第4話 ガーネット・ロウファン武官

 慌ただしい帰郷を果たしたガーネットは女性武官として、体調を崩した父の代わりに皇王家に仕えることになった。表向きは皇王家守護役ロウファン家の娘であり、体が生まれつき弱く桜蘭の叔母に預けられていたが、跡取りの兄が国外追放されたことがきっかけで、戻ってきたという触れ込みだ。


 つまり、今のガーネットの立場はかっての自分ザクロの妹ということになっている。


「……なんで、こんなことになったんだか」

「ガーネット様。余り眉を顰めませぬよう。せっかくの麗しいお顔が台無しでございます」


 充てがわれた王城の執務室で傾国もかくやと噂される憂いを帯びた表情を浮かべていると、側付きとして仕えるマリンカが窘めた。


 ガーネットが武官として働くにあたり、王城のしきたり、各種儀礼、作法に始まり、身の回りの世話をする黒と紺碧二色の色が混じった髪色が特徴的な少女だ。六年もの間、ローゼリアを離れていたガーネットにとって心強い味方の一人で、自身の秘密を共有する者の一人だった。


「はい、はい。それにしても父さ……父上は書類仕事を溜め過ぎでは」

「皇王様直属の守護役として、しょっちゅう留守にされてましたから。ですが、以外でした。桜蘭での生活をお聞きした限りでは、功夫の修行に明け暮れていたとのことでしたので」

「あたしが算学を修めていたことがそんなに以外なの? マリンカ」

「滅相もございません。お陰様でダルカ様が溜めに溜められた書類が大分片付きました。本当にありがとうございます」


 手際よくぽんぽんと書類に判を押しつつガーネットは「どういたしまして」と投げやりに応じる。ここ最近、体を動かせていないのが不満ではあるが、仕事は仕事だ。手は抜けない。


 しばらく黙って書類を片付けていると、執務室の扉が外側から叩かれた。


「おや、どなたでしょう?」

「仕事中失礼。新しく仕官された武官殿に用があってね。お邪魔しても大丈夫かな?」


 ガーネットとマリンカは顔を見合わせる。来客の予定は無いはずだが、断るのも失礼にあたると判断し「————どうぞ」と入室を促した。


「フッ……それでは失礼するよ」


 扉を開けて中に入ってきたのは、汽車で出会ったローゼリアの特使トルマリンだ。

 少なくともガーネットの認識ではそうであるはずだった。

 が、王城務めはそれなりに長いマリンカは慌てて居住まいを正した。


「テュルキス殿下!? これはとんだ失礼を。————ガーネット様。殿下の御前です。教えた通りに。ガーネット様?」

「……あ、貴方は」

「やあ、しばらくぶりだね? ピンイン。————いや、ガーネット・ロウファン武官殿」


 はらりと机から白い紙の書類が落ちる。そんなことにも気づかないほど、ガーネットは狼狽していた。まさか、あの汽車に乗り合わせていたのがテュルキスだったなんてと。


「あの時はお互い偽名で名乗りあったからね。気づかないのも無理はないさ。どう?  

 武官の仕事には慣れたかな?」

「……はい。えーと、少しずつですが」


 頭が真っ白になったガーネットはそう答えるのが精一杯だった。再会はあっけなく果たされたわけだが、お互い変わり過ぎた。

 ガーネットは改めてテュルキス殿下の姿を眺める。あどけなくて頼りなかった少年は、背も大きくなり何より王族の血を引く者に恥じない威厳と貫禄をも醸し出している。

 6年前は見下ろしていたのが、今はその精悍な顔を見上げていることに気づき……トクンと胸が高鳴った。


「それはよかった。ところで、直に春の園遊会の日取りが迫っていてね。武官殿に頼むのも気がひけるのだが、どうか手伝ってはいただけないだろうか? 僕も帰国したばかりでね。猫の手も借りたいほど忙しくて」

「は、はぁ。あたしでよければ、お手伝いはいたしますが」

「おお! それはありがたい! では、招待客に振る舞う料理や酒などの準備をロウファン家にお願いしたい。久しぶりにリーシェン殿の手料理を味わいたくてね。では、僕はこれで失礼するよ。暇が出来たら桜蘭の話をゆっくりと聞かせておくれ。————武官殿」


 嵐のように来訪し、嵐のように去っていったテュルキスを見送る。

 幼馴染の豹変ぶりにガーネットは理解が追いつかない。


「ねぇ、マリンカ。あれは本物のテュルキス殿下だよね?」

「ええ、そうですが? ……そうでした。ガーネット様がお会いになられるのは6年ぶりでございましたね」

「……うん。正直見違えすぎて、偽物かと思ったくらい。それに母さんの手料理が食べたい……か」


 確か皇王妃……テュルキスの母上は流行病で亡くなったと聞いている。それが理由なのかは分からないが、幼い頃のテュルキスはロウファン家で夕食をいただく機会が多かったのを思い出した。


