第15話 携帯のゆくえ
きっちりお皿の後片付けを終わらせて、理子は再び私の前に座った。口端を歪ませ、心底嬉しそうに歯を見せる。
妹の食事中、洗いざらい最近起きたことを話していくうち、私の中にある自殺衝動は収まりつつあった。それと同時に少しずつ違和感と後悔が押し寄せて来る。
仕事上、誰にも言ってはいけない個人情報や秘密を、べらべらと喋ってしまっている。いくら理子が巧みにこちらの言葉を引き出していたとしても、普段なら考えられないことだ。
誰かの囁き。あの優しげな声。
あれを聞いてから、私はおかしくなったのかもしれない。ついさっきまで理子と話している時も、どこか意識が遠のいていた感じだったから。
「情報はだいたい出揃った。結局のところ、あんたが今どういう状態かってことよね。ぼーっとしてたり、直前までしていたことが思い出せなかったり。だから若年性の認知症、あんたはそれを疑っている、それと……」
「それと他には、何らかの記憶障害とか……む、夢遊病とか?」
「気持ち悪い顔してごまかすな。もう一つあるでしょう? 訪問介護の利用者がたて続けに亡くなっている。その同時期、あんたは違和感を覚えるようになった。死に方も気が狂ったように尋常ではなかった……もしかしたら何かが繋がっていて、自分にも当てはまるかもしれない。そうあんたは思っている」
私の知る二人の利用者。その異常な死との関係。坂本さんが半狂乱になったことを笑えない。彼女や理子の言う通り、常識をはるかに超えた不可解な現象を……心のどこかで受けて入れているのも確かだ。
「でも、やっぱり私がおかしいだけなんじゃ……」
「あんたが変なのはいつものことでしょう。それならまだ、わけの分からないオカルトの方が信じられる。さっきのお風呂場のことは、きっとそのせいに決まってるわ。だって途中だもの」
「途中?」
「パパは身体が壊れるまで家族の為に働き続けた。ママは頭がおかしくなるまで家族を守り通した。そこまで思い詰めなくてもいいのにさあ。どこかで休んだり諦めても良かったのに。ねえ、わかる? あんたにはあたしがいる。だから、自殺なんかしないんだよ」
……違う。
両親も、私も。どこにでもいる普通の人だ。
命を削れるだけ削って、あとに何も残らない。理子がそう強要させた。家族という絆を利用して長く苦しむ方へと仕向けたんだ。そうに決まっている。破滅の穴を意図的に開け、沈みゆく船を面白がって見届けるような妹の嗜好を……私は知っている。
理子の笑顔がさらに歪んでいく。追い詰めていった両親にそうしたように。まさに私も破滅の途中に違いないのだから――
「最後に一つ。今後あんたの頭の中から誰かの声がしたとしても、絶対に耳を貸すなよ。その時はあたしの言葉だけ聞いてろ。返事は?」
「う、うん……」
「それから……ああ? 電話? いい機会だったのにクソッ」
理子が苛立ちながら受話器の方へ向かう。
そのまま電話を取った。フリーダイヤルの番号じゃないらしい。家の電話は基本無視するし、大学関係や私の仕事……坂本さんとかじゃなければ、留守電を私に確認させる、というのが基本だ。
……結局、理子の強い口調に何も言い返せない。
気力が少しも振るわなかった一番ひどい時期。母の命令でいつも動いていたように、自然と頷いてしまった。これから死ぬまで妹の操り人形だなんて嫌だ。でも屈服した心を、どうにもできない。
「あんた宛よ。携帯、見つかったって」
「え、本当? 誰から?」
「倉田さんから」
「……は?」
「ふふっ変な顔。言い直すわ。正しくは倉田さんの関係者。あんたが訪問してたアパートに携帯が落ちてたって。救急車呼ぶだけ呼んでそのままになってたみたいね」
理子から子機を受け取り、通話保留を解く。
……たぶん坂本さんと一緒に来た人だ。あの時は救急隊以外、誰が来たかはよく覚えていないけれど。
「もしもし。お電話変わりました」
『はい、倉田カスミと申します。この度は姉を見つけてくださり、有難う御座いました』
「と、突然のことでしたのであまり力になれず。お悔やみ申し上げます」
『本当はすぐに連絡したかったのだけど。葬儀の準備で立て込んで……ごめんなさいね。貴女の携帯に自宅番号で何度か掛かっていたから。そこから電話したの』
「すみません。助かりました。あの、さっそく取りに伺いたいのですが、構いませんか? 最寄りの駅や場所を指定してくだされば……」
