第33話 情報収集



「……」

「まだ寝ぼけてるの?」

「大丈夫。ちょっと目を閉じてたら良くなったかも」


 タクシーに乗って向かう途中、何度か意識が途切れた。一瞬呪いによるものかと頭をよぎったが、理子によると単なる寝不足らしい。徹夜なんてしたことがないから、と言うと涼くんが昨日の件を含めてフォローしてくれた。その優しさと窓から入って来る日差しが眼にしみる。


 団地に来るまで、二人ともそれ以外は何も喋らなかった。

 私たちの記憶の穴埋めや、知るべき情報があれば共有をしておいた方がいいはずだけど。まさか理子がウトウトしてる私に遠慮することはないだろうし。頭脳明晰な二人が黙っているんだ。きっと意味があるに違いない私にはわからないだけで。

 少なくとも理子が、昨日まで気付いていた地点まで辿り着かないと。これから絵の呪いの源泉……倉田さんの後悔や未練の塊のような何かを見つけ出す為に。


 耐え難い渇き。湿った土の匂い。

 舌が干物になったような渇き。これは私が身を以て体験したことだ。耳にはぼそぼそ声。目にはわたあめみたいな白いもや。そして昨日理子が気絶するまえに呟いた、湿った土の匂い……もしかしたら理子が残した言葉も、今から辿り着くべき場所のヒントになっているのかもしれない。


「涼くん。私たちの目指すものはここにあるの? 正直まだ呪いの大元みたいな奴が、どういうものかすらよく理解してないんだけど」

。愛理さんも理子も分かった時点でアウトです。また呪いの干渉が始まっちゃいますから。要するに俺以外、探し物が何かを知る必要はない。場所さえ分かれば絵との繋がりを断てる」

「繋がりを断つ方法って?」

「物理的に壊せるモノなら壊せばそれで終わり。実体がない場合……彼女の念が留まっているとかなら俺が祓う。その段階までいけば必ず成功させます」


 そう言い切る涼くんはひどく緊張しているようだった。理子が彼にすっと近付き、肩と肩を付き合わせて挑発するような視線で見上げる。


「モノについての目星は付いてるの?」

「ああ。ずっと団地の聞き込みを続けて、裏も取れた。恐らくは昨日ここでお前が至った答えまでは。だが肝心の場所が分からん」

「ふぅん。なら後は二人でぜんぶ共有しといて。あんた達なら何か思いつくかもだし。あたしには知らなくていいことだ」

「理子? どこ行くの?」

「団地の周辺と、倉田さんの散歩したルートをもう一度辿ってみる。自分を探知機に見立てて、なんて癪だけど。案外マヌケな向こうが引っかかって反応するかもしれない。試す価値はある。まあ、場所がはっきりした時点であたし達二人への邪魔が入る可能性は高い。それまでにどこまで近づけるか……確かに早い者勝ちよね」


 理子は軽く鼻を鳴らしてイチョウ並木の道を外れて団地号棟の外へ歩き出した。落ち葉を踏み散らし、呪いに対してわざわざ自らの存在をアピールするかのように。

 涼くんの緊張は上手く理子が解いてくれたみたいだ。妹の背中と私を交互に見て、なんだか大げさに驚いているようだが。


「あいつに言われてたんです。愛理さんには裏がとれてる情報だけ伝えろって。推察してもキリがない部分はこっちで考えた方がいいと」

「確かに頭使うのは苦手だし、理子らしいなあ」

「その判断を曲げて……そこまで追い詰められてんのか……?」

「違うよ。理子は先に行っただけ。さっさと情報聞いて閃いた場所に向かえば? ってことなの。理子は早い者勝ちって言った。私をそこに含めてね……でも、すぐ追い越してやる」

「すげえ色だ。戻ってる、とも違う。短時間でこんな……」


 私を鋭く見続けている。涼くんにしては遠慮のない視線だ。そう言えば朝に家の前で合流した時も、こんな目をしていた。どこか懐かしんで、羨む目で魂の色を確かめるような……呪いの進行が早まったんだろうか? 私たちに残された時間がどれだけあるかは涼くんにしか視覚的に分からない。


「なんか見えた?」

「呪いに関しては一切何も。では話をしましょうか。何かわかるかも知れません。この団地に住んでいた方から聞いた証言を元にしていますが、自分の憶測も混じっていますので。倉田さんの遺した未練。その源泉。愛理さんになら分かるのかも」





 *  *




 

「岡崎一蔵がナミノキョウイチを名乗る前。今から40年以上も昔、彼はこの団地に来ました。すでに家族とは死別していて日雇いの仕事で生活費を稼ぐ以外はずっと部屋で絵を描いていたようです。美術館主催の展覧会にも複数作品を出し入賞するなど、新人画家としての滑り出しは好調だった……愛理さん。パトロンって言葉をご存知ですか?」

「ん、聞いたことない」

「この場合の意味だと支援者ですね。絵描きに限らず芸術家は大成するまで経済的な問題が付きまといます。そのため絵を評価した方が作者に対して資金援助をするケースがある。当時の倉田家がそれです。岡崎一蔵の才能を見出し屋敷へ囲おうとした」

「その時に、倉田さんと岡崎さんは出会ったのね」

「はい。どのような話が持ちかけられたのかは不明です。ただ結果として彼は援助を断りました。多少は倉田家に世話になった時期もあったのかも知れませんが……」

「え、え? なんで? 倉田さん達は困ってる人を助けようとしたんじゃないの? 気難しい性格だったから?」

「あのですね、何て言ったらいいか……手を差し伸べる行為は、必ずしも善意だけとは限らないんですよ。何らかの見返りがある。当時の倉田家は売れない画家たちをバックアップする一方で、作品をどう扱うか取り決めていた。倉田家主催の展覧会でデビューし賞をとる新人や、公募展では息のかかった審査員が並ぶなどの……強引さときな臭さ。この辺は理子が調べていて俺に伝えてくれました。岡崎さんはその辺を嫌ったのかも」


 理子は倉田家のことを調べてたんだな。

 言ってくれないのも分かる。絶対あれこれ考え出しちゃうぞ私は。


「最終的に岡崎さんは団地に戻った。ところがそこに倉田家の長女が訪れます。倉田スミレさんですね。正直この辺の経緯はよく分かりませんが……二人は競うように絵を描き続けたみたいです」

「だから二人の作風は似てたのかな」

「ええ。倉田家の横暴を謝りに行ったのか、倉田家を見返そうって気持ちもあったのかもしれません。互い絵の技術を学び合い、二人の絵画の腕はそこで洗練されていった……当然倉田家はスミレさんを探しました。半年ほど行方知れずだったことから、岡崎さんの所で絵を描いていたとは思いもしなかったということでしょう。でも団地ではどうしても人目がつく。張り紙やら聞き込みの成果もあり、ついに彼女の所在が明らかになります」

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