君と居る景色

笹霧

君と居る景色

 私達3人は中学の2年に初めて出会った。教室窓側の列の最後列に席が3つ並んでいて、そこを窓側に私、廊下側に明里あかり、間にエミを挟んで座っていた。


「エミリーは可愛いもん。もっとお洒落しゃれしないと」


「ソ、そんなこと言われても。アカリじゃないし」


 登校してからずっと聞こえてくる2人の話や笑い声がうるさく思える。

 その頃の私は話しかけられないよう窓の外ばかり見つめていて――今ではクラスメイトと話すことも普通にあるが――誰とも会話したくないという空気を作っていた。

 体を窓側に一層傾けた所でよくしゃべる女子から話しかけられる。


「えっと、冨永とみながさんだったよね」


「なに」


 気が付くと私は少し高圧的な物言いをしていた。それに気付いていないのか、明里という煩い女子は先程までしていた話の続きを喋り始める。


「今、エミリーにどんな服が似合うか考えていてね、それで――――」


「……なんなの」


 突然話を振って勝手に喋り続ける明里にしかめっ面を作っていると、手前に座るエミリーと呼ばれていた赤髪の女の子と目が合う。エミリーが申し訳なさそうにごめんと口を動かした。私はため息をついて仕方なく明里の話に耳を傾ける。

 それが始まり。




 夏休みが終わって数日が経つ。放課後の教室に残って宿題を終わらせた莉心りこは今は部室へと向かっていた。

 日差しが温かい。秋だけど気温や日差しはまだまだ夏。今頃外で写真を撮っている2人は大変かも。


「2人の方へ行けば良かったかな」


 写真部と書かれたプレートのある教室のドア。それを開けるとドアの隙間から廊下に冷たい空気が流れてくる。中では大人の女性がパイプ椅子に腰掛けながら何かを食べていた。机の上には水筒と鈴カステラの袋が置いてある。


「冨永さん、遅かったわね」


「うん、課題に手間取って」


 バッグをドアの横に置いて部室の奥に行く。ノートパソコンが置かれた長机のパイプ椅子に私は座った。ノートパソコンに電源を入れてUSBを差し込む。


「先生、2人は」


 顧問の谷柿先生が窓の外を指差した。やはり2人はまだ外に居るらしい。パソコンを見るとパスワードの記入が提示されていた。パスワードを打ち込むとまた少し待たされる。


「冨永さん、楽しい?」


「主語がない」


 先生が何を言っているのかは分かる。この写真部は私達3人が集まるために引き継いだ。私達が今部の存続の為に注力している文化祭の出し物。それらを勧めてくれたのが目の前に居る谷柿典子たにがき のりこ先生。


「まだ心配されてるの」


「心配してるわよ。あの子も、私も」


「私が心配なのは先生の婚期ですけど」


「うぐっ」


 谷柿先生はむせたのか慌てて水筒を手に取った。

 あの子というのは中学で私たち3人の担任だった戸木とき先生だ。2人は知り合いらしく、だから入学式から谷柿先生には目を付けられていた。

 なんとなく思い付きを口にする。


「先生は戸木先生はダメ?」


「……戸木くんとは長いこと友達だったから難しいわね。でも異性として見れないわけじゃないわよ」


「あの。すいません、先生。そうですね」


「冨永さん?」


 パソコンに目を向ける。画面はもう切り替わっていた。差し込んだUSBのファイルを開いて明里が撮った写真を眺める。部を結成した時に3人で買ったUSBにはもう1000枚も写真が入っていた。

 昨日から増えている写真は8。明里、少し調子を取り戻してきたかな。


「莉心!」


「こんな涼しい所に居るなんて、ズルいです!」


 明里とエミが部室に戻ってきていた。2人の足元にはいつも撮影で使う荷物が置かれている。日除けの傘にカメラに取り付ける三脚、デジカメの部品が色々と入った大きめの箱とか折り畳み椅子等だ。明里はカメラを2つ程首から下げていてかなり重たく見える。


「明里、エミ、私は今来たばかりだよ。部屋ですずんでたのはあっち」


 莉心が先客を見ると口一杯にお菓子を頬張っていた。


「先生、口周りに粉砂糖がたくさん付いてます。これをどうぞ」


 エミが先生にハンカチを渡す。先生はそれを受け取ると広げて口元をぬぐい、拭った面を畳んでエミに返した。ハンカチを受け取ったエミの目はお菓子の袋に釘付けになっている。


