第17話 終幕

 病院で、目線を合わせながらお母さんは言った。


「ねぇ、さくら。よく聞いてね」

「なぁに?」

「さくらはね、おなかのこの辺りがね、その、少し、悪いみたいなの」

「ふぅん?」 

「だけどね。ドナーっていう人がいたら、さくらはきっと良くなるはずなのよ」

「どなー」

「そう。だから、その人が見つかるまで、おとなしく病院で待ちましょうね」

「おうち、かえれないの?」

「ええ……。でも大丈夫。ちゃんとおもちゃを持ってくるわ。さくら好きでしょう? 魔法少女の」

「うん……」

「それに、わたしもドナーになれるかも知れないし……。だから、安心してね」


 病院は退屈だった。面白くなかった。だから、一度、探検をしたことがある。そのとき、わたしがいなくなったと随分な騒ぎになって……。それから看護師のお姉さんが付いてくれるようになった。そのときに、わたしはずっと聞きたかったことを聞いてみた。


「おねえさん」

「どうしたの? さくらちゃん」

「どなーってなぁに」


 絵本のページの中から、がんばって人を見つけるものがあるでしょ? ウォー○リーって言うの。そういうものかもと思っていたけど、なんだか違うような気もしていた。


「えぇっと……そうね。ドナーっていうのはね。うーんと、自分の身体の一部を、他の人にあげる人のことを言うの」

「ふぅん?」

「ヒトの身体の中……もちろん、さくらちゃんの身体の中もね、空っぽじゃなくて、いろんなものが詰まってるの。その中のものをくれるのが、ドナーさんなのよ」

「え……。じゃあ、ドナーさんはしんじゃうの?」

「うーんと……そう、ね。そういう場合もあるけど……そうならない場合もあるわね」

「ふぅん。そうなんだ」


 お姉さんとの会話は、興味深いことでいっぱいだった。そうやって彼女と過ごす日々が続いて、手術の日程が決まり、あれよあれよという間に手術が終わり、わたしは退院した。ドナーが誰だったのか。どういう人だったのか。それは誰に聞いても教えてはくれなかった。だけど、このとき、わたしは決めた。もらった命に恥じないように生きようと。たくさんのみんなを喜ばせるように生きようと……。



****



「ん……」


 ここ……どこだろう。もしかして、病院?

 もぞもぞと起き上がった。

 この病院独特の空気。なつかしさが、こみ上げてくる。


「……」


 わたし、魔物の攻撃を受けて……あのあと、結局、どうなったんだろう?

 ふと首元を触った。


「……?」


 ない。

 金属の感触がない。何度同じ動作を繰り返しても、。嫌な予感を覚えながら、フルールが出るように、一生懸命念じた。


「……、……、……!」


 出ない。いくら願っても、何も起こらない。慌てて周りを見回して――サイドテーブルの上に、それはあった。無残に破損したアミュレット。朝日にきらめいていた。


「あ……ああ……」


 手に取ったところから、ぼろぼろと崩れていく。

 わたしは――魔法少女じゃ、なくなったんだ。もう、みんなの役に立つことは、できないんだ。

 ああ……。ごめん……ごめんなさい……。


「……っ、ぅ……~っ」

「さくらちゃん」


 ――え?


「フヨウ……?」


 にじんだ世界の中、開け放たれた窓の縁に、フヨウがいた。


「元気出してノシ。何も、魔法少女だけが人生のすべてじゃないノシ。さくらちゃんは絵が上手ノシ。きっと、それで頑張っていけるノシ」

「フヨウ! ごめ……ごめんなさいっ! わたしが、わたしがダメなばっかりに……!」

「謝ることないノシ。これできっと、さくらちゃんはまたひとつ、大きくなれるノシ。神さまも、きっと喜んでくれているノシ」

「っ、ぅう……ひっく……」

「……ボク、もう行くノシね」

「ま、待ってっ!」

「ノシ?」


 ずっと疑問に思っていることがあった。それを、聞いておきたかった。


「魔物は、人の悪から生まれるんだよね。じゃあ……その魔物を倒したら、悪は減るの?」

「ううん、減らないノシ」

「魔法少女は、その力を使っても、悪を浄化することはできない?」

「できないノシ。悪が消化される唯一の方法。それは、魔物が不幸をふりまくことノシ」

「じゃあ、いくら魔物を退治しても、根本的な解決にはならない……そういうこと?」

「ノシ」

「ど、どうして? どうしてそのことを、はじめに教えてくれなかったの?」

「ボクは、魔物を倒して欲しいとは、一言も言ってないノシ。力の使い方は、みんな君たち魔法少女に一任してるノシ」


 え……。


「今の質問を、ボクと出会ったときにさくらちゃんがしてくれていたなら……また違った結末になっていたかも知れないノシ」


 わたしは、持てなかったんだ。疑問を。だから、こんなことになってるんだ。


「さあ、これでさようならノシ。元気でね、さくらちゃん」


 フヨウは窓から出ていった。窓の外。そこでは、朝の太陽が、向かいのベランダの花々を柔らかく照らしていた。


「うっ……ううっ……」


 わたしは……これまで、いったい何をしていたんだろう……。魔物を倒して、いい気になっていただけだった。なんにも考えられてなかったんだ。

 静かな病室。コトバを失いつつある沈黙の世界で、一人声を上げて泣いた。

 突然、入り口の引き戸の開く音がした。


(さくら)


 お母さんだった。いつものように、手話を使っている。


(さくら、大丈夫なの? 身体は平気?)

「うん……。大丈夫」

(よかった……。昨晩ね、あなたが貧血で倒れているところを、お友達が連絡してくれたのよ。お母さん、突然のことでびっくりしたけれど、あなたが無事で、本当によかったわ……)

「うん……心配かけて、ごめん……」

(さくら、本当に大丈夫? どこも痛くない?)


 その日は検査があった。異常なしということが分かり、即日退院となった。そうだ。身体に問題なんてない。けれど、心はそうじゃない。胸にぽっかりと穴が空いたような気持ちだった。そして、このやりきれない想いを抱えたまま……わたしは人生を生きていった――。


(了)

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