第152話


 蛇穴杏樹は自分の世界うちがわ周囲の世界そとがわに僅かな『乖離』があると感じていた。

 しかしその感じはいつまで経っても拭いきれず、自分の〝生〟を実感する為に自衛隊に入り気が付けば傭兵として海外を転々としている日々を送っていた。



 銃弾が飛び交う戦地へ赴いても、 


   


 紛争地帯へ赴いても、


   



 まるで俯瞰した自分あんじゅがいるようで、不気味で気持ち悪い感覚が常に付き纏っている。

 それが彼女の出した『結果』だった。

 故に、蛇穴杏樹という傭兵は人間から〝別の何か〟に成ってしまったのだと思うようにしたのだ。


 「――――――――はっ」


 口から嘲笑が漏れる。

 自分で自分を化け物と感じる日が来るとは思わなかった。

 そんな自分が嫌いで彼女はますます死地へ赴く。

 理由は単純で自殺行為のそれに近いものがある。

 どれ程の過酷な戦場を用意されても、

 どれ程の無情で無慈悲な環境でも、

 彼女は死ぬ事はない。



 いつしか、蛇穴杏樹の望みは人間として真っ当に死ぬ事。



 そんな事を思いながらも刺激がない日々を過ごしていたある日。


 「――――――へぇ、噂に聞く『戦場の支配者ヴァルキュリア』ってのがどんなヤツか気になったんで来てみれば…………お嬢さんじゃぁないか!」


 確かに自分がその異名で呼ばれているのは聞いたことがあるが、いざ実際に耳にするとぞわぞわと来るものがあった。

 それが全く知らない男からなら余計に嫌悪感が勝つ。


 「………………何か?」


 冷たく返すも油断はしない。

 思わず身体に取り付けたホルダーに手をかけた。

 相手は隙だらけで杏樹が引き金に力を込めるだけで簡単に決着ケリがつく。

 そもそも、自分の異名それを知っている時点でただの一般人でない事は明白だった。

 そんな警戒心マックスな杏樹の殺気を意図せずなのか男は豪快に笑う。


 「そんな警戒するなよ戦乙女ヴァルキュリア! 折角の美人ヅラが台無しだ」


 恥じらいの無い直球ストレートな讃辞に若干の気味悪さを覚えつつ少しだけ警戒を解く事にする。


 「その戦乙女って名前の呼び方は止めてくれないかしら? ―――――で? アナタは誰?」


 杏樹の問いに男が笑う。

 その笑い方は先ほどとは違った凶悪な獣のような笑みで、





 「デイヴィット―――――デイヴィット・ゼムヴォイド。まぁ遠慮せずにデヴィちゃんと呼んでくれてもいいんだぜ!」





 それが、蛇穴杏樹と彼との出会いだった。










 杏樹とマレウスの距離は十メートルもない。

 互いの武器エモノは距離などあってないようなモノなのだ。

 どちからが先に動けば決着は早くにつく。

 しかし、


 「(………………動けない)」


 マレウスは下手に動く事が出来なかった。

 数度ほど手合わせをしたので相手の武器じゅうの特性は理解する事が出来た。

 恐らく彼女が引き金に手を掛けるよりも先に手を出す事が出来る。

 だが、マレウスはそれが出来ない。

 身体の内側から溢れるような殺意を抑える事をせずに、本能のまま戦っていた彼女だったが、杏樹を取り巻く空気が変わった事により幾分か冷静になる事が出来た。


 「(わたしの『奈落の悲劇ナハツェーラ』の〝忌能解放〟は脱出不可能な〝虚像を移す鏡の迷宮〟の創造―――――そこに写し出された姿形は。その忌能に死角は、ない!!)」


 マレウスの拳や蹴りが巨大化したりぐにゃりと鞭のように曲がったのもその辺りの能力が原因だった。

 鋭い刃のような近接武器。

 鏡と鏡をワープさせ距離を無視した刹那の攻撃を可能とした遠距離攻撃。

 それがマレウス・マレフィカムの最大の武器だった。

 この『奈落の悲劇』の能力と彼女の徒手空拳が合わされば向かうところに敵は無い。

 そう、思っていたのだ。

 なのに、今彼女の目の前にいる女性は不敵に笑っている。

 それがどうしても、自分の師がうかべる笑みと被ってしまうのだ。


 「そんなはずはない―――――――ないんだぁぁぁぁッッッッッ!!」


 咆哮と共に『奈落の悲劇』へ拳を入れる。

 狙いは全方向からの一斉攻撃。

 鏡に映ったマレウスの攻撃は実体化し多方向から杏樹へと襲い掛かる。


 「蛇穴さん!?」


 蓮花の叫びが響く。

 だが、それでも杏樹は動こうとはしなかった。

 勝った―――――――――――それは勝利を確信したマレウスが呟いたモノなのか?

