第1話⑤ 父

 コルトは、店の手伝いがあるからと、キルトやカントと帰って行った。一人になった俺は、頼まれていた川の上流の調査に向かう前に、寄り道をすることにした。

 礼拝堂の祭壇横の奥まったところに、教会の裏手に出る扉がある。


 ゥワンっ ゥワンっ


 扉を出るといきなり吠えられた。思わず一歩引いてしまった。

 教会の裏手には、いくつかの檻や柵があり、ケガをした野犬やイノシシなどが保護されている。聖ノクリア教の教えでは、人間だけでなく、この地に息づく全ての生き物や植物を聖母ノクリア様が生かして下さっていると考えているためだ。

 野生動物の警戒する居心地の悪い空気の中を抜けて行くと、墓地に出る。


 墓地は、教会の裏手に広がっていて、端の方は崖になっている。ここからの景色もとてもよく、教会の正面とは違って建造物は見えず、大自然が広がっている。崖の下からは、聖域とされている緑の深い森が続き、その先には大海原が広がっている。左手には小舟でも行ける距離に隣の島があるが、こちらから見えるところとは反対側に小さな集落があるだけなので、緑がこく広がっている。ここから見る夕焼けは見事で、一人になりたい時には、時々来ていた。


 崖の手前、墓地の端に、周りから離れてポツンと小さな墓がある。


 『マイケル=ローガット』


 そこには、父の名前のみが刻まれている。


 父の墓を、オウル神父の厚意で建ててくれることとなったのだが、よそ者であり、この教会の関係者でもないために、俺が遠慮していた結果、このような墓になった。そして、名前しか刻まれていないのにも理由がある。


 ここには、父の遺体は入っていないのだ。


 父は5年前、“空飛ぶ島”の研究をするために、俺を連れてこの地にきた。それは、病気がちで俺が小さい頃に亡くなった母の夢でもあった。


 始めは、教会を中心に調査していた父だが、聖母ノクリアが『海の底からその地に生きるもの全ての命を支え、慈しんでいる。』という一節から、海底に何かあると考え、海に潜り始めた。でもそれは、島の人たちと揉める原因となった。

 聖ノクリア教では、聖母が眠る海底は聖域とされており、海に潜ることは戒律で禁じられている。だから島の人たちは、海に浸かる程度のことはしていても、決して泳ごうとはしない。

 父は、戒律の話を聞き、潜ることはやめ、小舟で島の周辺を調査し始めた。 


 その後すぐの頃だった。

 父の乗っていた舟が、空っぽで見つかったのは…。


 舟に乗せていた道具などは、濡れることなくきれいなままだったので、やめたはずの海底調査のためにまた潜り、事故にあったのではと思われた。


 島の人たちは、聖母ノクリア様の罰が降ったと噂していた。残された俺も、罰を受けた者の子どもと言われ、避けられていた。

 そんな俺を助けてくれたのがゴードンさんだ。ゴードンさんは俺を引き取り、周りから守ってくれた。

 オウル神父も、聖母ノクリア様は、救うことはあっても、罰を与えることはないと、父の墓を建てる手助けをしてくれた。

 

 2人の恩人に助けられ建てられた墓だが、遺体がないので、没年も祈りの言葉も彫らなくていいとお願いしたのだ。 

 

 あれから4年の月日が流れた。

 父がもう戻ることはないと受け入れてはいる。


それでも…

 

 父が“空飛ぶ島”の研究をしていなければ…。

 この地に来ていなければ…。海に潜っていなければ…。

 俺がとめていれば…。


 消化しきれない思いは、何年経っても生傷のように残り、痛みを伴って存在を主張し続けている…。





「わぁ…。きれい…。」



 急に声が聞こえて驚いた。振り返ると、崖の上から景色を見ている少女がいた。


 薄茶色の髪が光を浴びて煌いている。

 深緑色のスカートは、強い風に靡いている。

 その横顔は、少女みたいでありながら、浮かべている表情は大人びている。


 昨日港で見た、あの少女だった。


 何故か目が離せず、ただただその横顔を見つめていた。

 


 


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