第十五回 探母

 月の時節が終わり、木々の葉が色づいて段々と落ちる頃。都に晩秋の風が吹き抜け、日々毎に涼やかになるこの程、宝燈は天子直々のご命令を受けて宮中に呼び出されました。

 遂に王家改易か、という衝撃が王府に走り、宝燈自身も冷や汗と共に参内したのですが、幸いにもその心配は杞憂に終わり、何かと苦労をかけた、と言う天子からの労いのお言葉を賜ったのでした。

「金珠が其方のことを痛く気に入ったそうでな、折に触れて、江夏王はおらぬか、いつ参内するのかと言っておるのじゃ。其方を幾度も宮中へ呼び出して、申し訳なかったのう」

「いいえ、身に余る光栄と存じ、感謝の念に堪えませぬ」

「其方には褒美をくれてやらねばなるまいの」

 その様に仰って、天子は宝燈に対し、立派な緞子の生地や、良い香りのする香木で作られた念珠などを下賜し、これからも公主と仲良くしてもらいたい、とお言葉をかけられたのでした。

「さて、江夏王。今日其方を呼んだのは、実はこれだけのことではないのだ」

「お話し下さい」

「…実はな、一つ其方に頼みたいことがあるのだ」

 この時天子が命じられたことが、後に漢土そのものを揺るがす大事件のきっかけになるのですが、一先ずこの話はこれまで。


 天子との謁見を終えた宝燈は、格別のお許しによって後宮の方へ入り、金珠公主の部屋へと向かいます。

「江夏王李宝燈、公主様に拝謁いたします」

「来たのね宝燈、嬉しいわ!誰か、彼にお茶とお菓子を持ってきて頂戴」

「ありがとうございます」

 公主はぴょんぴょんと飛び跳ねる様にして宝燈の下にやってくると、服の袖口を掴んで彼を部屋の中へと引き込みました。

「今日はどうして宮中に来たの?」

「聖上のお召がありまして」

「もう!そこは嘘でも、わたしに逢いにきた、ってそう言いなさい」

 ぷう、と頬を膨らませる公主に対して、彼は微笑ましげに苦笑いしました。まだ幼いこの子には、後ろ暗いところや裏に秘めた意図などどこにも無いのです。この無垢さが、誰から見てもなんとも可愛らしく感じられるのでした。

「それで、本当は何なの」

「実は、この度聖上が新たにお妃を迎えられるとのことで、そのお方を小王わたくしがお迎えし、お連れすることになったのです」

「ふうん。でも、どうしてあなたが?」

「新しいお妃様は、私の母君の姪にあたる方なのです。私の母は、洛陽の名族楊氏の人ですが、今回お迎えになられる方は、母の兄の娘にあたる方と聞いております。名前を玉環と仰るとか」

「綺麗な名前ね。宝燈と同じ」

「ありがとうございます」

「まあ、お父様のご命令ではそう長く引き留めても居られないから、今日はもういいわ。顔見せてくれてありがと」

「はい、失礼致します」

 公主の下を辞去し、宮城から出た宝燈は、馬車に乗って邸へと戻ると、すぐにご下命のことについて王尚父を呼びつけて話し合いました。

「洛陽の楊氏といえば、先代の楊有徳殿は蘇州の塩政としてお勤めになり、ご兄弟も各々進士として立派な職についておいでです。当代の楊玄緂殿もこの度中央に召喚され、鴻臚寺卿の顕職に命じられたとか。となれば、それ相応の礼を以て遇するべきとの大御心でしょう」

「いかに縁戚だからとはいえ、寡人に声をかけるのも少々どうかと思わないではないが…」

「いずれにせよ、聖上のご意志ならば、お断り申し上げるわけにも参りますまい。いずれ正式に勅使のお沙汰があるでしょうが、それまでにお支度をいたしましょう」

「頼む」

 俄に江夏王府は上も下も忙しくなりました。いずれ勅使を迎えることになるのですから、もてなしの準備にお渡しする贈答品、あるいは迎える時に宝燈が着る御衣、更に勅使として下向する為に必要な品物一式、万事王府で整えなくてはいけません。

