第六回 一刻

 さて、二月の末となってきますと、いよいよ江夏王府は忙しさが増してきます。

 王たる宝燈は無論のこと、その代理として万事を取り仕切る王猛やその下で働く臣下達は、清明節を迎える為に必要な膨大な仕事に目を回していました。

 清明節は、一族郎党が集まって祖先のお墓参りをし、当代の繁栄に感謝すると共に、これからもそれが続く様に願う祭りです。

 この時節になると、都の貴族達は皆地方から上洛してくる何百人、時には千人近くなる親族を迎えなくてはいけません。無論、江夏王府も例外ではなく、今回は招く者を絞ったとはいえ、それでもかなりの数が登って来る事が決まっています。

 それに加えて、例の宴の支度まで同時にしなくてはならない訳ですから、王府は慌ただしいという言葉ではとても言い表せない騒ぎになります。

「なんてこった!朝から晩まで書類に判を押して、それでもって今度は割符を渡してやったり、手紙を書いたり!頭がおかしくなるぞ!」

 夕暮れになり、一度仕事が止まったところで宝燈は韋黯に対して叫びました。

「いやはや、お疲れ様でございます」

「この間お前の言った通り、寡人は去年一年は真面目に耐えた。だが、なんだって喪が明けてからの方が忙しいんだ!?」

 あの日以来、宝燈は不満や愚痴を口にする事がずっと多くなりました。韋黯にしてみれば、さして変化があったとは思えませんが、少なくとも、名君らしく飾ったり、欲求を無理矢理に抑え込んだりする事は殆ど無くなったのです。

「どこどこへ銀子三両、此方へは銅銭十貫、なんとか王に招待状、飾り付けや儀礼に必要な調度品の点検。こんなつまらない事よりも、遠乗りと狩りに行きたい…。次は聖上宛に差し上げる臨御を乞うお手紙を書かないと。だが、出してもどうせいらっしゃらない儀礼のものなのに、わざわざ…」

「そう仰らないで下さい、殿下。何しろ王尚父はこれの十倍はお忙しいのですから」

「だったら王尚父だけで処理できる規模に催しを縮小すれば良いものを…」

「そんな事をしたら、『長安に春来らず』なんて言われますよ」

 苦笑いして韋黯が視線を向ける先では、浮島の桃の木が見事に花開いていました。

 江夏王府の庭園は、意匠もさる事ながら、植えられた花の数では都に及ぶ邸はありません。海棠、梅、桃、牡丹…両手指の数では足りない程の花の草木が、春を盛りに花開く様は無数の詩賦に歌われてきました。

「何月だって知るものか。江夏の庭の花咲けば、その時即ち春来たる」

 民衆の流行歌にさえこうあったのですから、それらを実際に目にする機会のある貴族や士大夫、詩人達の感想など言うまでもないでしょう。

 歴代の江夏王は、清明節の頃に花開くそれらを愛で、同時に貴族や士大夫達との社交の場とするべく、宴を開いて来たのです。

「分かってはいるし、寡人も宴やお祭りは大好きだ。だがな、こんなにも大変ならば開こうなどとは思わなかった。いくら確認がいるとはいえ、細々とした決裁まで寡人に求める必要はなかろうに」

「ははは、まあ、間も無くお夕食ですから。しばしゆっくりと休まれませ」

「お前はよいな、こんな作業などせずとも、馬を散歩させた後は、適当に休んで居れば良いのだから」

「私が手を出したが最後、出さない方が遥かにマシと言うことになりますよ、殿下」

「ふん、ま、それもそうだ」

 今更語るまでもない事ですが、宝燈はこの国で一二を争う程の、いえ、天子を除けばおそらく並ぶ者無き大富豪です。功臣の末裔、それも皇族とあれば裕福なのは当たり前の事ではあるのですが、例えそうだとしても、その財産は食い潰しても潰し切れない程でした。