「鈴カステラ、食べる?」


「良いんですかっ」


 微笑む先生の提案にエミが飛びついた。




 莉心は課題を提出すると、いつも放課後に残って話す3人組が居る自身の教室へ向かっていた。莉心達の教室は吹奏楽部の一部が使うため、5時になろうかというこの時間にはもう彼ら以外は居なかった。

 職員室から戻ってきた私に臼井うすい君が気が付く。


「冨永さん、残ってたんだ。どうしたの」


「課題と部活でね。康村を借りる。大西おおにし君も良い?」


「ああ、行ってきな。俺らは帰ってるよ」


 足元で騒ぐ康村を気にせず部室に向かった。どうして男子をひきずっているのか。思わず俯いてしまう。

 昨日のあれは駄々。でもあれはエミが言い出したことだし――。




「私も何かしたいです……」


 エミが机を指でなぞりながらそんなことを言った。

 確かに私や明里と違ってこれといったことはしてない。けど、何もしてないなんて思ってるわけがない。

 明里と目が合った。


「じゃあフェレルさん。モデルをやれば良いんじゃない?」


 新しくビスケットの袋も開けながら谷柿先生が提案する。明里がエミの肩を抱いて先生から距離を置いた。


「モデル? この顧問……」


「えっと、写真のですか、先生?」


「うん。かわいいし、男の子とのカップリング写真なんてどうかしら」


「ワタシがですかっ!?」


 驚いたエミが鈴カステラを落としそうになって慌てて空中で掴んでいる。


「何かしたいって言ってたから、この写真部の専属モデルとかどうかなって先生は思ったんだけど」


「エミリー、この顧問の言うことだから、嫌だったら嫌って言って良いよ」


「ねえ」


「エミは良い被写体になりそう。だけど、私も明里と同じに思う」


「ちょっと、酷くない?」


「でも、私に出来ることがあるなら私はしたいよ」


 ビスケットで挟んだ鈴カステラが先生の口に入った。

 私も真似してみる。喉が詰まりそう。


「ま、エミリーがそう言うなら良いけど」


「ん」


 まだビスケットと鈴カステラがのみ込めない。私も、とサムズアップする。


「エミリーがモデルになるのは良いとして……男の子は大丈夫? 無理?」


「アー……」


 そういえばエミが男子と話している所、見たことなかった。


「エミは苦手だったっけ、男」


「うん。昔から女の子だけだと平気なんだけど、男の子が1人増えるだけでもう……うぅ」


「フェレルさんにもここまで苦手なものがあるのねぇ」


「エミは写真撮られるのは平気みたいだけど、何で?」


「別に嫌いじゃないから、かな」


「そう。じゃあ私が安全な男を紹介するから挑戦してみない?」


「莉心?」


 明里の不思議そうな視線は分かる。普段の私はこんな事言わない。


「私はこの3人で文化祭までにもう少し何かしたい」


 けど、高校生になって、初めての部活だから。時間があるのは今の内だから。


「だから、頑張らない? 明里もエミも」


「莉心……エミリーは良い?」


「うん。私もしたいって思ってたから」


「良いわね、青春だわ……! あとは恋があれば――――」


 上がっていた先生の拳が力なく膝に落ちた。3人からじっと見られて固まった先生は1つ咳払いをする。


「わ、分かってるわ。茶化さないから安心して」


「怪しい」


「ほんと?」


「不安です」


「フェレルさんまでっ!?」




 康村を写真部の部室に放り投げる。突然の男の登場に、途端にエミが顔を青く、そして赤くさせた。


「ほら、これ」


「これ扱いかよ……」


「アノ、リコ? この人は」


「前に言った安全な男」


 数少ない私が友達と呼べる人の1人。康村彰人やすむら あきとは制服に付いたほこりを払って立ち上がった。この男は私より少し大きいため見上げる形になる。


「莉心、引きずってたよね」


「これで喜ぶから」


「エッ」


 心配している明里に冗談で返すとエミが驚いたような声をだした。


「いや、待って皆さん。違う違う」


「……っ」


 康村が不用意にエミに近付いていく。すると彼女は走って部室を逃げ出した。


「富永サン?」


「行っちゃった」


「おいぃぃ」


「あれ、君は……康村君じゃない。どうしたの?」 


 恐らくお菓子が入っているであろうふくれたバッグを持って谷柿先生が写真部の部室に現れる。


