従者に対する姿勢

 遠方で火災が起きた森を背に、夜の空を、突風を噴かしてもらってユノアは跳ねる。

 やがて、サーチライトによって照らされる平原を見据え、その光源である船の甲板かんぱんに飛び込んだ。

 勢いを考えずに着地し、無理にブレーキを掛けようとして足をもつれさせ、見事に転倒。ルミルを抱き締めたまま、ユノアはゴロゴロと甲板の上に転がり、仰向けに倒れるユノアに、ルミルがおおいかぶさる体勢で止まった。

「ユノア様!大丈夫ですか⁉」

 はやる気持ちで上体を起こしながら、ルミルが声を掛ける。

 その相貌そうぼうは、土とすすに汚れ、疲労の色が浮かんでいた。ユノアは乱暴に自分のひたいを掴み、口元を歪める。

「あークソっ……アイツら、面白くない」

 威勢の良い悪態を聞き、ルミルは胸を撫で下ろす。

 そうして少し気が休まると、ルミルはまたがっている状態に気付いた。

「すみません、すぐに退きますね」

 遠慮えんりょがちに言って、ルミルはユノアから離れようとする。その時だった。

「つうっ……!」

 苦悶の声が漏れ、ルミルの表情が痛々しく歪んだ。

 自身の真上、密着した状態で起きたその反応を、ユノアは否応なく見てしまう。

 怪人たちへの敵意が一気に霧散し、上体を起こして、ルミルを気に掛ける。

「ルミル、大丈夫⁉」

「平気です、少しだけ傷が痛むくらいで」

「そんな、だって……」

 先頭に立って戦っていたのはユノアだ。性格故でもあるが、ルミルに負担を掛けさせない気持ちもあった。

 そんな、誰かに弁明べんめいするような考えが頭から出力され、ユノアは実感した。

 ルミルに掛けられている負荷は全て、自分の決断によるものだ。内心ではそれを理解していたのに、無意識に気付かないようにしていた。

 自分がどれだけ前に出たとしても、それが全て無くなる訳ではないのに。

 戦闘の前、ルミルに対して思う所があったのはこれだ。ルミルを巻き込む事に対し、責任を持つのを嫌がったのだ。

 押し寄せてくる罪悪感に、ユノアは息を詰まらせ、ルミルから目をらした。

「ユノア様?」

「……ごめん、調子に乗って散々大口叩いといて、勝てなかった」

 憔悴しょうすいし、覇気の失われた声に、唐突な変化だと感じ、ルミルは動揺する。肉体的なダメージが原因ではないだろうとすぐに分かった。

「どうしたんですか?ユノア様」

 追及の言葉が今は胸を痛くする。ユノアは悪い事をしてねる子どものように顔をしかめた。

 その様子を、ルミルは不思議そうな顔で眺めていた。

 どうしてこうなったのか、どうすればいいのか、困惑する気持ちがどんどん強くなり、ルミルも固まってしまった。

 けれど、それで動けなくなった、という訳ではない。

 ここを離れたくない。そんな気持ちで、ルミルはその場から動かずにいた。

 出しっぱなしのマップには、忙しない動きで近付いて来る7つの赤い点が表示されている。

 反対に今の二人は、先程の戦闘時とは打って変わり、ゆるやかな静寂せいじゃくの中で、ただただ密着しているだけになった。

 時間が頭を冷やし、気まずさに耐えかねたユノアがようやく口を開いた。

「ルミル……逃げたい?」

 弱々しくも確かに伝わった問い掛けに、ルミルは表情を固くしつつ、正直な気持ちを返す。

「あの敵からは……そうですね、勝てないのなら、逃げるべきだとは思います」

「そうだよね……」

 再び沈黙が訪れる。けれど、今度は短かった。ルミルの方から、ユノアに尋ねる。

「ユノア様は、逃げないのですよね?」

 問い掛ける口調だが、実質的には確認だ。その答えをルミルは知っている。

「うん。でも、無理に付き合う必要はないから、逃げたかったら、ルミルは逃げていいよ」

 どこかこばむような、けれども未練たらたらな態度に、ルミルは柔らかい困り顔になる。