 江夏王家はその領地に河を挟んで向かい合う、武昌・漢陽・漢口の三つの大都市を抱えていて、そこから莫大な収入を得ていました。特に漢口は最近急速に発展した商業都市であり、江南の商業交通の中心地として、「天下四大名鎮」、「九州通衢てんかのしんぞう」と渾名される繁栄を築いていました。

 歴代の江夏王は、商人達に対し商売の独占権や三都市内での免税特権、はたまた私兵による水賊からの保護、或いは港の使用権など多くの恩恵を与え、その代わりに彼等から報恩として冥加金や運上金を受け取り、それを農民達への租税減免や救荒事業に充てる事で、理想的な発展の形を整えてきたのです。

 しかしながら、当たり前の事ですがそうした政治を行う以上、先述の通り王府の人間の職務はあまりにも巨大になります。数十万両の銀子の出入りを細かく管理し、それが正しく使われているかを調べる事はほんの序の口、商人間の揉め事の裁定や現地で統治を行う官吏の任免、捕えた水賊の処罰や水軍衆への報酬…。

 この上今度は清明節の為に各所への社交も兼ねた手紙やら、客人達の接待の為の支度やらをしなくてはなりませんから、如何に宝燈が勤勉な王だとしても悲鳴を上げるというものです。

「現地で政務を取り仕切る范丞相も、大変お疲れの様ですね」

「あの爺さんの他に務まらないが故に、いつまでも引退させてやれないのが全く悲しい事だ」

「本音は?」

「寡人の処理できぬ裁定を代わりにやってくれているから楽で良い」

「うっわ」

「ついでに荘園の管理もしてくれると、とてもありがたいのだが」

「数十箇所の広大な荘園の管理まで押し付けられたらみんな死んでしまいますよ」

「だよなぁ…」

 荘園は江夏王家の封地とは別に、宝燈が個人的に所有している土地で、他の公地から逃亡してきた農民を佃戸こさくにんとして、あるいは所有する奴婢達に耕作させているのです。

