呪いで性別が反転した守護役、正体を隠して幼馴染の殿下をお守りする。
大宮 葉月
第1話 突然の申し出と、全ての始まり
「————ガーネット。君が好きだ。結婚してほしい」
紫のライラックが咲き乱れる春の庭園。木陰に隠れるようにひっそりと佇む東屋の下で、今まさに愛を誓う言葉が紡がれた。さらりと風にたなびく金糸の髪の下から覗く、蒼穹の澄んだ空をそのまま写したかのような碧玉の瞳に覗き込まれて、ガーネットは褐色を帯びた赤い瞳をしばたかせる。
まさか、この場で婚約を申し込んでくるなんてと、完全に予想外だった。
「も、申し出はとてもありがたいのですが、オ……コホン。あたしは皇家守護役の家の者。それにそんなことがまかり通れば、テュルキス様の許嫁であるエスメルダ様に顔向けが————」
なんとかして婚約の申し出を断ろうとするガーネット。しかし、テュルキスは静かに首を振ると、何も心配しなくていいと耳元で優しく囁いた。
「エスメルダとの婚約なら解消した。僕は元々彼女と結婚するつもりなんてさらさら無かったんだ。————心に決めた運命の人は君だけだよ、ガーネット」
自身が本当に心から女性であるのなら、テュルキスの申し出は願っても無いものだ。ましてや彼は皇太子。将来、国の舵取りを司る者。彼の伴侶となるのは、そのままここローゼリア皇国の太母となることと同意。
一瞬……その未来を想像しガーネットの肌はぞわりと、まるで毛虫が這っているかのような不快感に襲われた。皇太子との結婚。その先にある未来とはつまり……世継ぎを産むこと。
(む……無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理ー!! オレがよりによってこいつの妻になるー!? 絶対無理!!)
かーっとまるで自身の名から連想する柘榴の実のように、頬を羞恥で染める。
無理も無い。何故なら彼女は元男性であり、テュルキスとは幼馴染でやがては主従の間柄となることを知りつつも親友だったのだ。それが、どうしてこうなった? ガーネットは真剣に頭が痛くなった。
「具合が悪いの? さっきから呼吸が荒いけど」
(誰のせいだと思ってるんだよ!!)
そのきっかけを作った当人に恨み節をぶつける訳にもいかず、ガーネットは「じ……実は朝から余り調子が良くなくて……」と曖昧に誤魔化した。どんなに姿が変わろうが生まれ持った心まで矯正出来る訳では決して無い。
結婚を申し込まれたのが親友で幼馴染なら、尚更拒否したくなるのも止むなしだった。
今やガーネットに男としての面影は見る影も無い。
腰ほどまで伸びて黒く染めた絹糸のように艶のある長い髪。東方の血を色濃く引く母親譲りで仙姿玉質と讃えられる美貌。薄く紅を引き艶めいた唇。黒に映える青い
こんな身体になってからも続けている毎日の鍛錬の結果、しなやかでくびれた体型が出来上がり、今や同性からも羨ましがられる始末。
今更テュルキスに本当のことを打ち明けたところで、信じて貰えるとは到底思えなかった。
「ごめん……そんな状態で君をここに呼んでしまって。責任持って、僕が家まで送り届けるよ」
「い……いえ。少し休めば良くなりますから」
「足元もおぼつかない状態の君を一人で帰すことなんて出来るものか」
テュルキスはガーネットに背を向けて屈み、逞しい背中を差し出した。突然の皇太子の行動に完全に虚を突かれたガーネットは、その体勢が意味することに気づき一歩後ずさる。
「あの、これは……」
「そんな状態の君を歩かせる訳にはいかないよ。さあ、乗って」
まさか皇太子自らがおんぶをしてくれるとは思ってもおらず、ガーネットは「あわわわわ……」と激しく狼狽えた。恐れ多いにも程があり、こうまで心配されるほど女になったのかと、声には出さずとも悔しさで泣きたくなる。
「大丈夫です。歩けますから……」
「やれやれ……強情だね。なら、僕も強硬手段を取ろうかな」
あっと拒否する間も無くガーネットは身体を抱きかかえられた。いわゆるお姫様抱っこの体勢だ。テュルキスの鍛えられた上腕二頭筋を背中ごしに感じて、とくん……と心臓の鼓動が高鳴る。
「お、降ろして……くださいませ」
「具合が悪いのに何を言ってるんだ。初めて会った時から無茶ばかりするのだから君は」
フッと微笑みを浮かべるテュルキスの青い瞳に覗き込まれて、ガーネットの頬は真っ赤に染まった。観念して目を瞑る。何をどう間違えた結果、かっての幼馴染とこのような関係に至ったのか。その忌まわしい記憶をガーネットは走馬灯のように思い返した。
自身がまだ男で、ザクロと呼ばれていた頃のことを。
§ § §
「呪われた柘榴の実?」
「うん。その昔、戦で破れた隣国のお姫様の亡骸が禁域の森で朽ちた後、亡骸の下の土からそれは見事な姫柘榴の木が生えたんだって」
それはザクロが12歳くらいの頃のこと。
幼馴染で親友のテュルキスからそれを教えてもらった。悲劇の姫君の亡骸から生えた呪われた姫柘榴の木のことを。
