第133話




 二章 『異形の森』



 邪視じゃし―――――それは一時期ネットを騒がせた都市伝説ネットロアの一つ。

 山に住む神だとか何だとか言われている存在で、一度でも目が合うと強烈な不安に襲われてしまうというモノだった。


 来栖川アリスが対峙しているのは正に〝それ〟だった。


 魔眼封じの魔術を自身の目にかけているが、それでも不安や鬱感といった症状、心臓がバクバクとアリスの耳に五月蠅いぐらいに届いていた。


 「(魔眼封じをかけてこれなの!? これが裸眼だったら―――――)」


 考えるだけでもゾッとする。

 幸いにもまだ邪視はこちらに近付いて来るだけだが、あの一つ目の魔眼だけでも十分に脅威だった。

 邪視は顔を傾け単眼をアリスへと向ける。

 そして、

 先程まで顔には単眼以外何もないと思っていたが、ニタリと薄気味悪い真っ赤な口が両端に裂けていく。

 どうやら標的をアリスへと決めたようだ。


 「そう言えばボクの魔術は通用するのかな?」


 手を翳し、腕に刻まれた魔術刻印へと魔力を流し込む。


 「〝引力反あっちい〟――――――」


 引力を反転させ邪視を遠ざけようと魔術を発動させる直前、邪視は結界を張っていた万里と蓮花の方へと向かっていく。


 「な―――――」


 驚くのも無理はない。

 邪視の標的はアリスだと思っていたが、どうやら違ったらしい。

 魔術が発動する前にクルリと身体を反転させると一直線に万里達の方へと走っていく。


 「ッッッ!? 面妖な!」


 白銀の籠手を地面へと叩き込み泥濘の地面を壁のように作り上げる。

 粘膜性の強い泥の壁は邪視の突進を阻む。

 しかし――――――。


 「ア、アア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!」


 邪視の咆哮がアリスを含める六人の鼓膜に響く。

 三半規管が揺れ視界が霞む。


 「なんっ、と」

 「耳がッ!」


 蓮花は特にくノ一なので五感が優れている。

 その為、至近距離での咆哮は一番彼女にダメージを負わせる事になった。


 「あっ、あっ、アァッ」


 よたよたと拙い足取りは赤子のようで、

 より一層不気味さが増していく。


 「キミの相手は―――――」


 キィィィン、とアリスが飛翔しその細い足を突き出す。


 「ボクだよッッッ!」


 邪視の剥き出しになっている胴体に蹴りを入れる。

 真っ赤に染まった口からは短い吐息と涎が滴り、邪視はそのまま吹き飛んでいく。


 「異界反転さかさまのせかい


 グルン! と邪視が吹き飛んだ方向が反転しアリスへと飛んで来る。



 「〝世界は回るクルクルと〟! 〝世界は広がるグングンと〟!」


 邪視を中心に世界けしきが変化する。

 上下左右逆さまに。


 「〝世界は狭まるミシミシと〟! 〝世界は歪むグニャグニャと〟!」


 今は立っているのか、地面に倒れているのか、吹き飛ばされているのか、引っ張られているのかが分からなくなる。

 気が付けば邪視の周囲には幾重もの魔法陣が浮かび上がっている。

 その数は二つ、三つ、四つ―――――まだ増えていく。


 「〝永劫回帰ずっといっしょ〟―――――〝小さく縮んで大きく爆ぜろ〟!」


 ゴギュッ! と邪視の身体が一気に収縮し、内側から大きく破裂した。

 肉片が飛び散り痩せ細った身体は爆散する。

 謳を紡いだアリスは大きく深呼吸し周囲を見渡す。

 先程までの脅威じゃしの姿は何処にもなく、静寂が辺りを包む。


 「終わった―――――んですか?」

 「そのようですな」


 蓮花と万里の二人も周囲を見渡し、邪視の姿が見当たらない事を確認する。


 「――――――ふぅ」


 随分と魔力を消費してしまった。

 また一からか、と思っていると、


 「あ、がぁぁぁぁッッッ!」


 無事だった人攫いが突然踞り暴れだす。

 持っていた短剣で自分を傷付けながら血を流している。

 まさか、そう思った時には無傷の状態で気味の悪い笑顔を浮かべている邪視がそこに立っていた。


 「………………やっぱりそう簡単にはいかない、か」


 アリスは呟くともう一度だけ魔力を刻印に流し込んだ。





 一方、神無月十夜は別の場所で別の怪異と対峙する。

 青白い裸体に三対の不自然な腕がうねうねと動く。

