第二十三話『雇われる孤児』




 部屋の外に出るなり、ノワールが持ち上げていたセリカから手を離した。




「いでっ‼」




 唐突に手を離されて、セリカは床に思い切り尻を床に打ち付けていた。咄嗟の着地など、彼女には到底できなかった。

 強打した尻を摩りながらセリカが立ち上がると、彼女は不満そうな顔をノワールへと向けていた。




「急に手離すなよ……!」

「お前が余計なことをしたからだ。ちょっとは痛い目に合うくらいが丁度良い」




 ノワールが腕を組んで、セリカに目を細める。

 まるで非難されているようなノワールの視線に、セリカは歯向かうように睨み返していた。




「なんで私の邪魔したんだよ?」




 ノワールの介入は、セリカの予想外だった。ルミナからアタラクシアのことを訊けるか試していた最中だったのに、ノワールによって中断されてしまった。

 強引にノワールが自分を部屋から連れ出したのは、まるでルミナにアタラクシアのことを訊くことがいけないことだと言われているような気がした。




「……なんでルミナにシアのことを訊いたんだ?」




 冷たいな声色で、ノワールがセリカの問いを無視した。

 自身の問いにまだノワールが答えていないことに、セリカが顔を顰める。しかし彼の目から受ける威圧感に、セリカは思わず無言を貫いていた。

 答えようとしないセリカにノワールが目を細めるが、少しの間を空けて、彼は小さく溜息を吐いていた。




「検討はつく……お前、シアに言われたんだな? ルミナがシアのことを知らない理由を訊いた時に」




 無意識にセリカが眉を動かす。それだけでノワールは納得したように小さく頷いていた。




「お前が訊きたい気持ちは分かる。だが、もうルミナにシアのことは訊くな」




 そして肩を落としながら、ノワールは億劫そうにセリカに告げていた。

 だが、そんなノワールの言葉だけで素直に納得するセリカではなかった。




「なんでだよ? アンタに指図される筋合いないだろ?」

「俺はルミナ“には”訊くなと言ったんだ……それに訊いても意味がない」




 ノワールの意味深な言葉に、セリカが怪訝に眉を寄せた。




「ルミナ“には”……? ならアンタには訊いても良いのかよ? あの魔女が答えなかったってのに? それに訊いても意味がないってどういうことだよ?」




 ノワールの言葉が、セリカの頭に混乱を作っていた。

 ルミナがアタラクシアを認知していない理由をセリカが“あの魔女”に問うた時、彼女は答えなかった。それなのにノワールの今の言葉をそのまま受け取るなら、セリカは彼になら訊いても良いと判断できる。

 そして一番気になった点は、訊いても意味がないというノワールの言葉だった。




「ルミナに何を訊いても、あの子はシアのことを認識できない。それはもう俺達が試した」




 セリカの疑問に、ノワールがそう答えていた。




「試した……? なにを?」

「全部だ。アタラクシアという単語を含めて、ルミナの中にいるあの魔女のことに関する全てのことをルミナ自身が認識できないようになってる。言葉も、文字も、全部がルミナには認識できなくなってる」




 一体、ノワールは何を言っているのだろうか。セリカは素直にそう思った。




「それにあまりセリカにアタラクシアのことを訊きすぎると、面倒になる」

「どうなるんだよ? なんか悪いことでもあんのか?」

「意識を失うんだよ。そうなるとシアが出てくる」

「はぁ? なんでだよ?」

「ルミナからシアが出てくる条件はふたつだ。ルミナが意識をなくしている時に、シアが出ようと思ったら出てくる。昼間にルミナが意識なくしてシアが出て来られてみろ。仮にも誰かにに見られたら面倒になる」




 呆気にとられたセリカだったが、すぐに彼女は眉間に皺を寄せていた。




「どういうことだよ? アンタならなんか知ってんのか?」

「俺だって知りたいさ。だが、シアが答えない。何を訊いても、あの魔女が答えることは同じだ……時が来たら分かる、それだけだ」




 肩を竦めて、ノワールが戯けて見せる。

 ノワールの口から聞いた話を、セリカにはにわかに信じられなかった。

 そんな話があるわけがない。一人の人間にふたつの魂が宿り、片方がもう一人の自分を認識しているのなら、もう片方も認識しているとしか思えない。

 しかしノワールの口ぶりから、嘘をついているとセリカは思えなかった。そもそも一人の人間に二つの魂があるなんてことが信じられない話なのだから。

 それにアタラクシアという人間をセリカが知っている時点で、ルミナがアタラクシアのことを知らないという嘘を貫く必要がない。




「意味わかんねぇ……!」




 頭の中で色々と考えるセリカだったが、ふと彼女の中で疑問がひとつ浮かんだ。




「っていうか……なんでアンタは私にそこまで教えてくれるんだよ?」




 セリカが怪訝な目を向けて、ノワールを見つめていた。

 今思えば、ノワールがここまでセリカにルミナのことを教える意味を感じられなかった。

 セリカからすれば、今日でもうルミナとノワールとは別れるはずだった。一宿一飯の恩を受けたが、それでもセリカには返せるものもないのに加えて、彼女が二人とこれ以上一緒にいる理由がなかった。