「で、その実を一口でも齧ると姫の亡霊に取り憑かれてしまうらしいよ」
「ふーん。よくある怪談話だけど、その姫に取り憑かれたらどうなんの?」
「うーん。そこまでは分からないかな?」
手持ち無沙汰に木剣を手のひらの上にぽんぽんと乗せる動作を中断したザクロは、次の遊びが決まったと言わんばかりに、テュルキスに話しを持ちかけた。
「よし。明日は禁域の森に行こうぜ。ついでに亡霊退治だ!」
「だ、駄目だよ!? 決して入ってはいけない禁域なんだよ?」
「呪われた柘榴の木を見つけたら直ぐに帰るって。その代わり、父上や皇王様には内緒な」
翌日、嫌がるテュルキスと共に、ザクロは禁域の森へと足を踏み入れた。鬱蒼とした背の高い木々が陽光をも遮る幻想的な光景。気づけば、宙に浮く翅のある生き物が二人の周囲に集まってきた。
「おお! 妖精! 本当にいたんだ!」
「わわっ……ザクロ駄目だよ!? 妖精に触れては!? ふぇ!?」
おっかなびっくりザクロの背に隠れていたテュルキスの頭上に妖精が翅から光る粉を撒き散らす。それを浴びたテュルキスの碧玉の瞳はとろんと蕩けたかのように光を失い、「置いてかないでー」と妖精達を追いかけて行ってしまった。
「テュルキス!? あいつどうしちしまったんだ!?」
妖精の
「あれが……呪われた姫柘榴の木?」
陽光なのかそれとも頭上を舞う数えきれない程の妖精達が発する光が照明代わりになっているのか。広場は森の中とは思えないほど眩しいくらいに明るい。その妖しげな光に浮かび上がるように、ぽつんと一本の姫柘榴の木が生えていて、血のように真っ赤な熟れた果実を実らせていた。
幻想的な光景にしばし見入っていると、テュルキスが姫柘榴の木をよじ登ろうとしていることに気づき大声で呼びかける。
「なにやってるんだよ!? テュルキス!? 正気に戻れ!! その実を口にしたら姫の亡霊に取り憑かれるんだろ!?」
全く聞く耳を持たない幼馴染を木から引き剥がすべく、その背に手をかけようとした時。とんと首筋を指で抑えられ、ザクロはその場から動けなくなる。
何事かと顔だけ後ろを振り返れば、背から翅を生やした恐ろしく美しい少女と目が合った。
「……誰だ」
「勇敢……ではないか。愚かで無謀な子らよ。この姿から察せよ……と言われても難しそうかの。大方そこに生えている姫柘榴の木の噂を確かめるべく乗り込んできたのであろう?」
カラスアゲハの翅のように黒と紺碧が入り混じった二色の双眸に覗き込まれ、ザクロは叫び出したいのを必死に堪えた。外見からは想像も出来ないほどの圧迫感を受けて、目の前の少女が人ならざるものであることに認識を改める。この身は子供ではあるものの、その在り方は皇王家を守護する武人の心構えが備わっていた。
如何なる手段を用いたかまでは分からないが、テュルキスを狂わせたであろう少女にきっときつい眼差しを向ける。
「離せよ!! 早くテュルキスを止めないと」
「なんだ。友が心配か?」
「当たり前だ。オレはあいつの守護役なんだから」
その守るべき主君をこんな危険な場所に連れてきたのはさておき、嘘偽りないザクロの返答に少女は妖しい笑みを零す。
「おお……美しきかな。玉の如き見目麗しい
「な……何を言ってるんだ?」
興奮しはぁはぁと欲情するかのごとく身を悶えさせ始めた少女にザクロは引いた。
こいつ頭大丈夫か? と。だが少女に気を取られている間に、最悪の事態が進行していた。
「いただきまーす」
頭上を見上げれば、太い枝にまたがりテュルキスはその小さく可愛らしい口を大きく開けて、今にも呪いの柘榴の実を口にいれようとしている。
「馬鹿!! 止めろ!! テュルキス!!」
「なに、束縛を自力で?」
瞬間、少女が魔力で縛り付けていたザクロの拘束がバチンという音と共に解けた。勢いのままザクロは跳躍する。毎日の鍛錬で鍛え上げたカモシカのような足で瞬く間に木を駆け上がり、テュルキスの手から柘榴の実を奪い取った。
「あれ? 僕は何を……」
「ふぃー危ないところだった。げ!?」
安心したのもつかの間。バキっと枝に亀裂が入り二人はもつれあったまま地面に落下した。遅れてぽてんと落ちてきた柘榴の実が仰向けのザクロの口に収まり、ゴクリと音を鳴らして喉を通り過ぎた。
(あ……。しまった吐き出すつもりがうっかり飲みこんじま……いっ!?)
腹がやけに熱い。ちょうどおへそから下腹部にかけての箇所に、奇妙な違和感を感じる。体の内側に何かが形成されていくような、もぞもぞとしたこそばゆい違和感。妙に頭もぼーっとして体が火照る。
「なんだ……これ……。気持ち悪っ……」
「ザクロ!? しっかりしてザクロ!?」
「ほーう? これは中々に面白いことになった。主の命通りにはならなかったが、これはこれで良きかな良きかな」
己を上から見下ろす少女を虚な目で見返す。急激に上昇する体温に耐えきれず、ザクロは気を失った。
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