第4話
『メムの森』に改めて入った十夜と蓮花の二人は周囲を警戒しながら暗い道を進んでいく。
初めて来た時とは違い、今度は慎重に進んでいた。
「魔物ってのはRPGに出てくるモンスターみたいなもんかなって俺は思ってる」
それは蓮花の質問から始まった事だった。
魔物、そう言われてもピンと来ていなかったので説明を受けている最中だったのだ。
「なるほど、つまりはゲームの世界みたいな感じなんですね」
単純に言えばそうなのだろう。
しかし、どう見てもこれは現実だ。
ゲームのようにセーブやロードは無く、恐らく怪我をすれば痛いだろうし死んでしまえばそれまでなのだ。
知らなかったとは言えよく今の今まで無事だったものだと内心ホッとしていた。
「ゲームじゃ武器とか防具なんて装備品が落ちてたりするんだろうけど、どうやらそれも期待薄だな」
落ちているのは木の枝や上から落ちて潰れた木の実、そしてたまに見かける白い物体は何かの骨なのだろう。
何かは深く考えたくはないのだが。
しばらく森を進むと蓮花が立ち止まる。
「どうした?」
「静かに―――――――――――分かりませんか?」
その言葉に十夜は集中する。
数メートル先、そこで何かが動く気配を感じ取った。
「何かいるな」
「やはり分かりますか?」
ニヤッと笑った蓮花を見てその言葉に何を考えていたのか分かった十夜はため息を吐いた。
「あのな、人を試すような真似はやめろよ」
「あら、同じ事をしたのはそちらが先のような気がしますけど?」
どうやら最初の出会いの事をまだ根に持っていたようだった。
鳴上蓮花という少女は只者ではないと神無月十夜は理解していた。
華麗に鮮やかに盗賊を撃退したあの腕はかなりの熟練者と見ていたのだ。
「まぁ寸前まで気配を感じさせなかった神無月くんも凄いと思いますよ」
「―――――お褒めに預かり大変光栄でございますよ」
軽口を叩きながらも二人はそっと気配のする方へと足を運ぶ。
近付くにつれてどんどんと気配は濃くなっていく。
鼻に付く獣臭が漂い始めた頃、その正体が判明した。
二人がそっと木の影から様子を窺う。
最初の印象は黒だった。
黒い毛並みは黒鉄を彷彿とさせ、その鋭く裂けた口からはダラダラと涎を垂らしていた。
うっすらと黒い毛並みから覗かせる爪牙は乳白色に染まっており引き裂かれれば一瞬であの世へ旅立ってしまうな、と十夜はそんな事を思っていた。
「犬―――――いえ、狼、ですかね?」
「多分、な」
蓮花の予想は当たっており、自分たちが知る犬にしてはかなり大きく〝狼〟という表現が正しいのだった。
異世界に来たばかりの二人は知らないが、その魔物は
このブラックハウンドはこの世界では危険な魔物でありその俊敏性から気が付けば身体を食い千切られていた、と負傷する者が続出している。
一番最初に冒険者が出会うとされている魔物だった。
しかし、二人はそんな事を知る由もなく目の先にいる一匹のブラックハウンドに釘付けだった。
「こちらに気付いていませんね…………今ならやれますよ?」
「真剣な声で物騒な事を言わないの。―――――でもこんなところに一匹って変だな」
十夜が呟いた。
それを聞き逃す蓮花ではなく、どういうことなのかを問いただす。
「いやな、さっき俺らが感じた気配って本当に一匹だけだったか?」
十夜の察した通り、このブラックハウンドは本来は〝個〟ではなく〝群〟で行動する。
一匹は囮として獲物の前に姿を現し、
そして残りは―――――――――――――――――――――――。
「グルルルルルルォォォォッッッ!!」
鋭い牙を剝き出しに二人の背後から別の『ブラックハウンド』が群れを成して襲い掛かる。
ガギィィィィィィンッッッ!!
