第2話② 聖域の森


 墓地を出た俺は、本来の用事に戻った。川の上流の調査だ。

 例の川は、港から見て島の反対側辺りで海に流れ出ている。河口付近はエサが豊富らしく、港から一番近い漁場となっていた。それは島の中から川が栄養素を運んで来ているからなのだが、その川に異変があり、漁場にも影響が出たのではと言う話らしい。

 その川の源流は、島のほぼ中心あたりにある泉となっているのだが、そこはノクリア教の聖域とされている森の中心でもある。そもそもダイナダのある島のほとんどはこの聖域の森となっていて、人が生活しているのは島全体の5分の1程度だ。

 そしてこの聖域の森に入る為には、教会でノクリア様に祈りを捧げるなどの儀式をして、承認を得なければならない。この儀式をする為に教会に行っていたのだが、そのついでに鳥の巣の移動もしてきたのだった。


 

 墓地の奥から森に入った俺は、道のない森の中を進む辛さを忘れるため、今回の調査に関係のある、川の周辺のややこしいあれやこれやを思いだしていた。

 

 だがしかし、一頻り思考を終えたのに、まだ着かない。



 それからさらに無心で進むこと、30分。ようやく泉の手前まで来ていたのだが、何やら森の様子が変である。 

 立ち枯れしている木が、泉に近づけば近づく程増えていくのだ。中には枝先が白くなっているものがあり、触れてみるとすぐに粉々になった。石化とでもいうのだろうか。虫や動物などの生き物もいなくなった。


 不安に思いながらも進んでいき、ようやく泉が見えるところまで来たのだが、そこに広がる光景に唖然とする。



「…なんだよ、これ。」



 一面が真っ白だった。

 


 父が生きていた頃、調査の為にこの泉にきたことがあった。その時も言葉を失ったが、それは美しい景色に圧倒されたからだった。草木は深い緑で力強く息づき、泉は透明で透き通っていた。泉の反対側は崖となっているのだが、その崖面から大木が泉に被さるように伸びていた。

 

 だが今は、一面が白一色である。泉の周辺にある草木の全てが、先程見たように白く石化し、砕けて散らばっている。崖面にある大木も同様で、泉の水も白く濁っていた。

 全ての命が消え去ったような静寂に、体の芯から震えるような悪寒が走った。


 不漁の原因は、この泉周辺の異変の影響で間違いない。しかし、異変が何故起きたかは検討もつかない。

 とりあえずもう少し周辺を調査してみることにした。


 一通り見て周わると、泉を中心に異変が広がっていることがわかった。後は、ここからではよく見えない崖の上を行くことにした。


 崖の周辺は急斜面が多いので、登れるところまで大きく回り込んで行かなければならない。白い石化現象の辺りを抜けて、再び草木をかき分けて進む。



 そろそろ崖の上に繋がるルートに出た時だった。大きな爆発音がし、鳥たちが騒ぎ出した。

 周りを見渡すと、後方から煙が流れてくるのが見えた。何が起きたかわからないが、燃えているようだ。何やら人の気配模する。

 次の瞬間、横の茂みから出てきた人影に首を抑えられ、近くの木に押し付けられた。


「…けっほ。なん、なんだ。」

「えっ!あなたは先程の?」

「墓地で会った少年か…。」


 拘束が解かれたので、首を抑えてしゃがみ込んた。咳き込みながら顔を上げると、さっき墓地であったリルが心配そうに覗き込んでいた。急に襲って来たのは、一緒にいた従者のようだ。


「大丈夫ですか、シン?」

「…リ、ルか。」


  リルに手を貸して貰いながら立ち上がる。


「いったい何が…。」

「お嬢様!奴らが来ます!先にお逃げ下さい!」

「でも、貴方が危険です!」


 どうやら、誰かに追われてる様子。2人で話し込んでいる。急展開過ぎて付いていけない俺は放ったらかしである。


「なるほどな。現地民を雇って案内させてたか。」


 また人が出てきた。次は厳つい顔をしたおっさんが、筒状の武器らしきモノを持っていた。腰に剣も提げている。これだけわかりやすい要素を揃えてくれてるのだ。コイツが2人を追って来たので間違いない。


「しまった!もう囲まれたか。」


 従者は、少女と俺を守るようにして拳を構えた。周りをみると同じような奴らが取り囲んでいた。武器を構えながらジリジリと距離を詰めて来る。


「オフィーリア家の娘だな。お前の親父が、死ぬ前に託したものがあるはずだ。それを渡してもらおうか。」


 厳つい顔をしたおっさんが、威圧しながら寄ってくる。


「お嬢様。私がスキを作ります。その間に少年を連れてお逃げ下さい。」


 従者が小声で発した言葉にリルが小さく頷く。それを確認すると、両手の甲を合わせるように交差させた。よく見ると従者の手には、大きな緑色の石がはめられた厚手の革手袋がつけられていた。その石が光ったかと思うと、周囲にも小さな緑色の光が無数に現れ、風の流れと共に、渦のように巻いて従者の手に集まって行く。


