暗闇で待つ、名も無き牙の長

 日中は緑豊かで穏やかな雰囲気の森も、夜の色に染まれば、呑み込まれそうな暗闇に支配され、怪しさと危うさで満たされていく。

 視界はほとんど奪われ、文明の光無しでは真っすぐ前へ進む事も困難だろう。

 そんな魔境まきょうの中を、ユノアとルミルのコンビは慎重に、けれども迷いなく進んでいた。

 逃走する怪人をマップとレーダーでルミルが捕捉し、そのルミルを背負った状態で、ビルドアップの恩恵を受けたユノアが追跡する。

 ちなみに、先程の戦闘で使用していたスピリットは、ジャンプのカードと差し替えている。夜闇の中、手足に灯る焔で自分たちの位置を知られてしまう事を危惧きぐしたのと、もしもの時には即座に後退できるからだ。

 逃走する怪人は、存外移動が速くない。ユノアたちは悠々と一定の距離を保ちながら追跡し、ついに森を抜けて高山地帯に侵入した。

「多分この辺から犬コロどものテリトリーだよね。ルミル、マップに反応は?」

「出ました。山の中腹ちゅうふくあたりに、新しく赤い点が表示されました。さっきの敵もそこへ向かっています」

「赤点はいくつ?」

「それが、一つしか……」

 いぶかし気にルミルが答え、ユノアも不審に思った。

 恐らく山の方で新たに見つかった赤点が、野犬たちや怪人のボスだろう。

 だが、まさか一匹しかいないとは思わなかった。

「さっき倒した野犬たちが、群れの全てだったのでしょうか?」

「その可能性もあるけど、今追いかけてる怪人、どうみても荒くれ者な感じだから、ボスも似たタイプつ、手下より強くないと変でしょ。だったら何でボスが一人で留守番なワケ?力があったら普通に前にでるでしょ」

