をしている分、ペットとして扱うこともできないので、よりややこしい。
宇宙人のほうがまだ理解可能だろう。
「あのですね先輩」
「なんなんだ後輩」
「私だって、当たり前に努力はしたんです」
「……ほう」
努力。秋葉が努力。
なんだろう、変なことわざのように違和感がある二つの言葉に変な感覚を覚える。
「あれは――今日。私が起床したタイミング、朝13時のことです」
「すがすがしいほど昼だな」
「一階に降りて一番に私の目に入ったのは先輩が作ってくれた弁当です」
「机の上に置いて出たからな」
「とてもおいしそうでした」
「そりゃどうも」
「せっかく家にいるのだからと思い、私はその弁当を電子レンジの中に入れました」
「家ならではだな。うらやましいことで」
「しかしです。ここで問題が発生します」
「ほう」
「私は電子レンジの使い方を知りません」
「……ボタンを押すだけなのに?」
「どのボタンを押せばいいのかわかりません」
「そっか」
「なので、はい。少しの悪戦苦闘の結果、私はこれは断念しました」
「ふむ。……ん、少し? 今お前、少しの悪戦苦闘って言ったか?」
「はい、言いました。それが?」
「じゃあ質問いいか?」
「ええ、どうぞ」
「その少しの悪戦苦闘とやらの結果、なのか知らないけど」
「はい」
「どうして――我が家の電子レンジは地面に転がっているのだろうか」
「……あれですね。今日の地震はだいぶ大きかったみたいですね」
「不思議だな、俺は今日一日何も揺れを感じなかったよ」
「局所的だったのかもしれません」
「無理がある」
「直下型地震ですね」
「直下過ぎんだろ」
こんな家の電子レンジを限定的に落とすようなせこい地震、絶妙に嫌だ。
落ちた電子レンジが問題なく動くことを確認しつつ、元の位置に戻す。
秋葉は続けた。
「温かいご飯を食べることをあきらめた私は、次にそのお弁当を開けました」
「いよいよ食事だな」
「内容は、先輩の料理ということもあって、とてもおいしそうでした。栄養バランスも考えられていながら、私の好物もしっかりと抑えている、とても魅力的な代物でした」
「そりゃどうも」
「私はいい子なので、しっかりと『いただきます』と言いました。行儀よく箸を持ち、いざ食事をしようとしました」
「いい子だな」
「その時、私は思い出してしまいました」
「ほう、何をだろう」
「私は箸が使えないのです」
「そうだったね」
また忘れてたよ。俺としたことが。
「いつも先輩に食べさせてもらっているので、気づくのが遅れてしまいました」
「最近はもう日常になってるけど、改めて聞かされるとすごいことだよね。俺はお前の介護士か何かかな?」
「まさか、介護士なんてそんな。あはははっ」
「まったく笑えない」
ほんと、笑えない。
というか逆になんでこいつは笑っているのだろう。
感性が死んでるのだろうか。うん、多分そうだ。
「私は、先輩のことを考えて、あえて、箸を持たないようにしているんです」
「……何言ってんのお前?」
「考えてみてください」
秋葉は笑いながら、続ける。
「もしですよ、私が箸を持てるようになったら、一体、どうなると思いますか?」
「俺が楽になる」
「違います」
秋葉は首を横に振る。
「先輩が――私に『あーん』をする権利がなくなってしまうんです」
「だったらその愛は過分に迷惑だから即刻辞めてくれ」
なにそれ、すっごくいらないその権利。
「私に食事を食べさせる権利なんてオークションでも数千円はかかりますよ」
「かかるかい」
「ということで、メルカリに出してみました」
「お前、本当に何してんの?」
「七千円で落札です」
「まじかよ」
「顔写真乗っけましたから」
「ずいぶんと危ないことするね」
「大丈夫ですよ」
「何が?」
「使ったのは先輩の写真です」
「お前本当に何してくれてんの!?」
うわ、本当に出品されている。
それも何だこの購入者、出品された瞬間に秒で購入してやがる。
背筋に通る悪寒を感じながら、その出品を取り消し、スマホを遠くに置く。
秋葉は何も悪びれもせず、話を続ける。
「話を戻します。先輩の作っていただいたお弁当を食べるため。私はいつも使用しているスプーンを探しました」
「まあ、さすがにスプーンは使えるもんな」
「はい。それでも半分は地面にこぼしちゃいますけど」
「うん。あれほんと何でだろうね。俺もずっと不思議なんだ」
「しかし、ここで問題発生です」
「連続するなぁ」
