第137話
依頼開始は明日からにして今日はもう休め、そう言った博士は自分達に部屋を割り当てるとメイドロボのリコリスと共に自室へと帰っていった。
どうやらリコリス自身が
『ティファレイド』の都では長老の正体を知っている亜人達(主にエルフ)が敵ではないと知った為か、料理を提供しに来てくれたのにはありがたいと思った。
最後に食事をしたのは『魔術師の宮殿』が最後だったので飲まず食わずは身体に堪えていたところだったのだ。
「うまうまうまーっ! ナニコレ骨付き肉うまーっ!」
「『フロッグイーター』の香草焼きだって! 蛙ってよく鶏肉みたいって聞くけど牛じゃん! 豚じゃん!」
「十夜殿、大河殿! そんなにがっついていては些か失礼に価しますぞ! しかし『えるふ』殿達の秘蔵酒は五臓六腑にしみわたりますなァ!」
「おっ、永城の旦那は分かってるッスねぇ! アタシもここのお酒は好きでついこっそりと飲んじゃうッスよ!」
「アン、お酒は程々に―――――というか勝手に飲んじゃダメですよっ?」
「っていうかみんなもっと落ち着いて食べたら? 人間の品位って大事だとボクは思うなーっと」
「ふはははっ! そんな事言いつつ来栖川がもくもく食べちゃってる姿を神無月さんが見てますよーっだ!」
うんめーっ!! と全員のテンションが上がったのを見ながら蓮花が深い深いため息を大きくついた。
「何やってるんだか」
そんなため息混じりの声は目の前に広げられたご馳走に誰も届いてはいなかった。
そんな様子を若干引きつつもエルフ達は楽しそうに見ている。
ふと、そんなエルフ達に興味が湧いたのか蓮花がそっと耳打ちをした。
「あ、あの―――――――ってありますか?」
ポカンとしたエルフの一人がすぐに笑顔を蓮花へと向ける。
そのやり取りをフロッグイーターの香草焼きに貪りながら十夜は不思議そうに眺めていたが特に気にする事はなく、目の前の料理を食べる事に専念した。
「はーっ、食ったぁ」
膨れたお腹を叩きながら博士の屋敷を運動がてら散策していた時だった。
案内された部屋は万里と大河の同室だったので、むさ苦しい空間から解放されたかったのだ。
「ってか、アイツらまだ飲むのかよ」
今や十夜の部屋は
酒飲みの万里と、年齢的にも問題なしの大河の二人は部屋で酒盛りをしていたのだ。
一緒にどうかと誘われはしたが、そこは腐っても学生の身分である十夜は丁重にお断りをした。
その際に大河の視線が恨めしいモノに変わっていたがそこは歯を食いしばって耐えてもらおう。
そんな事を思っていると、窓の外―――――そこに見知った姿を見つけた。
「あれは………………」
十夜が呟くとそのまま屋敷の外へと足を運んだ。
外に出ると冷たい風が身体を吹き抜け思わず身震いが奔る。
夜空を見上げると月が二つ重なり淡い光が辺りを照らしていた。
そして、その月光に照らされた庭に浮かぶ人影に近付く。
「よォ、何してんだ?」
「ん? おやお兄さん。アタシは日光浴ならぬ月光浴と洒落こんでるッスよ」
ドタバタしていたのでよく見ていなかったが、杏樹はタンクトップにショートパンツとラフな格好をしている。
タンクトップは小さいのか杏樹のボディーラインがくっきりと分かるほどだった。
十夜は何でもない風に装い杏樹の全身を見る。
断じてやましい気持ちは―――――ないッッッ!!