「ちっ!クソが!」


 おっさんが武器を構えるが、それよりも速く従者が地面に拳を突き立てた。

 その瞬間、爆風が吹き荒れた。土が爆ぜて飛び散り、葉っぱや枝、小石などが爆風に乗って飛んでくる。俺はなんとかその場で耐えた。しゃがんだ体勢だったのとリルが上から覆いかぶさるように守ってくれていたからだ。


「立って走って下さい!」


 少し風がやんだところで、リルが俺の腕を引いた。言われるがままに立ち上がり、リルに手を引かれて走り出した。


 混乱する頭を必死で働かせようとするが、訳がわからないことが多すぎる上に全力で走っているので、まったく頭が回らない。足を止めないようにするだけでいっぱいいっぱいだ。


 「あっつ!」


 首筋に熱を感じたと思ったら、すぐ右手にあった木が爆ぜて燃えだした。

 振り返ると2人ほど追って来ていた。先程の筒状の武器を構えている。次の瞬間筒先から赤い何か飛び出した。思わず頭を下げると、頭の上を掠めていった。上からパラパラと燃えた木や葉っぱが落ちてきた。


 これはヤバい!命取られるやつ!


 前を向き直し、必死で逃げる。もちろん後ろを気にしつつ。あれに当たったら死ぬって!


 逃げながら見えてくる景色に、ふと違和感を覚える。なんか白い木がちらほら見えるような…。

 ということは、この先は泉の上辺りのはずで…。


「ちょっ、ちょっと待って!この先はヤバい!」


 リルは、未だに俺の手を掴んだまま走っている。必死で逃げているので、息が上がり、こちらの声に気付かない。

 なんとか止めようと手を引こうとしたが、タイミング悪くまた赤い何かが飛んで来てバランスを崩す。

 なんとか持ち直し、顔を上げた先にはもう地面が途切れているのが見えた。

 しかしリルにも同じ景色が見えているはずなのに、スピードを落とすことなく走っている。


「ちょっ!まっ!」


 リルはしっかりと踏み切り、俺はバランスを崩しながら、2人して空中へ飛び出した。


 ここは泉の崖の上。高さは20~30mはある。

 こんなとき走馬灯が見えるとか言うが、そんなことはなかった。こんなに立て続けにいろいろ起きているので、そんなものを見る余裕は、俺の脳に残されていないらしい。それでも、落ちて行く景色はスローモーションで流れていくように見えた。


 その時、リルのカバンの中からあの白竜、ノアが飛び出してくるのが見えた。口に何か金色の物を咥えている。それが緑色に光ったかと思うと、体が弾むように浮き上がった。その衝撃に目を瞑る。


 地面にぶつかったのかもとも思ったが、まだ浮遊感がある。

 目を開けると、まだ空中にいるようだ。周りの景色がゆっくり流れていく。死の間際のスローモーションという訳ではなく、何かに乗せられて、ゆっくりと降りているようだ。泉の崖にあった大木の横を通り過ぎていく。

 リルを見ると、その場にしゃがみ込むように見えない何かに乗っている。仰向けで変な格好になっている俺とは大違いだ。


 地面から1メートルくらいのところまできたとき、急に乗っていたものが消えた。

 そのまま背中から地面に落ちた。


 「痛ってぇ!」


 当たりどころが悪かったのか、息ができない。

 むせながら上を見た。崖の上が見えて、あそこから落ちたという事実が頭を巡る。

 視界の端からリルの顔が覗いてきた。


「大丈夫ですか?」

「…。」


 息が整うと共に、ようやく気持ちも落ち着いてきた。ゆっくり体をお越し、座り直す。あっという間に起きたたくさんの出来事をなぞり直し、ふと思う。


「君は、いったい…。」


 空想上の生き物を連れ、謎の武器を持つ奴らに追われ、魔法のような力を扱う。

 このリルという少女が何者なのか。



 少女は、憂いを帯びた表情から、深く瞬きをしたあと、決意の籠もった目をして答えた。


「私は、“ブリージングランド”の末裔です。」




 “ブリージングランド”





 それは、親父が研究の中でたどり着いた、“空飛ぶ島”の呼び名だった。






 


 


 

 

 

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