第35話 過去が交わる辻のみち
「何か変化あった? あれば言って」
「いや……ただあまり時間はなさそうだ」
「ふぅん。大した異常がないってことは、場所や思考において呪いへあまり近付けてない、お互いに収穫なし。どうするか……」
理子は音が出るくらい頭を搔きむしって唸った。舗装された道に視線を落とす……その表情に少しずつ焦りが滲んできている。
「ねえ。倉田さんは足が不自由だった。それでも行きたい場所は無かったの? 話してて色んなこと聞いてたんでしょ?」
「散歩は団地の近くだけ。公園や広場、川沿いを歩く以外してないし、遠出なんて要望も出なかった」
「わざわざここに引っ越して来たんだ。この散歩ルートには動機があるはずなのよ……リハビリや気分転換、倉田さんとして絵のモチーフを得るってこと以外に、強い動機が」
「理子、待ってて。思い出して伝える。ごめんね」
「謝るな。そう言うのいいから。物覚えだけはいいあんたがピンと来てないなら、考えても無駄だ……涼。広場の向こうに団地全体の案内板がある。検証したいことがあるから写真撮ってきて」
「分かった」
涼くんが広場に向かって走るのを眺め、理子が歩き出した。もう一度散歩した道をなぞる気だ。私もその後ろをついていく。
イチョウ並木は倉田さんと歩いていた時と変わらない。まだらの木陰、行き交う人。広場には遊ぶ子どもや休んでいる大人。数日で変わるわけもないが、私たちを取り巻く状況は目まぐるしく色を移している。
「団地の地図、何に使うの?」
「ただ歩くだけじゃなくて、上から俯瞰的に見てみる。複数の視点でなら、何か気付くかもしれない。歩き方や目線。方向。倉田さんだって、ただ歩いていたわけじゃなくて、あんたと話をしながら別の想いを抱えてたのかも」
「ちょっとした悩み相談してもらったりは……」
「それもう聞いた。倉田さんは人を鋭く観察できる女性だったと思う。絵画にも言えたけど、並じゃないレベルのね。あんたのことをある程度まで理解できる人間は少ないんだ。分かりやすい一方で、深層心理は……あんた自身も分かってないほどあやふやな感じ」
「私が無意識の時に聞いた? その、心の奥底で何を言ってるか」
「知らないわ。喋らせたのは必要なことだけ。それ以外ない。呪いに関係してたら別だけど……そういう角度もアリなのか。これからあたし達は、呪いの正体もはっきり分からないまま追い詰めなきゃならない。知れば知るほど自分にかかっている呪いは、その破滅の秒針を速める……皮肉なものね」
何が、と聞こうとして止めた。
理子の迷いが手に取るように分かる。弱気に蓋をして抑えているのも。
助けて、と叫ぶ一歩手前……踏みとどまっているのはいつからだ?
「ギリギリまで隠した方がいいこともある。ママの時もそうだった。料理に時間がかかるようになってるのを、日に日に出来ないことが増えていくのを、知られたくてママは言わずに隠してたでしょ。あたしは何もかもぜんぶ明らかにすれば、解決に向かうと思ってたんだ。そこから家族で支えればってさ。ガスコンロを電気ヒーターに替えたり、家事だって分担すればいい……でも、みるみるママは痩せて、あたし達が誰なのかも分からなくなっちゃった。自分のしたことに後悔はないけどさ。時間かけてあんたとやり方を考えるべきだった」
「私と?」
「あんたが少しずつ料理を教わっていったように、ママを守るための環境を思いつく限り作り続ければよかった……もうママやパパはいない。呪いへの近付き方を間違えれば、あたし達も死ぬ。ふざけてるよなあ」
ひゅぽ、と携帯が鳴る。
団地の案内図が表示されて、振り返ると涼くんが歩いて来た。
理子がありがとう、と素っ気なく言う。
あれ、走って行ったのに帰りは……ああ、そっか。
私たちだけの内緒話かなって気を利かせて、ゆっくり歩いてきたんだ。それでおしゃべりが聞こえる手前で画像を送り、私たちに気付かせる。
さっきの倉田さんの話も同じ。私が知らなくていいことは言ってない。もしかしたらどこかに埋められている物だって想像がついてて……でも伝えたら状況が悪くなるから隠してる。それは涼くんの優しさだ。
理子だって同じなんじゃないか?
両親のことで、私は相当な勘違いをしてる可能性がある。でも敢えて誤解をそのままにする理由があって……私に言わないでいてくれたとしたら。
「理子は優しいからなあ」
「急になに?」
「何でも一人でやろうとして、無理ばっかりしてる」
「はぁ? 頭、割られたいの?」
あ、照れてる。乱暴な言葉で隠しても分かるぞ。涼くんは理子の後ろで珍しい物でも見たようにニヤニヤしていた。こういう事を面と向かって話してなかったな一度も。小さい時から理子は優しい。自分で何とかするし誰にも頼らない。私なんかよりずっと強くて頑張る子だ。
だから理子にそう言いたくなったら、言えばよかったんだ。ずいぶん遅くなったけど。こんな……いや、こんな時だからこそか。
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