第一章
白川夏希は登校中にラップを披露してくれるようです。
俺には幼馴染がいる。
隣の家に住み
小学一年生からの付き合いで
決して短くない時を過ごした――
そんな悪友のような幼馴染がいる。
「よっす」
玄関前。いつもの場所。板垣の付近。
挨拶代わりに軽く手を挙げた彼女は、だいたい俺より先にいる。
どうやら今日はサイドテールらしい。
「今日も眠そうだな、夏希」
「そういうあんたは相変わらず元気そうね」
「また夜更かしでもしたのか?」
「朝は苦手なのよ」
知ってるでしょ? と、笑う。
大人びた彼女はいつからか昔と違ってこんな自嘲気味に笑うようになった。
「私、夜行性なの」
「自堕落なだけだろ」
「堕天使だなんて照れるわね」
「言ってろ」
そんなやり取りをしながら学校に向かう。
もう一年も同じようなやり取りを繰り返しているわけで、掛け合いも早くラグが少ない。
「だいたい今日は月曜日じゃない。当たり前に眠いわけね」
「明日が平日なんだから、むしろその前日は早く寝ろよ」
「馬鹿、逆よ。日曜日だからこそ夜更かしするんでしょ」
指を立て、偉そうに語る。
そして、夏希は言葉を並べた。
「だらだらごろごろ、気付けば夜の十一時
明日は当然学校で。宿題課題はやってない。
最初の一限、いきなり数学。あったりまえに時間はない。
一時一刻、猶予もない中、感じるあふれる焦燥感。
募る思いと裏腹に、YouTubeは見せてくる。『あなたのおすすめ』見せてくる。
毎度毎回私にしっかりパーソナライズ。あともう一回ワンモアタイム。
止まらぬ視聴。終わらぬ延長。ますますあふれる私の緊張。
もう十五分、あと数十分、頼むよほんの五分だけ
そんな長引くロスタイム、気分はドラッグ吸ってる気分。
どんどこ増えてくよ危機感、悪寒。どん底気分で一番あかん。
前に進まぬ課題で他界、つまらん私はいよいよやばい。
高揚感と罪悪感、肌身離さず感じつつ
過ぎてく時間、無くなる時間、どんどん減ってく睡眠時間。
最終的には『朝やりゃいっか』と自問自答
自分を過信し自分に期待し、起床し自嘲し絶望し
眠い目こすって食べて用意し、ここに到着したってわけだし」
「……なんか途中からラップが始まったんだが」
「どう? 私のパンチライン」
「シンプルにださい」
こんなやり取りを繰り返して数年。
相変わらず熱しやすい馬鹿である。
ただ、無駄に顔が整っているせいで痛さというか、そういうものが感じられないのが腹立つ。
「パンチラインって言葉を日常会話の中で使うやつ初めて見た」
「べ、別に昨日見ていた動画がフリースタイルだったわけじゃないんだからね」
「聞いてないんだが」
「早速影響されて、長々とラップを自作して、玄関前でずっと練習してて、あんたが来た瞬間にタイミング見て絶対披露してやろうなんて――そんなこと別に思ってないんだから」
「だから何も聞いてないって」
「ところで話変わるけど」
「なんだよ」
「あんた、R指定って知ってる?」
「お前、さては隠す気ないな?」
どうやら、ずいぶんベタなところからはまったらしい。
「最高よねあの人。特にあのリリックがたまんないわ」
「俺の前で二度とラップ用語使うな」
しばらく続きそうな夏希のマイブームに巻き込まれまいと、そんな風に予め釘を打っておいた。
流石にこうも言葉を連続されるとうるさい。
「……で、本題はなんだ」
俺はため息を一つ挟む。
まさかこんな無駄話、目的もなしに繰り返すわけもない。
遠回しのおねだり。
本題前の前振り。
夏希の、昔からの習性。
最初から分かっていたので、だから俺は聞いた。
「宿題写させてください。お願いします」
恥も外見もなくしっかりと頭を下げてくるあたり、おふざけでもなんでもないらしい。
ただ単に宿題をやっておらず、ただ単にお願いは本気のようだ。
俺はため息交じりに半眼で彼女をにらむ。
「……これで三日連続なんだが」
「五日連続にはならないよう努力します」
「せめて明日は頑張ろうぜ」
何をしれっと明日の保険をかけてるんだこいつ。
「ったく」
俺は渋々とノートを取り出し、夏希に渡す。
それをまるで賞状か何かのように夏希は恭しく受け取った。
まだ近所だから、ほかの生徒の誰もいない道とはいえ、幼馴染の、それも女子に朝っぱらからこうも頭を下げられると俺も弱い。
それも、商店街のじじい共から圧倒的支持を受けてる下町のアイドル『夏希ちゃん』が相手ともなると状況は圧倒的不利である。
さらにこいつは、それをわかってやっているきらいすらあるわけで。
証拠に夏希が宿題をせがむのはいつも決まってこの登校中だ。
その事実に気づいてから、よりむかついた。
「いつもありがとう、助かるわ七海」
「……まじで明日は自分でやれよ」
「いつもありがとう、助かるわ七海」
「いやだから……」
「いつもありがとう、助かるわ七海」
「…………」
これ以上、押しても無駄な気しかしない。
なので、俺は黙って歩を進めた。
少し笑みを浮かべ、夏希はノートを鞄にしまう。
「ほんと、あんたが幼馴染でよかったわ。これからもよろしくね」
「…………」
そして、不覚にも。
そんな白川夏希の笑顔をかわいいと思ってしまった俺は、きっと、明日も彼女にノートを渡してしまうのだろう。
そんな予感を思いながら、俺は足を学校に向けた。
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