第7話
十夜と蓮花が身を潜め、そっと木の陰から様子を窺っていた。
目の先は『メムの森』に入って初めて広い場所だった。
木々は生えておらず、少し切り崩されていた岩肌が目立つ平原になっており、そこでは〝誰かが〟、〝何か〟を食べていた。
最初見た時は大柄な人影だったので自分達が探していた人物かな? と思った二人だったが、その顔を見てすぐに違うという事に気付いた。
その人影はまず人ではなく人型の魔物だった。
顔は鬼の様な厳つい顔に鋭い牙。
体格は自分達の二倍から三倍ほどの大きさを持ち、その個体の腰蓑にはベルトのように自分が今までに狩った獲物の頭蓋骨が巻かれていた。
この魔物も異世界なんて場所ではメジャーな生物で十夜には心当たりがあった。
「確か、『オーガ』って言うんだっけか? 鬼みたいな魔物だったと思うんだけど―――――何か想像よりおっかねぇ」
十夜が言った通り、オーガは鋭い眼光を撒き散らせ周囲にいるであろう他の魔物を威嚇していた。
オーガが威嚇する度に森全体が震えるようだった。
「あれが『元凶』ですか―――――今食べているのは先ほどの黒い狼ですかね?」
十夜には見えなかったが、忍者である蓮花の視力は常人よりも優れている為よく見えているのだろう。
その通りであり、オーガは現在食事中のようだ。
しかもブラックハウンドだけでなく、この森で遭遇した猪や鳥の魔物に大百足やスライムなんかもいた。
「うへぇ、雑食だなぁ。…………ってかスライムって美味いのか?」
「さぁ? 私はところてんみたいで嫌ですけど」
どうやら蓮花はところてんが苦手なようだった。
今度向こうに戻ったら絶対に食わせてやろうと心に誓うと、オーガに動きがあった。
満腹になったのか自分の腹を軽く叩きながらもその表情は少し眠そうだった。
「あんなバケモンと無理に戦う必要はねぇだろう。眠ったんなら眠ったでこっちは無傷であの横を通れんだからよ」
十夜の言う通り、ここで
そもそも彼らの目的はここに入ったという二人と同じかもしれない『異世界転移者』とフェリスの持っていた『通行証』だけなのだ。
無駄な事はしないに限る――――――――――そう思っていた。
「ふむ、そこのデカい方。ちぃっとばかし道を訊ねたいのだが?」
十夜でも、蓮花でもない。
第三者がウトウトし始めていたオーガに声を掛けていたのだ。
これは二人ともすぐに分かった。
こちらの人々なら魔物に近付く酔狂な者はいないだろう。
ならば、
状況をよく理解していない一般人、即ち自分達と同じく『異世界からの転移者』ぐらいだ。
そんなイカれた行動を起こしたのもだが、何よりもその声を掛けた人物の特徴が、寺の住職が羽織るような黒い袈裟に天蓋という編み笠の被り物、そして手には細長い棒の先端にいくつもの輪っかが取り付けられている錫杖を持っていた。
俗に言う虚無僧のような姿をしているのだ。
これで現地人だとしたら笑うしかない。
案の定、眠りの邪魔をされて怒り心頭なオーガは雄叫びを上げる。
少し離れた位置にいた二人ですら怯むほどなのに対して近距離でいた虚無僧は気にも留めずに話しかけていた。
「おやおや、デカい方と言ったのは謝罪しよう。なに拙僧も体格は大きい方だと自負はしておったのだが、上には上がおるものだと少々驚いてしまってな。いやスマンスマン」
火に油。
人の言葉が分かるような相手ではないだろうが、それでも現状ものすごくピンチだという事はすぐに分かった。
オーガは手にしていた自分の腕の太さほどある木の棒――――棍棒を手にし大きく振りかぶった。
「やべぇっ! 鳴上!!」
「ええッ!!」
それだけで自分達が何をすべきかを理解した。
まず遠距離として蓮花が百足の毒付き苦無を十本ほど投げつける。
死角からの投擲に不意を突いたのだが、