その牙は肉を引き裂くことは無く宙を虚しく鳴らすだけに終わった。
「おっと」
「危ない危ない」
二人はそのブラックハウンドの攻撃を難なく避ける事が出来た。
しかし結果として二人は見晴らしの悪い場所に誘導される事となった。
岩肌が露出し足場が悪い。
「まんまとやられましたね―――――犬なら可愛かったんですが……」
「さっきからちょいちょい気になったんだけどその感性ってどうなの? ってか飼うつもりだったとか止めてね!!」
ブラックハウンドの数は十五。
本来ならばこの数を前に冒険者や騎士団といった腕に自信のある者達ですら警戒を怠らない。
しかし二人はどういったわけか警戒するどころか余裕を見せていた。
しかも、
「じゃ、俺は見学しとくから鳴上、頑張ってくれ」
とそのまま去ろうとしていた。
しかしそんな十夜の頬を掠めるように〝何か〟が飛んできた。
それは木の幹に突き刺さり、十夜の頬にはつぅと血が一筋流れてきたのだ。
「神無月くーん。いい加減にしないと怒りますよ♪」
ブラックハウンドの圧よりも鳴上蓮花が放つ殺気の方が数十倍怖かった。
十夜は蓮花の投げたモノを引き抜くとトテトテと近付き頭を下げた。
「すんませんッッッッッした!!」
全力で土下座をした。
さすがに調子に乗り過ぎたようだった。
「分かればいいんです。全くもう、少しは役に立つところを見せてくださ―――」
今度は四匹のブラックハウンドが四方から蓮花へと飛び掛かった。
死角から飛び掛かる魔物に見向きもせずに蓮花はその場を一歩も動かない。
『ブラックハウンド』の爪牙が彼女を噛み殺そうと襲い掛かろうとした時―――。
「遅いですよ」
そう呟くと同時にブラックハウンドの爪牙は蓮花の華奢な身体に食い込んでいく。
血肉が飛び出し蓮花の命の灯火は消えていく―――――はずだった。
しかしブラックハウンドがその歯牙を食い込ませたのはその辺に置いてあった『丸太』だったのだ。
「!?」
ブラックハウンドは驚愕する。
無理もない。
獣達は確かに少女の華奢な身体に自分達の牙を突き立てたはずだった。
肉を、骨を、その全てを蹂躙するはずだったのだがその少女の姿はどこにも無かった。
「言ったでしょう? 遅いって」
蓮花の声はブラックハウンドの頭上から聞こえてきた。
高く飛び上がった蓮花は手にしていた白銀に光る刃を『ブラックハウンド』の脳天目掛けて振り下ろす。
「ギャインッッ!!」
首と胴体が別々になったブラックハウンドは短い悲鳴を上げ絶命した。
残った三体は何が起きたか理解が追い付いていなかったが、本能的に〝この人間は危険だ〟と感じたのか連携して襲い掛かる。
しかし、
「ワンちゃんを手にかけるのは非常に心苦しいのですが―――――」
蓮花の手にはいつの間にやら握られていた小さな黒い刃―――――先ほど十夜へと投擲した武器が握られていた。
それを投げ放ち的確に目や口の中、眉間へと吸い込まれるようにその刃が深く突き刺さっていく。
瞬殺。
あまりの手際の良さに十夜は手を叩く。
「おぉ、お見事」
油断していた十夜の背後から囮の役割だったブラックハウンドがその牙を剥き出しにし十夜の首筋に突き立てようと襲い掛かる。
しかし、それに気付いていた十夜は振り向くことなく、先ほど蓮花に投げつけられた手の平ほどの大きさの黒い刃をブラックハウンドへと突き立てる。
周囲へと気を配るが、これ以上の魔物の気配を感じなかったので二人は臨戦態勢を解く。
「おいおい、一匹取り残しいたぞ?」
「何を言ってるんですか? 仕事を分け与えただけですよ。ここにきてから私ばかりに戦闘させるのはどうかと思いますが」
そう言って蓮花はブラックハウンドの死体から投擲した武器を引き抜く。
それに倣って十夜も回収しようと自分が使った武器を引き抜いた時に、改めてその武器を見た。
黒く光るその小さな武器は刃物、というよりも投擲に特化した小さ短剣のような形をしていた。
柄の部分には白い帯のようなものが巻かれておりその先は丸いドーナツのような輪っかが取り付けられている。
歴史や観光地にお土産物などキーホルダーなどでよく見るそれは『
「忍者?」
「せめてくノ一と呼んでください。一応これでも女性ですよ?」
その言葉に自分が忍びの者―――――いわゆる『忍者』であると肯定しているようなものだった。
なるほど、とさっきの魔物に襲われた時に「身代わりの術みたいだなぁ」と思っていたものは本当に『身代わりの術』だったようだ。
そして、
初めて彼女の出会った時に〝只者ではない〟と感じた自分の勘は正しかったようだ。
「なんか憤りを感じます」
いきなり忍具を懐に仕舞うとジト目で睨んできた。
「なんで!?」
「私ばかり手の内を晒すのはフェアじゃないです。貴方も何か教えてください」
なんと横暴な、とも思ったのだがその様子が年相応の女子学生のようで何故か青春を感じてしまった。
神無月十夜という男は今まで暗い灰色の青春しか送って来なかったので新鮮な感じがしたのだ。
「しかし教えろっつてもなぁ、俺個人が出来るのは対人の喧嘩しかしてこなかったし」
嘘ではない。
彼が通っていた学校はお世辞にもいい学校とは無縁の場所だった。
色々と事情があったのだが、自分の通う学校は有名な不良が集まる学校で、そこでは毎日が喧嘩三昧だったのだ。
それを説明すると、
「はぁ、まぁいいです。一応それを信じておきましょう」
と言われた。
どうやら十夜と同じく蓮花もそこまで心を開いている感じではなかった。
微妙な空気の中、最初に異変があったのは『ブラックハウンド』の死体だった。
腐敗する間もなく十五体いたブラックハウンドの内、三体ほどが霧散し白い小さな物体へと変わっていく。
「何だこりゃ?」
十夜が拾い上げると乳白色のそれは牙なのか爪なのか分からないがそんな形をしていたのだ。
特に気にしなかったが、十夜はそれを拾い上げ袋へと収めていく。
「何なんですか?」
「分かんね。でも何となく拾っといた方がいいかなぁって」
意味があるのかは分からないが、持っておくに越したことはないと思いながら二人は先へと歩みを進める事にした。
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