第二話『まずは自己紹介』




「ねぇ、立てる? もし立てるなら私の手を取ってほしいな?」




 そう言って、銀髪の少女が倒れている赤髪の少女へ右手を差し伸べた。

 しかし赤髪の少女は、ただ差し伸べられる右手を見つめたまま微動だにしない。

 一体、なぜこんなところに子供がいるのだろうか。そんな疑問が赤髪の少女の頭に浮かぶ。

 赤髪の少女がいるこの場は、この街の住居街の外れにある路地。人気など寄り付くはずのない場所だった。

 そんな場所にわざわざ現れて、見知らぬ人間に手を差し伸べている目の前の銀髪の少女の存在。それは赤髪の少女の目には、ただ不気味にしか見えなかった。




「あっ、忘れてた。こういう時は自分から自己紹介をするってノワールが言ってたんだった」




 しかし何か勘違いをしたらしい。銀髪の少女はハッとした顔で慌てた表情を見せると、唐突に左手を自分の胸に当てていた。そして小さく一礼して、彼女は口を開いた。




「私、ルミナ。ルミナっていうのが私の名前。歳は十二歳で、好きなものは甘いアップルパイ。嫌いなものは、苦いもの全部……うぅ、苦いものをちゃんと食べないとまたノワールに怒られる」




 自己紹介をして、何か話の最後によく分からないことを銀髪の少女――ルミナが呟く。

 顔を顰めて、ルミナが頭を抱える。しかしまたハッとした表情を見せると、彼女は赤髪の少女へと視線を向けていた。




「こんなこと考えてる場合じゃなかった! ねぇねぇ、あなたのお名前は? その傷だと手当てしないとずっと痛いと思うから、きっとノワールが何とかしてくれると思う。だから良かったら一緒に来てくれる?」




 そしてまた、ルミナはそう言うと赤髪の少女へ右手を差し伸べていた。

 しかし赤髪の少女は、その手を一向に掴もうとしなかった。




「……ん? どうしたの? もしかして、あなた……お話ができない子だった? もしそうだったら……ごめんなさい」




 しかしまた勘違いをしたのか、ルミナは深々と赤髪の少女に頭を下げていた。

 よく分からない子供だった。赤髪の少女は、倒れながら目の前にいるルミナを無意識に頭から足まで観察していた。

 肩まで伸びた整えられた綺麗な銀髪。色白の肌に、その銀髪は良く似合っていた。

 小顔に大きな琥珀色の瞳と小さな鼻、健康そうな色をした小さな唇。まるで人形のような顔立ちだった。

 小さな茶色のリュックを背負い、黒い丸くて平らな帽子を被っていた。上半身は白を基調として、下半身は黒い服装。そして上着として着ている薄いピンクのジャケットが不思議と印象的だった。

 そして差し出されていない左手にだけ、黒い皮の手袋をしている。変わった服装の少女だった。

 しかし明らかに裕福そうな見た目の少女だと、赤髪の少女は思っていた。まるで、自分と正反対の姿だと。

 自然と、赤髪の少女が自分の服に視線を向ける。所々に穴が開いた全身の小汚い服装。そして髪は傷み切った赤髪が視界にちらりと見える。

 目の前の少女と、生きている世界が違う。そんな実感が赤髪の少女にはあった。

 自分には、目の前にいる同じ歳のルミナという少女のように綺麗な格好をしたこともない。髪も綺麗に整えたこともない。まるで何も苦労を知らないような無垢な表情など、一度もしたこともない。

