第151話




 アンラ・マンユは相手の『精神』に憑依する。

 この魔物の栄養は主に〝恐怖〟〝嫉妬〟〝侮蔑〟〝憎悪〟と言った負の感情。

 この『ティファレイド』ではその負の感情が充満しており、アンラ・マンユにとってはこれとない絶好の餌場でもあった。


 ―――まだだ、まだ…………足りない。


 この『ティファレイド』に迷い込んだ人間からは〝侮蔑〟と〝恐怖〟を。

 この『ティファレイド』に住む亜人達からは〝不安〟と〝絶望〟を喰らった。

 だが、大食いであるアンラ・マンユは


 そんなアンラ・マンユが求めているモノはより強い負の感情である〝憎悪〟と〝憤怒〟―――――そして、


 ―――


 アンラ・マンユの嗅覚がある場所を捉える。

 僅かに感じる〝〟と〝〟。

 顔が無いはずのアンラ・マンユが凶悪な表情を浮かべた。

 意識を『ティファレイド』の外にある森へと向ける。

 そこではこの広場とは別で戦闘が行われているのが理解する事が出来た。


 コウランからは『憤怒』を。

 アヴェンジャーからは『憎悪』を。

 そして――――――――――――、



 喰らい尽くす。



 これでまた、自分の〝欲〟が満たされる―――――――そう思うアンラ・マンユは愉快で堪らないと言わんばかりに嗤った。










 『ティファレイド』の外れにある森の中で、激しい戦闘が行われている最中だった。

 不気味の中に美しさを兼ね備えていた森の木々はなぎ倒され、周辺にいた魔物も無残な姿に変えられるほどの激しい戦いは終わる事を知らない。


 「そこッス!!」


 杏樹の放つ銃弾がマレウスを穿とうと弧を描く。

 しかし銃弾は届く前に少女の掌底により弾かれ接近を許してしまう。

 腕を捩じり腰を極限にまで捻る。

 その体勢から放たれるのは、


 神無流絶招かみなしりゅうぜっしょう―――――鬼神楽弐式おにかぐらにしき鬼槌おにづち


 人体を完膚なきまでに破壊し尽くす絶技。

 鋭い掌底が杏樹の鳩尾に吸い込まれるように突き進む。


 「蛇穴さんッッッ!!」


 蓮花の鎖鎌が杏樹に巻き付き無理矢理にでも引き寄せる。

 僅か数ミリ薄皮一枚掠った程度で辛うじて躱す事が出来た。

 出来たのだが、杏樹の腹部には一筋の鮮血が流れ落ちていた。


 「………………少し掠っただけでこれッスか」


 もし今の技が確実に喰らったクリーンヒットした場合、威力はこの程度では済まなかったかもしれない。

 背中に冷たい汗を浮かべつつ空になったマガジンを捨て、新しいマガジンをセットする。


 「(知っていたからこそ反応が出来ましたが―――――マズイですね)」


 蓮花は冷静に相手を睨みつける。

 今、彼女マレウスに何が起きたのか理解は出来ない。

 分かる事があるとすれば、先ほどまでの彼女とは違い攻撃の幅が極端に広がった事だった。

 あの鏡を通した拳が巨人の腕のような大きさになった為に把握していた距離感が狂った事。

 そして以前に十夜が言っていた事を思い出していた。

 神無流絶招―――――この体術おうぎは全部で四つ。

 彼が使えたのはその内の弐式と参式の二つで、残りの二つに関しては教えを受ける前に師が蒸発したと聞いていた。

 そう聞いていたのだが、まさか異世界に来てまで同じ使い手に出会うとは思わなかった蓮花は片手に握り締めていたクナイを見下ろしすぐ視線をマレウスへと向ける。

 マレウスに纏わりついた黒い靄が揺らめき不気味な雰囲気を漂わせているのを見て、まるであのシュヴァルツヴァルトがシオンを操っていた時のような空気を出していたのを蓮花は本能的に感じていた。


 「(無関係―――――ではないんでしょうけどね)」


 タイミング的にも恐らく『始祖の霊長王アンラ・マンユ』が一枚絡んでいるのは明白だった。

 色々と考察は尽きない。

 しかし、そんな蓮花の考察を邪魔するかの如くマレウスは再び『奈落の悲劇』で造り上げた鏡の迷宮に掌打を、蹴りを、貫手を繰り出す。

 歪な鏡からはランダムに巨大化した掌底が、グニャグニャに曲がった蹴りが、細く鋭い針のような貫手が二人に襲い掛かる。

 それらの猛攻をギリギリのところで躱す蓮花と杏樹だったが、それでも無傷とまではいかない。

 皮膚は切り裂かれ、掌打や蹴りは掠っただけで華奢な身体には痣が出来るほどの威力を発揮していた。


 「あ、――――――は、」


 口から息が漏れる。

 それは蓮花でも、杏樹でもない。

 目の前にいる兎人族メドラビットの少女の口から漏れていた。


 「あはははははははははははははッッッッッ!!」


 乾いた嗤いはどこか壊れた人形のように見える。

 そんなマレウスに蓮花は心を僅かに痛めた。

 どこまで残酷な仕打ちを受ければこんな悲しい嗤いを浮かべれるのだろうか?


 「――――――――――――――――――――くだらないfrivolous


 ぼそりと、杏樹が呟いた。

 蓮花が振り向くとどこか飄々としていた杏樹の表情が暗いモノに変わっている。

 ぞくりと鳥肌が立つ。

 ねっとりとした殺気にも似た空気が漂い始める。


 「あぁ、まるで昔のアタシを見てるみたいッスね」


 首を鳴らしながらゆっくりと歩みを進める。

 先ほどとは打って変わり全身から力が抜けているのが分かった。

 杏樹は引き金トリガーに指をかける。


 「くノ一のお嬢さん―――――ちょーっとばかしアタシに任せてくんないッスか?」


 それは自信があり、そしてどこか不安もある言葉。

 しかし打開策がない今では蛇穴杏樹という女性に掛けるしかない。

 素直に頷く蓮花は静かに一歩退いた。

 それを背後で確認した杏樹は両手に持った銃を構える。


 「あぁ、アンタが言っている絶望ってのはアタシには理解できるッスよ? でもね、なんッスよ」


 空気が変わる。

 静かな殺気を纏いながら周囲に浮かぶ鏡の迷宮へと近付く。

 その距離は僅か一メートル。

 何か行動アクションが起きれば刹那に杏樹の身体は簡単に吹き飛ぶ距離にまで詰まっていた。


 「―――――――本当の〝絶望〟、アンタに骨の髄まで分からせてやるッス」


 気が付けば、杏樹の黒い瞳は鮮血の如く真紅に染まっていた。

 そして、凶悪な笑みを浮かべ口の端を吊り上げる。





 「アンタが〝鏡の迷宮〟なら、アタシは『時の迷宮』へ案内してやるッス」





 ガギンッ! 撃鉄が起こされる。

 その鉄が擦り合う音はこれから起きる〝戦争〟を彷彿とさせる合図でもあった。

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