白川夏希は未来人であるか

「ノートのお礼にキスの一つでもあげましょうか?」


「遠慮しておく」


「いいの? これを逃すとあなたに女性とキスをする機会はきっと一生涯訪れないけれど」


「なんでそれをお前が知ってるんだよ」

 一生て。

 縁起でもない。

 なんて恐ろしいことを言いやがる。

 

 そんな不満を述べると夏希は、神妙な顔になって立ち止まる。


「そういえば……あんたにはいってなかったわね」


「……なんだよ」

 

 変な雰囲気に思わず身構える。

 空気が、少し変わった。


「実は」


「……ごくっ」


「私」


「……なんだよ」


「昨日」


「……なんなんだよ」


「未来から、やって来たの」


「…………」


「…………」

 

 沈黙数秒。


「へえそりゃすごい」


 僕は先に進むことにした。

 馬鹿らしい。なんだこいつ。


「信じてないわね」


「……じゃあ、少し付き合ってやるよ。そんな未来から来た夏希さんが、一体何年後からの来たんですか?」


「二日後ね」


「いやちっさ。規模ちっさ。もうちょっと派手にタイムリープしろよ」


「これで十分だったのよ」


「ちなみに渡航目的は?」


「宿題をやり忘れたのよ」


「……結果、俺に頼ってんじゃねえか」


「おかげで、存分にYouTubeを楽しめたし」


「二日前である必然性が皆無な件」


「いやぁ、やっぱりこの時代の娯楽は最高ね」


「多分、二日後の未来とそんな変わりない世界だと思いますよ」


「ちなみに」


 区切るように夏希は、指を立てる。


「あんたが、一生キスができないのは本当」

 

 真面目な顔。

 いや、こいつがまじめな顔をしているときは大概ふざけているのが相場なのだが……。


「一生だと?」


「ええ、一生」


「今後ずっと、俺にそういう相手ができないと?」


「ええ」


「それがなんで分かる。お前、未来知ってても二日後までだろ」


「ええ、嘘は言ってないわ。私は明後日の未来から来ただけよ」


「……?」

 

 何を言っているのかわからない。

 なので、数秒考えこむように立ち止まる。


 二日後から来た未来人。

 俺が一生キスできない。

 二日目以降もキスできない。


 ……。

 …………。


「……それって」


「はい」


「もしかして」


「はい」


「もしかしなくても」


「はい」


「俺、明日死んでませんか?」


「おおっ、よく気付いたわね」


「気づいたわねじゃねえよ」

 朝から縁起悪いこと言いやがって。


「だから、あんたはここで私とキスをしなければ一生キスもできないし、そして、そのまま一生童貞ね」


「童貞は関係ないだろ」

 まあ、キスできないなら、きっと童貞ではあるだろうが。


 馬鹿らしい。

 俺は隣の似非未来人を放置する決断をして、歩みを進める。


「しかしそんな危機的状況なあなたに朗報です」


「朗報ね」


「私と今、ここでキスをすると未来が変わるわ」


「なんと」


「世界線が動くのよ」


「お前が今何の作品にはまっているのか、ようやく見当がついた」


「エロゲで言う選択股。フラグが立つか経たないかの重要局面ね」


「いや、エロゲて。また女子がそういうことを簡単に言うかね……」


「やめて。偏見はやめて。エロゲ―という名前で引いてしまうのも分かるけど、でも実際にエロいシーンは少ないの、知ってる?」


「知らない」

 何なら、これから知る予定もない。

 というかなんで通学路で幼馴染とエロゲの話しなきゃいけないんだ。


「あくまでもストーリーがメインで、エッチなシーンはほんのおまけ、ついでにくっついているだけの存在なの」


「ふーん」


「この国のふざけたルールがそれを18禁エロゲなんて分類にしちゃってるわけで。だからあなたがしたような誤解が生まれるわけ」


「あ、そう」


「FateもClanadもAirだってエロゲなのよ。『冴えカノ』の丸戸さんだって『君の名は』の新海さんだって、元はエロゲクリエイターなんだから。全部全部、涙で溺れるぐらい、良いシナリオなの」