 やや早口なユノアに、ルミルは困り顔で答える。

「それはまあ、敵がユノア様とは違うという事でしょうね」

「だね。わざわざ相手に自分のやり方を当てはめるのナンセンスでした」

 さとった気分になり、ユノアは淡々と非を認める。その後、切り替えて硬い口調で切り出した。

「なんにせよ、まずはどんな感じか覗いてみる。場合によっては今夜の内にケリを着けるよ」

「はい!」

 高揚感に任せ、ユノアは力いっぱいの跳躍を決める。

 鉱山の荒れた大地もお構いなしに進軍し、少しずつ、怪人との距離も縮めていく。

「ユノア様、敵が赤い点の所に到着……えっ⁉」

「どうしたの?ルミル」

「消えました!敵を表示してた方の点が、新しい点の前で!」

「マジで⁉」

「あっ、新しい点も消えました!」

「はあっ⁉」

 目を丸くして、ユノアは硬い地面に足を突き立て、前進する身体に急ブレーキをかける。

「消えたって、どこかに移動したの?」

「いえ、その場から忽然こつぜんと」

 言いながら、ルミルはマップをユノアに見せる。

 指を差して示された場所は、鉱山を表示する茶色の中で、少し色合いが変わっている場所の境目さかいめだった。

「洞窟か何かにでも入ったとか?まあいいや、実際に見てみないと」

 すぐに切り替えて、ユノアは追撃を続行すべく跳躍した。

「ルミル、ナビと索敵よろしくね」

「は、はい!」

 せわしない指示に従い、ルミルはマップを確認して怪人の消えた場所にユノアの進軍をサポートする。

 ほどなくして、二人は怪人の消えた荒れ地に到着した。 

 本来ならば夜闇に包まれてどんな地形かも捉えられない場所だったが、今は違う。

 荒れ地には所々に木材と何かの動物の死体で作られた焚火たきびか作られて、雑に燃え盛るいくつもの火が周辺を照らしていた。

「野営地?」

 背負っていたルミルを降ろしながら所感しょかんを述べ、ユノアは周囲に目を凝らす。だが、先程の怪人も野犬も見当たらない。

「ルミル、マップに何か出てる?」

「いえ、何もありません」

 マップに表示されているのは、カードを使用しているルミルを表す赤い矢印と、その隣にいるユノアを表す赤い点だけだ。

 敵を完全に見失ったが、逆に考えれば、現状の脅威となる存在は近くにいないという事でもある。

 ユノアは肩の力を抜くように息を吐き、周囲をもっと観察した。

 日中に見た建造物と同レベルに思える人の痕跡。

 さっきの怪人が作った物か、それとも別の何か、あるいは誰かが作った物か。

 住人を見つけない事には答えは得られないだろう。

 だが、目当ての怪人もその主とやらも突然消えた。

 その原因かどうか定かではないが、荒れ地の奥には、焚火の明かりが届かない、暗闇が詰め込まれたようにある洞窟の入り口があった。

「ルミル、追いかけてた赤点が消えたのって、あの辺り?」

「はい。マップの上では、あの辺りで間違いないです」

 緊張をはらんだ声でルミルは答えた。

 マップとレーダーの仕様を完全に理解している訳ではないので、なぜ追跡していた怪人が消えたのは分からない。

 だが、目の前に広がる暗闇の中で何かがあったのは確かだろう。

 それを解き明かすには、まず現場を見る事から始めるのがベターである。

 気を引き締めて、ルミルはユノアの指示を待った。

「ルミル……」

「はい」

 覚悟を決め、ルミルは眼前の暗闇を見据えた。

 何が起こるか分からないが、出来得る限り尽力じんりょくする。そういった面持ちのルミルに、ユノアは意見を述べる。

「帰ろう。一旦」

「えっ⁉」

 さらなる探索を想定していたルミルは、ユノアの意外な提案に思わず声を上げて吃驚した。

「すみません。てっきりあの中を探すものかと」

「そうしたいのは山々だけどね。さすがに視界が悪すぎる、ていうか無い。いい?ルミル、視覚頼りに生きてる人間がそれ無しに行動するのはナンセンスよ。私は結構目がいい方で、それありきに生きて来たから、逆にそれが使えない所では、なにも出来る気がしないわ」

「そうですか……ですが、それなら何故、夜なのに敵を追ったのですか?」

「月明りって、思ったほどでもなかったわ。あと開けた場所ならワンチャンあるとも思った」

 文句のように言いながら月を見上げると、三日月であった事に今気付く。

 目標の消失、苦しい言い訳、見慣れた月、進展していく状況下で様々な要素に少し混乱し、ユノアは思考を整理しようと本来の目的を思い返す。

 すぐにでも脅威を完全に掃討したかったが為に追跡を敢行かんこうしたが、問題の敵を見失った時点で、もうどうしようもない。

 痕跡を見つけられただけでも収穫とし、やはり仕切り直すのが妥当であると判断する。

「日中にまた来よう。あと、明りになる道具とかも準備して」

「そうですね、その方がよろしいと……」

 言葉の途中で、ルミルは息を詰まらせたように止まり、次いで弾ける様に叫ぶ。

「ユノア様!すぐそこで反応が出ました!すぐ前です!」

 心臓が跳ね上がり、ユノアは前方に注意を向ける。

 淡く照らされる荒れ地には特に何の変化もないが、カードの効果を信じ、何かがあるのだと確信する。

「下がって!」

 ルミルの手を引き、ユノアは一目散にその場から離れる。

 マップを見せてもらいながら、新たに現れた一つの赤い点との距離を十分に取り、それがある位置を凝視する。

 もわもわと、前触れもなく黒いもやが地面からき出した。

 溢れ出すように靄は増えていき、そこから人の形をした、人ならざる異形の存在が姿を現した。

 ボロボロの青いマントに身を隠しつつも、野犬や怪人と同じ黄色い体毛をのぞかせ、凶器のような犬歯を伸ばしている犬の顔。明らかに怪人や野犬たちと同系統のビジュアルだ。

 怪人の言っていた主とはコイツで間違いない、ボスだ。ユノアはそう確信した。

 マント越しでもわかる、怪人よりも一回りたくましい体格、そしてなにより、そこにいるだけで相対する者に威圧感を覚えさせる迫力を、それは放っていた。

 恐竜ロボと対峙していた時のような圧迫感に、ユノアは息を呑む。

「……何故わかった?」

 低く落ち着いた声音で、ボスは問い掛けてくる。

 ユノアとルミルは慎重に顔を合わせて、対応を協議する。

「私が相手をするから、ルミルはそのまま警戒。お願いね」

「はい」

 静か且つ速やかに態勢を整え、ユノアが応答する。

「こっちの質問にも答えるなら、教えてもいいよ」

「……いいだろう」

 感情の読み取れない質素な返しだが、自然な会話のキャッチボールが成立する。

 緊張と高揚を抑えながら、ユノアは集中して思案する。

 より多くの情報を引き出しつつ、こちらの手札は隠す。駆け引きに実践的な心得は無いが、どうにか都合のいい理屈を捻りだす。

「アンタが出てくるのが分かったのは、そういう力を持ってるから」

 質問から、ボスは闇討ちが失敗した理由を探ろうとしている、ユノアはそう考えた。カードの存在を知っていて、それを所持している事も知っているだろうから、知りたいのはカードの効果だろう。