 それとも彼女の内に憑りついたアンラ・マンユの呟きだったのか?

 それは今となっては分からない。

 いや、





 「時よ乖離せよタイムレスト迷子のカワイ子ちゃんはお戻りをここからさきはすすむな





 たったその一言で、マレウスは


 「な―――――――」


 自分でも間抜けな声が上がったと思う。

 確かに今、マレウスは杏樹を肉塊に変える為に攻撃を放ったはずだった。

 しかし攻撃を放つどころか


 「遅いッスよ」


 ガガガァァァン!! と三発の銃声が鳴り響く。

 咄嗟にマレウスは身を翻し真っ直ぐに飛んでくる銃弾を難なく躱した。

 しかし、


 「右左折交互に禁止タイムアウト曲がり曲がって辿り着けどうろはつづくよどこまでも


 その言葉と共に


 「ぐっ、――――あぁっ!!」


 直撃はしなかったものの、それでも完全に躱し切る事が出来なかったマレウスの肌には一筋の赤い線が奔る。

 マレウスは混乱した。

 確かに、確かに躱したはずだった。

 なのに、まるで銃弾が意志を持っているかのようにマレウスへと吸い込まれる様に向って来る。

 それはまるで〝魔法〟そのものだった。


 「――――――――――――――――――」


 遠くから見ていた蓮花は絶句していた。

 マレウスよりも身近にあった銃という武器は今まで見た事が無い訳ではなかった。

 むしろ裏の世界では銃器を所持していた連中と戦闘になった事もあった為、蓮花はマレウスよりかはその特性を知っている…………つもりだった。

 だが、蓮花すらも驚いたのは銃弾が直角に曲がり何もない所で跳弾したことへの驚愕が大きい。


 「(只者ではないとは思っていましたが、これほどとは)」


 目を凝らし、杏樹の行動を観察する。

 引き金を引き、確かに銃弾は真っ直ぐに飛んでいく。

 それをマレウスは黙って立ち続けるほど簡単な相手ではない。

 よく観察し銃撃を喰らわないように丁寧に躱していく。



 だが、



 躱したはずの銃弾は、やはり不自然に直角へと曲がりマレウスへと向かっていく。

 杏樹の表情に驚きはない。

 まるでその事実が当然かのようにも見えた。


 「……………………なるほど、そう言う事ですか」

 「ふぇっ!? くノ一のお嬢さんもう分かっちゃったんッスか!?」


 蓮花の呟きが聴こえたのか凄い勢いで振り返る杏樹。

 今は凄まじいほどの殺し合いの最中だというのに若干余裕があるようだった。


 「えぇ、まぁ何となく―――――――と言うか前見て下さい前!」


 蓮花の声に杏樹が前を向くといつの間にか接近したマレウスの貫手が目前にまで迫っていた。

 銃弾を掻い潜り遠距離アウトレンジから至近距離インファイトへと変えたようでマレウスの表情からは余裕の笑みは消えている。


 「この距離なら―――――」


 れる、そう確信があった。

 だが、それでもまだ杏樹には届かない。


 「通行禁止キープアウト反転しそのまま進みここからはなれなさい」


 カチン、と意識が途絶えたかと思えば目の前から杏樹の姿が消えた。

 いや、消えたのではなく


 「な、んで」


 マレウスの呟きは虚空に消える。

 身体の調子はいい。

 前半の戦闘よりも後半の戦闘の方が本能のまま戦えたので気持ちも晴れやかだった。

 しかし、

 身体が思うように動かない。

 彼女の思考は「なぜ?」という疑問でいっぱいだった。

 ゴッ、と後頭部に硬い〝何か〟を突き付けられる。

 それが銃口であり、決して逃げる事も躱す事も出来ない距離だった。

 自分の内側にあったドス黒い〝感情〟は今は霞のように消え去っている。


 「――――――――――何か言う事あるッスか?」


 先ほどまでの凶悪な口調ではない、穏やかな杏樹の声にマレウスはフッと諦めにも似たため息をはく。


 「そうだなぁ」


 少し考えてからマレウスは精一杯の悪態をついた。


 「わたしの方がお姉さんだから、お嬢さんに勝ちを譲ってあげるッ」

 「そりゃどうもッス」


 ダァァァァンと、深い森に一発の銃声が木霊する。

 鳴上蓮花と蛇穴杏樹の二人の『迷い人』対と、マレウス・マレフィカムの戦いは一発の銃弾で呆気なく終わりを告げた。

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