第二十四話『新しい服』



 慣れない感触が身体全体を覆う。肌に感じる布の感触は、どうにも慣れそうにない。

 セリカは自分の身体を見ながら、心底嫌そうに顔を顰めた。




「こんな格好させやがって……わざわざこんなもん用意してくても良いだろうが」




 店から出て早々に、セリカがノワールに不服をぶつける。

 自分達が先程まで入っていた店を一瞥して、セリカは思わず不満そうに口を尖らせていた。




「あんなボロボロの服なんて着て一緒に歩かせられるか。それに、意外と似合ってるぞ?」

「うるせぇ、心にも思ってないこと言うんじゃねぇっての」




 ノワールから心の篭っていない声を聞いて、セリカが目を細める。しかしノワールはそんな視線を向けられても、彼女に対して鼻を小さく鳴らすだけだった。

 ノワール達が訪れていたのは、小さな洋服屋だった。彼らが泊まっていたコルニス領の住宅地区にある宿屋から少し歩いた場所で営まれている洋服店。

 ノワールが宿屋の従業員からその店のことを聞き、ルミナと共にセリカを連れて、三人は朝食を終えた後で宿屋からその店へと朝から出向いていた。




「こんな格好……なんで私が……!」




 セリカが思わず。もう一度自身の姿を見つめる。

 白と緑を基調とした動きやすい服装を見ながら、セリカが顔を顰める。スカートではなくズボンを着ているのは、スカートを着せようとした店員への小さな反抗心だった。

 これでどこから見ても、街でよく見かける子供にしか見えない。

 ノワールはセリカの姿を見て、満足そうに頷いていた。




「私は服なんて要らねぇって言ったんだ! 勝手に金まで払いやがって……!」

「俺達と仕事するなら、まずは身なりから整えろ。街を出歩くのにあの格好は悪目立ちし過ぎる」




 服に不服な表情を見せるセリカに、ノワールが呆れて苦笑する。


 ノワールとルミナがセリカを連れて服屋と訪れた理由はただひとつ――セリカの姿だった。


 先程までセリカが着ていたのは、捨てられていたボロボロになった大人用の上着だけだった。身体を覆える大きさで、彼女の身体はそれひとつで全身を覆えていた。

 セリカ本人としては、それしか着るものがないということもあったのだが、素肌を晒さないということだけで衣服としての用途を備えていると判断して、今まで彼女はそれを着ていた。

 だがしかしセリカのその判断を、ノワールとルミナが口を揃えて否定していた。

 一般的な考えとして、セリカの服装は明らかに普通とは逸脱した姿でしかなかった。





「それは私を無理矢理連れ出してるのもアンタが原因だろうが!」




 結局のところ、セリカはノワールの提案によって彼に雇われることとなった。

 ルミナの中にアタラクシアという魔女の存在がセリカに知られた以上、彼女がアタラクシアのことを他者に話す可能性は十分にあり得る。

 と言っても、孤児のそんな戯言のような話を信じる人間などまずいないのは、ノワール自身も理解していた。しかし下手に放置するのも良くないとも判断していた。

 魔法石を必要とせずに、魔法を自由に扱える人間がいる。その自体の存在が、この世界では異端でしかなかった。存在が知られれば、色々と面倒なことが降りかかる。そのことをノワールは簡単にセリカへ説明していた。