 彼がいつでも自由に使える内廷費ポケットマネーは基本的にこの荘園からの収入ですから、その管理も大切な仕事ではあるのです。

 とはいえ、封地とは違って荘園は各地に何十箇所も散在していて、一括して管理する事が難しいですから、ある意味一番の貧乏くじ的な仕事と言えるでしょう。

「なあ、お前、寡人の代わりに荘園の管理をしてくれないか。報酬として一つ広い荘園をやるぞ」

「何処の土地ですか?君山島の畑でも頂けると?」

「いや、交州だ」

「南の果てのど田舎じゃないですか!」

「越南国の産品が入るいい土地だぞ」

「都へ戻るのに年単位かかるので御免です」

 などと話している間に夕食が運ばれてきます。

「はぁ…これを食べ終わったらまた仕事の山だな。おい、お前も何か働け」

「何をしろと…」

「寡人が書き溜めた招待状を方々へ届けて来い。馬は用意してやるから、着替えてちゃんとした使者になれ」

「えぇ…分かりましたけど、手土産とかは…」

「うーん…贅沢品は見慣れていて、面白味も洒落気も無かろうて…。あ、そうだ!温かい料理にしよう。寒食節では、冷たいものしか食べられないからな」

「用意はできるでしょうが…大丈夫ですか?そんなの渡して」

 宝燈の提案を聞いて、韋黯は顔を顰めて苦言を呈しました。

「まあ、大丈夫大丈夫。お前が『この料理は江夏王自ら、貴方様のためにご用意した物です。江夏王府では、最大のおもてなしを貴方に致します』と言えばそれでいい」

「嘘じゃないですか!」

「寡人の半身であるお前が配達するのだから、それは寡人がそうするのと同じ事だ。嘘ではない。さ、早く着替えてくるのだ」

 江夏王は厳かに、自身の半身へと命令を下しました。


 韋黯が着替えている間、宝燈は贈答品として渡す料理の手配を急いで命じます。何しろ、温かい料理は種鮮度が命なのですから。

 それらが届けられるのと同じ頃、韋黯が外向きの正装に着替えて御前へと戻り、出立の意を申し上げました。

「ふむ、員外尉に叙されたからか、多少の風格が出ているぞ」

「ありがとう存じます」

「よかったな、昇格のおまけ付きだなんて。あの野郎…いや、あいつにも多少の良いところがあるな」

「ははは。まあ、かも知れませんね」

 彼の袍は、色こそ変わっていませんが、正面に縫い取られている補子の文様が、黄鶯に変わっています。これは彼が、京県員外尉への叙任に合わせて、九品から八品へと昇格した事を示していました。

「それ、行き先をまとめた表だ。この順番に回ってくれ」

「はい…って、親王とかも入ってますけど本当に大丈夫なんですよね!?」

「聞いてる暇があれば早く行け。冷めてしまうと不味くなるぞ!」

「は、はい!」

 急いで退出した彼は、料理を冷めない様に火鉢と共に、慎重に屋根付きの小さな馬車に納めている召使い達を尻目に馬に飛び乗り、出発を告げました。

「最初は都城の北、魏王殿下の邸より参る!続いて門を出て、寿王殿下の邸へ行くぞ!」

 馬の手綱を引くと同時に、後ろの馬車も慌てて後を追います。無事に招待は届けられるのでしょうか。この話はこれまで。


 「殿下、お衣装を」

「うむ」

 書類仕事が終わってからも、やるべき事は尽きません。次に行うのは、宴の場で着る衣装の調整です。

 勿論着るのは、天子から賜ったあの真っ白な蟒袍

なのですが、何しろ宝燈には非常に切実な事情があって、行事の度に衣装が合うかどうかの確認が必要なのです。

「(また背が伸びたかもしれん。胸も多少は大きくなったかな)」

 生まれた時から仕えている老女官達が手早く衣装の着脱をこなす間、彼はぼんやりと考えていました。成長の盛りである彼にとって、それは嬉しくはありますが、同時に更なる綱渡りを強いられるのではとげんなりする気持ちも強くなります。

「(相変わらず、割り切れぬ気持ちだのう)」

「殿下、お衣装の着付けができましてございます」

「ありがとう」

「(衣装がキツくなった感触は無い。動きも悪くは無いし、胸の晒しも問題は無さそうだ)」

「いかがでしょうか、殿下」

「…すこし、足元の丈が気になるな。直してなんとかなるだろうか?」

「仕立て係に申し伝えておきます」

「そうしてくれ。…邸の中を少し歩く、ちゃんと歩けるか調べたいからな」

「ご随意に」

 煌びやかに装飾された王帽を被ると、彼は下に剣を吊り下げて、ゆっくり歩き出しました。


 宝燈が一旦着替えの部屋から出ると、外では相変わらず準備のための喧騒が広がっていました。

「飾り付けに、調度の新調に…皆おおわらわだな。やはり、寡人だけが忙しい訳ではないのだなぁ…」

 廊下から池の方を見やると、草木の剪定が必要か庭師たちが調べていたり、灯籠の芯が生きているかどうか火を入れていたりと、彼にとって普段は当たり前だった事が、如何に大変な苦労の上にあるかがよく分かりました。

 月の光にも勝るかと思われる、夜の王府の明かりの中を彼がゆっくり歩いていると、

「あっ…!」

「おや、大丈夫かい?」

 目の前から、髪の毛をまとめた小柄な少女が走り込んできて、彼の胸のあたりに頭をぶつけます。

 彼は咄嗟にぶつかってきた少女に手を差し伸べて、転びそうになる体を支えてやりました。運動の成果か、意外にも彼は華奢な見た目に反して体が頑健で、小さな少女がぶつかって来たくらいでは、よろめくだけで転びはしません。

