第71話
その魔物は機会を窺っていた。
数百年前―――――ある一人の『
永い年月は魔術師を怨み、怨みが焦燥感へ、焦燥感が恋慕に近い感情を持たせるには十分すぎる時間だった。
ただし、
この『
喜怒哀楽全ての感情が食欲に通じている。
今まさに、本能のままに巨大な魔物が動き出そうとしている。
「廃村? 誰もいないって―――――いや待てよジーサン! 俺は確かにこの目で見てんだぞ!?」
十夜が混乱する。
そもそも、村で懇意にしてくれた人達が仮に死人だったとすれば十夜が気付かないはずがなかった。
「言ったはずだ。この村はもう随分昔に―――――まて、今君は〝シオン〟と言ったかね? 紫色の髪の女性かな?」
魔術師は十夜に詰め寄る。
思わぬ食いつきにたじろぎながらも、
「あぁ、フェリスとリューシカの母ちゃんだって」
その言葉に魔術師は押し黙る。
時折、「いや」や「まさか」と呟いているが、こちらには気付いていない。
「ねぇ」
アリスが十夜の袖を引っ張る。
「何だ?」
「ボクも不思議だったんだけど、キミって
確かによくよく考えてみるとアリスにはその辺りの説明をしていない。
どう説明しようかを悩んでいると、何かを考えていた魔術師が口を開く。
「とりあえず説明は後で。今はこの場を去ろう―――――君達の他に仲間は居るのかね?」
「上に二人。そいつらも『迷い人』だ」
十夜の言葉に「そうか」と魔術師は短く返す。
二人―――――否、三人の足元に魔法陣が浮かび上がる。
「一気に上まで移動する」
その言葉と同時に瞬間転移された十夜達は上の
そこには何人かが倒れていおり、その中に蓮花と万里の姿もあった。
「鳴上! 万里!!」
十夜が駆け寄り蓮花を抱き起こす。
十夜の声に反応した蓮花は目蓋を数度痙攣させるとゆっくりと目を開ける。
「か、なづき―――くん?」
「あぁ、イケてる神無月さんだ。大丈夫か?」
ゆっくりと起き上がり周囲を確認する。
少し頭がボーッとするが何とか意識をハッキリとさせる。
「ここ、は? 私、確か皆さんを助けようと…………そうだ! 皆さんは!?」
蓮花が見回すとアリスにつつかれて起こされる万里、モリソンやダナン、カナッシュやフェリスとリューシカ達もその場にいる。
しかし、
シオンをはじめ、『ウルビナースの村』の住人の姿はどこにもない。
あるのは枯れ草や枯れ葉、そして根っこのようなモノだけがその辺りに散らばっていた。
「一体何が――――――」
そう二人が呟くと、十夜達はこの村に巣食う魔物について語り始めた。
恐らく、先の震動から察するに間も無く『
「何と奇っ怪な――――この周囲一帯が一匹の魔物とは」
万里はふらつく頭を叩き何とか立ち上がる。
「大丈夫なのか?」
「えぇ、何とか―――――普通にする分には差し支えはありませんが、いざ戦闘になれば厳しいかもしれませんな」
自分の手を握って開いてとしている。
どうやら蓮花も同じようで、その場で跳ねたりしている。
「しかし厄介ですね。規模で言えばあの『愚者の迷宮』の巨人以上ありますよ」
さてどうしたものか。
一行が唸っていると、スッとアリスが手を挙げる。
「ボクに考えがあるよ」
アリスが考えていた計画を話す。
その提案を受け真っ先に口を開いたのは蓮花だった。
「そんなことが可能なんですか!?」
「うん、ただ問題が二つある。一つは時間が掛かる事。こんな大掛かりな魔術を使うとなると少なく見積もっても十分から十五分は必要かな? その間に邪魔が入っちゃえばもっかい最初から―――――つまり一回でも止められるとアウト。
アリスは指を二本目を立てる。
「もう一つはボクの魔力が足りない。多分最初の魔術を使っちゃったら魔力切れでこの魔物にトドメを刺せない。だからこの魔物を―――――いや、この周囲一帯を焼き払うぐらいの火力が必要」
