上描き

@asufalf

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 秋になると思い出す人が居る。


 その人は僕の部活の先輩で僕の初恋の人だった。雲の絵をよく描く先輩は美術室から見える雲をうらやましそうに見つめては描いていた。

 僕と先輩が所属している美術部は幽霊部員が多く、先生も放任主義なため美術室には美術選択の課題の作品が終わらない生徒たちがいない場合は僕と先輩の二人しかいない。

 最初の方は僕がモデルを頼んだ友人が美術部に来ていたが、僕の友人が来るときは必ずと言って先輩は高そうなヘッドフォンをつけて黙々と絵をかき進めている。つまり先輩と喋れないため僕は友人にモデルを頼むのを辞めてデッサン人形を買った。僕は多くはないが高校2年間を美術にささげていた。その中で描いた絵は花を慈しむ貴婦人の絵だったり、ルージュをひく女の絵。恋人の絵も描いた。誰にも見せたことはないが僕の今まで描いた絵の中は基本的に全部先輩がもとになっている絵だ。学校では顔は見えないように描いていた。だが、家に絵を持ち帰り先輩の顔を思い出しながら人物に顔を足していく。そうして僕の絵は完成する。


 先輩に一度聞いたことがある。なぜそんなに雲の絵を描くのか。その時の質問の返答は自由で憧れだから。と言っていた。僕はただの部活の後輩で、先輩はよく一緒に居る美人で有名な友達といるときは僕には絶対に見せない顔を見せていた。先輩とその美人な友達のやり取りは気の許せる仲なのだと容易く想像できる。

 そんな先輩は秋の終わり、美人な友達の持つ綺麗な男物のハンカチを見て顔をしかめているのを僕は見た。なんにしても冷静沈着で達観している先輩の仮面が崩れた瞬間だった。

 そのあと先輩と美人な友達は部活を早抜けしてどこかに遊びに行ってしまった。いつもは見ない不機嫌そうな顔の先輩と楽しそうに教室を抜けていく美人な友達が僕の視界に映った。少し聞こえた会話では先輩たち二人はショッピングに行くらしい。なんだか遠い存在のように思えていた先輩が意外と近い存在なのかもと思ったのはその時だったかもしれない。

 僕は少し気になって美人なお友達さんのSNSアカウントを検索。学校で有名なだけあって検索すればすぐ見つけられた。美人なお友達のアカウントには高校生には高いブランドのメイク道具やおしゃれなカフェの写真、高そうなご飯がまとめられたストーリー投稿もあった。いかにもな感じの投稿ばかりだった。

 だが、不思議なことにたくさんある投稿の中に先輩の写真は見つからなかった。先輩は進んで写真を撮るような人ではないが美人なお友達は違うだろう。数ある投稿の中には美人な友達の他のお友達の写真もたくさんあった。だからこそ、先輩の写真が無いのが不思議で仕方なかったと同時に求めていたものが無かったので落胆し僕はスマホを閉じた。


 絵の続きを描いていく、白い砂浜で白いワンピースを着る女の髪を黒く染める。髪はストレートで潮風で靡いているなか、女は頭にかぶった麦わら帽子を押さえて少し前かがみになっている。顔はまだ描かない。帽子の陰で見えないようにしている。これなら不自然ではない。


 時間も過ぎ、僕はもう書き終わり寸前の絵を明日家に持ち帰り完成させようと思い、今日のところは美術室を出て顧問の先生を呼ぶ。美術部の先生は小太りで少しだけ汚い人だ。いつも何かしら汚れがついている。その先生は僕の姿を見るといつものように気怠そうな様子で職員室の僕のいる扉に来た。先生は僕から鍵を受け取ると先輩はどこかと尋ねてきた。いつも下校時間ぎりぎりまで美術室にこもっているから僕と先輩の二人で鍵を返すことが多いので僕だけなのに疑問を持ったのだろうか?勝手に結論付けて僕は「今日は早く抜けました。」と答えると先生は質問してきたくせに興味なさそうにあっそと返し手を振って職員室に帰っていった。

