第十三話『孤児には分からない』

 夕食を済ませたノワール達は、一階の食堂から二階の個室へと移動していた。

 ルミナの提案により、今回はセリカも宿屋に宿泊することになった。

 セリカが聞くところによると、ルミナとノワールは仕事が終わるまではこの街に滞在するらしい。仕事の依頼主の配慮で二人の宿代は免除されているという事実を知らされた時、セリカは開いた口が塞がらなかった。

 だが急遽、ノワールとルミナの二人に加えてセリカが増えた際の宿代は勿論考慮されていなかった。ノワールがその旨を宿屋の受付に話すと、見事に彼は受付からセリカ分の宿泊費を請求されていた。

 しかし何食わぬ顔でセリカの宿泊費を受付に支払ったノワールに、セリカは小さく頭を下げていた。




「子供が大人が使う金のことなんて気にするな。黙って俺に金を使わせておけ」




 そう言って、ノワールは受付の横にある二階へと続く階段を登っていた。

 ノワールに続いて、ルミナが階段を駆け上がる。しかしセリカが階段を登ることを躊躇っているのを見ると、彼女はセリカの元に駆け寄るなり、その手を握っていた。




「ほら、早く行こ! 早くしないとノワールが先にシャワー入っちゃうよ!」




 ルミナがセリカの手を引いて、ノワールが登ってる階段を駆け上がる。

 手を引かれることに戸惑いながらも、セリカは階段を駆け登るルミナに合わせるように走っていた。

 階段を駆け上り、ルミナがそのまま廊下を走る。階段を登った先には、沢山の扉が並ぶ廊下が続いていた。

 その廊下をノワールが先に歩く。ルミナはセリカの手を引きながら彼を追い抜こうと走る。




「先に行くなら開けておけ」




 ルミナ達がノワールを追い抜く寸前で、彼はそっと右手に持っていたモノをルミナに分かりやすいように見せつけていた。

 ノワールがルミナに見せたのは、小さな鍵だった。

 ルミナはそれを見ると、ノワールを追い抜くと同時に彼の手からそれを受け取っていた。

 ルミナとセリカが二階の廊下の一番奥にあった扉まで走る。そしてルミナはノワールから受け取った鍵を、その扉の鍵穴に挿し込んでいた。

 ガチャっと音を立てて、ルミナが扉の鍵を開けるとすぐに扉を開けて部屋の中に入っていった。




「セリカ? どうしたのー?」




 先に部屋の中に入って行ったルミナに声を掛けられて、セリカがゆっくりとした足取りで部屋の中に入って行く。




「ねぇねぇ! セリカはこっちのベッドで一緒に寝よ!」




 そして宿屋の部屋を見たセリカは、少しだけ目を大きくしていた。

 大きい部屋ではなかった。そこは住宅地区にある誰でも金を払えば泊まれる宿屋の一室。

 大きなベッドが二つに、小さなテーブルと椅子が二つ。そして月が見える大きな窓があるだけの簡素な部屋だった。


 しかしセリカには、その光景がとても眩しく見えた。


 今まで誰にも見つからないように外で隠れて寝ていたセリカにとって、その部屋は自分の見た中で一番の豪勢な場所に思えた。

 窓側に置かれているベッドの上で跳ねているルミナのところに向かい、セリカがそっと彼女が跳ねているベッドを触る。




「……やわらけぇな」




 硬い床とは違う感触だった。何で作られているかセリカには分からなかったが、触るだけで手に感じる柔らかさに彼女は内心で感動していた。




「あとね! あとね! セリカに私の寝間着も貸してあげる! えへへ……いざという時のためにふたつ持ってきてて良かった!」




 そしてルミナはそう言うと、彼女は慌てた様子でベッドの横に置いていた大きな鞄を漁りだしていた。

 セリカが怪訝な顔で大きな鞄を漁るルミナの後ろ姿を見つめていたが、すぐに彼女は目的の物を見つけていた。

 ルミナはセリカに振り向くと、手に持った物を満面な笑みで掲げていた。




「じゃーん! 猫の寝間着! 可愛いでしょ!」