「すみませ…王様!?」

「ああ、うん」

「申し訳ありません!王様!ご無礼を、ご無礼をどうかお許し下さいませ…!」

「まあまあ、そう謝る必要はないよ。気をつけてくれたらいいんだ。…それよりも、何をしていたんだい?」

「えっと…飾り付けの切り絵を作っていたんです」

 見てみれば、所々に細かい透かしの細工を切り出した紙の飾りが散らばっています。

「おっと、これは申し訳ないことをしたかな。拾うのを手伝おう」

「そんな!王様が膝を屈されるなんて…!」

「衣を汚すわけにはいかないから、悪いけど地べたに落ちたのは君が拾ってくれ。後は寡人が拾うから」

「は、はい!」

 散らばった飾りはどれもよく出来ていて、特に二匹の龍が絡み合う図柄は、その咆哮が聞こえてくるかと思われる程見事なものでした。

「いやはや、すまない。これだけの出来のものをダメにしてしまったかな」

「いえ、構いません…どうせ捨ててしまう予定のものでしたから」

「捨てる?勿体無いな、どうしてだ」

「私の作ったものなんて、お姐様方には到底及びませんから」

「…なんと、お前がこれを作ったのか!いやはや、凄いものだな。寡人とさして年も変わらないだろうに…」

「…恐れ入ります」

 宝燈は、月の光や廊下の明かりに飾りを透かして見ていましたが、何かを思いついた様に口を開きました。

「お前達はどこでこれを作っている?」

「は、ええと…邸の北側の…」

「ふうむ…」

 それを聞いて、彼は足を踏み出してすたすたと歩き出します。

「王様!?」

「いや、折角だ。お前達がこれを作っているのを見てみたくなったのだ。少しの間、邪魔させてもらうぞ」


 宮城には劣るとはいえ、江夏王府は都の中では一二を争う広大な邸です。当然、単なる郡王の生活空間としてだけでなく、京都における政庁の支部、はたまた臣下達の宿舎や仕事場も敷地の中に備えていました。

「郡王殿下!?」

「どうしてこの様な…」

 邸の北側には、そうした臣下達の宿舎も兼ねた仕事場があり、その中の一つでは少女の言う通り邸で働く女達が飾り付けの為に紙を切り抜いたり、刺繍をしたりと忙しく働いています。

「や、どうもどうも。みんなお疲れ様」

「よもやこの様な所にお直々においで下さるとは…あっ!紅花!お前、一体何を…っ!」

「襲人姐様!」

 一番年長と見える女性が、少女の名前を呼ぶと、宝燈の後ろに隠れる様にして立っていた身体を震わせて、言葉を返します。

「おや、この子は紅花というのか」

「殿下、紅花が何か無礼を働いたのでしょうか。でしたら、どうかお慈悲をもってお許し下さいませ。まだ十歳かそこらの、道理を知らぬ子供なのです。紅花!いつまでもそこに立っていないで、あなたも礼をして殿下にお願いなさい!」