「私が不要であるなら、ちゃんと命令してください。ユノア様の決めた事なら、私は何でも従います」

 はかなげにルミルが語ると、ユノアは焦燥に駆られたように顔を突き出し、ルミルと向き合った。

「そんな風には思ってない!けど……でも……」

 悔し気な顔でまた顔を背け、次いで情けなくなった自分がもっと嫌になり、バタリと力を抜いて倒れ、のど元につっかえていた想いを、ゆったりと吐露とろする。

「私は、他人に合わせてもらわないと動きにくいから、それに巻き込んじゃ悪いっていうか……」

 違う、そういう問題ではない。そう自分で理解しているユノアは、ルミルに対しどう伝えるのが誠実であるのかを考える。

 正直な気持ち、それが一番伝えやすいと、すぐに気付いた。

「私は、ただ好き勝手にやりたいだけ。ルミルは、私が目覚めさせたから従ってくれてるけど、それはホントに嬉しいんだけど、そういう責任取らないといけないの、あんまり得意じゃないの」

 言ってみて、ルミルの事を邪魔に思っているみたいだと、ユノアは己の矮小わいしょうさに嘆息する。一緒にいたいと思っているのに、それに付随ふずいする事柄を敬遠する。なんとも勝手な考えである。

 そんな自分にいきどおってか、ユノアは強く、胸の奥からの言葉をしぼり出した。

「ルミルの事を守らないといけないのに」

 それがユノアの内にある、ルミルを目覚めさせた、ルミルに行動を共にさせる者の責任だ。

 だが、重すぎるそれは、もうどこにも置いておけないし、置き去りにしたくない。いっその事、ルミルの方から拒絶を示してくれたなら、気持ちは楽だったのかもしれないが、ルミルはそれが出来ない。そうユノアは考えていた。

「……守って、くれているじゃないですか」

 何の思惑も無く、ただ淡々と事実を告げるように、ルミルは言う。

「出会ってからずっと、ユノア様は、私の事を守ってくれてるじゃないですか」

 重ねて紡がれる言葉に、ユノアの心が少しだけ軽くなる。

 自分の無茶に付き合わせてしまっているだけと思っていたのに、そんな風に思われてるとは思わなかった。

 吃驚するユノアに、ルミルは更に言葉を送る。

「もし、私を守る事が責任というのでしたら、ユノア様はそれをちゃんと果たしています。今だって、ユノア様の方がボロボロになってるじゃないですか」

 最後はどこか責めるような勢いのあるルミルに、ユノアはバツの悪そうな顔になる。

「だって、アイツらを倒したいのは私だから……って、そうじゃなくて、私が言いたいのはっ」

 我に返るように思考がクリアになり、ユノアは改めて自身の問題を提示する。

「私は、ルミルがいるのに、まだアイツらとの戦いを諦めたくない!」

「はい、承知してます」

「うっ……これからも、同じような事になったら、私は同じように、戦うと思うし」

「薄々気付いてます」

「ええぇ……」

 ことごとくマウントを取るように了解してくるルミルに、ユノアは思わず引いてしまった。

 すると、ルミルもとうとう体裁を崩すように溜息を吐いた。

「ユノア様は、結構面倒くさい人ですよね」

「なっ⁉……あー、えっと……」

 ルミルに言われ愕然がくぜんとするも、認めざる負えないとユノアは言い返せずに視線を泳がせた。

 そんなユノアに、ルミルは容赦なく事実を述べる。

「ユノア様が思われている通り、私は指示を出してくれる人がいなければ、きっと生きていけません。だからユノア様に依存いぞんし、従う以外に選択肢は無いのでしょう」

 空気が一変し、ユノアは肺腑はいふを握られるような感覚におちいる。

 だが、続けて語られるのは、ルミルの想いだった。

「それはそれとして、私はユノア様に付いて行きたいです」

「え……ルミル……」

「それしかないとしても、そうしたい気持ちがあるんです。あなたは、私では絶対に出来ない事をやってみせてくれるから。自分も何も分からない私ですけど、今はそれが良いと思うから!」