 その先生の態度にイラつきながらも僕は帰ろうと一階に降りると来賓扉の方に見慣れない男がおり、その男は誰かを待っているようで来賓口の近くにある椅子に背筋良く座っていた。キッチリと。制服ではないし、見てくれからして高校生には見えなく大人の男のような雰囲気だ。帰り際の他の女生徒たちは座っているその男を凝視して少し騒いでいる。同じ男の俺からしたら関係もないし、見ているだけで少しイラつくのでカバンからワイヤレスイヤホンを取り出して耳につけてから、靴を下駄箱から取り出し下に落とす。靴に足を通し、かかとを入れているといつまでもイヤホンが接続されないことに違和感を抱きカバンを漁るとカバンにはスマホが入っておらず美術室に置き去りにしてしまったと気づいた。僕は急いで美術室に取りに行こうと職員室に向かうと顧問の先生はおらず僕の担任の先生が僕に気づいて美術室の鍵を開けてくれた。担任に感謝し、昇降口に向かうと隣の来賓口に先ほどまでいた男は居なくなっていた。

 少し寒くなって暗い中、昇降口から自転車置き場に向かう途中スマホを開くとスマホの画面には以前開いていたSNSのページのままで美人なお友達のアカウントページが出てきた。そのページを閉じようとするが先ほどと違い、ストーリーの更新を知らせる輪っかがアカウントのプロフィール写真の周りに現れていた。僕は気になってストーリを開くといくつか更新されており、全部確認するとそれは有名ブランドの紙袋をたくさん持っているお友達の写真や高そうなレストランにいる写真、最後はずっと欲しかったゲーム機をやっと買ったという写真だった。どのストーリーもたくさんお金を使っているのがうかがえる。だが、他と同様 先輩の映っているものはなく期待の外れた写真たちに肩を落とし、スマホを閉じて、自転車にまたがる。自転車置き場に落ちている大量の落ち葉は紅く、たくさんの自転車にふまれた跡があった。その落ち葉たちのふまれた後に綺麗に沿うように踏まないように自転車を進め僕は帰路につくのだ。




 そして先輩は美術部に来なくなっていた。


 細かくは覚えていない。だが、12月ごろから先輩は美術部に顔を出さなくなっていた。最後に美術部に来た先輩は今まで描いた絵や描きかけの絵も並べ、嫌悪感を露わにして絵を眺めていた。なんでそんな顔をするのかわからなかった。先輩はいつも眩しい太陽に耐えながら雲を描き、まるで憧れの人が目の前にいるような顔でいつも筆を走らせているから。僕の絵だって完成間近の自宅で書くときは上がる口角を抑えられず、女の紅を引くときは自分の人差し指の腹に紅をのせ引いてあげている。

 先輩は並べた絵を一通り見て、美術室の端の方に今まで描いた絵を寄せ帰っていった。

 先輩は何のためにそんなことをしていたのかその当時は分からなかった。だが、今ならなんとなく別れを告げたのだろうと推測できる。

 先輩はそのあとすぐに卒業し、どこに進学したのか、はたまた就職したのか。美人な友達は卒業してからは高い買い物をしている投稿もぱったりなくなり、ただ大学での楽しそうな写真が投稿されるだけだった。先輩がどうして美術部に来なくなったのか、卒業後どうなったのか僕は気になって仕方なかった。そこで僕はどうしてこんなに先輩が気になるのか疑問に思った。だが、答え何て考えもせずにすぐに出た。好きだから、先輩に僕は劣情を抱いていたんだと僕はその時にやっと気づいた。

 それを気づいた瞬間、僕は自宅に置いてある絵に性的な興奮を覚えた。湧き上がる欲望のままに今まで描いた絵の上に色を乗せて上書きしていく。僕はネットで綺麗な赤い下着を調べ、その下着を絵のルージュをひく女に着せる。貴婦人の花を月下美人に変え、清楚な雰囲気のワンピースを透けるベビードールに変えた。

 一気に自分の欲のままに書き終えると少しの満足感を感じる。長時間夢中で絵を描いていたからか喉が渇き、スクールバックの中のペットボトルを手に水を飲む。僕はその時にようやく自分が勃起していることに気づいた。