「今フェレルさんが凄い勢いで走って行ったけど……まさか康村君」


「先生! 違いますよ、違いますからね!?」


 悪い顔をしている先生に康村は弁明するよう近付いた。彼で遮られていた明里の表情が見える。いつか見たような寂しさを連れた暗い顔だ。


「明里?」


「え……?」


「大丈夫?」


「何でもないよ、莉心。何でもないって」


 谷柿先生と康村の話は続いている。何でもないと言った明里は2人の方を見てぼんやりとしていた。気にはなるがそれ以上は聞かない。


「だってあそこまでダッシュで逃げるんだもん。胸ぐらい触ったんでしょ」


「先生は先生ですよね!? なに楽しそうにしてるんですか! それに、指一本触れてないですからっ」


「じゃあ触れたい?」


「もちろ――なんてこと言うんですか!?」


「変態」


「こうなったのは富永さんのせいなんだけど」


「違う。康村が怖がらせた」


「そうね」


「えぇ……ど、どう謝れば」


「ド・ゲ・ザ」


「……マジ?」


「冗談よ。富永さんもこれくらいでね」


「はい、先生」


 ふと明里を見る。先生や康村も私につられて明里を見た。康村は先生と私が出した苗字と名前に驚いていた。


菊池きくちさん?」


「明里?」


「え……菊池、明里?」


「康村、彰人君?」


 明里から康村の名前が出てきた。まだ誰も名前を口にしていない。


「え、え、もしかして2人は」


「知り合い?」


 知り合いかと聞いたけど莉心は違うと確信していた。ただの知り合いじゃない。明里を見れば一目瞭然だった。


「はい。菊池――さんとは小学校が同じです」


「……」


「久し、ぶり」


「……うん、久しぶり。……康村君は変わったね」



「小学校と高校だから、まぁ変わるよ」


「うん」


 明里はずっと目線を下げていた。気付けば彼女は壁に寄り掛かっている。

 明里、康村から離れようとしてる……?


「……」


「……」


「予感、予感がするわぁ! いたっ」


「静かに」


 先生に思わずチョップをしてしまったが、そんなことはどうでもいい。明里は開いたままのドアに手を掛けた。


「先生、莉心。私はエミリーを探しに行くよ」


「そう。行ってらっしゃい……?」


 決して顔を見せないまま明里は部室を出てドアを閉めた。昔も同じものを感じた。2人と出会ってから仲良くなる前に。


「康村?」


 康村は緊張した面持ちで私を見上げている。


「待った。デリケートなんだ。だから、関係ないのに言えな――」


「違う。関係ある。言って。じゃなきゃ、言うまで付きまとう」


 えりを思いきり掴んでいた。

 私は今、どうしようもない感情をみっともなく康村に向けてる。でも、康村なら分かってくれると思うから。


「そこまで本気に……理由を、聞いても良い?」


 心臓の辺りを両手で強く押さえる。そこが痛くて悲しくて苦しい。

 理由、何よりも友達だから。そして。


「大切だから。……明里があんな顔、してた。言葉じゃ上手く言えないけど、でも、凄く色々な感情で……苦しんでた」


 明里は目を見てくれなかった。誰も見ようとしなかった。もうあんな明里は見たくなかった。

 最初は嫌いだった。エミを挟んで話しかけてくることが嫌だった。父みたいに無理をして笑っているのが嫌いだった。父と同じ様に私の目を見て話さない所が大嫌いだった。でも、今は。


「私は……ずっと! あの2人と、3人で、仲良くしたい……だから、言ってよ! 私は、私は……!」


 私は、私は……友情を信じたいっ! 本物の友情があるって信じたいの!


 言葉は言葉にならず、か細い声と涙だけが出てきた。クローバーの模様が散りばめられた布がまぶたにそっと当てられる。


「富永さん、ハンカチ」


「それ、砂糖まみれ……」


「私のよ。フェレルさんのは返したじゃない」


「あ、そうだった」


「さて、康村君。他言はしないから話してくれる?」


 康村は何も言わないが確かに頷いた。




 中学では別々になったが、私と康村は小学校も塾も同じ所に通っていた。塾で見ていて康村の様子が変だった時期がある。中学に上ってから間もない頃、康村は事ある毎に誰かの為に何かをしていた。今思うと、その様子は小学校を卒業した直後から見ていたような気がする。