 ルミナが持っていたのは、猫のシルエットがまばらに刺繍された子供用の服だった。




「なんだ? それ?」




 その異様な洋服に、セリカが眉を寄せた。今まで街を歩いている人で、そんな奇妙な服を着ている人はセリカは一度も見たことがない。




「えっ? セリカ……寝間着、知らないの?」




 珍しく、ルミナが呆気に取られていた。気が抜けたような彼女の表情を初めて見たセリカだったが、




「なんだよ? その寝間着って?」

「えっと……寝る時に着る服」

「そんなもん着てどうすんだよ?」




 セリカが寝間着という存在を知らないのは当然だった。

 今、セリカはボロボロになった大人用の服を着ている。しかしその大きさは一般的な物よりも大きいサイズで、彼女の身体を首から足首まで覆える程の大きさだった。過去にゴミとして捨てられたものをずっと彼女は着続けていた。

 起きている時も、寝ている時も、セリカはずっと同じ服を着ている。孤児ということもあり、住む場所を持っていない彼女からすれば服を持つという習慣がない。

 それ故に、寝る時に着る寝間着の必要性などセリカには分かるわけもなかった。寝具を汚さないために綺麗で締め付けのない服を着て、睡眠の質を上げる寝間着の必要性など彼女には理解できない話だった。




「簡単に言うと、寝間着を着ると眠りやすくなるの」

「これで……?」




 疑う目で、セリカはルミナの持つ寝間着を見つめていた。




「シャワー入って、これ着て、それでお話しするの!」

「それ、楽しいのか?」

「楽しい……はず! セシアが言ってた! 女の子は集めるとお布団の中で夜中までおしゃべりする生き物だって!」

「よく分からないが……多分、そいつ嘘ついてるぞ?」




 ルミナの話していることを理解できないセリカは素直にそう言っていた。




「ええっ……セシアが嘘つくと思わないけどなぁ」




 しかしルミナは頬を膨らませると、不服そうに口を尖らせていた。




「おい。お前達、まだシャワー入ってなかったのかよ?」

「あっ! もうノワールが来ちゃった!」

「入らないなら、先に俺が使うぞ?」

「だめだめ! 私達が先! 女の子を優先しないのは紳士な男の人じゃないんだよ!」




 ルミナの返答に、ノワールが思わず顔を顰めていた。

 ノワールは頭を抱えながら、ルミナに呆れた目を向けていた。




「……誰だ? それ教えたの?」

「セシア」

「またか、あの女……! 次会った時、覚えてろよ……!」




 ノワールが舌打ちをする。彼は深い溜息を吐いて、ベッドに倒れるように横になっていた。




「もういい、先に入れ……俺は後で良い」




 そしてベットの上で、ノワールは二人に先に行けと促していた。

 なにをするのかよく分かっていないセリカが首を傾げるが、その間にルミナが大きな鞄から色々な物を取り出していた。

 ルミナの手には、猫の寝間着と花柄の寝間着。そして二人分の下着だった。




「良し! じゃあセシア! 行こ!」




 ルミナがそう言って、部屋の入口の横にある扉へと歩いていく。

 セリカもルミナに続くように歩くと、その扉の前に立っていた。




「今からなにするんだ?」




 ふと、セリカがそうルミナに訊く。

 その問いに、ルミナは笑みを浮かべると楽しそうに答えていた。




「女の子の楽しい時間!」




 そう言って、ルミナはセリカの手を掴むと扉を開けて中に入って行った。

 セリカには分かるわけがなかった。これから温水で身体を洗うことになるとはと。

 そして身体を洗いながら、セリカが思ったことはひとつだった。

 思いのほか、満足に栄養を摂っていない自分でも身体の発育は良いらしい。

 ルミナの身体を見て、セリカは密かにそう思っていた。

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