第二十話『酒好きの魔女』


「なんだよ、その、根本とかって」

「それは言わないでおくことにするわ」

「なんだよ、そこまで言っておいて言わないのかよ」




 話の核心部分をあえて話そうとしないアタラクシアに、セリカが不満げに顔を顰める。

 しかし不満を漏らすセリカに、アタラクシアは戯けるように肩を竦めていた。




「ええ、いつか知る時が来たら教えることにするわ」

「どうせ明日になったら私はこっからいなくなるんだ。会うことなんてもうねぇだろ?」




 自分とルミナ達の付き合いなど、所詮はその程度という認識から出た言葉だった。たまたまルミナの我儘から始まり、一宿一飯の恩を受けただけの関係でしかない。




「そうかしら? 私はそうとは思ってないわよ?」

「なに言ってんだ? そこまで長い付き合いになるわけねぇだろうが?」




 明日になれば、セリカは二人とは別れることになる。それは始めから分かり切っていたことである。

 そのはずなのにそのことを否定するアタラクシアに、セリカは怪訝に眉を顰めた。




「運命というのは、思いのほか自分の思い通りに進まないものよ? それは本人が望むか望まないなんて関係なく、その人の進むべき道を決めてしまうの……あなたの場合、それはどんな道になるのか? 私としては実に気になるところだわ」




