第34話 期待と交換

「……何があったの?」

遅れて登場した前野がそう言うのも、無理は無い。

「えーっと……水瀬さんが無双してる」

「マリカーで?」

「うん、マリカーで」

沈黙する佐野の考えることは、おそらくこうだ。

『今日って勉強会じゃなかったっけ?』

――さて、これまでの事をどう説明しようか。


前野が来る少し前に、話を戻そうと思う。

水瀬さんが一位を取ったその後、狂うように行われたレース。それはどれも同じような結果だった。

一位は水瀬さん、二位は俺、三位は佐野だったり倉科さんだったり。

俺は三レース目を過ぎたあたりで疲れて辞めてしまったが、水瀬さんの圧倒的な走りに対抗心を燃やした他二人は“打倒水瀬”などと謳って、ただひたすらに決闘レースを挑んでいた。

――しかし、彼女に勝とうなど百年早かったのだ。

ことごとく負けコテンパンにされる二人に、俺は涙が止まらなかった。(嘘である)


「……とまあ、こんな感じで今に至ってる」

「なるほど、それで今もああやって挑んで泣かされてるってわけね!」

もはやヤケクソになっている佐野に、前野は容赦なく毒を吐いた。効果は抜群だったらしい。

「そーだよ!! 水瀬さん強すぎて1回も勝ててねーの! いちいち説明させんな!」

そう言いつつ、まだリモコンを握っている佐野。

一方倉科さんは負け続けたことで心が折れ、ヤケ酒ならぬヤケコーラをキメていた。

「ぷっはぁー、やってられんわこんなレース!」

なんとも酒癖の悪いことだろう。俺は大人になって居酒屋で飲んだくれている彼女を易々と想像出来た。


「あ、そうそう。遅れちゃったお詫びにお昼ご飯買ってきたよ〜!」

前野がパパーンと、効果音のつきそうな勢いで持っていた袋を掲げた。

「お、ピザじゃん。いいね」

俺のその一声に、一斉に皆が袋に釘付けになった。お前らは獣か。

「ピザ!? さっすが前野! 俺の好きなテリヤキチキンは当然あるよな?」

当然ってなんだ、当然って。

「丁度食べたかったとこなの! ありがとう! ピザって地味に高いでしょ? お金払うよ〜!」

視線はこっちに向いているが、運転はしたままなところが恐ろしい。

「おー! いいツマミになるわありがと」

……一人明らかに同い年じゃない気がした。


「ぅん〜! ほのひーじゅしゅごくのびゆ〜!このチーズすごく伸びる〜!

ピザを持った手を遠ざけながら、水瀬さんが頬張っている。正直、小動物みたいでものすごく可愛い。

そのまま、もぐもぐっと何ピースか平らげると、「さっきまで皆でゲームしてたんだけど、前野くんも良ければ一緒にしない?」と言った。

「もちろんいいよ〜! でも勉強はしなくていいの?」前野が尋ねる。

「え、勉強は……また今度でいいよね!?」

ね! 田中くん! と、突然話を振られた。

こんなに楽しんでいる彼女に「今から勉強はしようか」と言える強者はきっと居ない。

「まぁ、勉強はいつでも出来るし」

いいんじゃない? と続ける。

(本当はゲームこそ、いつでも出来るけど……)

正論が何時いつでも正しいとは限らないのだ。

(夏休みだし、まあいっか)

俺は、机の上で空になったピザの箱も片付けずに、彼女の横に座った。



「お邪魔しました〜!!」

四人が声を揃えて言った。

いつの間にやら時間が経っていたらしく、太陽が山に身を隠そうとしていた。

「結局たいして勉強してなくね?」

「ほんまや、最初の方しかしてないし、前野に限っては一切してないじゃん」

「え〜そんなことないよ。皆がカート選んでる時とかにしてたからね?」


倉科さんが佐野と前野と話している様子に、改めて少しホッとする。

(倉科さん、怖い人じゃなくてほんと良かった……)

倉科さんを勉強会に呼んだ、と佐野から聞いた時はどうなることかと思ったけど。案外何とかなるもんだな、と俺は思った。

「じゃあ、また」

そう言いかけた時、水瀬さんが「ねぇ、田中くん」と声をかけてきた。

また視線が重なり、胸の奥の方がキュッと縮む。

「LINE、田中くんと交換したいなって、ずっと思ってて……」

(あぁ、そういえばこんなにも仲良くなったのにしてなかったっけ)

なんだ、そんなことか――いや、なんだってなんだ。俺は何を勝手に期待していたんだろう。

「全然いいよ。交換しようか」

お互いスマホを取り出し、QRコードを読み取る。

画面に表示される“真雪”の二文字。背景画像には大きなハスキー犬が設定されている、彼女のプロフィール。

(この犬、家で飼ってるのかな)

そんな事すらも知らない。どんな食べ物が好きで、どんな事が得意なのか――それすらも、知らない。


「やっと交換できた! ありがとう、また連絡するね!!」

「あ、うん。こっちこそありがとう」

それじゃあまた、と手を振る水瀬さんに俺も振り返す。そして、少し先を歩いていた三人に小走りで追いかけていった。

(……家の中、戻ろ)

玄関のドアに手をかけたその時、聞きなれた着信音がスマホから鳴った。光る画面に表示される名前を確認して、指をスライドさせる。

「もしもし、なにか忘れ物でもした?」

「あっ、いやそうじゃなくて!」

さっきちゃんとお礼言ってなかったなぁって、と続ける。電話越しに聞く水瀬さんの声は、少しだけ幼く聞こえた。

「今日はほんとにありがとう! 楽しかったし、勉強も見てくれて嬉しかった」

「わざわざ電話で言わなくてもよかったのに」と、笑いながら言うと「なんだか言ってないのモヤモヤしちゃって。また・・って言ったのに直ぐだったね」と、ふふっと柔らかく笑った。

「じゃあ今度こそ、またね」

俺がそう言うと、うん! と元気に返事をした。こういうところが水瀬さんらしいな、と思っていると、少し間が空いて

「――千隼くん、またね!」

そう言い残して、電話を切った。


(…………え!? 今なんて!??)

思わず開いた彼女のプロフィール画面には、さっきと変わらず、ハスキー犬が憎らしい顔で笑っていた。

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