「フヒヒっ、お兄さん目付きが思春期の男の子ッスよ。アタシのナイスバディに見惚れてるッスかぁ?」
「な、ななななな何を言ってるのか分かりませんな!! 俺はそんなムッツリ的な男の子ではありませぬよ!?」
明らかな動揺を見せる十夜をからかうように笑う杏樹は再び視線を上へと向ける。
淡く輝く二つの月は月下の大地を優しく包み込んでいた。
『ティファレイド』に広がる森は今宵ばかりは静かに眠っているようだ。
そんな静寂な中、十夜はどこか落ち着かない様子でそわそわしている。
「おや? まだアタシの美貌に酔いしれてるんッスか?」
ニマニマしながら十夜を見る杏樹。
しかし十夜の返答は意外なモノだった。
「いや、――――――――――さすがに銃口を向けられたまま喋ってても落ち着かないって」
杏樹の表情から笑みが消える。
驚いた、と言った表情の杏樹は観念したのか自分の腰を掛けていた岩の陰に隠していた銃を取り出す。
「すごいッスねぇ、そんな殺気とかは出してないはずなんッスけど」
「ん~、殺気ってよりも気分が落ち着かねーんだよなぁ。ピリつく空気感? ってのかな…………銃なんて見たことあんの一回ぐらいだし」
あるんだ、と違う角度で驚く杏樹だったがふっと微笑むとカチリと
「いや、お兄さんってただ者じゃないとは思ってたッスけどまさかここまでとは思わなかったッスよ」
「ただ者も何も、俺はただ馬鹿やらかして〝少し〟普通じゃない学生だぞ?」
少し普通じゃないのは最早〝普通〟から遠ざかっているのではないだろうか、と杏樹は思ったが口には出さない。
その代わり、杏樹は別の事を訊ねる。
「お兄さんは元の世界に戻りたいんッスよね? 理由を聞いても?」
「ん~、まぁ特に面白味はねーかも。俺は向こうでやらなきゃなんねー事がある―――――ただそれだけだよ」
もし、自分が何も目的がなければ小説の世界にテンションが上がって留まっていたかも知れない。
だが、それは
そんな事を考えていた十夜を杏樹はまじまじと見つめている。
年上とは言えそんな彼女の視線に耐えきれなくなったのか十夜は視線を逸らしながら「何だよ」と呟く。
「いえいえ、別になーんもないッスよ」
含みのある言い方だった。
しかし、十夜は特に深く聞く事なく夜空を見上げる。
夜の風が徐々に身体を冷え込ませていく。
「うぅっ、寒っ―――――俺は屋敷に戻るけど蛇穴はどうすんだ?」
「アタシッスか? アタシはもう少し夜風に当たっておくッス」
十夜はそっかと短く返すとそのまま屋敷の中へと戻っていく。
そんな少年の後ろ姿を見ながらポツリと杏樹が呟いた。
「無自覚、ッスか――――――お兄さん気付いてるッスか? 今のお兄さんはどこか壊れそうな顔してたッスよ」
しかし十夜の耳には杏樹の呟きは届いていない。
ただ無情な夜風だけが杏樹の声を何処かへと静かに流していく。
「うぅっ! さっぶぅっ!」
夜風に当たりすぎたのか全身が凍えるように冷えきっていた。
異世界とは言え夜は冷え込む。
何とか暖を取ろうと屋敷内をさ迷っていると、ふと懐かしいようなそんな香りが十夜の鼻腔をくすぐった。
「この匂い――――――まさか」
十夜は鼻をひくつかせながら匂いの元を辿っていく。
そしてある部屋の前で立ち止まった。
扉には屋敷には似合わない紺色の
どこかからカコーンと桶の音が聞こえるような気がするその場所は、
「温泉か!? 温泉なんだな!? ひゃっほーいッッッ!」
勢いよく扉を開け放ち、着ていた衣服を脱ぎ捨てそのまま一直線に曇りガラスの向こう側へと飛び出した。
しかし、この時十夜は気付くべきだったかもしれない。
温泉があると言うことはその手前に脱衣場という場所がある。
その脱衣場に脱ぎ捨てた衣服があると言うことはその中には先客がいると言う事に。
したがって、
「わぁ、レンさんってスタイルいいですね」
「そ、そうですか? 私的にはアリスさんの肌が凄い綺麗なのが羨ましいのですが…………」
「ふふん、スキンケアは人前に出る身としてはとーぜんだからね。ってかアリシアの胸が最早凶器の域に達してるとボクは思う」
かぽーんと桶の音がどこかから聞こえる中、
思わず時が止まる。
三人は全くこちらに気付かずキャッキャウフフと楽しんでいるようだが、十夜は全身から汗が吹き出ていた。
十夜も健全な男子学生だ。
こんなシチュエーションは全男子が憧れている光景だろう。
しかし、アリシアは不明だが蓮花とアリスは他の女性とは違う。
こんな場面に出くわせば悲鳴の代わりにクナイが飛び交い串刺しにされた挙げ句、魔術による一斉射撃で十夜の原型がなくなってしまうほどの攻撃を受けるのが目に見えていた。
ならば、十夜が取る行動はひとつ。
「(今なら気付いていない―――――このままそぉっと退散すれば)」
先程までのテンションは何処へやら、抜き足差し足忍び足の極意で十夜が気配を殺しながら後退していく。
だが、
「あれーっ、お兄さん何してるんッスか?」
背後から声を掛けてきたのはさっきまで話をしていた杏樹で、こちらは全く照れなしで前も隠していない。
「こっちも中々―――――じゃなくって! 前隠せよ! もっと恥じらいをだ」
瞬間、背筋に寒気が走る。
強大な殺気が背後に迫ってくるのが分かった。
ガタガタと震えながらゆっくりと振り返る。
「へぇ、もっと恥じらいを――――――なに?」
「前々から失礼な殿方だとは思いましたが…………随分と愉快で痛快な事をしていますね?」
優しい、不自然すぎるほど優しい声で語ってくる蓮花とアリス。
あ、これ死んだと思わせるほどの気迫に十夜は脳みそをフル回転させる。
そして、出した答えが、
「あー、えっと………………ごちそうさま?」
ぶちぃんと何かがキレる音がした。
あわあわと慌てるアリシアとケラケラ笑う杏樹を余所に十夜の絶叫が屋敷内に響き渡る。
「ここが風呂場で良かったッスねぇ。簡単に血が流せるッスよ?」
そんな物騒な意見はどうでもいいから助けてくれと、そう思わずにはいられない十夜だった。
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