第17話 倉田姉妹



 携帯を受け取った後、しばらくお喋りを楽しむ。倉田さんの介護を通じての近況から、子どもの頃に姉妹とも絵を描くのが好きだった、というエピソードなどで話は弾んだ。倉田さんが亡くなった時の様子には触れてこない。旦那さんが詳しく伝えていたのかもしれない。

 理子が聞き手として相槌を打つだけでなく、それとなく色んなことを聞いていた。私があの現場でどんな様子だったかとか、カスミさんや倉田さんの足の症状や具合はどうとか。理子が聞こうと判断したことだ。きっと意味があるんだろう。思ったよりも失礼な聞き方じゃない。むしろ私の方が安直な受け答えばかりしている気がする。

 そんなことを考えていると、理子がおもむろに私の方を向いた。


「そうだ。何か聞きたい事あったんじゃないの?」

「え? なん……えぇ……?」

「ほら疑問よ疑問。あたしばっかり聞いてるし」


 理子の思い付きか? い、言われてないぞ。

 なんだ、カスミさんに聞きたい事? あったか? いや、確か……


「部屋に置いてあった絵は、きれいになりましたか?」

「絵? 姉が描いていた絵のこと?」

「はい。あの時、絵の具が部屋に飛び散っていました。たぶん二枚くらい床に出しっぱなしの絵があったような……せっかくの倉田さんの絵だったので、気になって」

「あなた、そうなの?」

「ああ、まあ。外に出てた絵が二枚あったよ。他は棚に入ってた」

「汚れは?」

「どうだったかな……画材とかと一緒に持って来たが、細かくは見ていない。離れのほうにまとめて置いてある」

「へ、部屋中をキャンバスにしたみたいでした」

「あちこち黒く塗られていたって聞いたわ。最期まで手に筆を持っていたのかしら。姉も本望だったのかもね……さて」

「離れに行くのか?」

「ええ」


 旦那さんがカスミさんの立つ補助だけして、先に歩いて行った。恐らくは鍵とかの準備だ。

 私たちはカスミさんの歩調に合わせて石畳の先を進む。


「もともと話が終わったら離れに寄ってもらうつもりだったの。姉に線香を手向けてもらいたくて」

「そうだったんですか」

「離れでは勉強をよくしてた……娘も孫も受験勉強に使っていたわ。もっとも、姉だけそこで絵ばかり描いていたっけ……私も筆を一緒に振るったけど。才能が違うというか、どんどん上にいかれてしまった。自分の絵がひどく滑稽に思えたものよ」

「姉妹で――」

「姉妹で絵を描くのが好きだった、って言ってました」


 理子もカスミさんも私の呟きに反応した。


「難しい理屈もしがらみもなく二人一緒に描いていた頃……絵画に触れることよりも、その時間が好きだったって」

「そう……私も今はそう思ってる。嫉妬はあったけど姉を自慢したい気持ちがずっとあった。昔は姉の考え方も将来の選択も受け入れられなかったけど……年を重ねてから感じることも多いわ」

「倉田さんは感謝してました」

「それは貴女の方こそよ。姉は愛理さんに救われたの。それは間違いない。一度筆を折った理由は明かしてはくれなかったけど、また絵を描くようになったのは……愛理さんの存在が大きかったみたいね。その話を聞かされた時は嬉しかった」


 カスミさんの微笑みを見て、自然に頬が緩む。

 良かった。倉田さんと実家とは絶縁状態なのかなって一方的な邪推してたけど、連絡や近況のやり取りはしていたみたいだ。倉田さんが絵から離れたのも、再び筆を取るようになったのも詳しい事情は分からない。

 たぶん普段の日常……何か心境が変わって、目に映る風景を楽しめるようになったんだろう。それは間違いないと思う。


 石畳が小さな座敷に続いていて、旦那さんが戸を開けて出てきた。小さいと言ったが豪邸と表現して差し支えない家と比べればって感じで、私と理子が住んでも持て余しそうだ。和式の……なんか名称がありそうな建築。離れって言えばそれなんだけど。

 理子をつついて小声で聞く。


「これって何て言うの? お寺みたいな」

「知らないわよ。茶室作りじゃないの?」

「どうぞ。お入りになって」


 カスミさんに催促されると、理子が形式ばった所作で中に向かった。マネしろってことか。時代劇とかの小さな開け口に潜るタイプだったら妹もお手上げだったなきっと。

 理子に倣って入ろうとすると、旦那さんが横に立っていた。何か言いたげにこっちを見ている。


「どうしましたか?」

「……いや、いまは別にだな」


 そのまま俯いて私を離れに促す。

 携帯のことか、倉田さんの件で改めてお礼とか言いたかったのかな? すぐに理子の動きを頭で模倣し、ロボットみたいにぎこちなく入った。

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