第2話 無謀という名の勇気の代償

「う……」


 目覚めたザクロの赤い瞳に見慣れた自室の木目調の天井が映る。

 どれくらい眠っていたのか。まだ半分寝ぼけまなこの瞼を強引に開けようとして、倒れる寸前の記憶を思い出した。


「そうだ! テュルキス! あいつは無事なのか? ……ん?」


 喉に違和感を感じて、あー、あーと繰り返し喉から音を出す。普段発生している音程キーよりも、幾分か高い声だ。声変わりはまだだし、その気になれば女の子のような声も出せない訳では無いが、余りにも自然に音程キーの高い音が発声出来たことに違和感を覚える。


「どうなって……。あれ? オレの腕こんなに細かったか?」


 テュルキスの守護役見習いとして毎日鍛えて硬くなっていたはずの腕の筋肉は、しゅっと締まって心なしか頼りない。まるで女の細腕のようだ。


 だが、腕よりも明確に違和感を感じる部位に気が付いた。


「……なんで胸が膨らんでいるんだ?」

 

 厳かにされど確かな象徴のように盛り上がった双丘。

 恐る恐る寝間着の裾から手を入れて、ふよふよとした膨らみに手を触れる。

 あり得ないほど柔らかくて、つんと乳頭が上を向いていた。


 おかしい……。バキバキとはいかずとも、打てば響いてくるような胸板の筋肉が、そのまま削げ落ちて脂肪に変化したかのような……。そんな有り得ない感覚。


 ここまで体に変化があって、なお気付かない振りをするのも最早限界だった。起きた直後から嫌にすーすーする股の下。意を決してザクロは下着を捲り上げ……そこにあるはずのものが無いことを目の当たりにし、さーっと意識が遠のきそうになる。


「嘘……だろ。オレ、女になってるぅぅぅぅ!?」


 ザクロの高い声が絶叫と共に響き渡る。直後にどたどたと廊下を走り部屋に向かってくる足音。慌てて衣服のはだけを直したところで強面の父、ダルカの顔がぬうっと扉の隙間から覗いていた。


「……起きたか。三日も寝ておって母さんに心配をかけるな馬鹿息子。早速だがワシの部屋で……あだだだ!?」

「あーなーたー? 今のザクロは女の子なのよ? 自分の部屋に連れこんで、な に を す る つ も り なのかしら」

「いひゃい、いひゃい。そのふぇをふぁなしてくふぇ。ふぁあはん」


 肩を怒らせた父、ダルカが鬼の形相で入ってきたと思ったら、母に腕を固められ頬をつねられていた。

 東方出身のザクロの母、リーシェンは武術の達人だ。なんでもしつこく言い寄ってきた父を千切っては投げ、千切っては投げて求婚を断り続けたが、一向に諦める気の無い父に根負けして、プロポーズを受け入れたらしい。


「イタタ……いやいや衰えんな母さんの功夫クンフーは。それはともかくザクロよ。お前が何をしでかしたか、分かっているな」


 今更父親の威厳もへったくれもあったものではないが、母から解放された父が寄れた袖を直してキリリとザクロと向き合う。


「父さん! テュルキスは無事……なのか?」

「全く自分のことより皇太子殿下が気になるか。ああ、安心しろ。幸いなことにお怪我もされていない。が、無断で禁域に立ち入った罰として謹慎中だ。無論、お前もお咎めなしとはいかんからな」

「母さんも父さんもとっても心配したのよ。……何があったのか話して貰える?」


 ザクロはあの日、禁域の森で起きた不思議な出来事を包み隠さず打ち明けた。

 森で妖精を見つけたこと。妖精の粉を浴びたテュルキスの様子がおかしくなって、慌てて後を追いかけたこと。————テュルキスが口に入れようとした呪われた柘榴の実を、誤って飲み込んでしまったことを。