『それがね、もし可能なら北川さんが家まで来てくれないかしら』
「ご自宅、ですか?」
『姉は足を悪くしていたでしょう? 私も少し前に似たような神経痛になって、あまり出歩けないのよ。もちろん難しいなら主人か孫に持たせて渡せるようにするけれど』
「いえ、大丈夫です。今からでも行けますよ」
『ああ良かった。生前、姉が貴女にとても感謝していたの。その辺も伝えたかったから。メモを取ってくださる? 住所は――』
* *
「ねえ、携帯取りに行くの?」
「……」
「場所と時間は?」
「……」
「少しくらい反応しなよ。さっきアレコレ聞き出したのはあたしだけどさ。まあ、勝手にすれば」
ふい、と理子が顔を背けて横を通り、廊下へ出て行った。
大きくため息をつく。昼食の尋問じみた会話から、ようやく落ち着けた。倉田カスミさんと約束した時間はだいぶ余裕があるけど、はやく出かけよう。また妹に何を言われるか分からない。
倉田さんの葬儀が終わった直後だ。着て行くのは喪服に準じたものがいいのかな? 携帯で軽く調べたいがその携帯と取りに行く状況だ。
目を閉じて、服の組み合わせをしてみる。
ええと、私の部屋の扉正面……クローゼットに母の葬式の時に使った喪服があって、その横に黒系統のワンピースとスーツが並んでいる。前開きのワンピースでいいか。あとは……無難にスーツかな。
他の小物は部屋の収納ケースに入ってるし、靴は……玄関の棚。ヒールの低めな奴でいくつか候補がある。
これで迷わない。ほんの少しの乱れなく準備が可能だ。
廊下に出て、階段の方を見上げる。理子には黙ってるだけじゃなく、もう少し上手に伝えてあげられれば良かったんだけど。倉田さんの妹の家に、携帯を取りに行くから待ってて、とかさ。本当なら何でもないことなんだ。でも……私にはそれがひどく難しい。せいぜい夕飯で好きなものを用意してご機嫌を取ることしかできない。
「……あれ」
壁内蔵のクローゼットを開いた時、違和感があった。
頭の中で描いた服はある。でも、足りない。順番もなんか変わっている。寸分違わず、そこに掛けてあるはずなのに。
え、なんで、どうして服がない?
クリーニングに出した覚えもない。いきなり横道に逸れたぞ。き、軌道修正を。私のワンピースと何着かが消えている……特に理子のものが。ああ、そっか。理子が二階の部屋に移したのか。通りで両親の分はそっくり残ってるはずだ。それなら分かる。インプットし直せば問題ない。まずは決めておいた服を取り――
「ヒール適当に出しといて」
「りっ理子ぉ!?」
「あんた、黒染めって……弔問でも避けるわ普通。もっと普通っぽくしなさいよ。ほら、確かスタンドカラーのレース付きが無かった? それにジャケットで充分でしょ」
階段上から顔だけ出した理子が、疑わしげに目を細めて降りて来る。
どこからどう見ても着替え途中って感じで!
「ふ、服はともかく何でっ!? なにやってんの!?」
「なにって……倉田さん宅へ行くの。行くに決まってるわ」
「電話の話を聞いてたのか……どうして理子もついてくの!?」
「うざいな。もうそれ以上質問するなよ。死んだ倉田さんの妹が、何か知っているかもしれない。仮にあんた一人で行っても普通に受け取ってお礼言って帰るだけでしょ絶対。疑問は全部潰す。可能な限り有益な情報を、根掘り葉掘り聞き出すまたとないチャンスよ。案外あっけなくオカルト説も消せるかもね」
「や、やめて!」
「それに向こうで何かあったら、あたしが、その……嫌だし」
たぶん私が期待しているような心配じゃない。
理子は自分の目のとどかない場所で、私が慌てふためいているのを見逃すのが嫌なだけだ。そして私に異変が起きた時、そばにいなければ苦しむ姿も堪能できない。そんなところだろう。
でも、もし。本当に理子が私を心配してくれているのなら。ほんの少しでも、可能性があるとしたら。理子を……たった一人の家族を信じないで、誰を信じるって言うんだ?
「わ、わかったから。準備して行こう」
「……うん」
理子がしおらしく階段を登り、ちらっとこちらを見た。
私を馬鹿にするように舌を出している。いつものニヤッとした悪魔的な表情というよりも小悪魔っぽさがある。あの下着からかわいい小さなしっぽが生えていても不思議じゃない。
……また騙された。でも疑うよりはいいか。
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