 セリカがルミナとアタラクシアのことに関して疑問を抱いていても、ノワールなら彼女を適当にどこかへ放り投げられるはずである。わざわざルミナとアタラクシアに関することを説明する必要はない。




「お前の前にシアが出たからだ」




 セリカの疑問に、ノワールが答える。

 だが、ノワールの答えは、セリカに余計に疑問を生んでいた。




「は……? どういう意味だ?」

「シアがやろうと思えば、お前はあの場で起きずに寝ていた。実際に見たからお前もなんとなく分かるだろ? シアなら他人を眠らせ続けることも簡単にできる。それができるはずなのに、わざわざお前にシアが自分の姿を見せた」

「それで?」

「シアから聞いた。自分のことを少し話したってな。魔女なんてあり得ない存在を知られたんだ。変に探られるより、正直に話しておいた方が面倒にならない」



 

 ノワールの言い分も分からなくはなかった。

 確かに、アタラクシアという魔女――魔法を魔法石の縛りを必要とせずに魔法を自由に使えるというのなら、それくらい平然とできるだろうとセリカも思う。

 そして自分の存在を知られたくないなら、寝ているセリカが起きないようにすれば良いだけだ。それなのに姿をわざわざセリカに見せて、自分のことを話したアタラクシアに疑問を感じるのは自然の流れだろう。

 加えるなら、それをセリカが知った以上、彼女自身も疑問に思うことは多くあった。それ故に、ルミナに直接アタラクシアのことを訊き出すという行動をセリカはしていた。

 セリカにアタラクシアのことをルミナに訊かれることが面倒なことと言うのならノワールの言う通り、先に教えるのが無難な選択だろう。




「そんなこと私に教えて良いのかよ? 誰かに話すかもしれないだろ?」




 しかしそれでも、不安要素がある。それはアタラクシアという魔女を知ったセリカが、他者にそのことを話すことだった。

 魔法石を必要としないで魔法を使える人間がいる。それは知識の乏しいセリカでも、アタラクシアという存在が異常な存在というのが分かる。

 二人から離れた自分が、何気なく他の人間に伝える可能性も十分にあり得る。なら、無理にでも自分に教えないという選択の方が正解だとしかセリカには思えなかった。




「意外と頭良いな、お前。教育を受けてない孤児とは思えないくらいだ」




 セリカの話を聞いて、ノワールが少し驚く。

 それは明らかに馬鹿にしている言葉だと察したセリカは、思わず鋭い視線でノワールを睨んでいた。




「孤児って馬鹿にすんじゃねぇよ。なりたくてなったわけじゃねぇんだぞ」

「あぁ、そうだった。悪かった。俺の失言だった」




 セリカの予想と反して、ノワールが素直に謝罪の言葉を口にする。

 素直に大人が子供に謝る。そんな意表を突かれたセリカは、思わず頬を引き攣らせた。

 まさか謝るなんてことをノワールがするとは思わず、セリカの調子が狂ってしまう。

 セリカは気持ちを整えるようにかぶりを振るうと、呆けた表情を引き締めてノワールに向き合うよう心掛けた。




「……で? 私をどうするつもりだよ?」




 ここまでノワールと話して、セリカも察していた。

 おそらくノワールは、素直に自分を帰すつもりはないと。

 あまりにも平然と告げたセリカに、ノワールが僅かに目を大きくした。

 腕を組んで考える素振りを見せて、ノワールがセリカを凝視する。彼女の顔から足まで、ゆっくりと視線を動かす。




「な、なんだよ? 人の身体じろじろと見やがって? やっぱりアンタ、そういう趣味か?」

「うるさい、黙ってろ」




 そして何か思いついたノワールが服のポケットから何かを取り出していた。




「お前、この街には詳しいか?」

「なんだよ急に?」

「良いから、詳しいのか?」

「……一通りのことなら知ってる」

「なら都合が良い」




 手元でそれを遊ばせながら、ノワールが唐突にそれをセリカに投げ渡す。

 急に投げられた物をセリカが慌てて受け取ってそれを見ると――手に合ったのは金貨だった。




「金……?」

「お前、俺とルミナに雇われろ」

「はぁ……?」

「俺達の仕事を手伝え。変にどこか行かれてシアのことを話されるより、身近にお前を置いてる方が楽だ」




 突然のノワールの提案に、セリカは今日一番の顰めた表情を作っていた。

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