 ところどころ嗚咽を漏らしながら語るたどたどしい顛末を、最後まで聞き届けたリーシェンはザクロを優しく抱きしめた。


「あ……」

「誤ちをおかしても、最後までテュルキス殿下を守ろうとしたことは立派だったわ。その可愛い姿はあなたに与えられた罰……なのでしょうね。きっと」

「う、うむ。全くだ。世継ぎがいなくなってしまったではないか。仕方が無い。かくなる上は……」

「あなた? そこから先を言おうものなら————握り潰すわよ?」


 ひゅんと男の証にただならぬ驚異を感じ取った父は、思わず両手で股を抑えた。

 微笑みを浮かべていても目は笑っていないリーシェンの何かを握りつぶす手の仕草に、ザクロも思わず背筋がヒヤッとする。やっぱり、母さんは怒ると怖い。


 ようやくリーシェンの気が済んだのか、さっきより大分小さくなったと感じる父がコホンと咳払いした。


「あー……大変言いにくいのだがなザクロよ。テュルキス殿下の守護役見習いのお役目は無しとなった。加えて、今後数年お前は殿下にお目通りを叶うこともならない。そして、皇王様の特別な計らいにより、お前には5年以上に及ぶ国外追放の沙汰が降った。といっても永久にローゼリアに帰って来れないわけじゃない。ほとぼりが冷めるまで、お互い会うことは避けたほうがよかろう、という皇王様の寛大な慈悲に感謝するんだぞ」


 詳しい話しはまた明日。では、ワシはこれでとバツの悪い父は足早にザクロの部屋を後にする。

 守護役のお役目を解かれた————。幼馴染で親友のテュルキスと向こう5年は会えなくなることに、心底落胆し自分が嫌になる。


「……母さん。オレはもう一度あいつと会えるかな。男の姿で」


 呪いの姫柘榴の木は確かに実在し、その実は口にした者の性別を変えるという災いをもたらすものだった。テュルキスが女の子になるのは防げたが、守護役見習いである己の体は華奢な女のものに変わり果てた。


 これからどうすればいいのだろう。少なくとも5年はこの国にはいられないことも、忘れてはならないことだった。


「ねぇザクロ? あなたはまだテュルキス殿下の守護役に就くことを諦めてはいないのね?」

「……うん。あいつはオレがいないと遊び友達だっていないんだ。それにオレと比べたら背も小さいし弱いし。だから、オレが守ってあげないと」


 もっとも女性になってしまった以上、守護役として殿下をお守りすることは、難しいだろうとザクロも薄々気付いていた。男性の体と女性の体は役割もさることながら、造りも全く違う。それでも、ザクロはテュルキスの側を離れたく無いのが嘘偽らざる本音だった。


 息子……ではなく娘の決意をしかと聞き届けたリーシェンは、しょうがないわねと嘆息する。女の子となった今も強くなることを諦めないザクロの真剣な思いを受け止めた上で、こんな提案を持ちかけた。


「それなら、私の故郷の桜蘭オウランに向かうといいわ。————功夫を会得してきなさい。そうすれば、女の子の体でもそこらの男が敵わないくらい、強くなることが出来るはずよ」

「母さんの故郷で修行してこいってこと?」

「ええ、その通りよ。私の妹、メイファにザクロを預かってもらえるよう手紙を出しておくから。そうと決まれば忙しくなるわ。旅の準備をしなくちゃね」


 急遽決まった母の故郷での修行。だが、ザクロの胸は高ぶった。女でも強くなれば、またテュルキスと会えるかもしれないと思うとやる気がもりもり湧いてくる。


 そんなある意味単純な息子……否、娘の様子を暖かく見守るリーシェンは、そういえばと大切なことを切り出した。


「ザクロ。女の子は男の子とは何もかも違うわ。出発の日までみっちり色々教えるからそのつもりでいてね?」

「ああ……分かったよ。母さん」

「それと、今日は久しぶりに一緒にお風呂に入りましょうか。————母さん可愛い娘と一緒にお風呂に入るのが夢だったの」

「はい?」


 茶目っ気たっぷりに片目をつぶる母と元息子のやり取りを、ダルカが羨ましそうに窓越しから覗いていた。

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