第三話『お金の価値』
ルミナがセリカに、疑問の目を向ける。
本来なら盗みを行ったと思わしき人間に向ける視線は、軽蔑の意思が込められているだろう。
しかしルミナがセリカに向けていたのは、ただの純粋な疑問だけだった。
ルミナの目がセリカを見つめる。悪意のないルミナの純粋な翡翠の瞳が、彼女をただ見つめている。
そこに善意も、悪意も込められていない。ただ自分の疑問を素直に問う、まるで幼い子供のような目だとセリカは不思議と感じていた。
嘘をつくべきだったのだろう。しかしセリカはルミナの目を見ていると、小さく頷いていた。
「あぁ、本当だよ」
セリカの答えを聞いて、ルミナが目を大きくする。しかしすぐに、彼女は不思議そうに眉を寄せていた。
「なんで、そんなことしたの?」
ルミナのその疑問に、セリカは思わず小さな笑みを浮かべていた。
どうしてそんなことをしたのか、そんなこと分かりきっているはずだった。
そんなことも分からない。いや、そんなことをしないと生きていけない人間の気持ちなど、ルミナには分かるわけもないだろう。そう、セリカは思った。
まるで苦労も知らない生き方をしている服装のルミナと、その日を生きるのに必死な自分とでは、まるで考え方が違う。それがルミナの問いで、セリカは分かってしまった。
だからだろう。セリカは無意識に小馬鹿にしたような口調でルミナの質問に答えていた。
「私達みたいな孤児は、その日を生きる食べ物すらないんだ。金なんて物、持ってないから買えない。なら盗むしかない……それだけだ」
「じゃあ、セリカのその怪我。本当は転んだんじゃなくて、あのおじさん達にされたってこと?」
「……そうだ。だから、もう私のことは放っておいてくれ。どうせ私は今からアイツ等に殺されるんだろうさ。アンタみたいな綺麗な場所で生きてる人間には、私達みたいな孤児の底辺の生き方なんて到底分からないだろうね」
自虐気味に笑いながら、セリカはそう話した。
そしてセリカの話を聞いて、ようやくルミナはこの場の状況を理解していた。自分は、大きな勘違いをしていたのだと。
明らかに、悪いのはセリカだろう。盗みという行為が悪いことだというのは、ルミナにも分かることだった。悪いことをしたらどうなるのか、それは彼女も理解していた。
だが、ルミナの知る悪いことをした人間の末路と今のこの状況は、あまりにも違っていた。
ルミナがセリカの身体を一瞥する。大きな服で覆われて見えにくいが、セリカの頬は腫れ、身体中に痣が多く見えた。
まさかそれが人に殴られたなどとは思わなかったルミナにとって、それはあまりにも悲しいものに見えた。だからこそ、初めて彼女がセリカの傷を見た時、転んだものと思い込んでいた。
ルミナが悲しい表情を見せる。そして彼女はセリカから視線を外すと、自分と対峙している傭兵達に向き合っていた。
「確かに盗みは悪いことだけど……おじさん達、やり過ぎだよ。セリカが今言ってたけど、殺すなんてことを本当にするつもりだったの?」
「俺は殺すなんて思ってないさ。だが結果として死んじまったら、それは俺の所為じゃない。そこのガキの運が悪かっただけさ」
ルミナの言葉に、大柄の傭兵が平然な顔で答える。
しかしルミナは、その答えに顔を僅かに顰めていた。
殺す気がなくても、結果として死んでしまった。それは言い訳にすらなっていない。ただの文字通りの人殺しでしかなかった。
「それは人を殺してるのと一緒だよ?」
「殺す気なんてなかったなら、それは事故ってやつだ。よくあるだろ? 事故なんて?」
悪気すらない大柄の傭兵の声色に、ルミナは心底不思議そうな顔を見せていた。
目の前の男は、自分には到底理解できない考え方をしている。それだけはルミナは理解できた。
このままでは間違いなく、目の前の男がセリカに何かをするのだろう。そう思うと、彼女は口を尖らせながらジャケットのポケットに手を入れていた。
「おじさん達が怒ってるのは、セリカが盗んだからなんでしょ? ならその分のお金、私が払えば許してくれる?」
ジャケットのポケットの中を漁りながら、ルミナはそう話していた。
ルミナの提案に、傭兵達は揃って意外そうな顔を作っていた。