 『姦姦蛇螺かんかんだら』―――――これもネット上の都市伝説に上げられるモノだ。

 まだ確認は出来ていないが、先程から聞こえてきたがしたところを考えると下半身は蛇のようになっているはずだ。

 そして、


 「(確かコイツは全身を見ると呪い殺されるって存在モノだったはず…………ってことは今はまだ大丈夫、か?)」


 ここにいる全員が上半身を目視してしまった。

 確か掲示板スレッドには――――――。


 「いっ、た………………」


 弱々しい声が後ろから聞こえた。

 視線だけを動かし確認すると、アリシアが踞り身体を震わせながら自分自身を抱き締める。


 「痛い、痛い痛い――――――うぁ、ああああああああああああああああああああああッッッ!?」


 身体に迸る激痛がアリシアを蝕む。

 よく見ると大河や杏樹も顔をしかめながら脂汗を浮かべている。

 アリシアと違う部分があるとすれば、痛みに耐性があるかと言ったところだろうか?

 十夜はそう言った〝呪い〟への耐性はあるとは言え、身体が徐々に硬直していく感覚に襲われている。

 このまま時間が経てば状況は不利になる一方だ。


 「うだうだ考えても仕方がねぇッ! 『悪食の洞コイツ』で一気に――――――」


 十夜が鬼神楽を舞う為に一歩を踏み出し、

 気が付けば姦姦蛇螺の顔が目の前にあった。


 「な―――――」


 ニタァと嗤う姦姦蛇螺の表情は愉しげで、その姿を視界に入れた瞬間に身体の硬直化が強くなっていく。


 しまった! 十夜がそう思った時には表情が強ばり徐々に身体が動かなくなっていく。

 見ただけで動けなくなるとは蛇に睨まれた蛙のようだと皮肉めいた事を考えていた。


 「って! 誰が蛙だァァァァァァッッッ!!」


 十夜から伸びる影が鎖のように結び背中から一対の巨腕を呼び出す。

 『黒縄操腕こくじょうそうわん』――――この幻想世界グランセフィーロを破壊し兼ねない存在のろい

 姦姦蛇螺を握り潰そうとその掌を広げ襲い掛かる。

 しかし、動きが鈍いのかすぐに躱されてしまう。


 「まだだ!」


 うねりを上げ巨腕が追撃をするがスピードは相手が上のようだった。

 余裕の笑みを浮かべる姦姦蛇螺は裂けた口の端からチロチロと真っ赤な舌を出す。

 あからさまな挑発。

 十夜は思わず拳を握り締める。


 「(余裕ってか!? ふざけやがって!)」


 だが実際速度では体格差により捉える事が出来ない。

 『黒縄操腕』は破壊力特化型の呪いとは言え、的の小さい相手やスピード重視の相手では相性が悪すぎるのだ。


 「一体どうすりゃ―――――ッッッ!?」


 姦姦蛇螺は一瞬で十夜の目の前に顕れる。

 身体が痺れ思うように動けないがまだ上半身しか目に入っていないのでその程度で済んでいるのだ。


 「つってもこのままじゃじり貧だな!!」


 巨腕の隙間を掻い潜り何としても自分の全身を十夜に見せようと近付いて来る。

 徐々に身体が痺れ始め動きが鈍くなってくる。

 目頭には激痛による涙が浮かび始めてきた。

 全身を見せる事で成就する視認による呪い―――――それが本当なら目を閉じればいいのだろうが、この緊迫した戦闘中に目を閉じながら戦えるほど器用でもないしそんな度胸もない。

 どうしたものか、そう考えていると十夜は何かを思い出したかのように『黒縄操腕』を影の中に戻す。


 そして、


 「上手くいくか分かんねーけど、やってみるか」


 くるりと神楽を舞い『悪食の洞』の影が十夜の右腕に巻き付き始める。

 少し痛むのか、十夜は顔をしかめるがその痛みを無視し意識を集中させた。


  「神無流鬼神楽かみなしりゅうおにかぐら鬼衣おにがさねの陣』―――『崩絶戦鬼腕ほうぜつせんきのかいな』」


 十夜の右腕が異形へと変わる。

 赤黒く、肘に当たる部分には乳白色の角が生えていた。


 それは『リゲブラ』や『テットヘット』で戦闘をしたあの悪魔ディアボロスの腕に似ているモノだった。


 「さて、と」


 十夜は改めて姦姦蛇螺へと向き直る。

 十夜には呪いは効きにくい。

 他のメンバーとは違いまだ少しの猶予はあるのだ。


 「こっからがマジの戦いだ―――――たかが蛇の怪異バケモンが、おれに敵うと思うなよ?」


 十夜の凶悪な笑みは姦姦蛇螺へと向けられた―――――。

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