第二十一話『聞こえない単語』




「――リカ? おーい? セリカ?」




 微睡む意識の中、遠くから自分を呼ぶ声が頭に響く。

 ゆっくりとセリカが目を開けると、視界が明るくなっていく。




「んあ……?」




 窓から差し込む日差しが、時刻が朝になったのだと実感させる。

 そして目の前に、銀髪の少女の顔が自分を見下ろしていることでセリカは自身が眠っていたのだと理解していく。

 目を擦りながら、重くなった身体を起き上がらせて、セリカは大きな欠伸が漏れる。




「おはよう。セリカ。よく眠れた?」




 寝起きの硬くなった身体を伸ばすために、その場でセリカが身体を伸ばす。

 身体が伸びていく心地よさ故か「ん~!」っとセリカの口から自然とそんな声が漏れる。




「あぁ……なんかめっちゃ変な夢見た気がする」

「もしかしてちゃんと寝れなかったの?」

「いんや、めっちゃ良く寝てた。ベッドってめっちゃ寝やすくて良かったわ」

「ほんと!? えへへ、なら良かった!」




 セリカの返答を聞いて、満面な笑みをルミナが浮かべる。

 朝から騒がしいと思いながら、喜ぶルミナに呆れるのも慣れつつあるセリカだった。




「なんの夢見てたの?」

「あ? そうだな、確か……」




 覚醒していく意識の中で、セリカが忘れかけた記憶を思い出そうと試みる。

 腕を組んで、夢の内容を思い出そうと思い出しながらセリカが唸る。


 そうしてぼんやりとセリカ脳裏に浮かぶのは、黒い髪の少女。


 思い出した瞬間、セリカがハッと目を見開きながら反射的にルミナを見つめていた。




「あっ……!」

「ん? どうしたの?」




 急にセリカに凝視されて、ルミナが首を傾げる。

 しかしセリカは呆けた顔を見せるルミナを無視して、勢いよくセリカはルミナに詰め寄っていた。




「えっと……? セリカ? どうしたの?」




 唐突に慌てた様子のセリカにルミナが驚く。

 セリカは驚いているルミナに更に詰め寄ると、彼女の肩を掴んでいた。




「おい! ルミナ! お前のことで訊きたいことあんだけど!」

「なに?」

「お前とそっくりなアタラクシアって奴のことだよ! 何か知ってんだろ!」




 そしてセリカがアタラクシアに問い詰める。

 アタラクシアというセリカの中にいると言っていた黒髪の少女。夜にルミナが眠る時だけ現れる魔法石を必要とせずに魔法を使える不気味な少女のことをセリカは思い出す。

 アタラクシアがルミナを知っているなら、逆も然り。セリカはルミナからアタラクシアのことが訊けないか期待していたのだが――




「今、セリカはなんて言ったの?」

「だからアタラクシアって魔女のことだよ!」

「……ん? なにを言ってるか全然聞こえないんだけど?」




 心底不思議そうに、ルミナが首を傾げていた。




「はっ……? 聞こえてるだろ?」

「今は聞こえてるよ? でもさっきのは聞こえなかったよ?」




 なに食わぬ顔でルミナが答える。

 あまりにも平然とした表情のルミナを見て、セリカは思わず顔を顰めた。




「……聞こえてない訳ないだろ?」

「えっ? なんのこと?」

「とぼけんなよ! 知ってんだろ! アタラクシアって女のこと!」

「ん? 何を知ってるって言ったの?」

「だからアタラクシアっていう魔女のことだよ!」

「……ごめんなさい。本当に聞こえないからもっと大きな声で言ってもらえるかな?」

「だから! アタラクシアって魔女のことだよ!」




 可能か限り大きな声でセリカがルミナに問う。

 目の前で大きな声で叫ばれれば、少なからず反応があるはずだろう。




「……聞こえないよ?」




 しかしセリカが大きな声で叫んでも、ルミナは平然とした顔で首を傾げるだけだった。




「はぁ?」




 セリカには、意味が分からなかった。

 ルミナの表情を見る限り、嘘をついているようにも見えない。

 そもそもアタラクシアがセリカに姿を見せた時点で、ルミナが自分に嘘をつく理由がない。

 アタラクシアという存在が知られている時点で、隠すという行為が無駄なのだ。ならルミナがセリカに嘘を貫く必要性がない。

 それなのに一貫として知らないならともかく、話が聞こえないという奇妙な誤魔化し方をすることがセリカには理解ができなかった。




「どういうことだよ! だからアタラクシアのこと知ってるはずだろ!」

「だから、なにを知ってるって言ってるの?」




 またルミナがセリカの問いに首を傾げる。

 本当に聞こえてないのか、そんな疑問がセリカの頭に浮かぶ。

 しかしそれはあり得ないとセリカは一蹴した。どう考えても聞き取れる声量で自分は話している。聞こえないという言葉が通るわけがない。

 そのはずなのだが、ルミナは本当に聞こえていないと言い続けている。どれだけ大声で話しても、セリカの言葉が聞こえていなかった。




「待て……? お前、聞こえないのはどの部分だ?」

「なんのこと?」

「私がアタラクシアって奴のことを訊いてる時だよ」

「誰のことを訊いてるの?」

「だからアタラクシア!」

「ごめんなさい、本当に聞こえないの」




 また聞こえないと答えるルミナを見て、セリカは怪訝な顔をしながらも思いついた可能性が脳裏を過ぎる。

 セリカはそれを思いつくと、すぐにルミナに向けて告げていた。



「なぁ? 今からいう言葉聞こえるか教えてくれ」

「うん? 良いよ? なに?」

「アタラクシア」




 セリカが名前だけを告げた。

 アタラクシアという単語を告げて、ルミナの反応をセリカが見届ける。

 ルミナは怪訝な表情を見せながら、困ったと言いたげに眉を顰めていた。




「ごめんなさい……何を言ったか聞こえないよ?




 そこでセリカは、ようやく理解した。

 そして昨晩、アタラクシアが話していたことをセリカは思い出していた。



『“あの子”が起きている時、私のことを話してみるといいわ。それが一番分かりやすいわ』



 そんなことをアタラクシアが話していた。セリカはその言葉の意味を察した。

 アタラクシアがルミナを認識できて、ルミナがアタラクシアを認識できない。

 それは今のルミナには『アタラクシア』に関する内容の話が全て聞こえないという強引な手段によって、認識を阻害されていることなのだと。



『この私が、あなたの驚く顔が見たいだけよ』



 アタラクシアの小馬鹿にした微笑みがセリカの脳裏に浮かぶ。

 絶対に自分が勝てないと知りながらも、セリカはこのことを“あえて”教えなかったアタラクシアのあの顔を心底思い切り殴りたいと思った。

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