一つ目も難しいが、ここに戦える者が三人いる。
アリスを護りながらでも何とかなりそうだ。
しかし問題は二つ目だ。
三人共腕に自信はあれど、火力は圧倒的に不足している。
だが、
「火力のある武器なら、『魔術師の宮殿』に行けば何とかなるかもしれん」
魔術師もその案に概ね賛成のようだった。
その存在に気付いた蓮花が「幽霊ッ!?」と叫んだような気がしたが、そこは敢えてスルーを決め込む。
「よし、じゃあ早速邪魔が入らねぇ内に」
「アラ? 何か愉しそうな話をしていますね」
声が、した。
咄嗟に振り返る。
「私も混ぜて欲しいですわ」
シオンが立っていた。
思わず駆け寄りそうになったが、どうにも様子がおかしい。
「シオン―――――だよな?」
何を当然の事を聞いているのかと思ったりもしたのだが、目の前にいるシオンが今まで接してきたシオンと同一人物なのかと言う疑問の方が強かった。
十夜の質問にシオンはクスクスと妖艶に微笑む。
「何を言ってるのですかトーヤさんは………………私は私ですよ? 当然じゃないですか」
駄目だ。
口を開けば開くほど彼らの知るシオンとは別の何かに見えてくる。
どう動けばいいか、それぞれに迷いが生じる。
しかし、唯一魔術師だけが四人の前に、そしてシオンの正面に立つ。
「久しいなシオン―――――最後に会ったのは何百年以上前かな?」
先ほどまでの厳かな雰囲気はなく、ただ優しく語りかけた。
「アラ? アラアラ? もしかしてもしかしなくても『迷い人』様? 随分と変わられて…………お久しぶりですわね」
何処かの貴婦人のように優雅に会釈をするシオン。
どうやら二人は知り合いらしいが、どこか余所余所しくもあり、そしてピリピリとした空気が漂った。
「―――――なるほど、やはりか」
魔術師はそれだけを呟くと一言二言だけ言葉を紡ぐ。
それだけでシオンの足元に魔法陣が展開され魔力で生成された鎖を召喚しシオンを縛り上げた。
「あら? 随分乱暴ですね」
「お前が本当にシオンならこんな手荒な真似はしなかったよ」
それだけ言うと魔術師はシオン以外全員の足元に魔法陣を展開させる。
これが先ほど魔術師が使用した瞬間転移をするものだと理解した時にはシオン以外全員が先ほどまでいたフロアに移動していた。
「相変わらず無茶苦茶。こんなけの人数を一瞬で移動させるなんて」
「お褒めの言葉、有難く頂戴しようお嬢さん。だが今は一刻を争う、早く君の作戦とやらを実行に移さなければ―――――」
「危ない!!」
万里が叫ぶと同時にアリスと魔術師の間に割って入る。
巨大な根がしなりその猛威を振るおうとしていたのを万里が止めていた。
「ぐっ、――――――これはこれはッッッ!!」
完全に力負けしている万里。
そして、
「嫌ですわ、レディを一人きりにして」
ずるり、と空洞の天井から出て来たのは逆さになったシオンだった。
ゆっくりと、まるで天井から花が生えるようにその身体をずるりと外へと出してくる。
「ちょっとしたホラーだな」
「凄くイヤですけど、本当にそんな感じですね」
シオンが出てくる隙を見つけた十夜と蓮花が背後に回り蓮花は小太刀を、十夜は拳を振り上げシオンに攻撃を仕掛ける。
不意を突いた奇襲は見事シオンに当たった。
当たったのだが―――――――――――――――――。
「なっ!?」
「はっ!?」
シオンだと思って攻撃をしたのは蔦で作られた分身、つまり
「残念です、慌てんぼうさんですね」
空洞の四方八方から今度は荊が槍のように飛び出し二人を貫く。
しかし、蓮花は『空匣』の転移で身代わりを、十夜は身代わりとしてスライムが代わりにダメージを受ける。
「あ、ぶね―――――」
「気付かれてましたかっ」