 ……その理由が告白を逃げ出した事から来る贖罪だった。部屋を出て行く明里の姿がドアの向こうに消えていく。莉心はその幻影を意識から追いやって康村を見つめる。


「最低」


「……その通りだ」


「分かってるならっ」


「あの時はどうしても、無理だった。昔から酷く緊張すると何も考えられなくなる。こうして、手の震えが止まらなくなる」


「だけど、それで明里は……!」


「富永さん、落ち着いて」


 先生の冷たい手が頬の熱を奪う。そう、私のすべき事は康村を責めることじゃない。


「――あ、ぅ。すいません、先生。ごめん、康村」


「だけど、富永の怒りは正しい。俺は……」


「康村君も深呼吸をするべきよ」


 康村は首を横に振る。


「毎日じゃない。けど、ずっと覚えてた。……あの時は答えが無かった。答えが無いのに、答えを出さなければならない場所に行くのが怖かった。けど、逃げるべきじゃなかった。それは、今は分かってる」


「そう。だから、康村。ちゃんと話しなさい」


「ちゃんと、話す……」


「富永さん」


「卒業式の話はしなくても良いから。天気の話でも、ご飯の話でも何でも良いから。会話をすること。無理でもする」


「ああ、分かった」


「よし、行け」


 康村が振り返らずに駆けていく。相も変わらず足が速いと思った。

 小学校の頃、ずっと勝てなかったライバル。

 莉心はその場に座って大きく息を吐いた。先生の手が背を優しく撫でてくれる。


「大丈夫、富永さん?」


「ちょっと、喋り、過ぎた」


「ふふ、そうね」


「でも、どうしても、向き合って欲しかったから……仕方がないか」


「そうなの?」


「何か嘘をついて過ごしたら割れるから。どんな形でも答えを出さないと、変わってしまうから。……私達は」


 閉じられたばかりのドアが開いて康村と入れ替わる形でエミが戻ってきた。


「リコ、どうかしましたか?」


「フェレルさん、おかえりなさい。菊池さんと康村君の喧嘩をね」


「うん。ちょっと康村に明里の所に行かせた」


「ヤスムラ?」


「さっきの男の子よ。康村彰人君」


「ヤスムラ、アキト」


 エミが反芻はんすうしながらバッグの中に手を伸ばした。


「エミ、康村は悪いやつじゃないから」


「う、うん!」


 少しいつもと違うテンションでエミが返事をする。何か考え事をしているのか、その目は残った荷物にそそがれていた。




 明里と康村が仲直りして、仮ではあるものの部員が1人増えてから数日。莉心はいつも通り課題を片付けて顔を上げると見馴れた赤髪がドアのそばに居ることに気付いた。

 今日は早めに片付いたから教室にはまだ帰っていない人が多く居る。エミが居るドアとは反対側のドアから教室を出て声をかけた。


「エミ、どうしたの? ここに来るって初めてだね」


「リコ!? 驚かさないでよ!」


「ごめん。でもどうかした?」


「え、えっと……」


 エミは目を左右に行ったり来たりさせている。


「リコを迎えに来たけど、私のクラスと雰囲気違うなって思ってたの」


「そう……あ、康村」


「あ、あうう」


 いきなりあわあわしているエミの後ろから康村が来た。エミに気付いた康村は早めに横に移動してから私達のそばに来る。


「フェレルさん。冨永を迎えに?」


「え、エット。それもアリマスケド、その……」


 エミはバッグをがさがさとあさる。ぴたとその動きが止まるが何も出してこない。エミが珍しく男子である康村に話しかけた。


「今日は雨が降りますでしょうか?」


「え?」


「か、傘とか要りますか?」


「いらないと思うけど。な、冨永」