「いやいや、別にそんなわけではなくてだね。寡人の顔をご覧よ。この子に怒っている様に見えるかい?」

 にこにこと笑みを浮かべたその顔を見て、予期せぬ主君の訪問に張り詰めた空気が多少弛緩します。

「お姐様、王様が捨てる飾りを拾うのを手伝って下さったのです」

「この子が寡人にぶつかってしまってね。落としてしまったこれを拾うのを手伝ってやったんだ」

「それは…紅花が大変な失礼を…」

「いやいや、そのくらいは別に良い。それに、寡人としても良いものが見れたから」

「良いもの、ですか」

「この子が切り抜いた飾りだよ。よく出来ているじゃないか。捨ててしまうなんて勿体無いくらいに」

 お褒めの言葉を頂くばかりか、頭を撫でてもらいさえした紅花は、照れと恥ずかしさとで顔を赤くして俯いてしまいます。

「それで、折角だからこの飾りを作っているところを見たいと思ってね。少しの間だけ、邪魔をさせてもらいたいのだが」

「それはそれは…どうぞ、ご自由になさって下さい」

「まあ、そういう訳だから。寡人に構わず、仕事を続けておくれ。紅花、君の飾りは寡人が預かっておくから」

「は、はい!王様、失礼致します」


 紅花と襲人が仕事へ戻って行くと、宝燈は興味深げに視線を作業場の方へと移します。

 実際、紅花の言う通り、年嵩の女達は見事に紙を切り抜いては、細密な透かし模様を作り出しています。

「(ふうむ、これはすごいな。わたしにはとても出来ぬ作業だ。あそこまで緻密な龍の模様など作れそうもない)」

 彼にとっては、こうした裏の作業を見るのは初めての事です。

「(同じ邸で暮らしてきながら、全く知らぬことも少なくはないのだな)」

 そう思って眺めていると、仕事場の脇の扉から年嵩の婢女が湯気を立てている盆を持って入り込んで来て、皆に言いました。

「お夜食の焼き餅を持って来ましたよ、一度手をお休めになったら」

 その声を聞いて、作業をしていた女達の顔が緩みます。が、直ぐに気不味そうに主君の方へとちらちら視線を向け始めました。

「(…何故皆寡人を見ているのだ)」

「あ、その…」

 その意を察した襲人が、進み出て申し上げようとすると、漸く彼も皆が何を言いたいのか察します。

「ああ、なるほど。これは済まなかった。寡人はこれで退散しよう」

 立ち上がり、部屋を出て行こうとしたところで、思い出した様に彼は言いました。

「済まないが、焼き餅と温かい汁物を用意してやって欲しい。賢弟が帰ってくる頃だから」


 宝燈は先程の部屋で普段着に着替えると、またいつも寛いでいる居間に帰り、ぼんやりと机に手をついて、庭を眺めていました。

 ほんの僅かな眠気が身体を包み、うつらうつらと頭が上下します。そんな時、

「韋大夫のお戻りです!」

「……!!」

 瞬間、彼の意識は覚醒し、ぱたぱたと玄関口まで走り出します。

「おかえり!」

「わっ!…た、ただいま戻りました」

 韋黯は、帰ってくるや目を輝かせて飛び出してきた主人に対して、どう接していいか分からず、慌てて言葉を紡ぎます。

「ご苦労だった。報告を聞くから、普段着に着替えて戻って来い。今厨房に夜食を持って来させるから」

 そう言うと、宝燈はまたさっさと中に戻ってしまいます。唐突に来ては去っていく春の嵐を、韋黯はぽかんと見送りました。


 「さて、報告を聞こうじゃないか」

 いつもの広間に韋黯と差し向かいで座った宝燈は、家人が持ってきた夜食を適当につまみながら、彼に問いかけました。

「はい。招待状にありました諸王、諸公、並びに士大夫の名士の方々の邸宅を巡りまして…」

「ああ、そんな格式張った報告はいい。肩の力を抜いていつも通りに話せ」

 うるさげに手を振っていつもの様にと命じると、韋黯はその通りに態度を緩めました。

「うーんと、そうですね…まず最初にお伺いしたのは魏王殿下のところなんですが…」

「辞退されたかな」

「ええ、まあ…。魏王殿下もお年を召していらっしゃいますから。代理の者を出席させるとは言われましたが…」

「成程成程…」

「続いてお伺いしたのは寿王殿下のお邸に」

「どうだった?」