「そうなんだ」


「……ねえ」


「なに」


「ちょっと興味なさすぎない?」


「察して今すぐ黙ってほしい」

 できれば、そのまま消えてほしい。


 しかし、世の中のお宅が総じて気持ち悪い理由の通り、語りだすと止まらなくなるのは世の常で。

 夏希は話を続けた。

 おすすめのサークル。会社。ゲーム。ヒロインの名前。

 止まることなく続いた言葉は、そろそろ学校も近づいてきたころ合いのところでようやく止まる。


「――というわけよ。ま、私、この世界を覚えたのは最近なんだけどね」


「嘘こけ」


「本当よ。つい一年前」


「俺たちの年齢でそれは最近とは言わない」


「とにかく、エロゲはいいわよ夏希。宿題のお礼で、今度いいのを貸してあげるわ」


「相変わらず人の話を聞きませんね夏希さん」


「ゆずソフトが個人的にはおすすめね。今度貸してあげるわ」


「いいよ。いらない。家に秋葉もいるし。見つかったらいろいろとめんどくさいし」


「そうだったわね。それは残念」


「……まあ、その、エロゲ談義は横に置いておいてだ」


「勝手に置かないで」


「俺、詳しく知らないんだけど。そういう作品って高校生がやってはいけない作品じゃねぇの?」

 