 そう思うと、胸の内から黒い感情が沸き上がっていた。そしてその感情のまま、赤髪の少女は差し出されていたルミナの手を思い切り叩き弾いていた。




「あっ――!」




 差し出した右手を弾かれて、ルミナが目を大きくする。

 明らかな拒絶の意図を持って手を弾いたことで、おそらくルミナは自分から離れていくだろう。そう、赤髪の少女は思っていた。


 しかし赤髪の少女の予想は、大きく外れていた。


 ルミナは差し出した手を弾かれるなり、そっと赤髪の少女に近づく。そして彼女の上半身に手を添えながら、何事もなかったようにその身体を起き上がらせようとしていた。




「ちょっ――!」




 予想外のルミナの行動に、赤髪の少女が身体を起き上がらせようとした彼女を拒絶する。

 しかし思うように身体が動かず、ルミナにされるがままに赤髪の少女は上半身を起き上がらせていた。




「やっぱり身体が痛くて、ちゃんと立てなかったんだよね? ごめんなさい、そんなことにも気づけなくて……」




 また勘違いしていた。ルミナの能天気さに、赤髪の少女が頭を抱えたくなる。




「ねぇ、本当に大丈夫? 後ね、まだ私、あなたのお名前を聞いてないから教えてほしいな?」




 そしてまた同じことを訊いてくるルミナに、赤髪の少女が唖然とした。

 全く、この少女は他人の意図を理解していない。そして全く自分に悪意が向けられていることを、ルミナが理解していない。




「……セリカ」

「ん……? それって、あなたのお名前?」

「そうよ……私の名前はセリカよ」




 頭がどうかしたのだろう。反射的に自分の名前を赤髪の少女――セリカがルミナに伝えていた。

 全く悪意の感じられないルミナの態度に、セリカは不思議と彼女の善意を受け入れていた。

 しかし今まで誰かに善意など向けられたことがなかったセリカにとって、ルミナから向けられた善意は非常に居心地が悪かった。

 ルミナに支えられながら、セリカは居づらそうに身体をもぞもそと動かす。

 腕の中で動くセリカに、ルミナは小首を傾げていた。




「セリカ……どうしたの? どこか痒いの?」

「いや、そういうことじゃなくて……」




 説明しようとしたが、セリカはそれを途中でやめていた。会って僅かしか経っていないが、ルミナにこの感情を伝えてたところで理解されないことをなんとなく察していた。




「じゃあ、やっぱり傷が痛いんだよね? うん……じゃあ、早くノワールを呼ばないと」




 ルミナが、一人で勝手に納得する。そして彼女は何かを決めたように頷くと、セリカの腕を自分の首に掛けなりそのまま立ち上がろうとしていた。

 だが、ルミナは本人が思ってた以上に非力だったらしい。セリカの身体を持ち上げられないと理解すると、彼女は悲しそうな顔をしながら、そっとセリカの身体を地面に戻していた。しかしセリカの頭が地面に当たらないように、自分のリュックをさりげなく枕代わりに置いていた。




「うん……私じゃダメだった。だから私がノワールを呼んでくる。地面に横になってて痛いと思うけど、それまでちょっと待っててね?」




 悲しい表情だったルミナは立ち上がると、すぐに表情を明るくしてセリカにそう伝えていた。

 しかしその場からルミナが走り去ろうととした時、ふと彼女の目がようやく自分達の近くで呆気に取られていた傭兵達に視線を向けていた。

 数秒、ルミナの目が傭兵達三人に向けられる。その後、彼女はゆっくりと首を傾げていた。




「ねぇ、おじさん達どうしたの? そんなところにずっと立ってて、変だよ?」




 ルミナがそう話し掛けると、今まで唖然としていた傭兵達がハッと意識を取り戻す。

 そして今の訳の分からない状況を理解すると、細身の傭兵二人が揃って顔を怒りに染めていた。




「おい、お嬢ちゃん。そのガキは俺達の旦那が今からお仕置きするんだ。だからさっさと失せな」

「ガキ……? ガキってお名前の子はここにはいないよ?」

「いや、そうじゃねぇよ! そこで寝てるガキのことだ!」

「……? この子のお名前はセリカだよ? ガキなんて変なお名前じゃないよ?」




 全く話が通じない。細身の傭兵の一人が苛立ちながら頭を抱えた。

 極端に世間知らず、それが傭兵がルミナを見て感じた感想だった。

 おそらく目の前にいるルミナという少女はこの街の住宅街の外れに住んでいるような貧民層ではなく、特別に裕福な富豪層の子供だろうと察していた。

 明らかにこの場にそぐわないルミナの外見に、傭兵達が怪訝な顔を作っていた。




「良いか、嬢ちゃん。そこで寝てる子供は俺の仲間の飯を盗んだんだ。悪いことをしたなら、ちゃんと罰を受ける。それくらいは分かるだろ?」




 そこで、大柄の傭兵が諭すようにルミナへ話していた。

 その話を聞いて、ルミナが驚いたように目を大きくした。




「ねぇ、セリカ。あのおじさん達の話してること、本当なの?」




 傭兵達と向き合っていた身体をルミナがセリカに向け、彼女は首を傾げながら訊いていた。

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