第34話 記憶を掘れ





 涼くんが団地を見上げる。

 視線の先……位置的には岡崎さんか棚橋さんの部屋を見ているようだ。


「二人の競い合う創作活動はある日突然打ち切られることになりました。古くから団地に住んでいる方の証言を信じるなら、男数人が出口を固めて押し入り、手荒な方法で彼女を連れ帰ったそうです」

「ひどい……」

「それだけに留まらず倉田家は主だった絵画コンクールに圧力をかけました。なんの後ろ盾もない岡崎は作品を出展することも出来ず、無視され続けることになる。正当な評価も得られず燻ぶり続ける彼の胸中は、とても推し量れるものでは無い……ただこの時期も執拗に腕を振るい続け、のちの名だたる作品を生み出しています。その数年後。ナミノキョウイチと言う名の画家が幾つもの賞を取るようになります。名前を変えたからか、鬼気迫る才能で描かれた絵が倉田家の因縁をも圧倒したのかは知りません。彼は十年ほど作品を生み出した後は筆を折り、倉田さんは愛理さんと出会う時期まで、絵を一切描かなかった……これが過去を調べた結果すべてです」


 イチョウ並木を眼で追って、倉田さんの散歩道をなぞる。

 なんで彼女は辛い思い出がある団地に戻って来たのか? 岡崎さんに会うため? 引っ越してきてしばらくは誰とも話さず、筆も持たなかった。わざわざ選んだこの場所に意味があるのか……怨みや復讐? それは岡崎さんの方が持つような気がするし、彼女がここに来なくても倉田家に行けば果たせると思う。倉田家……そうだ。

 

「今の話。ずっと団地に住んでた人以外からも聞き込みしてない?」

「どういうことです?」

「例えば火事で入院してる、カスミさん夫妻からとか。それとも涼くんの調べ方が優秀なのかな。何十年前のことにしてはすごく分かりやすかったから、その、気になって」

「……確かに昨日の夕方。カスミさんたちに話を聞いてきました。面会謝絶に近い対応だったんですが、愛理さんの名前を出したら通してくれて……倉田家の裏取りしたいことはほとんど知ってて話してくれました」

「具合はどうだった?」

「夫の方が火傷はひどかったんですが、処置は上手くいったそう……怖い顔しないでください。呪いの方でしょう? 絵を見た時期がずれていますので差はありますが……近いうちに必ず死にます。もしかしたら自殺する方が速いかもしれません」

「そう」


 馬鹿か? あたしは?

 わざわざ涼くんが言わないでくれたことを探り出すなんて……理子と変わらないじゃないか。人に対する心のアンテナみたいなものが低いけど、珍しく頭に浮かんだから聞いてしまった。意図的に何か隠しながら説明してる、その意味まで配慮が至らなかった。いま知った所で何も出来ない。思ったって助けに行けない。集中だ、考えることをシンプルにしろ。


 見た人を殺す絵。その想いの源がこの団地に……きっと埋められてる。湿った土のにおいがするどこか。部屋じゃないのなら外の、広場や花壇とか。三十年以上前、倉田さんと岡崎さんが一緒にいたとき、共通するもの? それって魂の一部がぬり込められた絵じゃなければ何なんだ?


「いや、問題は場所の方だ。団地の土を掘れったって広すぎる。限定していかないと……ああ、だから理子は散歩道だけに絞ったのか」

「愛理さん、心当たりがあるんですか?」

「ない」


 舗装された道を歩き出す。

 もしこんな所に埋まっていたら、掘り当てるのは私たちじゃ無理だ。近くの広場では子ども達が元気に遊んでいる。昔も今も、どこかひっそりとした団地の死角。あるいは木々の茂み。もし私が何かを隠すなら……


「あ、言い忘れてた。話聞かせてくれてありがとう。涼くんなら、大事にしてるものを埋めて隠すとしたら、どこを選ぶ?」

「そうですね……自分ならあの大イチョウの木の根元でしょうか」

「あそこ? 結構人通りあるけど」

「土を掘るのは重労働ですから、実行するのは夜。幹がでかいんで自然と身を隠せますし、目印として分かりやすい方がいいかと。三十年も経てば道も石畳も変わります。広場や公園も違う施設が建つかもしれない。でもあれほど大木は動かせないし変わらない……この団地自体が取り壊されない限りは」

「目印か。確かに掘り返すことを前提とするなら目印ないと困るか。涼くんは何をイチョウの木の下に隠したい?」

「……昔遊んでたオモチャとかですかね」

「あ、私もそうかも。あとは絵とか手紙とかかな」

「記憶の中だけじゃなくて、その場所に行けば確実に存在し思い返せるもの。たぶん、その点で言えば倉田さんが遺したものもそう変わらないと思うんですよ。使わなくなった、必要ではなくなったけど、大切な何かを……」


 涼くんに呪いの影響はない。

 だから埋めたものを推察して辿り着く、といったアプローチも出来る。それはそれでいい。自分にしか取れない方法を試すべきだ。

 実際に生前の倉田さんに会っているのは私だ。初めて散歩に付き添ったのも私。筆を再び手に取って、描いた絵を見せてもらったのも私。それとなく悩みの相談に乗ってもらったのも私で、亡くなった時一番に駆けつけたのも私なんだ。

 呪いには種類があると言っていた。その救われない魂が決めた復讐の方法が。倉田さんの絵には見たものをじわじわと弱らせ、死に至らせる呪いが込められていた。

 ずっとずっと昔に描いた絵が、どう呪われていてどんな因縁があったとしても……倉田さんと一緒にいた時とは何の関係もなかった。倉田さんのことは好きだし、彼女の絵も好きなまま。この世に未練を残しているのなら取り去ってやる。いつもの通りだ。もう聞くことは出来ないが――倉田さん、困っているんじゃないか? 

 

「少なくとも、きっと今の状況を望んではいない」


 並木道の先、団地の外を一周して来た理子が歩いて来る。

 やらなければ。妹が呪いで死んでしまう前に。そうじゃなきゃ、私は……何のために存在しているか、分からなくなる。



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