「なんとか十日で万端整えて見せましょう」

 そう王尚父は宝燈に言って、言葉の通り膨大な仕事を十日間で見事に処理してしまいましてが、結局はそれらが終わった後には疲れ切って倒れてしまう始末です。

 そして、天子の謁見があった日から二週間後。江夏王府に予定通り勅使が来訪し、詔を伝達しました。

「江夏王李宝燈に対し、聖上の詔を伝える。明後日を以って、勅使として長安を出立し、華清宮に滞在せる楊玉環並びにその親族に対し、詔を申し伝えるべし。この詔を受けたる後、定められたる日時に必ず御前に参じ、詔を奉じよ。欽此」

「謹んで承ります」

 宝燈以下、王府の者達は皆叩頭して詔を受け、勅使を饗応して臣下の礼を果たします。かくして彼の最初の宮廷でのお勤めが決まった訳ですが、細々とした経緯はこれまでとして。


 明後日の早朝。宝燈は韋黯他、王府の家人達を引き連れて騎乗し、後ろには八人かきの立派な駕籠を従え、側には江夏王の名が刺繍された旗を掲げさせて朱雀大路を練り歩き、宮中に参上しました。

 そして、天子に拝謁すると、手筈の通りに届けるべき詔ー絹に記され、黄色い箱と包みに収められたものーと、勅使の身分を証明し、各地の官人に命令を下す資格を与える牌符を預かり、出立に際してのお言葉を賜ります。

「頼んだぞ江夏王。しかと無事に務めよ」

「はは。お役目必ずや果たしてご覧に入れまする」

 命を受けて外に出て、馬に乗り直すと随伴の兵士達が銅鑼を鳴らし、音楽を吹奏して出立を知らせ、天子から楊家に下賜される膨大な品物を抱えて後に続きます。

「勅使の出立!」

 そして、先触れの兵士達が改めて出発を宣告し、江夏王と勅使の旗を掲げて歩き出しました。このまま朱雀大路から門を出て、華清宮へと向かうのです。

「賢弟」

「はい」

「しかと頼むぞ。この任務、しくじる訳にはゆかんのだ」

「勿論です。殿下」

 朝霧煙る秋の日に、宝燈の率いる行列は、盛大に都を後にしたのでした。


 宝燈の率いる勅使の行列は、単に彼とその護衛役だけではなく、天子の御意志によって大変に多くの物と人を連れています。例えば天子から入内に際してその実家に下賜される品物ー綸子や緞子、宝珠、金塊、珍物、美酒などーが山と積み上がる程にあるので、まずそれを運ぶ人々が朝廷から与えられます。

 また、未来の妃嬪となる女性の為に、そのお側仕えや宮中でのお世話を担当する女官や宦官もこの行列に随伴し、華清宮で顔合わせの後に直ぐにお勤めを始めるのです。この他にもお乗りになる煌びやかな駕籠や馬車が何輌も続き、その様は絵巻物に記された、天人がお供と共に雲に乗って俗世を見て回る姿やそのままに映し取った様です。

 ところが彼らのものどもは、皆この世に二つとてない宝物ですから、当然狙う者がありますし、江夏王府から連れてきた衛士だけでは到底守り切ることはできません。そこで、これらの物や人を厳重に守り参らせる為に、朝廷から官兵数千が遣わされ行列をひしひしと囲み守りを固めていたのです。

「壮観だな」

「ですね。兵士は皆正装して、紅の袴を履いていますから。大層映えます」

「だが、すぐ隣に神機箭かしゃがゴロゴロと転がっているのは落ち着かんな。あの矢が襲いかかって来やしないかと不安だ」

 神機箭、とは禁軍や江夏王府の私兵が使う火薬兵器で、無数の筒が蜂の巣状に詰まった長方形の箱に車輪がついた姿をしています。戦時には勢いよく飛び出す花火火薬と導火線を仕込んだ矢をハリネズミの様に装備し、敵に向けて放つのです。