 それ故、セリカ自身も下手に話す気などなかった。そしてもしもアタラクシアの存在を故意で広めてしまった際のことも、彼女は聞いていた。




『もし私がバラしたらどうするつもりだよ?』

『シアが自分のことを話した時点で、アイツはお前が言いふらすなんてしないと思ってるが……バラしたら手足くらいは切り落とすだろう』

『怖いこというんじゃねぇよ……冗談に聞こえない』

『冗談じゃないから安心しろ』

『……笑えない』




 こんな会話が、二人に先程あった。

 アタラクシアのことを知っているセリカからすれば、ノワールの言う通りに彼女なら平気で実行しそうだと思えた。

 実際に会ったからこそわかる。アタラクシアという魔女の恐ろしさを。何故、昨日の夜の自分はあんなにも強気に彼女と会話できていたのか、セリカは今思えば理解に苦しんだ。

 忘れてはいない。初めて会った時に感じた恐怖の感情。そして首に添えられた指の刃物のような感触を。

 だからこそ、セリカは他言する気などなかった。しかしノワールは、それでも彼女を身近に置いておくことを選んでいた。

 言わないと分かっていても、無意識に口にしてしまう可能性もあり得た。ならば、一番簡単なのが目の見える場所にセリカを置いておくのがノワールの選択だった。

 しかしノワールも理解していた。セリカは性格上、無理強いされれば素直に頷く子供ではないことを。





「俺が金で雇った。お前はそれを受け取って承諾した。それの何が悪い?」

「私は! 良いなんて! 一言も! 言ってねぇよ!」





 ならば雇うという形で、ノワールは金でセリカを縛ることにした。しかしそうは言っても、そもそもが無理強いをしている時点でノワールの考えは破綻していたのだが。

 無理矢理に金を渡し、ノワールは受け取ったセリカが食諾したと言い張っているだけだった。




「悪い条件じゃないだろ? 俺達といる間、お前の衣食住は用意して、更には金まで渡すんだ。これに文句でもあるのか?」

「くっ……!」




 ノワールの言葉に、セリカが言い淀む。

 確かにセリカはノワールから破格の条件を提示されていた。

 ノワールとルミナがコルニス領に滞在期間中、この街の案内をする。それがセリカに依頼された仕事内容だった。

 その期間、セリカに支払われる対価は期間中の衣食住と賃金。孤児の子供を野党にしては、破格の条件だった。

 一度色んなことを経験してしまったセリカからすれば、思わず頷きたくなる条件でしかない。

 宿で食べた食事、温水で身体を洗えて、そして柔らかい寝床――更には賃金。断る理由がセリカには思いつかなかった。




「チッ……」




 思わず、セリカが舌を打つ。断る理由がなくてもノワールの思う通りにされていると思うと、素直に頷きたくないのがセリカの本心だった。




「とにかく、お前に仕事を頼んだんだ。しっかり働いてもらうからな」

「……好きにしろ」




 精一杯の抵抗で、ノワールにセリカがそっぽを向く。 

 その態度でおおよそのセリカの内心を察して、ノワールは肩を竦めた。




「あっ! セリカ! 新しい服着たんだね!」




 そんな時だった。ルミナが服屋の近くにある商店から出てくると、楽しそうな表情でセリカに駆け寄った。

 セリカが着替えて来るまでの時間潰しをしていたのだろう。ルミナはセリカに駆け寄るなり、じっと上から下まで見つめるなり、目を輝かせていた。




「セリカ! お洋服、すっごく似合ってるよ! 可愛い!」

「う、うるせぇ……!」




 セリカの今の姿を見て、ルミナが笑顔を見せる。対してセリカは、彼女から向けられた言葉に気恥ずかしそうに頬を赤くしていた。

 世辞などの嘘をつかないルミナの言葉は、間違いなく本心から言われている。それを察して、セリカは堪らず不愛想に返事をしていた。




「あのボロボロの服を見た時から思ってたが、下着すらつけてなかったのは女としてどうかと思うぞ」

「なッ――‼」




 そしてノワールから何気なく言われたことに、セリカの僅かに染めていた頬を真っ赤に染めていた。

 咄嗟に服の裾を強く握りしめて、セリカが鋭い視線をノワールに向けていた。




「てめぇ! 女に向かってよくそんなこと言えるな!」

「ノワール……? 私もそれはどうかと思うよ? ほんとのことだけど」

「ルミナ! お前もか!」




 自分の味方だと思っていたルミナが何気なくノワールに同調していた。

 驚いた顔でセリカがルミナを見つめていると、ノワールは呆れた顔を見せていた。




「ひとまずはお前も一通りのことに慣れるところからだな……手間が掛かりそうだ」

「うぅっ……! ぜってぇ許さねぇ……!」

「はいはい。勝手にしろ。さて、セリカの服も揃ったし、仕事するか」




 怒るセリカを無視して、ノワールがさっと歩き出す。




「あっ! ノワール! 駄目だよ! ちゃんとセリカに謝らないと!」

「お前はどっちの見方だよ?」

「……普通に考えて、セリカだと思うよ?」




 歩き出すノワールを追いかけて、ルミナが彼を批判する。

 二人がそのまま歩き出してのを少し見つめて、セリカが不満そうに目を鋭くさせていたが、




「おい! 私を置いていくな!」




 そう叫ぶと、セリカも二人の後を追いかけていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る