 これが素なのか、感情がたかぶったからなのか分からないが、ユノアが初めて見る、ルミルの力強い主張だった。

「ルミル、どうしてそこまで言えるの?まだ会ってちょっとしかしてない、私の事」

 自身への評価にむずがゆさを覚え、ユノアがつい聞き返すと、ルミルは屈託くったくのない微笑みを浮かべて答える。

「さっきも言いましたよ?ユノア様は私を守ってくれています。さっきだって、敵の罠にめられた時、真っ先に私を助けようと動いてくれました」

 それは、荒れ地にて邂逅かいこうした敵のボスが、ユノアとルミルに火球を放った時だ。

 周囲を怪人に囲まれて虚を突かれた二人は、ボスの攻撃に反応するタイミングを逃していた。

 だが、スピリットのカードを使っていたユノアは、ボスの火球に気付いたと同時に、身体を動かす事が出来た。

 そうして機械的に動いた身体が取った行動は、ルミルの救出だった。

 完全に攻撃を回避するには、単身でけるのが最適解であっただろう。

 しかしユノアの身体は、ルミルの元へと動いた。二人は直撃を回避したが、ユノアの背が僅かに焼かれた。

 それは、考えるよりも早く、ユノアがルミルを守る事を望んだからであり、スピリットの効果を知るルミルから見れば、ユノアが心から従者を守ろうとした主である証明に他ならないのだ。

「そんな人だから、私はこの身をす事になんの躊躇ためらいも感じません。いえむしろ、私を目覚めさせてくれたのがユノア様で良かった」

「ルミル……」

 この期に及んで、ユノアには実感が湧かなかった。ここまで言ってもらえるほど、自分に自信を持てる人間ではないからだ。

 だが、ここまで言ってくれる相手に、これ以上の醜態しゅうたいは絶対に晒したくない。

 そんな想いが、ユノアをふるい立たせた。

「もう……責任が嫌だとか言ってる段階じゃないんだね。あの時あの状況で会っちゃったから、もう色々と決まっちゃった」

 穏やかに言いながら、ユノアは優しくルミルを押し退ける。

「やりたい事があって、付いて来てくれる人がいる。だから、もうやる以外に選択肢は無い。ごめんね、そういうの慣れてなかったから、全然気付けなかった。ていうかこれも開き直りかもね」

 言い訳を口にしながら、ゆっくりと、ユノアは立ち上がる。

「やっぱオタクばっかやってるのは良くないね。好きな事しか吸収しないから」

 自嘲じちょう気味に言うユノアに、見上げていたルミルが以外そうな顔をして問うた。

「ユノア様、オタクだったんですか?」

「まあ、そうだね。人付き合いより趣味優先。自分の興味ない事は極力眼中に入れたくない、だから……」

 自慢げに言って、ユノアはルミルを見下ろし、手を差し出した。

「結局、自分勝手好き勝手にしか出来ないけど、付いて来てくれるなら、我慢してね、ルミル」

「ええ、もちろんです」

 差し出された手を取り、ルミルも立ち上がった。

「とにかくあの化け物どもを何とか倒したいんだけど、あの数がうざいんだよね」

「私も前に出て戦った方がいいですか?」

「それは助かるんだけど、あんまりまとまってると、ボスの攻撃の的にされそうなんだよね。だから、一緒にやるのは、最後にボスと戦う時とかが良いと思う」

 危険な役割を任せる事に、躊躇いがなくなった訳ではないが、これ以上ルミルの意思を無下にはしたくない。決着のタイミングでは、共に肩を並べる事をユノアも望んだ。

 あとは如何にして、そういったクライマックスまで戦況を運ぶかだ。

「あの取り巻きどもをどうするか……」

 それっぽくあごに手を添え、ユノアは思案する。

 戦いの場所はこの平原でいいだろう、視覚を確保した場所でなければ、嗅覚を武器に出来る怪人と渡り合えない。

「臭い、あっ……」

 作戦を思いついた。同時にユノアは、気まずそうに顔を引きらせ、ルミルの方を見た。

 徐々に申し訳なさそうになる主の顔を見て、ルミルも複雑そうに唇を結んだ。

 多分、いや間違いなく、出来ないレベルではない嫌な仕事を任される。そんな確信を胸に、ルミルはユノアの命を聞く。

 固く絆の結ばれた雰囲気から一転、ゆるく生々しい上司と部下のような空気が、二人の間で生まれた。

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