 僕が性交渉以外で最初で最後の勃起した瞬間だった。




 先輩が卒業してから僕は美術部に行くのを辞めた。自分が受験勉強に専念しなければいけなかったからだ。僕と先輩がいなくなった後の美術室は後輩の一年生のたまり場になっていた。浸食された場所に用などないが僕は受験を終え、卒業間近の時に美術室を訪ねた。人がいない美術室に入り、僕は端の方にある先輩の描いた絵を並べた。先輩は粗いがたくさんの絵を描く人だった。並べると結構な数が並んだ。奥の方にあった描きかけの絵を見るとその絵の右上隅に下書きがあり、その下書きは花瓶に入れられた枯れた花が入れられており、花びらが机に散っている様子だ。先輩には珍しく空の絵を入れていない。花瓶のすぐそばには窓があるのにその窓はカーテンが閉じられ外の様子がうかがえない。

 僕が絵を並べ見ていると美術室の扉がガラガラっと開く。ばっと振り返ると美術部の顧問が居り、僕を見つけるとぱっと手を上げて手招きした。一年ほとんど顔を合せなかった顧問だが一言も発さないところ、全く変わっていない。むしろ以前よりも怠惰になった気がする。

 顧問に従うのが癪なので僕は何の用なのか声で返すと顧問は少し肩眉を上げたが「その絵欲しいか?」と返してきた。もちろんほしいが今の僕の部屋にはこんなに大量の絵を入れるスペースはない。僕は少し考え顧問は新学期までに来たら譲ってやると言われた。なぜそんな期限付きなのか。疑問に思い顧問に尋ねると先輩には処分していいと言われたからだと言う。それを僕に勝手に譲るのはいけないのでは?と考えたがそんなの僕の欲求の前では関係ない。悪用するわけではないのだから。

 僕は春休み中に受け取れたら受け取ると顧問に返し、その日は下校した。

 次の日の卒業式の後、友人に誘われお別れ会に参加した。お別れ会とはいえ気心の知れた数人で集まっただけであり普段とそんなに変わらない。名目が変わっただけだ。多数決を取り、少し遠出した今ネットで話題になっている焼肉の食べ放題のお店に行った。そこのお店でご飯を食べ帰り際、僕は他のみんなとは別れ、歩いていると対向にある歩道に歩く男女が目についた。歩いている女はあの先輩だ。先輩はハイウエストの白いスカートにゆるいタートルネックを中にアウターは水色のチェスターコートを着ている。上品や清楚な雰囲気の服を着た先輩はストレートの髪を緩くまとめ上げ、男の腕を組んで口を引き結び歩いている。僕はそんな先輩を見て先輩は僕の知らない人なんだと、思った。

 先輩は僕が描いた清楚ワンピースを着た花を慈しむ女の絵を見てこんな服は私は着ないなと言っていた。服などには頓着しなさそうな人なので先輩は機能性重視の服しか着ないとその時に言っていた。だが、その時に見た先輩は動きやすい服は着ておらず、なんとも動きにくそうな格好にゆったりとした動きで歩いている。


 僕はしばらくそこに立ち止まりその男女二人を見えなくなるまで見つめた。二人は話している様子などないのに周りのことなど気にしておらず僕が凝視していることに気づかない。二人が見えなくなった時、僕は早歩きで駅に向かいはやる気持ちを抑えながら自宅に帰った。

 僕は自宅にある最後に描いた絵を取り出した。僕はその絵の女に手を加えた。興奮して手を加えた時とは全く違う。心の中はやるせない気持ちであふれて、僕の全身を闇で染めた。変わらないのは自分の思うままに描くところだ。

 僕は寝ずに描いた絵を乾かすために窓の近くに置き、もう真上にある太陽を見つめスマホを取り出し学校に電話した。今は学校では昼休みの時間だ。電話に出た生活指導の先生に顧問の先生を読んでほしいと頼み、顧問に出てもらう。僕は顧問にあの絵の事を断り電話を切った。


 僕はあの先輩を最後に見た日から絵を描くのを辞めた。もともと美術の道に進もうとは思っていなかったのだ。大学だってとりあえず進むだけでそんなに興味のない学部を選んで受験した。僕の絵は高校の部活までと幕を閉じた。



 楓の木が赤く染めた葉を体から落とす様子を見つめて視線を上にあげる。空には雲一つない淡い青色が広がっている。

 僕は膝に落ちてきた紅葉を払い落とし落ち葉を踏みつけながらその場を去った。



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