「スプーンがどこにあるか、私は知らないのです」
「そういえば、まあそうなるよね」
「くまなく探してみましたが、残念ながら、私の探査能力では発見には至りませんでした」
「そっか、うん。じゃあ、ここで俺から秋葉に質問」
「何ですか」
「その探索なのか調査なのかの結果が、つまりその……まるで泥棒に入られた後のようなこのキッチンの惨状だと俺は考えていいの?」
「……。いえ、それをやったのは私ではありません」
「じゃあ誰だ」
「そういえば、先輩」
「なんですか、後輩」
「今日はずいぶんと激しかったみたいですね」
「なにが?」
「台風」
「今日、俺ピクニックに行ってたから知ってるけど、めっちゃ快晴だったぞ」
「局所型だったのかもしれません」
「局所型の台風ってなんやねん」
「台風の被害としては最小限といえるでしょう。幸運です、ラッキーですね先輩」
「さっき一緒に局所型地震も発生したらしいけどね、このキッチン」
なんだその二段階の災害。
この世の終わりみたいな構図だ。
「むしろ被害がキッチンでとどまってよかったじゃないですか。これがリビングや廊下にまで言っていたら大変なことになってましたよ?」
「正当化の方法が雑すぎる」
お前は与党か。
ちゃんと説明責任を果たせ。
「とにかくです。箸も使えない、スプーンも使えないわけで……この状況だと、私は素手で食事する以外方法がありません」
「そんなことは絶対にないと思うけど、ひとまずここは頷いてあげるよ。……で?」
「素手での食事。うら若き乙女としてそれはいかがなものでしょう」
「あなたに乙女としての自覚がまだ残っていたことだけで、俺はとても満足です」
「ここで私は一つ思いつきました」
「いやな予感がするなぁ」
「箸が使えないというならば、スプーンを使わないと食事ができないというなら――じゃあ、道具を使わなくても食べられるものを、食べればいいのではないか、と」
「当たったよ嫌な予感」
「残念ながら先輩の作ったお弁当には素手で食べれるものは何もありませんでいたので私は、まず冷蔵庫を開けました」
「なるほど」
「そこには、トマトやジャガイモ、ニンジンに玉ねぎ。半分ほど使ったと鳥もお肉やお魚などなど、先輩が先日使ったと思われる食材たちがあります」
「あるだろうな。今朝使ったわけだし」
「なので――私はその中の一つを手に取って食べてみることにしました」
「ほほう、なるほど、道理的だ。………………え、どれを?」
「残念ながらとても食べられたものではなかったですが、私は偉いですからね、途中で残すようなことはせず全部食べ切りました。えへん」
「ねえ、どれ? どれ食べちゃったの? お前何食べたの?」
「安心してください。もとはすべて食べ物ですし、生で食べたとしても別段体に害はないでしょう」
「馬鹿言え、どんな理論だそれ。お前は知らないかもしれないけど、世の中には生で食べちゃいけない食べ物とか毒のある食べ物とか色々あるんだよ。肉とか、ジャガイモとか」
「……え、ジャガイモって毒あるんですか?」
「ソラニンっていうのがあってな。芽の部分に毒があるんだよ、ジャガイモは」
「………………」
「……………」
沈黙数秒。
気まずそうに眼をそらした秋葉は若干の冷や汗を浮かべつつ、目の焦点を俺から外にずらしていく。
めったに変わらないその表情に、若干の苦笑いが浮かんだ。
「へえ、ふーん……そうなんですね。知りませんでした」
「食ったな?」
「何をでしょう」
「ジャガイモ。生で。芽まで残さず」
「……ははは。まさかまさか。そんなわけないじゃないですか」
「顔色死んでるぞ」
「失礼ですね。もともとですよ」
「確かにお前は色白だが、今はどちらかというと青白い感じだ。特に顔が」
「『顔』が『白い』と書いて『面白い』なのに、『顔』が『青白い』となると途端に『病気がち』みたいになるのって日本語ってやっぱり変わってますよね」
「いきなり話のそらし方が下手になったな。いや、もともと下手だったけど」
「話は変わりますが……ちょっとトイレに行ってきますね」
「行ってらっしゃい」
――その後。
しばらくトイレから出てこなくなった秋葉を待つ時間、俺はねぎらいの意味とわずかな謝罪を込めて、彼女の好物であるカレーを作ってあげた。
……もちろん、ジャガイモは抜いて作った。
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