第31話 あの階段を


「ほら着いたよ。靴脱いで」

「……」


 家の玄関で理子の靴を脱がせる。

 タクシーから降りる頃にはもう意識を取り戻していて、反応は薄いが私の声は届いている。一人でも歩けるし家までの道に迷いは無い。足取りはふらついていたけど、そこは私が少し補助するすれば問題なかった。訪問介護の経験を活かした形だ。

 涼くんには結局家まで送ってもらっちゃったな。タクシーに同乗している間、理子や私を見ることなく携帯を見ていた。話を聞くと、理子の送った考察には最後に短いメッセージが残っていたらしい。倒れる直前に打ったもので、別れ際に涼くんとはまた明日会うことを約束した。


『理子から伝言を預かっています。倉田さんの死してなお残った未練に対するヒント……きっとこれを調べろって意味でしょう。呪いの影響がない俺にしかできない仕事です。愛理さんも休んでいてください。明日迎えに行きますから』


「涼くん、控えめだけどちゃんと頼もしいんだよね。理子は彼のああいう所が好きだったりするのかな? 普段大学でどんな話してるの?」

「……」

「もう暗くして寝よっか。一階で良いよね? お布団敷いてさ……」


 支えている理子の足が、階段へと向いた。

 私の声を聞いて動いているわけじゃない。いつもの習慣、ただ無意識に自分の部屋に行こうとしているだけ。数日前には想像もつかなかった。両親を失ってから決して踏み入ることの無かった階段。家族との思い出を押し込めた領域に、理子と一緒に入ろうとするなんて。


 妹を支えながら暗い階段の先を見上げる。マジで二階に行くのは久しぶりだ。父が倒れて帰らなかった時以来だから、結構な間が空いている。私があえて行かなくても大丈夫だとは思う。理子の足は帰り道よりも確かだ。目を瞑ってても歩けるようなイメージ。家の中ならそこまで手は掛からない……私は単純にキッカケが欲しいだけだったのかもしれない。

 父の寝室は今どうなってるだろう。理子が使っているなら、模様替えで雰囲気変わっているかな。涼くんと親しいみたいだし、オカルト的な人形や蝋燭が並んでいる、黒魔術じみた部屋になっているかも……?

 

「入るよ、理子の部屋。いい?」

「……」


 ドアを開けると、暗闇の中にうっすらと部屋のレイアウトが浮かぶ。そこまで大きく間取りを変えてはいないようだ。奥のベッドに近付くにつれて、普段この部屋を使っている妹の匂いが濃くなった。

 ひとまず理子をベッドに寝かせ、胸元までボタンを外して回復体位を取らせる。もう朝まで一緒にいた方がいいか? ……うん。そうしよう。されるがままになっている妹を見て、改めて確信する。


 しばらくすると目が慣れて来た。

 壁やカーテンは昔と同じ。棚の収納が増えているが、これは理子の服とか化粧道具のためだろう。思ったよりも普通だ。普通に名残がある。父の部屋の……

 ふと横の壁に目をやると、父の上着が掛かっていた。数年前の記憶と寸分違わず位置が重なる。小さい時、色んな場所に連れて行ってくれたことが頭の中で蘇る。仕事の都合でお出かけの予定が潰れたこともあったが、よく当時は時間を作ってくれたな、という感謝しかない。今にも上着を羽織って私たち姉妹に準備を促す、あの声が聞こえて来そうだ。


「あ、裁縫道具一式。ここに置いてたんだ……」


 机の横には乳白色のミシンが台ごと鎮座していた。花柄の模様、ねずみ色のフットコントローラー、昔から知っている母愛用の電子ミシン。母は何でも出来る人だったが、特に料理と裁縫は得意だったと思う。特に使わなかったし探さなかったがここにあったんだな。

 机には型紙やデザイン画のスケッチが置いてある。服の設計図はかなり本格的だ。母が私たち用にワンピースとか子供服を作るときにこんな図を見せてくれたことがあったが、それよりも大掛かり。というか趣味の域を超えてる……服飾関係の仕事を目指しているんだろうか。ファッションデザイナーが夢、なんて理子の口から一言も聞いたことがないが。


 そういえば、母が寝たきりになってから、服のほつれや修繕をしたことがない。理子がぜんぶやっていたのか? いつ教わった? この服は何だ? 私だけのために仕立てたオーダーメイド。昨日私に着せた服もある。あいつが両親のことを追い詰めて殺したも同然なのに。それとも罪滅ぼしのつもりか? この部屋だって未練がましく色んな物を残してる。

 これじゃまるで――

 

「……」

「あ、起きた?」

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