 さっきしれっと18禁だとか何とかと主張をしていたことを引き合いに俺は尋ねる。


 まあ、普通の指摘で、つまり普通の質問で。

 だから、俺としては当たり前の疑問だったのだが……思いのほか、夏希には響いたらしい。


 先とは違い、気まずそうに眼をそらしつつ、真顔のまま若干の冷や汗を浮かべている。


「……七海」


「どったの夏希」


「いえ……七海さん」


「はい」


「少し……その、お願いがあるのだけれど」


「なんですか」


「私、今全力で話を変えたいのだけれど、構わないかしら?」


「いくら何でも追い込まれるの早すぎじゃない?」


「だって、もう……私どうしようもないもの」


「俺が言うのも変だけど、もうちょっと足掻く余地あったと思う」


「無理、もう無理よ。言い逃れはできないわ」


「そんなことは絶対ないと思うけど」

 世の男子学生のいかほどがプライベートプラウザの世話になっているのか。

 こいつは知らないのだろうか。

 まあ、知らないか。女子だし。


「ということで七海。私、今すぐ話をそらさないとどうしようもないのよ」


「そんなことは絶対にないけどね」


「だから、七海。私、今から全力で話をそらすわ」


「はぁ、まあそうですか」


「なので七海。私、この話、このまま続けると私にとってとても不利な展開になることが目に見えているので、だから話を全力で戻すわね」


「そこまで話せとはだれも言ってない」


「事情をしっかりと説明すれば、了承してくれると思って」


「そんな羞恥プレイみたいなことも求めてない」


 国会とかもう少し見れば、少しは言い逃れのすべが学べるのではないかと思うけど。

 ラップにアニメに映画に、と、何事にもはまりやすい夏希が、政治なんかに興味を出すとろくなことにならないのは火を見るよりも明らかで。

 だから俺は言わなかった。


「……夏希はもうちょっと考えてからしゃべるべきだと俺は思う」


「苦手なのよ」


「動物じゃないんだから。五分は考えてから話そう」


「別にいいけど……それだと会話が五分おきになるわよ」


「考えながら話すことはできないのか」


「国際電話みたいになるわね」


「五分もラグがかかるか」

 現代テクノロジーなめんな。

 ……いや、国際電話なんて使ったことないけど。


 そんな幼馴染との登校も終盤。

 ところどころ同じ制服を着た生徒も見受けられる。


 同じクラスで隣の席とはいえ、話せる時間はもうあまりない。


「で、話を戻そうと思うのだけれど」


「結局戻すのか」


「宿題のお礼のキスの話に、話を戻すけど」


「そして、よりによってそこか」


「別に、私はあなたとキスがしたいからこんな提案をしているわけじゃないんだからね」


「……はあ」


「ここで私という美少女とキスをすることで七海の未来が少しでも良くなると思っての提案なんだから」


「そうですか」


「いわばこれは社会奉仕、ボランティアで会って、そこに私の感情や意思は全くないといっていいわけよ」


「じゃあ……はい。キス、いりません。その奉仕活動は別のだれかにお願いします。俺は大丈夫です」


「なるほどなるほど。私ごときメンヘラ処女とのキス、あなたのようなプレイボーイには不要だというのね」


「誤解と悪意しかない発言をどうしてお前はそんなに躊躇なくばらまくかね」

 絶対にクラスで言うなよそれ。


 あと、なに、メンヘラ処女って。

 なんだその単語、聞いたことない。


「ねえ、ちなみにどう? 主人公として、今のツンデレ。セリフ。結構決まっていたと思うのだけれど」


「いい加減俺にその手のことを聞くのはやめたほうがいい思うぞ」


「七海に聞かないでいったい誰に聞くのよ」


「……他のクラスメートとか?」


「あ、無理ね」


「俺もそう思う。ごめん」


「死ぬわ」


「うん、そこまでは思ってなかった」


「恥ずかしさでまず死ぬし」


「うん」


「次に、恥ずかしさで死ぬ」


「なるほど」


「それに加えて羞恥心がすごいし、生き恥だと思うし、穴があったら入りたいって思うから死ぬわね」


「すげえ類義語の羅列するじゃん」


「とにかく。恥ずかしいから他の人にやるのは却下、無理ね」


「無理ですか」


「無理」

 

 取り付く島もなく拒否。

 夏希は首を横に振る。


「そもそも私、男の子苦手だもの。それをさらにツンデレるなんて無理に決まってるわ」


「まあそうかもだけど」


「頭おかしいって思われるじゃない」


「お前、今俺に頭おかしいって思われてること忘れるなよ?」


「ともかくツンデレラはダメ、学校では禁止」


「ツンデレラ……。まあ、そうだったな」

 

 夏希は基本社交的な人間で友達も多く、交友関係も広いが、しかし、ほかの男子とは明らかに一線を引いている。

 かくいう俺もこうした登校時間を除けば、彼女と学内で話す時間などほとんどないぐらいだ。


「最近は女の子のほうが好きなんじゃないか、なんて噂が立っているそうだけれど、それでも別にいいわ。それで男の子が話しかけ辛くなるっていうなら儲けものだし」


「夏希がそれでいいなら、それでいいんじゃない?」


 まあ。

 俺の周囲の男子からすれば、むしろ逆で。

 男の子よりも女の子のほうが好きといえば、それがより興奮の対象として見てくるような変態も少なくない――ということはさすがに言わないであげた。

 

「だから、私にとって、気兼ねなくいろんな話ができるあなたの存在は、私にとってとても貴重なわけよ」

 あんたはそれを自覚してるわけ? 


 俺の顔を覗き込むようにじっと見つめてくる夏希。

 セミロングに揺れるその髪とサイドテールは、非常に魅力的に風に揺れている。

 

 僕を見つめるその瞳を見つめ返しつつ、俺は「もちろん」とまっすぐに返事を返した。


 そんな俺に対して満足そうにうなずいて見せる自称ツンデレヒロインである。


「うん、いい返事ね。さすが私の主人公」


「……主人公、ね」


「まあ仕方ないから鈍感主人公らしく、優柔不断なあなたに免じてキスの返事は明日の登校時間まで待ってあげる。考えておいてね」


「へいへい」


 流すようにそういうと、夏希は前に俺より数歩前に行く。

 学校も近いので、前を歩くクラスメートと合流するのだろう。

 俺は軽く手を上げ、その背中を送り出そうと―― 


「……あ」


 そして思い出した。

 いうこと、言わなければならないことを、直前に思い出した。

  

「ん、どうしたの七海?」


「忘れてた」


「忘れ物?」


「いや、そうじゃなくて」


「私待たないわよ。もう結構学校側に来ちゃったし、遅刻しちゃうし」


「いや、忘れ物じゃなくて……って、いや、そこは待ってくれよ。宿題貸したわけだし。夏希、明日も借りる気なんだし。……って違う、だからそうじゃなくて、忘れ物じゃなくてさ」

 ああ、そうだ。忘れてた。

 いつも通りの登校ですっかりさっぱり忘れてた。

 言い忘れてた。


「何よ」


「あのさ――」

 何てことないように、当たり前のこと、昨日会ったたわいもないことを伝えるように

 そして、俺は言った。

 

「俺、彼女できた」

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