「見てくれは恐ろしげですし、一発撃った時の衝撃も凄まじいですから。賊相手にはよく効きましょう」

「だが、万一流れ矢が娘々ひめさまの乗り物に当たってみろ。お怪我でもされたら…」

「ご報告致します」

「なんだ」

「只今先触れが、㶚水に差し掛かりました。渡の準備をしております」

「よきにはからえ」

「…漸く渡河ですか。六十里の道のりも、こう兵が多くては進みが遅うございますな」

「流石にそれだけの長さを歩き通しは無理がある…その上、女や宦官も連れているのだ。日暮れ前、いや今日の内に到着できれば御の字やもしれんのう」

 数千の兵に足の遅い女や宦官、更に膨大な荷物を慎重に運ばなくてはいけませんから、比較的近い華清宮といえど、そう簡単には到着出来ません。これが宝燈と韋黯二人きりの早駆けであったなら昼には着いたでしょうが、これもお役目、流石にそこまで自由には行けないのです。

 と言っても、流石に乗り物に載っている格の高い女性達までもが、ことあるごとにぎゃあぎゃあと休憩を求め、一里はおろか半里も進んだか怪しい所で道行を止めねばならぬことには宝燈も辟易し、止まれと命じる度に韋黯に愚痴を言いました。

「いっそ置いていけ。むしろ兵達の疲労と士気がますます悪くなる」

「殿下、そう仰るものでもありませんよ。馬を乗り回して、こう言う旅に慣れている人の方が稀なんですから。禁軍の精鋭と同列にお考えになってはいけません」

「ふん。寡人より馬術が下手くそなくせによく言うわ」

「それは言いっこなしですよ!」

「やれやれ…もうよかろう。再度出立するぞ!」

 こうした調子で数千の兵と車列はなんとか進み続け、そしてその日の暮れ方、間も無く夜になってしまおうかという時になって漸く華清宮に到着したのでした。

「詔の伝達は明日朝早くに行う。今日は兵を休ませろ」

「承知いたしました」

「韋黯」

「はい」

「寡人の印綬と牌符を預ける。少し休む故、寡人が戻るまで、参軍と相談してお前が万事取り仕切れ」

「ぎょ、御意」


 到着から少しして、宝燈は韋黯に細々とした営中の仕事を任せると、一人密かに別行動を取りました。彼が向かったのは、離宮の端にあって誰も近付かない貴人用の浴場です。…既にご存知の方々もいらっしゃるでしょうが、実は華清宮は豊富な温泉の地に建っていて、多くの効能と風景の美しさから漢土全てに名が知れておりました。

 そこには天子専用に設られた特別な浴場の他、その恩顧を受けた貴人が特別に浴を賜う温泉、お仕えする宮女が浸かり、その美しさに磨きをかける為の湯など実に多彩な風呂が揃っており、好きな者にとっては垂涎の的でしょう。

 とはいえ、如何に湯浴みを好む宝燈とて、流石に任務の最中に危険を冒してかまけていることは出来ません。実のところを言えば、こんなに急いでいるのには切実な理由があるのです。

「(皆が疲れている今のうちに入ってしまわねば、以後機会が無く、側付きや背中を流す湯女等に見つかるかも知れない。もしも気を利かせて、『勅使殿もいかがですか』などと言われたら命取りだ)」

 そういう訳ですから、彼は密かに忍んで人気のない貴人用の風呂に向かい、さっさと体を洗って出てしまおうという考えでいました。

「…にしても、大きいな。王府の数倍はあるだろうか」

 さて、いざ服を脱いで入ってみると、流石に天子の離宮、何事も壮麗豪奢を極めています。浴槽を含めた部屋は西域から取り寄せたという白い大理石で作られ、湯を吐き出す口も大秦国のものと伝え聞く獅子の頭をあしらった彫刻になっています。また、悠々と足を伸ばしてもまだあまり、部屋一つか二つはあろうかという大きな浴槽に満々と温泉の湯が湛えられていて、風呂ではなく池ではないかと思われる程です。

「ふぅ…いや、あんまりゆっくりはできない…けど…」

 温かい湯に浸かると、自然と強張っていた筋肉がほぐれ、体の疲れが抜け出して行きます。心地良い眠気が現れ、早く出ようと頭の中で思ってはみても、動くことも上手くいきません。