「グルゥゥゥオオオオッッッ!!」
死角からの苦無を振り向きもせずに十発の苦無を全て撃ち落としていく。
「!!?」
野生の勘と言うべきか、距離があったとはいえ危険を察知したオーガは目の前にいた虚無僧よりも蓮花の投げた苦無が危ないと咄嗟に判断したようだった。
「図体デケェクセにお早いこったで!!」
十夜が皮肉を言ったと同時に再びオーガの咆哮が辺りに響き渡る。
離れていたはずの二人に凄まじい
「ま、また―――――ッ」
「うるせぇッッッ!?」
オーガの雄叫びが二人の動きを止める。
位置は先ほどの攻撃で割り出されているので二人の居場所はもう知られている。
不味い、そう思った時だった。
「おおっ、突然大きな声を上げてどうなされた?」
と虚無僧の男が平然とオーガの隣に立っていた。
手にしていた錫杖がシャンシャンと鳴っている。
オーガの額に青い筋が浮かび上がる。
しかし空気が読めていないのか男はまだ喋っていた。
「そこまで怒り心頭だったとは―――――いやはや申し訳ない。しかし突然大声を上げずとも良いのではないかな? 拙僧の鼓膜が破れそうですぞ?」
カカッと笑っている様子は近所で立ち話をしていると錯覚してしまうほど自然だが、事情を知る二人からすればそれはあまりにも不自然で自殺願望でもあるのかと思うほどだった。
「アイツはッッッ!?」
「神無月くんはあの人を!! 私があの魔物を引き付けます!!」
二人の内まともに戦えるのは自分だけだと判断した蓮花は小太刀を片手に飛び出す。
悔しいがその判断は間違っておらず、このままでは十夜が足手まといなのは目に見えていた。
互いが自分の出来る事をするべく同時に動いた。
しかし、
それでもオーガが動き出すのが早かった。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオァァァァァァァァァァァァァッッッ!!」
雄叫びと共に片手に持っていた棍棒を振り上げ一閃する。
その
グシャァァァッッッ!! と虚無僧の顔面に直撃した。
天蓋は吹き飛び同じように虚無僧の男も一緒に森の木々を薙ぎ倒しながら吹き飛んだ。
駄目だ。
今の一撃は絶対に助からない。
ノーガードでトラックに撥ねられたようなモノだ。
それぐらいの衝撃だった。
「―――――ッ! 鳴上!! 作戦変更! 俺があのバケモンを引き付ける!! だからお前はあの坊さんを!!」
蓮花は何も言わず猛スピードでオーガの横を駆け抜け虚無僧の元へ走る。
そのスピードについていけず少し遅れて自身が虚無僧をそして横を駆け抜けて行った人間の方へと視線を向ける。
「テメェの相手は――――――――――――」
死角になった方向、背後から声が聞こえた。
一瞬、その声に反応が遅れてしまい、
「俺だよッッッッッ!!」
十夜が先ほどオーガが叩き落とした苦無を拾い上げるとその一本を振り上げ、オーガの目に突き刺した。
悶絶するオーガを横目に蓮花が虚無僧の元へと駆け寄るのを見届け、
苦無を逆手に構え
「悪いな、お前の相手はあっちじゃねぇよ―――――俺だ」
手足が震える。
神無月十夜は人間相手の喧嘩なら一対一に持ち込めればある程度は勝てる。
しかし、
今、自分の目の前にいるのは人間ではなく
震えるのは自然の摂理だ。
だが、ここまでくればもう逃げられない。
目の前にいるオーガも自分を敵と認識し先ほどとは比べ物にならないほどの咆哮を上げる。
覚悟を決め、十夜は全神経を集中させる。
「来いよバケモン。ここからは―――――俺が相手してやる」
ここに来て初めて感じる死の恐怖に、
額に浮かぶ汗を拭う事なく十夜は立ち塞がった。
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