 だが、その効果の詳細を明かすのは、そこに踏み込まれてからでいい。

 こちらは答えた。次は向こうが答える番だ。

「次はこっちの質問。アンタは何者で、何が目的なの?何処から来て何で人を殺すの?」

 大まかに知りたい事柄を同時に投げ付ける。

 敵の正体、あるいは出自を理解すれば、今後この世界を探索する際に注意するべきポイントが掴めると思ったからだ。

 戦う気満々でいるから、敵戦力を把握するのもアリだが、向こうの知能がどれほどかも分からないし、なにより本当の事を話すかどうかも怪しい。

 この世界での怪人がどんな感じか、それが大体分かればいいのだ。

「我が何者か、か……元は眷属けんぞくと同じただの犬、多少は生命力が強かっただけの。ただ生きる為に人を殺せと命じてくる力を得て、それに従い、更なる力を得る為に、貴様らを殺す」

 自身について語りながら、ボスは物憂ものうげに自身の手を眺めていた。まるで自分でも自分の全てを理解できていないようにも見える。

 対してユノアは、信じられないほど律儀に答えられた事に動揺し、口を半開きにして滑稽こっけいな顔をさらしていた。

 ただの犬だったのが生きる為に人を殺せと言ってくる力を手に入れて、素直に人間を殺し、もっと強くなるためにカードを狙っている。

 怪人の発言も含めた考察をまとめ、その中で一番気になる事項を選ぶ。

 人を殺せと命じる力。

 恐らくボスが人型になった原因もそれだろう。

 カードなのかとも思うが、自分たちが使っているカードに、殺人衝動を付与してくるような気配は無い。

 何か別の物、それがなんなのかを聞き出せれば、それが今後危険視すべき要素だと断定できる。

 その問い掛けを投げるには、または答えさせるには、人として筋は通すべきだろう。

 ユノアはボスの次の質問を待った。

 だが、ボスは特に口を開かず、纏っていたマントを脱ぎ捨てた。

 体毛の犇めく四肢はゴツゴツとした筋肉質なシルエットを誇り、身体の所々に、怪人と同じように肉球のような部分が点在し、それらには犬の爪のような突起も伸びていた。

 明らかな臨戦態勢に、ユノアは面食らう。

「ちょっ、そっちの質問とか、もうないの⁉」

「これ以上聞いた所で、答える気も答えられる事もないのだろうが」

 曖昧な返答とかさばった内容の問い掛けから、ボスはユノアをはかり、問答の無意味さを理解したのだ。

 駆け引きの敗北にユノアは顔をしかめ、手に控えていたスピリットのカードのイラストに触れる。台座を出現させ、空けておいた枠にカードを差し込んだ。

 両手両足と左目に紅紫色の焔が灯る。

「まあいいわ。気になる事は多いけど、どの道アンタを倒す事は決まってる。謎解きは次が出た時でも十分よ」

 拳を握って指を鳴らし、ユノアも戦闘態勢に入り、一歩踏み出す。

「ルミル、まずは私一人で……」

「っ、待って下さいユノア様!」

 鬼気迫るようなルミルの声に、ユノアは肩を震わせ、足を止める。

「どうしたの?」

「後ろに、また新しく赤い点が。今度は複数でました!」

「なっ……」

 仰天ぎょうてんし、ユノアはルミルと共に振り返る。

 荒れ地を扇状おうぎじょうに囲う形で、複数の靄が点々と地面から噴き出し、その全てから、先程戦った怪人が現れた。

 完全に包囲されている。そう理解した次の瞬間、ボスのいる方向から強い光が生まれていた。

 大きく開かれた犬の口から、荒々しい火炎の球が生成され、威嚇いかく咆哮ほうこうを思わせる轟音と共に、殺意の込められた炎が吐き出される。

 真っ直ぐと、ユノアとルミルを呑み込む程の光芒こうぼうが、鉱山の荒れ地で弾けた。

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