 セリカの心中を察したのか、アタラクシアが疑問を抱いていた彼女にそんなことを楽しげに話す。

 また理解できないことを口にしたアタラクシアに、セリカがその言葉の意味を訊こうと口を開く。

 しかしその時――二人しかいない部屋の扉が開かれた。




「おい、シア? お前の注文通り買ってきてやった――」




 開いた扉から、ノワールがそう言いながら部屋に入って来る。

 そしてノワールの視線がアタラクシアを見て、ベッドの上に座っているセリカを見た途端――彼は大きく目を見開いていた。




「おい……なんでコイツが起きてんだ?」




 セリカを指差して、ノワールが驚いてアタラクシアに問うていた。

 明らかにノワールがアタラクシアを非難するような声色に、セリカが意図が分からずに首を傾げるが、アタラクシアは違っていた。




「私が話したかったからよ? それ以外に何かあって?」




 悪びれもせず、アタラクシアはノワールにそう答えていた。




「お前、自分の立場分かってないのかよ?」

「ええ、十分に理解しているわ」




 アタラクシアの返答を聞いて、ノワールが小さく溜息を漏らす。面倒だと言いたげに、彼は頭を乱雑に掻いていた。




「分かってるなら自分のことを他人に知られるようなことをしないのが普通だと思うが? なんでセリカに自分で掛けていた魔法を解いたんだよ?」

「私がそうしたくなったのだから、そうしただけよ。それ以上の理由は必要かしら?」




 自分勝手な奴だ、とノワールが呟く。だが、それでもアタラクシアは楽しげに微笑むだけだった。

 呆れるノワールは肩を落とすと、彼は微笑むアタラクシアから視線をセリカに向けていた。




「見る限り大丈夫だと思うが……お前、シアに何かされたか? 例えば、魔法とか使われたとか?」




 まるで見ていたと言わんばかりのノワールの言葉に、セリカは少し驚く。

 心当たりしかなかった。それ故に、セリカはありのままの言葉を伝えることにした。




「なんか喋れなくされたり、身体を動かなくされたりとかした」




 アタラクシアがセリカに魔法を使った。その事実はノワールの顔を強張らせるに十分な内容だったらしい。

 ノワールはセリカの返答を聞くと、呆れ切った表情をアタラクシアに向けていた。




「お前なぁ……子供に魔法使うなよ?」

「この子が騒ぐからだわ。私は静かなのが好きなの」




 どこかで見たような光景だった。まるで自分の時と似たりようなやり取りをしていることにセリカが呆けた顔で二人を見つめる。

 アタラクシアの言動は、本当に誰も変わらないらしい。セリカはノワールと会話する彼女を見ると、しみじみとそう思っていた。




「それで? なんでコイツが起きるようにしたんだよ?」

「単に興味が湧いただけよ。そのセリカって子、私に歯向かえるくらいの胆力があるみたいだから」




 アタラクシアがそう告げるなり、ノワールは目を大きくしてセリカを見つめていた。

 だがその表情もすぐに元の表情に戻すと、ノワールは目頭を押さえながら呆れていた。




「頼むから、面倒ごとは起こすなよ?」

「大丈夫よ。仮に起こしても跡形もなく消すだけだわ」




 何か恐ろしいことを言われた気がした。アタラクシアの何気なく話したことに、セリカの背筋に悪寒が走った。

 しかしそんなセリカのことなど気にも留めず、アタラクシアはそう告げた後、彼女はノワールに手を差し出していた。




「それでノワール? 頼んだものは?」




 何かをアタラクシアがノワールに要求する。

 差し出されたアタラクシアの手を見て、ノワールは思い出したように手に持っていた物を彼女に見せていた。

 それは、大きな瓶だった。何か文字で書かれた黒い瓶をノワールがアタラクシアに見せつける。




「ほらよ。勝手に飲んでろ」




 そしてノワールはそう言って、持っていた瓶をアタラクシアに向けて放り投げていた。

 放物線を描いて、ノワールの元からアタラクシアに大きな瓶が飛んでいく。

 セリカはそれをアタラクシアが受け取るのかと思えば、大きな瓶は彼女の近くまで飛んでいくと、突如それは宙に浮いたままで止まっていた。

 宙に浮いた大きな瓶がゆっくりと移動して、アタラクシアの手に掴まれる。

 アタラクシアは手に取った大きな瓶を一瞥なり、小さく溜息を吐いていた。




「安物ねぇ……」

「これでもこの辺りじゃ質の良いものなんだぞ? 良いから今日はそれで我慢しろ」

「仕方ないわね。今日はこれで許してあげましょう」

「たまには礼でも言ったらどうだ?」

「それはもう少し質の良い物を持ってきた時に伝えることにするわ」




 ノワールとアタラクシアの会話を聞きながら、セリカがアタラクシアの手にある大きな瓶を見つめる。

 しばらくセリカが見つめて、ふとそれに見覚えあることに気づいた。

 昔、自分が盗みをする際にタイミングを見計らっていた時、大人達が似たような瓶の中身を飲んで楽しそうに話した後、顔を赤くして寝いていたのを見たことがあった。





「ってかそれ、酒じゃねぇか! 子供が酒飲むのかよ!」




 それだけで十分だった。セリカはアタラクシアの持っている瓶に指を差すと、大きな声で彼女を非難した。

 しかしアタラクシアはセリカにそう言われても、悪びれもせずに平然とした表情を見せるだけだった。




「私は子供ではないわ。大人の淑女よ」

「その花柄の子供服着ながら言ってるんだから、説得力ねぇな」

「女性の見た目を非難するのは良くないわ」




 ノワールに向けて、アタラクシアが右手の小指をピン

と弾く。

 そうすると突然、ノワールは腹を押さえながらその場に蹲っていた。

 心底痛そうに悶えるノワールが蹲りながらアタラクシアを睨みつけていた。




「グッ――!? てめぇッ――‼」

「時に言葉は自身に災いをもたらすのよ? ノワールもいい加減学びなさいな?」

「だからと言って! 魔法使う奴がいるか!」

「あなたが悪いわ。反省なさい」




 腹部を押さえながら、ノワールが立ちあがる。

 いきなり何が起きたかセリカには分からなかったが、アタラクシアの仕草と痛がるノワールを見て察していた。

 おそらくアタラクシアが魔法でノワールの腹部を攻撃したのだと。




「それに私は酒を飲んでも問題ないの。私は私で“あの子”は“あの子”なのよ。私がどれだけ酒を飲もうとも、“あの子”に少しの影響もないから安心しなさいな」

「なんだよ、それ。そういうことだ?」

「気にしたって無駄だ。本当にこの女、酒をどれだけ飲んでもルミナには全く影響が出ない。俺の仲間全員で飲み比べしたが全員潰されたくらいシアが飲んでも、ルミナは元気そうにしてたくらいだ」

「ただの酒豪かよ……」




 アタラクシアが酒好きと知り、セリカが呆れる。しかし当の本人は不服そうに眉を寄せていた。




「私は美味しい物が好きなの。それで体調を崩すなんて論外だわ」

「こうやって話を聞かないんだ。だから放っておくのが一番楽だ。それに、疲れない」

「アンタ、絶対最後が本音だろ?」




 なんとなくだが、アタラクシアとノワールの関係が少し分かってきたセリカだった。





「さて、ノワールからお酒も受け取ったことだから、今日はこれくらいにしておきましょう」





 ふと、椅子に座っていたアタラクシアが自分の目の前に移動していたことにセリカが少し驚く。

 何かをしようとしているアタラクシアに、セリカは思わず警戒していた。

 しかしそんなセリカを無視して、アタラクシアが右手を彼女の顔の前まで向けて――




「なにすんだ?」

「あなたとのお話は楽しかったわ。でも、もうここからは大人の時間よ? 良い子はもうおやすみなさいな?」

「お前だって、子ど――」




 アタラクシアがパチンと指を鳴らすと、セリカの意識が遠くなっていく。

 言葉の途中で、薄くなる意識のままにセリカの身体がベッドに倒れる。




「近々、あなたに人生の分岐路が訪れるわ。自分の好きな道を選びなさい。それがどんな結末を迎えるか、私はとても楽しみにしているわ」




 そして次第に薄れていく意識の中、アタラクシアの声がセリカの頭に響く。

 その言葉の意味も考える余裕もないまま、セリカはゆっくりと意識を手放した。

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