第四話『魔法石』

 大柄の傭兵が奇妙なことを言い出した。その男の言葉を聞くなり、ルミナはその意味が分からず首を傾げていた。




「おじさん、何を言ってるの?」




 目の前に立つ大柄な傭兵に、ルミナが問う。

 実のところ、そう告げていた大柄な傭兵は心底期待していた。このルミナという無垢な少女が、無垢なその表情を恐怖に染めること光景を。

 自分よりも大きな大人に怯えることもなく、怯むことなく対峙しているルミナという無垢な子供が恐怖で顔を歪めれば、一体どのような顔をするのかと。

 無垢な子供が絶望する顔。それはどんな顔なのかと、大柄の傭兵は楽しみにしていた。

 だが、そう期待していた大柄の傭兵の思惑は大きく外れていた。




「ねぇ、おじさん? 私と約束したよね? 私がセリカの盗んだ物のお金を代わりに払ったら、セリカを許してくれるって?」




 そう言ってルミナは、大柄の傭兵をただじっと見つめていた。

 先程、大柄の傭兵が口にした言葉。それはセリカだけでなく、ルミナ自身も殺すという意味だった。

 しかしそれを理解していないのか、ルミナは真っすぐな瞳で大柄の傭兵を見つめていた。

 怯えも、怯みも、恐れもない。負の感情が一切込められていない無垢なルミナの目が、大柄の傭兵を見つめる。




「あと私の聞き間違いかもしれないけど、おじさん……今、セリカを殺すって言ってなかった?」




 そしてまた、ルミナが問う。変わらない無垢な瞳で、彼女が目の前の男を凝視する。

 ただ単純な疑問。どうしてそんなことをするのかという疑問を、ルミナは目の前の男へと向けた。

 しかしルミナの態度は大柄の傭兵にとって、良い意味で誤算だった。彼の中で今まで無意識に抑えていた感情が大きくなっていくのを、彼は感じていた。




「ははっ……こいつは良い。こんなガキが泣く顔はどんな顔なんだ……気になる。すげぇ気になる」




 大柄の傭兵が、満面な笑みを作る。だが、その顔は誰が見ても歪な笑顔だというのが一目で分かるほど、異様なものだった。

 そこで今までルミナと傭兵達のやり取りを見ていたセリカは、大柄の傭兵の笑みを見てようやく理解した。

 あの男は、異常な人間だと。ルミナと対峙している大柄の傭兵は、相手を加虐することで楽しさを得る特殊な人間なのだと。加えて、子供に対してその感情が強く表れる異常者。

 とことん運がないと、セリカは顔を強張らせた。間違いなく、大柄の傭兵は言った通りにルミナと自分を殺そうとしている。




「おい! お前! 早く逃げろ! 私のことはもう放ってさっさと逃げないと殺されるぞっ!」




 咄嗟に、セリカはルミナに叫んでいた。

 何を考えてルミナが自分を助けようとしたか理解していないが、こんなことで自分以外の人間が死ぬのを見るのはセリカには容認できなかった。




「なんで? 私とおじさんは約束したんだよ? だからおじさんは約束を守らないといけないんだよ?」

「まだ分からないのか! そいつは約束を守る気なんてないんだよ! だから早く逃げろ!」




 だがセリカがそう叫んでいても、ルミナは一向に動こうとしていなかった。

 その場から動かず、ルミナは大柄の傭兵を見つめている。そしてセリカの話を聞いて、彼女は心底不思議そうな表情を見せていた。




「おじさん? 私との約束、守らないの?」

「ああ、気が変わった。それにお前が渡したもんは金じゃない、そもそも約束は成立してねぇんだ」

「私が渡したのはお金だよ?」

「いんや、あれは金じゃねぇ、他の奴が金だと言ったところで俺が金じゃないと言えば、あれは金じゃねぇんだ。大人の俺達がそう言ってんだ。なら子供が信じるのは当たり前だろ?」




 悪びれもせずに大柄の傭兵が平然と答える。渡した金を受け取った後から金じゃないと言い張り、そして交わした約束が成立していないと話している。

 そこまで言われれば、ルミナも理解しつつあった。目の前に立っている男に、自分との約束を守る気がないということを。

 それを察したルミナは、心底不満そうに眉を寄せていた。




「じゃあおじさん、嘘ついたんだ?」

「嘘? 嘘なんてついてない、俺はそもそも約束なんてしてないからなぁ? おい、てめぇらもそう思うだろ?」




 成立していない約束は、約束ではない。それは暴論に等しい。

 大柄の傭兵が自身の後ろにいる細身の傭兵達に同意を求めると、彼等は揃ってルミナを小馬鹿にするように笑って頷いていた。




「お前から金を貰ってないんじゃ、そこで寝てるガキにはちゃんと旦那からお仕置きしないといけねぇからなぁ?」

「それで間違って死んでも、文句は言えねぇだろうさ? そもそも死んじまったら口なんてきけないだろうがな?」




 そして彼等の言葉を聞いて、大柄の傭兵は満足そうに笑みを絶やさなかった。




「あとは嬢ちゃん、てめぇも俺達の邪魔したんだ。ちゃんと大人のやることを邪魔したなら、その罰を受けないといけないくらい……分かるだろ?」




 だが、大柄の傭兵がそう言っても、ルミナは表情を変えることはなかった。

 今から自分にも罰を与えると言われたのにも関わらず、それに怯えることもなく、ルミナは不満そうに口を尖らせているだけだった。




「……おじさんの言ってること、よくわかんない。それに私は悪いことなんてしてないよ。セリカが盗んだのは悪いことだけど、ちゃんとお金も払ったから。それにおじさん達がセリカにすごく酷いことしてる方が、ずっと悪いことだよ?」