不意を突いてまさか不発になるとは思わなかった。
もう一度攻撃を仕掛けようとしたが、
「無駄だ! ヤツに攻撃は効かん! アレは魔物の眷属だ!!」
魔術師が叫びすぐさま魔術を発動させる。
空洞全体に結界のようなモノを張り巡らせると巨大な根や荊の槍が枯れ果てる。
「何アレ? スゴイ怖かったんだけど」
アリスが呟く。
結界の外側をずるずると這いずるような音が結界内に響く。
「シオン、一体どうしちまったんだ!?」
「まるでシオン殿が何者かに憑りつかれたようになってしまいましたぞ!!」
万里の言葉に魔術師はあっさりと、
「似たようなモノだ。恐らくシオンには『死臭を晒す捕食森』の一部が憑りついている、というよりも寄生していると言う方が正しいだろうな」
衝撃の発言をされた。
胞子により操り人形と化したシオン。
しかし気になる事がある。
「何でシオンだけなんだ? 他にも俺らに胞子を飛ばせば問題なかったんじゃ?」
「―――――シオンは人間じゃない。『
平然と言ってのける魔術師に対しアリスがジロッと睨みつける。
「何でそんなに詳しいの?」
「まぁ色々とあったんだよ。まぁ数百年の歴史は伊達ではないわ―――――それより、彼女がその種族のせいで『
とにかく、
今すべきことは至急この巨大な魔物をどうにかしなければならないという事だった。
「さて、ではどうするか―――――」
万里は考える。
自分ではこの魔物との相性はあまり良くはないだろう。
そもそも森全体が敵となると自分は特攻するより護りながら戦った方がいい気がするのだ。
同じ理由で蓮花もそうだ。
彼女もどちらかと言えば護衛向きで色々と立ち回ってもらわなければならないかもしれない。
そうなると―――――。
「俺がアイツを足止めする」
十夜が宣言する。
それしかないと悟ったのか立ち上がると肩を回しながら魔術師へ近付く。
「ジーサン、俺をシオンの所へ」
「いいのかな?」
魔術師の質問に十夜はニッと笑った。
「仕方がねぇだろ? 憑き物祓うのは俺ぐらいしか出来ねーだろうし」
「神無月くん―――――信じてますよ?」
蓮花は止めない。
いや、止めることが出来ない。
こうなった今では十夜しかいないのだ。
「――――――――――――任せろ」
十夜の足元が光る。
「今、シオンには先ほどの階層で足止めの魔術を施している。本人は動けんとは思うが忘れるな――――森全体がヤツだと思え」
そう言って魔術師は十夜にコンパクトサイズの鏡を渡した。
パカッと開くと鏡になっているがそれ以外何もついていない。
「私が造り上げたアーティファクト『風見の虚像』だ。これで連絡が取れる。まぁ携帯電話のようなモノだ」
十夜はアーティファクトを懐に仕舞うとみんなに背を向ける。
そして最後に、
「そっちは頼んだよ」
「あぁ、
アリスとの会話はそれだけで良かった。
それだけを交わすと十夜は光の中へ消えていく。
「全くもう、上手く動けませんね」
シオンは一人で身体をくねらせ身動いでいた。
折角食事にありつけたと思ったのに幸先は良くない。
だが、慌てる事はない―――――食事は始まったばかりなのだから。
「さて、誰から頂きましょうか―――――やはり、前菜は貴方ですか、トーヤさん」
自分に近付いてくる気配に気付いたシオンはニコッと微笑みながら舌なめずりをする。
「まぁアンタみたいなお姉さんに喰われるのは男冥利に尽きるんだろうが、生憎と物理的な食事になりたくねーからな、抵抗はさせてもらうぜ」
十夜は両手を前にゆっくりと構える。
彼の双肩には『黒縄操腕』が血管を浮かばせ吠えている。
「さて、始めますか―――――はた迷惑な雑草を引き抜きに」
『
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