「これは……大役を申し付けられましたね」

「押しの弱かったあの頃のあいつはもういないんだな。……こほん。ともかく母上に相談いたしましょう。守護役のお仕事ではありませんが、殿下直々のお願いです。果たさないわけにはいきません」

「もちろんでございます。ガーネット様。ロウファンの名を国中に響かせるまたとない機会。存分に腕を振るわれますよう」


 こうしてなし崩しの形ではあるが、ガーネットとマリンカは園遊会の準備を進めることになったのだった。


 § § §


 またたく間に時は過ぎ園遊会当日。

 つつがなく、とこどおりなく会は進み宴もたけなわとなった王城の庭園。

 紫のライラックが咲き誇る東屋の下で、ガーネットはテュルキス殿下から結婚の申し出を受けた。


 なんの脈絡もなく突然に。

 いや……今思えば、予兆はあったのかもしれない。

 6年ぶりの再会。

 例え気づいているのがガーネットだけだとしても、歳月のみで二人を引き裂こうとしたのがそもそもの間違いだ。


 将来の主従となることを定められた者同士の片割れが、例え生まれ持った性別を呪いで変えられようとも、一度結びついた縁は再び繋がりを強固なものにしようとする。


 禁域の森で少年に呪いを掛けたのは、主従でありながらお互いを思い合う幼き友情に嫉妬したから。

 

 それはある意味無いものねだりだったのだろうなと、憤りを隠さない主の姿に嫌気が差している己に、今更ながら気づく。


「なぜ……わたくしを捨てて、あのような者に結婚の申し出を!? どうしてなのですか!? テュルキス様!?」


 テュルキスにお姫様抱っこされているガーネットを、淡い緑髪の女がその目で射殺さんばかりに睨んでいた。


 彼女の名はエスメルダ。テュルキスの元婚約者である。

 呪術師じゅじゅつしの家系の生まれである彼女には、うまれつき人を呪う才が在った。幼い頃から気に食わない相手はあの手、この手で呪い尽くし今の地位を築き上げたのだ。


 全てはこの国の皇王妃となる為。それは彼女の家の悲願であり、その為だけに呪いの術を一子相伝で伝えてきたのだ。


「————これはどういうことなのかしら? 説明しなさい」


 二人が十分に離れたことを確認して、彼女は使い魔を呼んだ。


「呼んだか。主よ」

「いいからさっさと答えなさい。これは一体どういうこと? なんであんたがあの女もどきを監視しながら、こんなことになってるわけ?」

 

 姿を現すのも億劫であるが、こんな主でも禁域の森から己を解放してくれた恩人である。嘆息しつつ隠形を解除し現れたのはガーネットの側付きであるマリンカだった。

 しかしその姿は普段の出来る侍従とは趣が違う。背には蝶のように優美な翅が生えていて、その双眸はカラスアゲハの翅のように黒と青が混じった不思議な色合いだ。

 ————あの日、テュルキスに妖精の魅了チャームをけしかけ、ザクロに女体化の呪いを掛けた張本人であった。


「そうがなりたてられてもな。————ただ、あの二人の絆が主の呪いを上回った。ただそれだけの話に過ぎぬ」

「ぬけぬけと……! お前がしくじりさえしなければ、今頃殿下はわたくしに骨抜きだったというのに」

「……我が主ながら恐ろしいのう。その異常な程の独占欲は」


 ふわりと音も立てずに宙に浮いたマリンカは、エスメルダの追求する視線から逃れるように姿を消し声だけを響かせた。


「心配せずともあの二人が結ばれるようなことにはならんよ。もう一人の主が心を決めぬ限りな」

「そんなの時間の問題でしょう!? 殿下はあの女もどきに心惹かれている。最悪なのは例え武官の正体をばらしたところで、なんら影響が無いということよ。正体を知っているのは皇王様もなんだし————」


 そこまで言いかけてエスメルダははたと立ち止まった。密偵により得たこの情報を知っているのは自分だけだ。であれば、皇王を亡きものにしてしまえば————

 あの武官は後ろ盾を失う。単純なことだった。


「フフッ……そうね、その手があったわ。マリンカ協力してくれるわよね?」

「主からの命は物騒なことが多くて気が休まらぬのじゃが……。これも契約なんぞを結んだ妾の運の尽き、なのかのう」

「なにをぼやいているのよ。確か近々、皇王様は殿下の戴冠式を行うべく禁域の森の近くの離宮へと向かわれるはず。————皇王様を亡き者にする絶好の機会よ」

「森に誘い出し始末する……か。それを睨んで、皇王家守護役の筆頭に酒乱の呪いを掛けておったとはな。————相変わらず抜け目の無い主よ」

「用意周到と褒めて頂戴。さあ、覚悟なさい。女もどき、ガーネット・ロウファン。あんたの好きにはさせないわ」


 エスメルダはしとしと雨が降り始めた庭園で、嫉妬の炎を呪いという釜へとくべる。使い魔は、心までも醜くなってしまった主をこれ以上見てはいられず、監視対象でもあるもう一人の主の後を追うのであった。

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