「あぁ、だめだ。もうやっちまおう。こういう世間知らずなガキがどんな顔をするか見たくて堪らなねぇ……!」




 そのルミナの態度は、更に大柄の傭兵の感情を高ぶらせた。

 大柄の傭兵が身体を興奮で震わせながら、先程から右手に持っていた〝紅玉のような宝石”をルミナに勝ち誇った表情で見せていた。




「この宝石、お前は見たことあるかぁ?」




 小さな丸い、小指の先程度しかない大きさの宝石。それは先程、セリカに向けて使おうとした物だった。

 それを大柄の傭兵がルミナに見せた瞬間、セリカは目を大きくした。まずい、これ以上は本当にルミナの身が危ないと思うしかなかった。




「早く逃げろ! あれは〝魔法石”だ! アイツ、魔法を使うぞっ!」




 そしてセリカが叫んだ。

 噂でセリカは聞いたことがあった。この世界には、魔法というモノある。それを使う人間は、必ず“あるもの”を持っていることを。

 魔法石。それは人間が魔法を使う為に必ず所持していなくてはならない代物だった。

 セリカが噂で知る限り、この場にいる傭兵程度の人間が持っていい代物ではない。それこそ地位の持った特別な人間しか持っていないはずの代物だった。

 そんな代物が目の間にある。そしてそれを持った大柄の傭兵が、ルミナにそれを向けている。

 大柄の傭兵がルミナに向けて魔法を使おうとしていることに、セリカは焦っていた。このままでは間違いなく、ルミナが殺されると。




「うん、知ってるよ?」




 しかしルミナは何もなかったように、セリカの言葉に頷いていた。

 魔法石という代物を目の前に、恐れることすらしないルミナの様子に大柄の傭兵は僅かに目を大きくした。




「なんだ? 嬢ちゃんは怖くないのか?」

「全然、だって私が困った時はノワールが来てくれるもん」




 そしてルミナがはっきりとそう口にするなり、大柄の傭兵は大声で笑っていた。

 まるで自分に危害が加えらない。そう信じ切っているルミナの態度は、より大柄の傭兵を喜ばせていた。




「ははっ! まだそんなこと言える余裕があるのかよ!」




 この状況で、誰かが来てくれることを信じて疑わない。そんなあり得ないことを信じているルミナが滑稽でしかなかった。

 この街の外れにある住宅地。貧民層しか住まない地区の人通りのない路地に、誰が来るものかと。面倒ごとには関わらないような人間しか住まない場所で、誰が関わろうかとするか。

 だからこそ、面白いと大柄の傭兵は思った。こんな状況で誰かが来ると信じている子供が結局誰も来ることなく死ぬ光景が見たくて仕方なかった。




「ならそいつが来るか祈ってな! お前がこれから死ぬまでなっ!」




 そして、大柄の傭兵が持つ赤い宝石に光が灯った。

 弱い光から、次第に光が強くなっていく。そしてまるで蓄えた光が解き放たれるのを待つように、赤い宝石は輝きを強くしていた。




「おい! 早く逃げろって! 死にたいのか!」

「うーん。そうセリカに言われてもなぁ……私も死にたくはないけど、死なないって分かってるから怖くないよ?」

「誰も来るわけねぇだろ! 早く逃げろって言ってるのが分からないのか!」




 しかしセリカの叫びは空しく、大柄の傭兵がルミナに向けていた赤い宝石の周りに火花が散っていた。

 そして大柄の傭兵が歪な笑みを浮かべて――その言葉を口にした。




『炎よ――燃やせッ!』




 それは決して、普通の人間にはできないこと。世界に新しい事象を加える行為だった。

 大柄の傭兵が持つ赤い宝石の前に、大きな火の球が作られる。ルミナを丸ごと飲み込むような大きさの炎の塊が、突如現れた。

 まるで飲み込むものを全て燃やすような、灼熱の赤い炎の球。

 それが現れた瞬間――勢い良くそれは大柄の傭兵の手から飛び出した。

 そしてルミナに向かって飛んだ火球が、彼女の元で爆ぜる。




「はははっ! 燃えろ燃えろ! 泣き叫べっ!」




 その光景に、大柄の傭兵は楽しそうに笑い叫んでいた。

 だが火球が爆ぜても、ルミナの声が聞こえない。

 声も出す間もなく死んだのか、そんな疑問が大柄の傭兵の頭に過ぎる。

 しかしルミナの立っていた場所で燃え上がっていた炎が消えていくと――大柄の傭兵は顔を顰めていた。




「……あん?」




 消えていく炎を中に、子供ではない影が見えた。

 炎が消えていくにつれて、その影はルミナを庇うように立っているのが見えていく。

 そして炎が消えると、大柄の傭兵はあり得ないと言わんばかりに目を大きくしていた。




「おい、ルミナ。だから俺から勝手に離れるなって何度言えばお前は分かるんだ?」




 消えていく炎の中に立っていたのは、黒い服装の青年だった。

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