「ふ、うぅ…」

 迂闊だったと心の中で臍を噛んでみても仕方がない。彼女は思い直し、なんとか体を動かして風呂から上がり、浴場から出ようと試みました。

 その時です。俄に浴場の扉が開き、ペタペタと濡れた床を踏んで歩いてくる音が聞こえました。

「(不味い、誰か来てしまったか…!)」

 本能的にその方向を見ると、濃い湯気の中に明らかな人の影が浮かび上がります。その体つきからして女性であると悟った彼女は、誰であれ名乗らず顔も見ずを貫くべきかと考えました。しかし、その考えは一瞬にして打ち砕かれてしまったのです。

「あら…?」

「あっ…」

 湯気の奥から現れたその姿をなんと形容したら良いでしょうか。体つきは振れれば折れてしまいそうな程に流麗華奢、未央の柳が歩き出したかの如く、新雪の様に白い肌は熱にあてられて艶かしく色づき、手指一本一本までが精巧に彫られた彫刻の様な趣を持っています。そしてその上の顔貌は、まさしく浄土の蓮の花がパッと開いた様に美しく整っていて、この世の生まれとはとても信じられません。

 しかし、それを見た宝燈の口から漏れたのは、その美しさへの感嘆やため息ではありませんでした。彼女はたった一言、

「お母様…」

 そう呟いたのです。

「お母様…あなた、わたくしに娘は居ませんよ」

 はっとして、彼女は慌てて頭を下げた。ここで江夏王と露見するわけにはいかない。幸い相手は温和な様子、無知な女官を装えば追及を振り切れるやも知れない。

「し、失礼致しました!お、お許し下さい!」

「まあまあ、そんなに畏まらずに。見覚えの無い方ね、何方?」

「は、はい、わたくしめは…ええと、最近この離宮にお勤めをすることになった者でございます。本来ならば、この様なところに立ち入ることは許されぬ身の上でございますが、つい魔が差してしまいました!」

「あらあら。でも、気持ちは分かるわ。妾も、身分の低い寒門の生まれだったから…こう言うことに憧れていたの…。さあ、顔を上げなさい。今日のことは、誰にも秘密にしておいてあげるわ」

「は、はい!ありがとう存じます」

 そう言って彼女が顔を上げると、目の前の女性はハッとした様に目を見開き、頬に触れて自身の顔を近づけた。

「あなた…」

「な、なんでしょう」

「…いいえ。なんでもないわ。ふと、妾の末の叔母さまの面影が見えたのだけど…貴女が大層美しいものだから、見間違えてしまった様ね」

「叔母様、でございますか」

「えぇ…婢女の庶子で、身分も低く教養も無かった私に比べて、美しさも性格も、何もかも非の打ち所がない方だった…江夏王様に見初められてご寵愛を受けたのも、納得するくらい…」

 あっ、と声をあげそうになるのを宝燈はすんでのところで堪えました。まさか、この方が…、

「どうかなさって?」

「い、いえ、なんでもありませぬ!それでは、ご無礼を…!」

「あっ、貴女、名前は…」

 慌てて浴場を出た宝燈は、後ろから呼び止める声も聞くことなく、そのまま逃げる様に服を着てまた戻ってしまったのでした。


 さて翌朝のこと。その様な大事件など素知らぬ顔で宝燈は、

「賢弟、お前に詔書を運ぶ役割を命じる」

「は、はい」

「…どうした」

「いえ。ただ、今朝から殿下のご様子が少し変でしたので」

「どう変だと?」

「何やら落ち着かぬ様で…」

 思わず彼はギョッとしましたが、すぐに目の前の義弟は昨日ずっと自分の代理として営中のことを決裁していたのだと思い出し、気を取り直して命令し直します。

「その様なことは何も無いから、案ずるな。それよりも、鴻臚寺卿と妃嬪様は既に用意を終えておるのか」

「はい。間も無く政庁にてお待ちになり、勅使のお出ましを迎える手筈になっております」

「良かろう」

 宝燈は改めて服と冠を整えさせ、丁重にここまで運んできた天子の詔を準備させます。装いは恩賜の蟒袍に翅の付いた王帽を戴き、腰には宝剣とかの霊妙な翡翠の宝玉を提げ、涼やかな音を鳴らしながら韋黯を従えて政庁に向かいました。