 今日の空は晴れている。何かの暗号だろうか。


「忘れ物を思い出しました。先に行って待っててください!」


「あ……」


「何か、した?」


 康村は必死な様子で首を振っている。

 別に今のは怒るような様子じゃなかったけど。康村は気付かないか。

 康村に先に部室に行かせて自分はエミを追い掛けることにする。




「忘れ物なんてないよ〜」


 心臓がバクバクと脈打つのが止まらない。止まったら駄目ですけど。落ち着きたい。そう、落ち着くだけでいい。彼は私を覚えてないし、普通にしてれば問題はないんです。


「問題はあるよっ。私のこと覚えてないよ、あれ!」


 私はずっと覚えてました。傘もずっと大切にしてました。


「私だってヤ、ヤスムラ……康村君と」


 リコもアカリも知り合いで楽しそうに話して。私もその中に……入りませんよね。覚えられてないですから。


「私はダメなのでしょうか」


「そんなことない。エミ」


 私の横に莉心がひょっこり現れた。バッグは持ってないから康村君に預けたのかな。


「リコ、聞いてたんですね。えっと、その」


「ちゃんと聞くから。あとこれ。バトラーズじゃなくてごめんね」


「チョコレート。えへへ、ありがとうございます」


 広げた両手にお菓子が落とされる。莉心は次々と追加して私の両手に山を作った。




 まだ日本に来て間も無い頃。明里と会う中学校入学の数ヶ月前。私は全くの他人だった康村君から傘を貸してもらった。


「折り畳み傘」


「これを借りていて、返したいんです。ごめんなさいって。本当に長い時間借りていましたから」


「それなら、謝ることない。康村が傘を貸したのは返ってこないのも承知の上だから」


「そ、そうじゃないの」


 莉心は分からず首をひねる。エミリーは自身の髪の毛を眼前に伸ばしていじっていた。


「その時はまだ周りが怖くて。傘を貸してくれようとしたヤスムラ君に来ないでって叫んじゃったの」


 日本語を使うのが嫌になるくらいその時は日本自体が嫌いになっていた。周りからかけられる言葉や視線が怖くて堪らなかった。


「それでもヤスムラ君は私に傘を貸してくれた。ずっと笑顔でいてくれた。暗かった私の道を明るく照らしてくれたんだ」


「そっか」


「私はお礼が言いたいの。康村君がくれたのは傘だけじゃない。あの後ずっと勇気をくれた。私に大丈夫だよ、外は怖くないよって引っ張り出してくれた」


 あの日以来会いたくて、返したくて外出をしていた。私を助けてくれた彼に精一杯のありがとうを言いたい。


「リコ、渡すにはどうしたら良いのか分からないから、私も助けてくれる?」


「うん、もちろん」




 エミがかなり緊張してる。今日、誘うのだろう。

 校門で別れを告げて明里を帰り道とは反対側に引っ張る。


「どういうつもり?」


「明里、こっそり2人の写真を撮るの」


「え」


「ほら、あれ。写真」


「う、うん」


 エミは帰ろうとせず、誰かが来るの校門でソワソワして待っている。莉心はそれを見る明里のことも観察する。


「フェレルさん、帰らないの?」


「あ、康村さん。い……」


「い?」


「一緒に帰りませんか」


「いっ……いいよ。帰ろっか……?」


 2人は無言で横並びに帰り始めた。そのまま見続けていると、2人の目が合ったのだろうか素早く互いに顔を逸らす。

 大丈夫、エミ。頑張れ。ありがとうを言うの。

 祈る気分で見ていると、ついにエミが康村に渡した。受け取る拍子に指が触れてしまって2人は傘を落とす。拾おうとした際に互いの手がより密に触れ合った。2人はバッと同時に手を引く。

