第61話

 ゆらゆらと寝心地の悪いベッドに寝かされている気分になった蓮花は懐かしさを覚えた。

 昔、泣きながら修行をしてはくたくたになった帰り道に兄に背負ってもらっていた事を思い出した。


 真っ赤に染まる空をバックに、帰路を辿る一つになった影。

 いつまでも過ごしていたいと思う美しい思い出。


 だが、


 「(なんて酷い夢―――――)」


 これが夢だと言うのは蓮花にも理解が出来た。

 もう、

 でも、

 それでも――――――。

 この泡沫の夢を見ていたいと思うのはワガママなのだろうか?



 うっすらと瞳を開くと見慣れない背中があった。

 首筋には幾つもの汗が流れており、自分が気を失い倒れたのだと気付くまでに時間は掛からなかった。


 「こ、こは―――――?」

 「よォ、目ぇ覚めたか?」


 たった二日ほどだが、ここ最近聞き慣れた声が背中から発せられた。

 神無月十夜かなづきとおや―――――彼が蓮花じぶんを背負い山道を歩いているようだった。


 「―――――変な事してませんよね?」

 「するか!! ってか元気だなオイ。放り出すぞ」


 よく見ると十夜の身体の至るところに傷が付いていた。

 それだけでここまで来るのにかなり無茶をしたのが分かる。

 髪の色も黒かったはずだが、所々に白髪が混じっている。


 「ごめんなさい」


 蓮花は自然と呟いた。

 それを聞いた十夜は「何が?」と聞き返す。


 「私はあの人に敗れてしまいました。この世界でも忍びの技が通じると勝手に思っていたのですが、私の読みが甘かったようです―――――完敗ですね」


 どこか自嘲しているような蓮花の様子に十夜は黙っている。

 そして、


 「このおばか」


 頭を後ろへ勢いよく振る。

 十夜の後頭部と蓮花の額が思い切りぶつかる音が森に響く。


 「ッッッッッッッ!?」


 蓮花は涙目になりながら「何をしますか!?」と抗議するが、後頭部を強く打った十夜の方がダメージは大きい。


 しばらく二人が悶絶していると、先に落ち着いた十夜が喋る。


 「あのな鳴上。お前はまだ生きてるだろ?」

 「えっ―――――」


 それは、思いがけない言葉だった。


 「生きてりゃ負けも勝ちもねぇ。死んだら負けになるんだろうが鳴上はまだ生きてる。って事は。それまではまだ負けちゃいねぇよ」


 十夜の不器用な言葉は蓮花にとって信じがたい事だった。

 彼女の育った『夜刀の里』では〝負け=死〟と言う〝掟〟がある。

 幼い頃からその掟に従ってきたのだが、そのせいか十夜の言っている意味がよく分からない。

 分からないが、


 「――――――そう、ですね」


 ここは異世界なのだ。

 もしかしたら彼の言う通り〝里の掟〟などここでは関係ないのかもしれない。


 今回はエレクティア・ノーズに敗北した。

 しかし鳴上蓮花はまだ生きている。

 ならば、やる事は決まっている。


 「―――――――必ず勝ちますよ」

 「はっ、その意気だ」


 二人は山道を歩きながら声を上げて笑った。

 そう、難しく考える事はなかった。

 自分はまだ生きている。

 彼女にとって本当の敗北とは〝死〟と〝元の世界に戻れない〟時だ。


 蓮花の気持ちが冷静になった時、ふと今の状況を俯瞰した。


 


 急に恥ずかしくなった蓮花は大人しくなった。

 今まで同年代の男の子の知り合いが居ないわけではなかったが、やはり特殊な里と言うこともあり喋る機会もあまり無かった。

 しかも現在女子校通いの彼女は他の男性とも喋る事がない。


 それに男性の身体に触れたのも兄ぐらいなのだ。

 心臓がドキドキと鼓動し、顔が熱くなってたりする。


 「(何でしょう、これは?)」


 思わず黙ってしまう。

 しばらく無言が続き気まずくも苦にはならない時間が過ぎてゆく。

 そしてふと、


 「なぁ鳴上」

 「ひゃいッ!?」


 思わず声が裏返る。

 ドキドキが強くなる。

 不思議な感覚に陥っていると、



 「お前もうちょっと肉付けた方がいいんじゃね? 栄養がもしかしたら胸にいくかもな―――――はっ!?」



 口を滑らせたと思ったがもう時既に遅し。

 ギギギギギと壊れた機械のように首を回した十夜は、


 「――――――――――――」


 菩薩を見た。

 慈悲深く見つめる瞳は穏やかだが、その手にはいつもの苦無と見覚えの無いバチバチッッッ! と放電する鎖鎌が握られていた。


 「いやですね、ワタクシはこの照れくさい空気を和ませようと必死に考えたギャグでございまして決して他意は御座いませんことですよーッッッ!?」


 しかし怒りのゲージが振り切った菩薩れんかの耳にその叫びは届くこと無く森の中で十夜の叫び声が木霊するのであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る