第19話 ゆれるカーテン
白いカーテンが揺れている。
窓が少し開いているのかもしれないが、よく見えない。ピントがボケているような変な感じで、涙が出てるみたいだった。
確かめたかったけど身体が動かない。ベッドの上? でもいつもの感触や匂いは一切感じない。自分の部屋――にしてはあまりにも白すぎる。耳の奥でずっと小さな音が続いていた。口の中で何かがもぞもぞと動いている。
気がつくと何もない空間に黒い点が舞っていた。空気の淀みをかき回すように旋回し気まぐれに飛び交っている。それらはやがて白いカーテンにぶつかって止まる。夥しい点の集合体がカーテンを浸食していく。壁も、天井も見る見るうちに埋め尽くして真っ黒になる。気持ち悪さがこみあげて来る。この光景は、きっとどんな黒よりもおぞましい黒だ。
ああ、窓を! ……窓を?
開けるのか? それとも閉めた方が……どうすればいい? 私は、どうすれば良かったんだ――
「ねえ」
「……ん」
「気がついた? 間抜けな顔してるけど」
ざわざわとした黄色が視界一杯に広がった。見ればイチョウの木が並んでいて、横には理子が私の顔色を伺っていた。ここは倉田さんの絵に描かれていた場所に向かう同じ道。呼吸を整えながら周囲を見渡す。まさか、そんな――
「理子まで……絵の中に閉じ込められちゃったの?」
「はあ? 頭まで間抜けか? 寝ぼけてんなら切り替えろ」
「こ、ここは……?」
「倉田さんの住んでた団地。あんた、一時間以上記憶飛んでるでしょ? ならここまで歩いてきたのも覚えてないって訳だ」
理子は心底あきれ返った、と言う風にため息をつく。
ポケットを探り携帯を見ると、確かに言われた通りの時間が過ぎている。私は、離れで絵を見ていたはずなのに……!
「夢遊病。あるいは自己暗示の状態に似てた。大して詳しくないけどね。ああ、カスミさん夫妻にはフォロー入れといたから。そこは心配しなくていい。普段とそんなに変わんないし、ぽけーっとして眠くなってる感じに見えなくもないし」
「なんで、ここに?」
「……まず倉田さんのイチョウの絵。あの場所に立ってみたかった。ついさっき終わったけどね。拍子抜けするくらい普通の場所。あんたに聞けばいろいろ答えてくれたから助かったわ」
「ま、また私の知らない所で勝手に……!」
「そんなのいいから聞け。もう一つは死んだ岡崎って男。あんたの不調や倉田さんの件と関連があるのかどうか。ここの団地。向かいの棟……そこで死んだ原因。探ってみたいのよ」
理子の口端が歪む。楽しくてたまらないといった顔で団地を見定めている。そのまま歩き出したので慌てて後に続いた。
「岡崎さんの家に入るの? 無断で?」
「もう死んでるでしょ」
「犯罪じゃない! ぜったいだめ!」
「ぴぃぴぃ騒ぐな。それにまあ、知りたい事が埋まるなら敢えて押し入らなくてもいい。必要ならそうするってだけよ」
……理子は疑問を残さない。どうして、なんで、と思ったことを私みたいに宙ぶらりんにしない。知りたいことは徹底的に暴かないと気が済まないんだ。それが父を追い詰め、母の衰えを晒し、いま私を焦らせている。
「岡崎さんのこと聞かれても、何も言わないからね!」
「そうでなくっちゃ。あんたに口を出されたら困るもの」
「……理子、理子。本当にやめて」
「さっきのとこで待つか、静かに出来るなら付いてくれば?」
妹の足取りに淀みはない。団地の玄関に入り、集合ポストもすぐに目星をつけて探し当てた。ああ、私が。私の知らない所で岡崎さんについての情報を既に伝えてしまっている……!
岡崎さんのポストは、他と比べて投函物がはみ出していた。ここを開ける人がもういないんだ。数日のうちにこうなるのは無理もないが。
「あら鍵もかかってない。不用心ね」
「ちょっとぉぉ!? なんで開けてんのっ!?」
「そういうのいいから……下に束ねてある新聞紙を見て」
「これ……?」
「チラシやら新聞の類い。岡崎って奴の所にだけ放置されてる。捨てる場所は別にあるだろうから、本人にはまとめて持って行く習慣があったんじゃないの?」
「……あれ。束ねてある新聞。日付が……」
「昨日までの新聞よそれ。死者がくくりに来るわけはない。んで一人暮らしだった岡崎サン以外に、誰がしたかってことだけど」
「ほ、訪問介護に来た人とか……?」
「自分で言ってて破綻してるわ。昨日の新聞を介護士が片付けるなんてね。亡くなったあとでも至れり尽くせり……流石にサービス良すぎない? それともあんたのとこは死後の遺品整理まで請け負ってんの?」
確かに介護士の可能性はない。じゃあ誰が何のためにやっている? 岡崎さんが亡くなった後も……。経済、スポーツ、いろんな種類の新聞があるからすぐに溜まっちゃうし大変そうだ。
岡崎さんはどんな仕事をしていたんだろう。ここまで複数の新聞を取るなんて、普通しないんじゃないかな? 企業の経営者とか、学校の先生……見当もつかないけど。
「ふぅん……チラシ以外に目ぼしいものは無い。封筒とかで関係が繋がればって思ったけど成果なしか。まあいいわ」
「理子」
「そんな眼で睨むなよ。このあと不法侵入なんてしやしない。今やっている行為だって、下に新聞束ねている人とそう変わらない。動機の方は不純かもしれないけどね」
「それ、実際は善意じゃなくて……」
「文句あるの? あるなら言いなさいよ」
「……」
「何をしてるんですか!」
振り返ると、奥に高齢の女性が立っていた。
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