「勅使の御入来!」

「皆の者、表を上げよ。これより、天子の詔を申し伝える。正四品通議大夫楊玄緂、並びにその息女楊玉環これへ」

 彼が作法に従って詔を申し伝える相手を面前に呼び出すと、そこには一人だけ初老の男性が正装で現れ、叩頭して言いました。

「楊玄緂、謹んで勅使に拝謁致します」

「そなたの息女はどうした」

「はは、我が娘玉環は昨日玄都観で出家し坤道となりました故、勅使に拝謁するに憚りがあると存じ、今は部屋にて待っておりまする」

「何、出家だと」

 これは後でわかることですが、実は楊玉環という人は元々寿王の許嫁であったのを特に天子がお望みになり、これを入内させるには、一度出家することで俗世との縁を断ち切らせ、然るのちにという方便が使われたのでした。

「出家は先に下されました聖旨によるものにて、何卒お咎め無き様臥してお願いを申し上げます」

「…良かろう。では、其方が代わりにこれをよく読んで聞かせるのだ。分かったな」

「承りました」

「では、コホン。『正四品通議大夫楊玄緂が息女、楊玉環、号太真は聡明にしてしとやか、振る舞いは優美にして慎み深く、妃嬪たるに相応しい。故に、正五品の品階を与え、美人の称号を授ける。この詔を受けて後、直ちに宮中に参内せよ。欽此」

「謹んでお受けいたします。天子の御恩に心から、感謝を申し上げます」

「正午に宮を出て京都に向かいます。本日中に到着し、拝謁する様にとの聖上からの固いお達しですので」

「直ちに支度させます」

 詔を言い渡された楊大夫は、直ぐに御前を退くと玉環…いえ、楊美人に対して詔を伝え、直ぐに賜った絹で仕立てた服に着替え、見事な宝玉の飾りや簪を身につけて出立の支度を整える様に言います。

 他方宝燈の方は、恙無く詔書の伝達が終わり、正午に華清宮を発つ旨を認めると、早馬を出して都の天子にこれを申し伝えさせ、自身も韋黯と共に営中のことを取り仕切ります。

 そして、全てのことが恙無く整った丁度正午、いよいよ美人を迎えて都への群行が始まります。

「楊美人のお出ましでございます」

「美人様、さあこちらへ」

「ありがとう」

 楊美人は女官達の手を借りて豪奢な二輪馬車の前までやって来ると、ふと視線を辺りに向けました。

「どうかなさったのですか?」

「…いいえ。それでは、向かいましょうか」

 その様子を遠目で見ていた宝燈は、僅かに名残惜しそうな顔をしましたが、いいやあれは母君ではないと思い直し、出発を命じました。そして、側に控える韋黯に向けて、

「のう賢弟」

「はい」

「お前は、私の母を知っているか」

「…幼少の頃、ほんの少しだけお会いしたことがあります」

「では、この務めが終わったら、詳しく教えてくれ」

「はい」

 こうして後宮には、新たな花が加わることになります。楊美人は入内するや忽ち天子のご寵愛を独り占めし、一月もしないうちに貴妃の位を授けられた他、親類縁者一族も皆取り立てられ、父親の楊大夫は三品の位に進み、母違いの姉妹達も皆韓国夫人、秦国夫人などの称号を受けて皇戚となり、あの博打打ちの楊釗は新たに「楊国忠」という大層な新名まで下賜されることとなったのでした。

 無論李乾坤はこのことが面白くはありませんが、差し当たって自分の権力が揺らぐことはなかったので敢えてお諌めすることもなく、臣下もそれに倣いました。しかし、やはり心ある人々は眉を顰めて朝廷の惨状を見るようになるのですが…ひとまず続きは次回にて

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