 数秒固まった後康村が拾った。仕舞うと顔を背ける。エミは髪に負けないぐらい顔が赤かった。

 明里がカメラから目を離した。


「なにあれ」


「どんな感じ」


「えっと」


 明里からは続きの言葉は出てこなかった。莉心はひっそりと拳を作る。




 部室には既に人が居た。いつもより1時間は早いのに。


「明里」


「莉心、今日は早いね」


「うん。明里が心配だったから」


「莉心は……鋭いね」


 莉心はあの日と同じ凛とした表情と力の籠もった目をしている。私自身が気付かなかった、人の目を見れないこと。それを気付かせてくれた日の表情。


「大切だから。皆が、皆との時間が」


「エミリーはもう完全に好きみたいだね」


 小学校の頃、私は確かに康村が好きだった。私を助けてくれた日から告白を逃げられるその日まで。


「うん」


「昨日、写真見てたらさ……お似合いだなって思ったよ」


 エミリーは同性から見ても凄い美人だ。才色兼備で人柄も良い。康村には釣り合わないと思う程に。


「そうだね」


「応援、するかぁ……康村にはしゃくだけど」


 平々凡々な康村とは釣り合わない。でも、エミリーは好きになった。友達として応援するべきだろう。康村は少なくともクズじゃない。


「明里は?」


 莉心の言葉に心臓が跳ねた。


「え、私? なんで」


「だって」


「昔だよ、昔。何も気にしてないって」


「うそ」


「エミリーには笑顔で幸せなのが似合うからさ。応援、するよ」


「明里っ」


 莉心が包んでくれた。その身体は華奢きゃしゃに見えて力強く温かい。


「私は、エミリーを応援してた」


「なんかしてたんだ」


「うん。頑張った」


「そうなんだ」


「でも、明里も応援したいよ」


「別に良いって」


「いや。明里を見てると何かしたくなる。……私も最近は人の心の機微きびが分かってきたよ。だから、明里には何も出来なかった。けど――」


「ありがとう、莉心。でもさ、本当にお似合いだって思ったんだよ。それに私は、今は……別に……好きじゃ……ないし……」


「やっぱり、平気じゃないよね。嘘を付くのは」


「嘘じゃ――」


「勇気、出ないよね」


「……」


「2度目は怖いよね。私も怖くなると思う」


「……うん」


「酷だなって思う。けど私は、エミにも明里にも何も抱えて欲しくない。それを私は見過ごすことは出来ない」


「莉心はいつもそうだよね。私はそんな莉心だから、あの時友達になりたいって思えたんだ」


「……そう?」


「うん。莉心とはおばあちゃんになっても仲良くしたい。エミリーもね」


「うん」


「勇気、出すかぁ……」


「ファイト」


「ありがとう、莉心」


 背を押されて部室を出る。背中に触れた手は震えていた。




 明里が出ていったドアを閉める。私はそのドアを背にしてもたれ掛かった。ほっと息を吐き出すと思う様に呼吸が出来ない。


「……はぁ」


 エミと明里はもう会ったかな。皆で何を話そう。康村は三角関係をどうするのかな。3人で仲良くするのが今1番の優先事項。だから康村たちとはあまり遊べないかな。

 未来を想像して浮かべた笑みが、止め処なく押し寄せる後悔の波に呑み込まれる。


「明里と居る時も、エミと居る時も大事。――けど、康村より……? ないよ」


 差を付けたくない。康村も友達だから。友達だったのに、な――――。




 父と母が別居する少し前のこと。その日は家に帰るのが嫌で塾の近くの公園でぼんやりとベンチに座っていた。そんな私のそばに康村は来て同じベンチに座った。両親の喧嘩でどちらに従えば良いのか分からない。どうすれば良い? 意を決して相談したことに返ってきたのはひどい言葉だった。


「冨永、こういう時は塩らしいな」


「なっ! まじめな相談なんだけど」


「うん」


「何かない?」


「冨永のお父さんもお母さんも間違ってるわけじゃない。それに2人共冨永のためを考えて喧嘩してる」


「……」


「冨永はどうしたいってのはあるか? どうなるのが良いとか」


「それは――……いや」


 言おうとして止めた。今出てくるのは嘘にしかならない。そんな気がしたから。康村はそもそもさ、と拳を出してくる。


「ここで俺が何か言った所で変えるのか? 冨永はむしろ何を言っても変えなかったと思うけどな」


「いつのことを言ってるの」


「昔も今もだろ?」


 私は康村の拳に私の拳を合わせた。


「そうかもね。私はお母さんもお父さんも思うようにすれば良いと思う。喧嘩も仕事も」


「あはは、そんな感じだよな、冨永は」


「ええ。私は私でやる。……ありがと」


「うん。まあ、相談に乗っただけだし気にしないでいいよ」


「あ、ねぇ」


「うん……?」


 康村は何かを抱えている。そんな気がして帰ろうとしているのを呼び止めた。


「何かあった? 最近、康村は良い人過ぎ」


「っ……俺たちはもう中学生だろ。友達がたくさん欲しいからな」


「……私は康村を知ってる」


「はは、何だよ」


「私のことも知ってるよね」


 康村は……友達。私は友達だと思ってる。


「……分かってる。違うから」


「そう。なら、どうしたの」


 抱えているものを話して欲しい。願うような気持ちで康村に問いかける。けど康村はゆっくりと首を振った。


「ごめん……じゃあ、また明後日の塾で……」


「康村……またね……」


 私はその時、去っていく背を見えなくなるまで目で追い掛けた。けど、私自身が追い掛けることはしなかった。




「あの時、あの時に……!」


 追い詰めるような形で康村に仲直りをさせた。もうあの頃には戻れないから、あの瞬間で最善と考えた方法だった。明里の為であり、私達の関係の為であり、康村の為でもあった。


「今になって……ごめん」


 今更気付いて、謝ってどうするの。


「でも、それでも。私はあなたの、友達で居て良いよね…………彰人」


 もたれ掛かったドアを背に私はずるずるとしゃがみ込んだ。

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君と居る景色 笹霧 @gentiana

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