「…ご想像の通りかと」

「平康坊の方に豪壮な邸宅を構えている時点で、正直全て察せられるな。男と女、どちらが多かった?」

「女しか居ませんでした。私の前には。邸の警備にも、帯剣した若い女を使っている様です。…まあ、腕は立ちそうでしたが」

「で、本人は虎の皮でも敷いた所に席を置いて、美姫を侍らせながら客人を迎えたわけだな。ある意味、見慣れた風景だ」

「献上の品をお渡ししたら、不思議そうなお顔をされて居ました。『江夏王家は漢土第一の大富豪と聞くが、当代の郡王に至って身代を傾けられたか』と」

「アレには真心を込めた物の価値がよく分からんのだろう。時としてそうした物は何より貴重というのにな」

「ははは…あ、このスープ美味しいですね」

「それは何より。で、次は何処だ。永王殿下のところだろうか」

「仰る通りです。終始真面目なご様子で、ただご苦労様としか」

「まあ、そうだろうな。あの方は多言なさる方ではない。その分答礼品は随分と頂けるだろうが」

「ええまあ…と、そうです!答礼品。車三両分くらいあるんですけど」

「今頃家令が目録を作っているとこだろう。それで目を通す。…で、だ」

「はい」

丞相あのおとこはどうした」

「…ご招待、並びに真心からの贈り物にに感謝申し上げる、と」

「それだけか」

「はい」

「……まあ良い。改めて、ご苦労だったな。答礼品の中からめぼしい物を褒美にやるから、楽しみにしているといい。今日はここでゆっくり休んでいけ」

「はい…って、え?今日もここに泊まっていけと…」

「そう言ったが」

「いえ、流石にそこまでお世話になる訳には。ここのところここに泊まり込みですし…」

「構わん。お前もわざわざ、南の家まで帰るのは面倒だろう。それに、寡人が仕事をしてるのにお前だけが家にいるのは何かむかついてな」

「そんな理不尽な…」

「まあまあ。今日は特別に、うちの浴室を使うのも許してやる。混堂せんとうも良いだろうが、たまには独りで浴槽を独占してみるのも乙なものだ」

「ですが、お湯が汚れては…」

「寡人は気にせん。その程度の事だ」

 その様な訳で、韋黯は今日もこの邸に泊まる事になったのでした。一先ず、公の話はこれまで。


 「うわ…相変わらず豪華な浴室だな…」

 蒸気で満たされた浴室に入ると、韋黯はその威容に感心して呟きました。

 以前申し上げた通り、湯を張った広い風呂は一部の上流階級の贅沢品であり、彼の様な中流士大夫の四男坊に縁がある物ではありません。

 殆どの人々は夏も冬も冷や水を溜めた桶を使うか、混堂に通っていました。無論彼もその例に漏れず、王府の臣下として支給される給金を使って通っているのですが、どこもかしこも混雑を極めていて、安らぐ事など到底おぼつきません。

「ふぃー…」

 念入りに髪や体の垢を落とした後、身体を浴槽に沈めます。冷めぬように熱めに沸かされた湯が、心地よく染み通りました。

「うーん、気持ちいいな…。外の寒さが嘘みたいだ」

「そうだろう」

「ええ…ってえぇ!?」

 独り言に対する唐突な返事に、驚きのあまり立ち上がってしまいます。

「なんだ、そんなにびっくりしたか」

 くすくすという笑い声が戸の向こうから聞こえてきます。

「びっくりしましたよ、殿下」

「まあまあ。お前をここに招き入れた事は殆ど無いからな。使い方を教えてやろうと思ったんだ」

「大丈夫ですよ。大体わかりますから」

「そりゃよかった。じゃ、寡人は仕事に戻るから、ゆっくり入ってるといい」

「あの、殿下」

「ん?」

「いえ、その。とても、気持ちいいです。ありがとう、ございます」

「…それはよかった。まあ、明日も頑張ろうな。何しろ、明日は聖上と太子殿下に宛てて臨御を乞う上奏を取次の太監に渡しに行かねばならぬからな。例え絶対に御出でにならないとしても、勤めは果たさなくてはならん」

「はい。わかっております」


 いよいよ清明節が始まります。果たして、宝燈は新王としての務めを果たせるのでしょうか。続きは次回にて

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