第18話 アレナ

 仁喜さくらの物語は、ここで終わった。


 では、ここでアレナとは何だったのか、それを振り返ってみるとしよう。アレナArenaとは砂の意であり、砂時計の砂がこぼれ落ちる様を、生命エネルギーが失われることに見立てたことに由来する。なるほど、限りある生命エネルギーがあるというのなら、身体と精神を大事に扱うことにもつながろう。しかし、このような概念を仮定したところで、いったいどうしたというのだろう? 健康に生きようとも、不健康に生きようとも、それは本人の人生。結局は大きなお世話なのだ。そのことを分かっていた中世の人々は、メルートスの論をやがて忘れていった。例外は、不老の秘術――砂時計を引っ繰り返すことに執念を燃やした、哀れな人々だけであった。

 さて、では、なぜこのような何百年も前に淘汰されてしまった概念を、現代になって掘り起こさなければならなかったのだろうか。そう大層な理由でもない。それは――だ。その一言に尽きる。知能が低く、感情表現に乏しく、言われたことに反抗しない。そのような人々が望まれているのだ。そして、そのような人間を作り上げるにあたって、アレナという概念が利用されただけの話である。健康と長寿という、甘い言葉を添えて。そのアレナの損失を防ぐためには、言葉をしゃべらないことが、もっとも効果的であるという。そのような研究結果が、何の疑問も持たれず、またたく間に全世界に広まった。それは、あたかも疫病のように。その研究結果を広めるために用いられたのは、『数字』である。アレナを測定した数値。寿命の増加率。病気の患者数。そのような、あたかも信憑性のある数字を見せられたとき、人はその実態を分かったような気になって、考えることを放棄する。時岡璃衣の言葉を借りるなら、疑うことをやめるのである。そして世界は、沈黙の道を振り返らずに突き進むことになった。そこは、なんと住みにくい世界だろうか。しかし、その住みにくいという感覚すら、人々は忘れかけていくのだ。従順に。順番に。

 そのような世界で得をする人間が、果たしているというのだろうか? いや、いないというのなら、是非教えていただきたい。


 


 諸兄姉には、この意味を、是非深く考えていただきたい。


 仁喜さくらの物語は、ここで終わった。

 いやしかし、彼女の物語は、再び始まったのだ。そう、『疑い』という行為を通して――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る