「なんだ? 嬢ちゃんが払ってくれるのか?」
「うん。ノワールがいざって時に使えって渡されたの持ってる」
ジャケットのポケットの中を漁りながら、目当ての物が見つからないことにルミナが困ったように何度もポケットの中で手を動かす。
そんな時、ルミナと傭兵達のやり取りを見ていたセリカは驚いてルミナに叫んでいた。
「勝手なことするなって! アイツらに金なんて渡してアンタに何の得があるってんだよ!」
「ん? 別に得とかそういうのよく分かんないけど、私がしたいからするだけだよ? だからセリカは何も気にしなくても大丈夫だよ?」
「だから、そういうことじゃねぇって!」
「とりあえずセリカが何を言いたいか分からないから、おじさん達とお話が終わってから聞くね? 丁度探してるのも見つかったから」
そう言って、ルミナはポケットから目当ての物を見つけるとそれを傭兵達に見せていた。
金色の硬貨を二枚。ルミナの手にあるそれを見た途端、傭兵達は揃って目を大きくした。
「おいおい、まさかそれを俺達にくれるのかよ?」
細身の傭兵の目が金貨を凝視する。
驚くのも無理はない。ルミナが差し出した金貨は、セリカが盗んだ物を買う金額よりも、遥かに高額の金額だった。
「うん。別にこれ持ってても私は使うこともないし、これでセリカに何もしないならあげる」
「旦那、貰って帰りましょうぜ? あれだけあれば数日は豪勢に楽しく過ごせる!」
ルミナの出した額に、細身の傭兵二人が笑みを浮かべる。
しかし大柄の男は酷く歪な笑みを見せながら、ルミナの言葉に頷いていた。
「そうだな。良いだろう、それで手を打ってやる」
「約束だよ? じゃあ、これあげる!」
ルミナが大柄の傭兵に向かって、手に持っていた金貨を二枚投げる。
放物線を描いて投げられた金貨を大柄の男が掴む。そして掴んだそれを見ながら、彼は笑みを見せていた。
じっと手にある金貨を見つめて、大柄の傭兵は笑みを絶やさずにルミナに訊いていた。
「ん……? これは本当に金貨かぁ?」
小馬鹿にしたような声だった。大柄の傭兵がそう言いながら、持っていた金貨を細身の傭兵達に投げ渡す。
大柄の傭兵が何をしようとしているのか分かったのだろう。細身の傭兵達は渡された金貨を見るなり、心底驚いたような顔を作っていた。
「おいおい、これただの金色のコインじゃねかぁ!」
「なんだぁ、これ? こんなのが金だと思ってたのかよぉ?」
金貨を見ながら、細身の傭兵達がわざとらしい口調で大げさに声を荒げる。
しかしルミナには、その意図が理解できなかった。思わず首を傾げると、彼女は傭兵達に訊いていた。
「何を言ってるの? それ、お金だよ?」
「いんや、金じゃねぇな。大人の俺達が言ってるんだから、お前がよこした金貨はただのコインだ」
「……ん? 大人なのにお金、見たことないの?」
傭兵達に素直な疑問をルミナが問う。
あまりに純粋な目でルミナに問われたことに、それが癪に障ったのだろう。細身の傭兵達の表情は僅かに歪んでいた。
「なんだ! 大人の言うことが信じられねぇってのか!」
「うん。だって、それお金だもん。お金をお金じゃないって言うなら、お金見たことないんだなって普通は思うよ」
「馬鹿にしてんじゃねぇぞっ!」
「馬鹿にはしてないよ? 知らないのは馬鹿じゃなくて、無知ってノワールが言ってた。あとノワールが言ってたけど、馬鹿は無知を自覚しない人がすることなんだよ?」
ルミナは、純粋に答えただけだった。その言葉に悪意などない。ただ素直に思ったことを話したにすぎない。
それが更に傭兵達の癪に障った。細身の傭兵達は顔を真っ赤にして怒りを露わにしていた。
「こいつは傑作だ! こいつは面白いガキだっ!」
しかし細身の傭兵達と違い、大柄の傭兵は心底面白いと言わんばかりに大声で笑っていた。
急に大声で笑い始めた大柄の傭兵に、ルミナが怪訝な表情を見せる。
「そこのガキを殺して帰るつもりだったが、予定変更だ。俺は、お前の泣き叫ぶ顔も見たくなった」
そして大柄の傭兵が一頻り笑うと笑みを崩さないまま、彼はルミナを異様な目つきで見つめていた。
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