第32話 明日はめぐる
「理子、大丈夫?」
「……」
「とりあえず汗拭いてさ。着替えてきたら」
「おねえちゃん……どこ……」
不安げにきょろきょろした後、暗闇の中でこっちを見る。
寝起きのいい理子にしては珍しい。夢でも見てたの? いつ以来だお姉ちゃん呼びなんて。
「だれ……?」
理子の表情には、知らない人を見ているような子ども特有の怯えがある。そんなの家族の誰からも向けられたことは無かったし、私は妹が時折外で見せる不安顔を叩いたりつねったりして忘れさせてきた。でも、まさか。私たちの家で。二人きりの状況で見ることになるとは――
どっどっどっどっどっ。
胸の音が大きくなる。その度に身体がぐらぐら震えた。
父が
私が考えようとしなかっただけで、いま目の前で起きている光景は充分想像できたし可能性はあった。呪いが、生かしたまま家族のかたちを壊すってことも……
「ここ、どこ?」
「理子の部屋でしょ……ほら」
「ちがうよ。まっしろだもん」
「白?」
「わたあめでいっぱいだ! あははハハハ!」
狂喜の表情を浮かべているのを見て、冷たい汗が噴き出してくる。団地で妹にまとわりついていた白いもや。私が見た呪いのもや。呼吸を意識したとたんに息苦しさを憶えた。この暗がりに、家族の部屋に……見えないけど理子には分かるの?
「もうとめられない! あとはひっくりかえす。くるくるくる。ぱちぱちぱちぱち。しろはくろに……あっちとこっちをひっくりかえす! みんな、かてになるんだ!」
何か、怖ろしいものが迫って来る。
気付けば空中をかき回していた理子の手を掴み、強く力を込めていた。その感触や痛みで、虚ろな目をこちらに向けさせる。少しずつ表情に幼い怯えが混じりだした。
「だれ!? やめて、さわらないで……パパ! ママ!」
「理子。私だよ私。大丈夫だからさ。ほら、お、お、お、落ち着こう?」
「かみさまっ、だれかたすけて!」
「そんなもんに頼るな。私が、いや……目を閉じろ」
「おねえちゃん……」
「そのまま寝てな」
「……うん」
小さな返事が聞こえた。
すぐに静かな寝息だけが真っ暗闇の中で繰り返されるようになった。しばらく耳を傾けていたが、規則正しく変化はない。さっきまで全身で感じられた、最悪な気配は消えている。
改めて妹を見ると身体の各部分がそれぞれ小さかった。愛想良くしていれば誰からも好かれて、守ってあげたくなるに違いない。でも理子は人に頼らなくなった。一番近くにいる私が、姉として余りにも情けない姿をさらし続けたからだきっと。
このまま朝になっても、目覚めなかったらどうしよう。起きたとして今日までの理子らしさが戻ってこなかったら? そんな不安を追いやるように妹の頭を撫でる。
もし理子が悪い夢を見て、起きたとき怖くなっても。あんたにはあたしがいる。ずっと前から……明日もそうだ。だから心配ない。大丈夫だ。あとは必ずなんとかしてやる。
* *
「おはよう理子」
「……おはよう」
理子はベッドから上半身だけ起こすと、辺りをキョロキョロ見回した。昨日と違い目覚めて間もないのに頭をフル回転させて、色々考えているみたい。それだけで自分の口元がさらに引き締まって結ばれていくのが分かる。理子らしさは失われていないのは嬉しいけど、今は忘れよう。
呪いの元を断ち切る。それだけに集中して必ずやる。他の誰でもないこの手で……!
「涼は何時に来る?」
「10時の予定。変えた方がいい?」
「いいよそれで……顔洗って服着替えるだけだし。合流したら団地に向かう話で合ってる? なら、あたしも行くってことだけ連絡しといて」
「うん」
「止めないの? ってゆうかあんたはどうするの? ……寝てないでしょ? あたしが頼みもしないのに、夜通し見張ってた……そんな顔してるわ」
「ここにいても、世界の裏側にいても死ぬ。距離は関係ない。なら、一緒に行こう。理子の気持ちが萎えてないんなら、決着を付けるのは早い者勝ちでもいい」
理子がぽかんと口を開ける。滅多に見ない間抜けな表情だ。
「ねえ……どうしたの? ずいぶん真剣じゃない。心境の変化? あんた昨日、死にかけても他人事って感じだったのに。なんで? 焦ってる理由は? 追い詰められてるってようやく気付いたの?」
「だいぶ遅かったけどね」
「ふぅん。へぇ……」
「いいから顔、洗いにいったら?」
気持ち悪いにやけ面をした妹が一階へと降りるのを見届け、息を吐く。たしかに切羽詰まってるのは間違いない。どうにかして呪いを消す。涼くんはその糸口を見つけてくれているだろうか? あるなら辿り着く。どんな方法でもいい。理子を助けるんだ……必死にもなるよ。
それが私を助けることにも繋がる。いま考えることはそれだけでいい。
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